コピー 葉玉洋子さん/サンタチェチリア音楽院声楽教授/イタリア・ローマ
「音楽家に聴く」というコーナーは、普段舞台の上で音楽を奏でているプロの皆さんに舞台を下りて言葉で語ってもらうコーナーです。今回、で声楽の教授としてご活躍中の葉玉洋子(ハダマヨウコ)さんをゲストにインタビューさせていただきます。「音楽留学」をテーマにお話しを伺ってみたいと思います。
(インタビュー:2012年5月) ―葉玉洋子さんプロフィール―
福岡県出身、広島大学高等教育学部音楽科卒業、大阪音大専攻科終了。大阪芸術大学音楽課声楽科講師。イタリア、ローマサンタチェチリア音楽院、サンタチェチリア アカデミーで学び、ローマを中心にイタリアの重要な国立歌劇場で数多くのオペラを歌う。パルマ国立音楽院、ボローニャ国立音楽院声楽科教授を歴任後、現在ローマ・サンタチェチリア国立音楽院声楽科専任教授としてイタリアベルカント唱法、イタリア、フランスドイツオペラを教えている。 -まずは、葉玉様の簡単なご経歴を教えていただけますか。
葉玉 イタリアに35年住んでいます。福岡県の出身です。広島大学を卒業したあと、大阪音大の専攻科に行きまして、そのあと大阪芸術大学の声楽科で2年間教えました。その後ローマに留学してローマ・サンタチェチリア音楽院に入りました。在学中に国際コンクールで第1位になり、すぐにイタリアの国立歌劇場で歌い始めました。成功の一番の要因は、ペーザロで開催される非常に重要なフェスティバル、第1回ロッシーニ・オペラ・フェスティバルの主役に抜擢されたことが大きいですね。そのことが、イタリア中の新聞に書かれたところから始まりました。
-プロの歌手としてご活躍されるようになったきっかけはありますか?
葉玉 国際コンクールで1位になって声がかかるようになり、最初はロッシーニのオペラばっかり歌っていたところ、ペーザロの主役に抜擢されたわけです。その後は、イタリア中の国立オペラ座から呼ばれて、たくさんのオペラ座で歌うことができました。ヴァチカンで、ローマ法王御前演奏、ヨーロッパ青少年オーケストラと競演したり、イタリア各地を回ったりもしました。コンサート、主にオペラを歌っていました。
そのあとに、国立音楽院の声楽の教授になる国家試験を受け、通りまして、パルマ、ボローニャ、そして今はローマのサンタチェチリア音楽院声楽課選任教授として教えています。
-出身の音楽院ですね。最初のローマへの留学のきっかけはあったのでしょうか?
葉玉 友達が留学先のローマから帰ってきて、色々なローマでの音楽文化の世界を話してくれて、それを聞いたら、行きたいなあと思って。最初からローマに行きたいと思いました。
-最初に音楽の世界に入られたのはいつからでしょう?音楽に興味をもたれたきっかけはありますか?
葉玉 両親がクラシックをとても愛していまして、小さな頃から、親しんでおりました。母がピアノを、おばがバイオリンを弾いておりました。
-音楽一家だったのですね!
葉玉 そうですね。小さな頃から、色々な楽器を習いました。ピアノ、バイオリン、フルート、歌も大好きで、機会があれば色々なところで歌っていたんです。小さいときから、音楽家になることは、わたくしにとって普通のことだったわけです。
-たくさんの楽器の中から声楽をえらばれたのはなぜ?
葉玉 歌が大好きだったんですね、楽しくて。バイオリンは毎日6~7時間は勉強しないと、プロにはなれません。遊ぶ時間がなくなるので、バイオリンではプロにはなれないと思っていました。遊びたかったんですね(笑)。とにかくビバーチェ、活発な少女でした。スポーツもやりましたし、家の近くで蝶々取りや、木を登ることが大好きでした。オペラを歌うのには体の動きが重要ですので、スポーツ・体操のニュアンスも非常に大切です。日常生活での体の動きは小さなものだと思うのですが、オペラでは大きく動くことが大切です。
声楽というのは、高校に入るころ、15~16歳くらいでは、まだ早いんですよね、高校の3年生から正式に声楽の勉強を始めました。幼少時は、小さかったから声楽を勉強する歳になってなかったので、楽器を習ったということです。バイオリンやフルートは、レガートを勉強するのに非常に良かったです。イタリアでは、カンターレ・エ・レガーレ(Cantare è legare)と言うのですが、歌うのはレガートすることだ、と特に重要視します。のちに声楽を勉強しはじめたときに、感覚がもうすでに体の中に入っていたので、とても助かりました。
-昔やっていたことが全部つながって役に立っているんですね。
葉玉 呼吸法は、フルートが同じなんです。横隔膜を使う、長い、長い呼吸法ですね。色々な面で、楽器を経験していたのは有利だったと思います。
-声楽を勉強するにあたってイタリアに渡られました、イタリアのよい点は?
葉玉 イタリアは、全ての音楽の形式が生まれた国なんです、オーケストラ、シンフォニー、コンサート、様々な楽器…ここから生まれているんですね。イタリアで生活していると言葉自身が非常に歌にあった言葉だと分かりますし、歌を勉強する人は一度は勉強にいらしたほうがいいと思います。言葉そのものが音楽ですので。
弦楽器も全てここから始まっています。レガートを大切にする文化、声楽でも楽器でも音楽にはレガートがないといけませんし、楽器を弾いている先生たちもすごくレガートを大切にしますので、その勉強にはイタリアが一番だと思います。テクニックはアメリカなどが非常にありますけれども、楽器を歌わせることに関しては、イタリアが一番だと思いますね。アメリカはテクニックを非常に大切にする国ですね、イタリアでは、例えばリズムがちょっとおかしくても、(楽器が)すごく歌っていればそれを認めますので、レガートをすることが一番なんですね。とにかくまずはレガートを学ぶことが基本ですね。その上で、他の国をまわることも非常に有意義だと思います。
歌の場合は、大半のオペラはイタリア語ですので、イタリアで生活していないと、ニュアンスが出ないんです。言葉に沿って作曲家は作曲していますので。違った言語の人がオペラを歌うと、どうしても変になる。歌を勉強する方たちは一度はどうしてもイタリアで生活しないと、と思います。
-イタリアでも他の国の歌曲なども勉強されるんですよね?
葉玉 もちろん私もドイツの歌曲、フランス歌曲も教えます。こちらではフランス歌曲はとても重要視されています。でも、ドイツ歌曲ではメロディが一番大切になる。ドイツと比べますと、歌う方法が違う。ベルカントの唱法で息の上にのせる歌い方、というのがあります。呼吸、今はドイツもそれを取り入れていますが、20~30年前までは呼吸法が少し違っていました。ちょっと高い、支える場所がちょっと高くて、そのために声がちょっと硬くなるわけです。支える位置が低いほど、声が柔らかくなる。全ての共鳴腔を使いますのでね、柔らかくなるわけです。今はドイツでも、ヘルマン・プライ以降は、発声がすごく柔らかくなったと思います。
-イタリアの悪い点は何かありますか?
葉玉 イタリアの悪いところは、政治が援助をしない点ですね。私が来た当初は、オペラ座はたくさん開いていてシーズンがあったんですけれど、今は本当に少なくなりました。オーケストラの数も少なくなりました。それは本当に良くないと思います。伝統的な文化にお金をかけないのは非常に良くないですね。国にお金がなくて、政治家には賄賂の問題がすごくあります。本来ならば、文化にお金を投資すると、旅行者などによってもお金が還元されると思うのですが、目先のことにのみ気をとられているというか、長い視野に基づいたプログラムができない国民なんです。
-どこもにたりよったりのところがあると思います。古い劇場のとりこわしに対しての署名運動など、日本も同じですよ。
葉玉 本当に残念です。
-イタリアを留学先として選ぶ場合、特に声楽の場合は選ばれる方が多いと思うのですが、準備などで重要なことはありますか?
葉玉 第一番としては、語学を勉強してきてください。イタリアの歌を歌うためには非常に重要です。語学が分かっていないと、イタリアの歌にはならないので。
加えて、映画でもテレビでも良いのですが、ヨーロッパ人の体の使い方を良く観て、研究して来てください。日本人とは全く違いますね。日常生活でも大分違います。何とかして真似るようにできると、本当に役に立つと思います。日本人は動作が小さいのですね。体を大きく開けて。そして絶対にしゃがまないように。例えば、何か物を落としたときに、日本人はしゃがんで取りますよね、それはこちらではサマにならないので、絶対にやらないようにしてください(笑)。腰を下ろさないで。足を曲げても良いですけれど、いつも背筋をまっすぐにして、おしりをぐーっと下に下ろさないこと。日本から来た若い子を見ていると、何か書くときになど、すぐにしゃがんじゃうんですね(笑)。
それとやはり、体づくり。何かひとつ、体操、スポーツなどをして、横隔膜を強くしてこちらに来ると、ベルカント唱法が楽に自分のものになるはずです。
-そもそも、会話をするときの声の大きさなども違うイメージがありますが?
葉玉 イタリア人は、横隔膜を使ってしゃべりますね。イタリア語自身が顔の前面にあたるようになっているんです。ずっと共鳴腔を使いますので、それが大きな声という感じがするってことなんです。響かせるってことです。日本語の通常の感覚では、横隔膜を使わずに、喉だけで発音するようになってしまうんです。横隔膜を使って話すことがとても難しい。日本語はすべての音に母音がある点は良いのですが、普段は母音を使わない発声なんですね。「もー」と言うとき、「もおー」とお腹を使うようには言わないと思うんです。日本語とは子音も違いますし。
必要なことは、言葉の準備、体の準備―横隔膜を鍛えることですね。
-イタリアに来るにあたって、気持ちの面で覚悟してきたほうが良いことはありますか?
葉玉 日本人は、正直さに慣れているんです。イタリア人は正直ではありません、ウソはあたりまえ、悪いことだとは思っていないんです(笑)。その点に本当に気をつけていただかないと、国民性が違いますのでね。日本人は正直でまじめでしょう?イタリアはそうじゃないんです(笑)、反対なんです(笑)。それを頭の中に入れて来てください、それでも皆だまされています、まあ些細なことですが、平気でだますのでね(笑)。たとえば、何か小さいものをお買い物に行きますでしょう、イタリア人は、おつりを少し少なく渡してきます、お勘定を確認するとおつりが足りない、それを言うと、おー間違えてしまいました~すみません、と当たり前のように言います(笑)。気がつかなければそのままですね。だから、ちょっと疲れますね(笑)。
-なるほど(笑)。イタリアでお仕事をされていますが、働くにあたって日本人が有利な点・不利な点はありますか?
葉玉 歌手の場合は、日本人はマダムバタフライ・蝶々夫人を必ず自分のレパートリーとしてください。日本人じゃないと歌えないので、非常に有利です。必ず日本人を見ると、マダムバタフライが歌えるか?と訊かれます。プロの歌手として成功するには、体の動きをヨーロッパ人のようにできるようにならないと貧弱に見えます、動きを大きくしないといけません。カリスマ性、人の目をずっと自分に惹きつけておく力、それは生まれつきが多いので、教えようと思ってもなかなか難しいものですが、元々その力がある方は表現の方面にはお勧めですね。
-カリスマ性というのは、後天的にも培うことができるものでしょうか?
葉玉 そうですね。育った環境も影響しますね。たとえば、学生の中でもひとりだけ何か違って目がいってしまう、事務所の中のある一人の人にどうしても目がいってしまう、ついその人を見てしまう、などの例があると思うのですが、生まれつきそういったカリスマ性を備えている方がいます。生まれつきではなくても、環境の影響や、本当にひとつの勉強に集中、それだけを愛して勉強しているとカリスマ性が出てきます。突然変わっていく歌手も沢山見てきました。常に、前進しよう、良くなろう良くなろう、と思っているとカリスマ性が出ますね、自信も必要ですね、最初はなかったけれど、だんだん自信がついてくると、カリスマ性が大きくなります。その点は人種や出身は関係ないですね。
あらゆる場所で、日本人でプロとして働いている人たちの真面目さ、正確さは、素晴らしいと思います。日本人は国民性が素晴らしい(イタリア語で●)と言います、まじめで正直で、評価されますね。イタリア人も真面目で正直であることは良いことだと思っているんですよ(笑)、でもイタリア人はちょっとごまかせるチャンスがあると、すぐやっちゃうわけです(笑)。日本人のような性質は素晴らしいと思うけれども、そうはできないと(笑)。各ジャンルで働いて成功している日本人の方は非常に尊敬されているんです。イタリア人も、どの点が素晴らしいのか分かっているはずなんですね。
-日本人がステージに立つ上で、何か不利な点はありますか?
葉玉 動きが小さいこと。そして、言葉が伝わらない限りは、どうしても舞台で歌っても伝わらず、観衆は受けてくれないんです。聴いていて言葉の意味が判らないと、表現として伝わらない。
-先生として活躍されるにあたっては、日本人であることはどのように影響していますか?
葉玉 イタリアの国立音楽院における、日本人の声楽の選任教授はわたくしだけです。声楽は言葉が土台になっているでしょう?イタリア人の歌手たちは、声楽は自分たちにしか理解できないという、自負があります。日本人が、どうしてベルカントを教えるのか?という壁は非常に大きかったです。他の人より10倍くらいは勉強しないといけなかったですね。言葉のニュアンスなど全てが分かっていないとオペラを歌えないのにという考え、それそのものは正しいと思うのですけれど、外国人がどうしてイタリア人に教えるのか、と。その壁を乗り越えるまでに非常に色々な障害がありました。大半の生徒さんはイタリア人なので、最初にわたくしと接触する際には、日本人がどうやって教えるのか?という訝しげな態度であることも多いのですが、教えていくうちに、私の中にどれだけの豊かなものがあるのか、ということが分かってくる、そうすると今度は反って、葉玉先生じゃないといやだと言ってくれるようになります。どうして?と最初は言われますね。
-でも教授しているうちに信頼を寄せられるのは素敵ですね!入学時から葉玉先生をご指名される生徒さんもいらっしゃると伺っています。
葉玉 留学してくるときから、わたくしをご指名される方もいらっしゃいますよね。大学院では教授を選ぶことができるんです。たくさんのイタリア人の生徒さんがわたくしを選択してくれます。それは本当に嬉しいです。やった!という感じです(笑)。クラスは全部で15人くらいですが、日本人の生徒さんも3人います。イタリア、ルーマニア、フィンランド、ブラジル、中国、アルジェンチンなど世界中から生徒さんが集まります。男性のほうが少ないですね、歌を歌う人口が女性のほうが多いですからね。最後におこなったサマースクールでは、12カ国から来ていました。それぞれに国家を歌ってもらって(笑)。のちに全員、勉強させて、サンタチェチリア音楽院入学させました。大変国際色豊かです。学ぶ分野としては、サンタチェチリア音楽院ではオペラと歌曲、ドイツ歌曲、フランス歌曲、それが主ですね。
-日本人として不利な点は、自ら克服されたということですね。
葉玉 そうであることを祈っています(笑)。そうはいっても、やはり今でも日本人の癖は出ますし、舞台の上ではやらないように気をつけていますがね、日常生活では日本人だと思います。体の動きなどはもう克服していると思うのですが、メンタリティが。
-まじめで正直なところをキープされているんですね(笑)、それはもう鬼に金棒ですね!先生にとって声楽・歌はどんなものでしょうか?
葉玉 そうですね、声楽を深く勉強したことによって、他の分野にも視野が拡がりました。文学、科学そういったものでも本当に分かるというか、理解できるようになると思います。ひとつのジャンルですごく深く勉強すると、他のジャンルのこともだんだん分かってくると思います。最初は音楽だけで、他のことには興味がなかったんですが、今は全て、歴史、科学など、知りたいと自然に思いますし、解剖学などは非常に勉強しました。様々なジャンルについて分かってきたようなかんじがします。
-深く、そして広くなっていくということですね。
葉玉 深くだけやっていたつもりでも、いつのまにか拡がっていて。わたしにとってはそうですね。それぞれの人によっても違うとも思いますが、声楽が全部の根源になっているということですね。
-これからの音楽的な夢などございましたら教えていただけますか?
葉玉 大きなおおきな夢があります(笑)!イタリアの各地に非常に綺麗なオペラ劇場があるのですが、かなりの数が閉まっているわけですね。1700年代、1800年代に作られた美しい劇場、大中小たくさんありますので、その中の1つを使ってオペラシーズンをやりたいんです。使わないのはもったいないです!1つの劇場を開けて、わたくしのオペラシーズンを行いたいなあ、というのがわたくしの夢です。そして、そこで毎年、新人の歌手がデビューできるようになる…大きな夢ですね。実は既にスポンサーを探したのですけれど、現在は経済危機がひどく、皆さんお金がないんです(笑)。タイミングを待っているかんじですね。
-生徒さんがデビューして、活躍して…
葉玉 大勢の様々な評論家やマネージャー、エージェントを招待して、たくさんの歌声を聴いていただいて、その中の誰かを世界中にデビューさせたいという夢ですね。
わたくし自身は、舞台からは引退しています。
わたくしは、教えることと歌手であることは両立できません。歌手は自分のことだけ考えないといけないので。歌手活動と教授活動を同時におこなった時期が最初の1年か2年あるのですが、そこでできないとわかりました。
歌手として、どういうことに気をつけるか、どういう表現をするか、どういうことを観客に提示できるか、それを勉強するには24時間でも少なすぎるぐらいなのです、自分のことだけを大切にしないと成り立ちません。
でもその状態では、生徒に何かをあげるという姿勢が全く生まれない。それだとお給料を貰うためだけに教えに行っているという感じです。教師というのは、自分の経験、持っているものを全てあげるんです。ですので、わたくしは完全に止めました、歌うのを。自分の持っている経験・豊かになったものをあげる、全てをあげないと良い教師ではないわけです。
私にとっては全く両立できることではないですね。勉強は常にしています、新しい曲にあたったりすると勉強しますが、あくまでも生徒にあげるためにです。わたくし自身が舞台で歌うためではありません。
今現在、生徒さんがいっぱいついてきて下さっている。先生のように、たくさんのものを、経験をあげたい、全部をあげたい、という先生には今まで会ったことがないと言われます。全てを、自分の持っているものを全て生徒にあげたいです。
-生徒さんにとっては非常に貴重な存在ですね!色々なところで、先生と歌手と両立されている方をお見かけいたしますので、それはスタンダードなことかと思っていたのですが、先生のお話を伺って、目からウロコでした。
葉玉 わたくしにとっては、ふたつを両立できる方は不思議ですね。完全に仕事の性格が違いますのでね。
先生として、シーズンを行うことが夢ですね、大きな夢です(笑)。もし実現できたらご招待いたします!
-ありがとうございます!イタリアで教師として活躍する秘訣というのはありますか?
葉玉 語学が完全に自分のものになっていること。そうでなければ、生徒たちと交流できませんのでね。そして、ヨーロッパ人の10倍くらいの豊かさを持っていないとたちうちできません。彼らは文化の素養を自然に体の中に持っているのでね、私たちにとって、それは外から入ってきたものですからね、やはり勉強はいつもしていないとだめだと思います。勉強とは、文化を感じることを含めてですね。たくさんの展覧会に行くことや、演劇を観に行ったりすることは、大切な勉強ですね。歴史を調べたり、解剖学などを学んだりする家の中で行なう勉強もさることながら、ファッションの歴史的な違いを観に博物館に出かけることなども全て勉強の中に入っています。日常生活全てですね。
常に生徒に何を教えようかと考えています(笑)。日本の文化では、特に哲学、禅や柔道・剣道は、集中力を育てるのに大変助けになります。わたくしはイタリアに来てから始めたのですが、日本には集中力を強くするための色々な哲学、体系がありますね。
-イタリアに限らず、海外に出て勉強しようと思っている人達にアドバイスがありましたら、ぜひお願いいたします。
葉玉 第一番に留学先の語学を勉強すること、そして良い先生をみつけること。先生の選び方を間違うと成長しないんです。
-先生の選び方というのはどのようなものがありますか?
葉玉 歌の場合は、50分や1時間のワンレッスンのあと、喉が疲れていないかどうかで分かります。喉が疲れない、体の気持ちがいい、それは良い先生です。悪い先生ですと、1時間歌わせると、声が出なくなったり、喉が痛くなったり、体が疲れちゃったり。それは、テクニックの問題、発声法の問題ですね。それは人によって違うということはありません。息を吸って吐く、それが正しく行なわれていれば絶対に疲れません。それと、もうひとつ、どこに行っても、必ず国立の音楽院に入るようにしてください。競争者が沢山いる、人に会う機会がたくさんある、歌だけでなく器楽もある、音楽史、音楽学も勉強しなければならない、色々な刺激が受けられますでしょう、人間が豊かになるんです。国立の学校ですと、教授陣が非常に良く吟味されている、長いキャリアを持って教えていらっしゃる先生が大半ですのでね、やはりレベルが高いと思うんです。それと、もし留学したいという希望があるならば、なるべく早く出発して下さい。若いほど筋肉も、頭も柔らかいのでたくさんの吸収力があります。できるだけ早いほうがいいですね。どうしても大学を終えてから、という場合では、22歳ではぎりぎりですのでね、大急ぎでいらしてください。
-年齢におけるハンディはありますか?
葉玉 もし、上手になれたとして、良いマネージャーについてもらうには、若いほうが有利ということはあります。やはり、年齢によって、例えば30歳だと歌手でお金を儲けることができる時間が少ししかない、とマネージャーが判断するかもしれない、常にマネーの問題はついてきますからね(笑)。若いとそれだけ活動期間が長いですからね、マネージャーはより若いかたをみつけようとするのは現実的です。
-なるほど(笑)。ローマという街は日本人の学生は多いですか?
葉玉 ミラノのほうが多いですね、ミラノはローマの約5倍くらいいるのではないのでしょうか?ですがベルディ国立音楽院は入るのが大変難しい。ローマサンタチェチェリア音楽院も入学試験が難しいですので学生の大半は個人レッスンだけで過ごしていると思いますが、もったいないですね。
-ビザの関係からだと、個人レッスンだけでは非常に厳しいですよね。
葉玉 その通りです。やはりできれば私立の音楽院に入って、ビザを貰って…ということですね。できることならば、国立に入って簡単にビザを貰うほうがいいですが、入学試験を受けることができるレベルになるには、準備として最低5ヶ月くらいはかかります。語学の試験もありますのでね、試験の前に現地に来て、入りたい音楽院のレベルまで何とかして届くように上げて、なんとか入学にこぎつける、そのためにはやはり事前に5ヶ月は必要です。どこの国に行っても同様に大変だと思います。
-先生は留学先を決めるにあたって、イタリア・ローマだけがみえていたのですよね。
葉玉 そうですね。イタリアオペラを聴いていると気持ちが良くて、オペラを歌いたいと思っていましたので(笑)。ミラノは気候が悪くて…寒いのと湿気が多いのと、空気が悪いんです(笑)。ローマは交通量も多いのですが、海の近くなので、空気をふぁーっと、海風が綺麗にしてくれるんですね、日光もたくさん差しますし(笑)。ミラノの音楽院もすごく良いですが。
-大変楽しくお話を伺わせていただきました。本日はお忙しいところ本当にありがとうございました!
中嶋彰子さん/声楽/オーストリア・ウィーン
15歳でオーストラリアに渡り、シドニーで音楽教育を受ける。1990年の全豪オペラ・コンクール優勝を機に、シドニーとメルボルンのオペラハウスにてデビュー。1999年、ウィーン・フォルクスオーパーと専属歌手契約を結び、その卓越した歌唱力と演技力、華やかな存在感で圧倒的な人気を獲得。一躍劇場のトップスターに。イタリア・ベルカント・オペラからモーツァルト、シュトラウス、ヴェルディ、そしてフィリップ・グラスなどの現代作品まで、幅広いレパートリーも魅力のひとつ。
Vol.267音楽留学アンドビジョン【講習会&オーディション&留学説明会情報】
H.Oさん/フィレンツェ語学+音楽コース/イタリア・フィレンツェ
H.Oさんプロフィール
国立音楽大学声楽専修4年。児童館での演奏会、県民オペラ、N響定期演奏会など様々な出演経験を持つ。プロの演奏家を目指し勉強中。
-まず最初に簡単な自己紹介ということで、これまでの音楽歴を教えていただけますか?
H.O 今、国立音楽大学の声楽専修の4年生です。小さい頃から歌うことが好きで、小学校4年生の時に合唱部に入って合唱をずっとやっていて、本格的に習い始めたのは高校2年生の時です。1年生の時に県民オペラにずっと出させてもらっていて、それでオペラの世界に興味を持ち、音大を受験しようかなと。
-オペラに出たのがきっかけだったと。
H.O そうですね。
-ちなみに今までは、海外の先生のレッスンに行かれたことはありますか?
H.O 海外ではありませんが、まだ地元の岩手にいた時に、日本人なのですがチェコの音楽院の教授に、一度レッスンをしてもらったことはあります。
-では向こうの方のレッスンは日本でも受けたことがあるということですね。
H.O はい。
-ご旅行などで海外に行かれたことはありましたか?
H.O 観光ではイタリアとか。あとは東南アジアが好きで行ったことはあります。
-今回もイタリアですものね。
留学しようと思ったきっかけはどのようなものでしたか?
H.O 入学してからずっと行きたいとは思っていました。やっぱり声楽ではベルカントの発声が大事だし興味深かったので、イタリア人の先生に習いたいなと漠然と思っていたんです。でも気づいたら4年生になってしまっていて、そろそろ本気で行こうと冬頃に決意しました。
-声楽のレッスンは、どんな先生でしたか?
H.O バレリア先生という方で、自分で40歳近いとは言っていたのですが、すごく若々しくてキラキラしていて、こんな人になりたい!と思うような先生でした。日本人のレッスンも結構持たれているみたいで、レッスンはイタリア語と、わからない所は英語を使って。あとは、軟口蓋とか横隔膜などは日本語でおっしゃってくれたので、すごくわかりやすかったです。
-日本人も教え慣れているということですね。
レッスンは全4回ですよね?
H.O そうです。
-どんな内容で進んでいったのですか?
H.O 申し込んだ時は、歌手のための発声と発音の2つのコースに分かれていたので私は発音の方をお願いしたのですが、行ってから先生に発音と、テクニックや発声法もみてもらえますか?と聞いたんです。
そうしたら時間内で、前半は発声練習として高音の出し方やテクニックを教えてくださいました。その後に「じゃあ曲をやろう」ということで、歌詞を読んで先生が発音を直してくださり、それで実際に曲を歌って、と、もりだくさんでした。
-1回のレッスンがそういう感じで進んだのですね?
H.O そうです。
-今回通訳なしのレッスンでしたが、言葉はどうでしたか?
H.O 困ることはなかったし、聞き慣れない単語があった時には、「その単語はどういうことですか?」と聞くと、「しゃべるように歌うということだよ」などとちゃんと教えてくれたので、レッスンには困りませんでした。
-先生とは基本イタリア語で会話を?
H.O はい、ほぼイタリア語です。
-すごいですね! 勉強していった甲斐がありましたね。
H.O そうですね(笑)
-レッスンや先生の言葉で印象に残っていることはありますか?
H.O 今まで自分で気づかなかったのですが、高音を歌う時に舌が上がってしまっているということをすぐに見抜いて、指摘してくださいました。それができれば発声が楽になるよと言われて。実際帰ってきてから舌を下げることを意識して歌ったら、とても歌いやすくなったので、的を得ているなという感じでした。
また、こちらが聞かなくても、先生の方から「ここはできている、ここはできていない」とバシバシ言ってくるのですが、最後のレッスンで、「あなたは1週間で何を学んだか」を言わされたり、「これを続けていくためには、どういう練習をしたらいいと思う?」と問われたり、教えるだけではなく、自分でも考えさせるようなレッスンをしてくださったので良かったです。
-日本とはまた違う感じですよね。
バレリア先生はどこか他の学校でも教えているのですか? 歌手としてご活躍されているとか?
H.O 演奏家としてまだやっていらっしゃるようです。他の学校で教えているかはわからないのですが、演奏旅行などでいない時があるということは聞きました。
-ではご自身もバリバリ歌われていると。
H.O はい、すごく綺麗な声でした。
-歌ってくださったりもしましたか?
H.O はい、たくさん! レッスンは1曲まるまる通しでなく、ワンフレーズごとに歌って止めて、先生がお手本で歌って止めて、という感じだったので、たくさん歌ってくださって勉強になりました。
-それはよかったです。
レッスンの合間の練習は語学学校で行ったのですか?
H.O そうです。
-たくさん練習できましたか?
H.O はい。学校に練習室が5つあって、予約帳に名前を記入して予約するというシステムで30分単位で借りることができます。一人につき原則1日1時間なのですが、1時間練習し終わったあと予約帳を見て、もし空いていたら次もずっと練習することができます。
-なるほど。実際練習は結構されましたか?
H.O そうですね。私が行った時期は音楽の方が少なかったのか、練習室はずっと空いている状態で使い放題でした(笑)。
-よかったです。
語学のコースも通われていましたが、初めての現地での語学学校としていかがでしたか?
H.O 教え方が上手で、明るく冗談なども言ってくれるし、生徒全員の名前を覚えてくれようとしたりと、とてもいい先生でした。日本と違うなと思ったのは、文法を一通り教わると、その後の残りの時間はペアで習った文法を使ってひたすら会話をするという内容だったことです。習ったものをすぐに使うので、すごく身に付きました。授業後すぐに街で使えたりもして。イタリア語が身に付く授業だなと思いました。
-クラスは全部で何人くらいいたのですか?
H.O 8人です。日本人がその内5人です。
-日本人が結構多いのですね(笑)。
H.Oさんくらいだとレベルはどのあたりに入っていたのですか? 初級ではないですよね?
H.O 「エスプレッソ」という、アンドビジョンの語学レッスンと同じ教科書を使いました。日本で、エスプレッソの「1」を最後までやったのですが、それでイタリアに行ったら、「2」をとばして「3」のクラスに入りました。
-一つとんでしまったのですね(笑)
H.O はい、たぶん大丈夫だからと言われて(笑)。不安だったのですが。
-大丈夫でしたか?
H.O 初日の授業は頭がパンクしそうでどうしようと思ったのですが、2日目からは耳が慣れるのか、何が分かって何が分からないのかが分かり、分からない所は質問できました。先生の説明がうまいので、ほとんど理解することができました。
-語学もかなり上達されたのでしょうね。
語学やレッスン以外の時間は、どこかに出かけたりはしましたか?
H.O フィレンツェでは友達とご飯を食べに行ったり買い物をしたり、あとは家で宿題をしていました(笑)。
-宿題は多いのですか?
H.O それほど苦になる量ではないのですが、「スピーチをしてもらうから考えてきて、紙をみて言っちゃだめだよ」というような内容で。
-では、勉強もしつつ観光もしつつという感じですね。
フィレンツェの街の様子はいかがでしたか?
H.O フィレンツェは2回目なのですが、観光客が多いですよね。でもそんなに治安が悪いようにはみえなかったので、気をつけていれば大丈夫なんだと思います、安全面は。怖い思いをしたことも特にないです。
-移動はトラムやバスですか?
H.O フィレンツェは徒歩圏内に観光地が集まっているので、徒歩で移動していました。
-泊まりはホームステイでしたが、イタリアのホームステイはどうでしたか?
H.O まず家の掃除が行き届いていて、ホテルのように綺麗でした。基本的になんでも揃っていて、部屋に虫除けのコンセントをさすものまであったり(笑)。ドライヤーもあったし、生活面では不便はまったくなかったです。
-ホストファミリーの方はどんな方でしたか?
H.O すごく気さくで親切な方でした。ロストバゲージして荷物がない状態だったのですが、Tシャツを貸してくれたり。お別れの日も「これ作ったから持っていきなさい」と、パニーノを持たせてくれたりと、すごく優しいお母さんでした。
-ではホームステイでも特にトラブルもなく?
H.O はい。ありませんでした。
-ホストファミリーの方ともイタリア語での会話ですか?
H.O そうです。イタリア語でわからない所は英語でと思っていたのですが、大家さんが英語が全然できない方だったので、なんとか全部イタリア語で。
-意思疎通はできましたか?
H.O 「何時に何」といった連絡事項はわかったのですが、普通の世間話などは、最初は分からないままどんどん会話が進んでいってしまいました。最終日には耳が慣れてくるのか、わかるようになりましたが。私がしゃべる言葉も文法などが間違っていても、「ああそういうことね」と理解しようとしてくださっていました。
-ステイ先のご飯はいかがでしたか?
H.O 朝と夜がついていました。
-イタリアのご飯はいかがでした?
H.O 朝はタルト、蒸しケーキ、紅茶という感じの甘いものばかり。夜はだいたい一皿目にパスタ、二皿目に魚か肉のお料理で野菜のつけあわせがあり、最後にデザートが出てくるという感じでした。
-フルコースみたいですね!
H.O 他の家もそんな感じだと聞きました。すごく量が多かったですが、おいしかったです。
-お昼はどうされていたのですか?
H.O 友達と食べに行くか、パニーノ屋さんで食べたりしていました。
-自由にされていたのですね。
お友達というのは語学学校の方ですか?
H.O はい、日本人の友達です。
-他に海外のお友達はできましたか?
H.O それが全然できなくて。語学学校に日本人が多すぎて、外国の方も外国の方で集まってしまうので全然話せなかったんです。それがちょっと残念でした。
-場所と時期もあったのでしょうね。
では実際にイタリア語で話したのは先生やホストファミリーの方と?
H.O そうです。
-今回、留学中に困ったことやビックリしたことはありましたか?
H.O 困ったことは、まず行きの便が欠便になってしまったことです。フランスで乗り継ぎ便に間に合わないので、航空会社の方が遅いのに替えておきましたと言ってくださっていたのですが、いざフランスに着いたら便が替わっておらず予約できていなかったんです。どうしよう!と思ったのですが、なんとか英語で「これを次の便に替えてもらえますか?」と伝えたものの、「ダブルブッキングになるから無理だよ」と言われてしまい……。それでも「ここで乗らないとダメなんです!」と必死に訴えていたら替えてくれました。
-なるほど。
H.O あとは、フィレンツェでよく道に迷いました。似たような路地が多いので覚えたつもりでも間違ってしまうし、「一本手前の路地に入っちゃったけど、ここで曲がればいいや」と思っていたら全然違う所に行っちゃったり(笑)。
-街並がどこも同じような感じなのですかね(笑)
ステイ先から語学学校までは迷わず行けましたか?
H.O 語学学校までは簡単な道だったので大丈夫でしたが、ちょっと遠い所まで買い物に行ったりして、さて帰ろうという時に、あれここどこだろう?というような(笑)。
-そういう時は地図を片手に?
H.O 紙の地図をみたり、googleマップをひらいて自分はどこにいるのだろうと調べたりです(笑)。
-他に困ったことはありましたか?
H.O ロストバゲージした時に、携帯の充電器などをスーツケースに入れてしまっていたので、貴重品などのすぐに必要なものは手荷物に入れておくべきだったなと思いました。着替えなどは現地で買えたので、なんとか大丈夫でしたが。
-今回は行きの、着くまでが大変だったということですね。
ではお話をかえて、今回留学して自分で変わったと思うことはありますか?
H.O 今まで日本の先生に習っていた時は、漠然とダメと言われることが多くて、具体的に何がダメでそれをどう改善すればいいのか教えてもらったことがなかったのですが、今回バレリア先生ははっきり言ってくださる先生で、そのおかげでどういうことをすればいいのかがわかりました。そういうことに気づけたのが大きかったです。
-大きく成長したな、という所ですかね。
H.O はい。あとは語学関係が成長できたかなと思います。
-いろんなトラブルもありましたものね。
H.O 空港なども意外に日本人がいなくて、トラブルがあっても自分一人で対処していかなければならなかったので、泣きそうになりながらも自分でなんとかできたので、がんばったかなと。
-自信にもなりますよね。
H.O イタリア人はあったかいというか、困っている人を見捨てないんです。お店に入った時も声をかけてくれたり、絶対チャオと挨拶してくれるし、そういう温かさにふれて自分も心が洗われたというか。人に優しくしたいなという気持ちになりました。
-お店の方とも会話はしましたか?
H.O はい。普通に買い物をするための会話もするし、「この間、そこの語学学校に来た生徒なんですよ」と言うと「がんばってね」と言ってくれたり。
-語学面も成長されたのですね。
留学前にしっかりやっておいた方がいいことはありますか?
H.O やるとなると少し高くつくかもしれませんが、マンツーマンでネイティブの方と会話のレッスンをしておいた方がいいと思います。大人数で文法の授業だけをカリカリやるのでなく、いっぱい話す練習をしておいた方がいいと思います。今回もすごく役に立ちました。やっておくと割とスッと出てくるものなので。
-今後留学に行かれる方にアドバイスはありますか?
H.O はじめて行く方だったら、今回私が行ったような日本人スタッフさんがいる語学学校はおすすめです。分からないことがあっても全部日本語で教えてくれるので、はじめてだったらその方がいいかもしれないです。
2回目とか、語学に自信のある人は逆にいない所の方がいいとは思いますが。自分の勉強になるし、外国人のお友達もできると思うので。
-次H.Oさんが行かれる時は、そういう所に行きたいですか?
H.O そうですね。今回は日本人がいっぱいいたので、お互いに不安をしゃべりあったりして安心できたのですが、慣れたので次はイタリア語一色の所に行きたいなと思います。
-今後はまた留学したいとか、将来的に向こうに住みたいとかありますか?
H.O 今回の留学をきっかけにもっとイタリアで勉強したいなと思っていて、できればまたバレリア先生に習いたいなと。将来的にはイタリアの音楽院で勉強したいなと思っています。
-語学もしっかりですしね。
イタリアの音楽院にいって、将来的にはイタリアで活躍したいなとか?
H.O できたらイタリアで。日本より外国の方がオペラの仕事が職業として確立しているので、外国で活躍できるような歌手になりたいと思っています。
-応援しています!
上西伶さん/ボーカル/バークリー音楽大学ソングライティング/アメリカ・ボストン
上西伶さんプロフィール
上西伶、16歳(高校2年生)です。3歳からピアノ、8歳から声楽を習い、幼い頃から音楽を聴いたり、自分で演奏したりするのが好きでした。中学の時、アメリカのポピュラー音楽を聴くようになり、「自分でこんな曲を作ってみたい」と思うようになりました。
-まず簡単な自己紹介ということで、今までの音楽歴を教えてください。
上西 上西伶です。最初に始めた楽器はピアノで、3歳の頃からです。小学校3年生くらいから声楽も始めました。
-だいぶお若い時からですね。
上西 当初は声楽家を目指していろいろ勉強していました。教会で歌ったり。
高校受験があったので、中学の時に一度音楽をすべてやめて勉強に専念していたのですが、その間にアメリカのポップミュージックを聞くようになりました。それにすごく刺激をうけて、いつかそういう音楽をつくってみたいなと思うようになりました。
高校に入ってからも、音楽に関わっていたいという思いでまた声楽を始めたのですが、自分の中でやっぱりポップスの方が合っているんじゃないかと思い始めて、声楽の先生とも相談し、「自分のやりたい道に進むべきだ」ということになって、声楽はやめて、ポップスの道に進むことを決めました。
-受験で一度やめた時に出会ったのですね。
今回はバークリーのソングライティングの講習会だったのですが、講習会は初めてですよね?
上西 そうです。
-海外は行かれたことはあったのですか?
上西 海外は旅行で。フランスとスイスです。
-ではアメリカもはじめてで?
上西 はい。
-はじめてで一人で?
上西 そうです。緊張しました(笑)
-バークリーの講習会を選んだ理由やきっかけはありますか?
上西 アメリカで、現代のポップスの作曲などを学べる大学をインターネットなどで検索していてバークリーを見つけました。そのバークリーのことを知るためにいろいろ調べていたら、アンドビジョンさんのサマープログラムというのをみつけて、それで選びました。
-なるほど。ソングライティングのコースだったというのが大きいですか?
上西 大きいです。
-その講習会についていろいろ聞いていきたいのですが、参加者は全体で何人くらいでしたか?
上西 けっこういました。200人くらいはいたと思います。
-世代としてはどんな方が多かったですか?
上西 やっぱり若い方が多くて、同じくらいの人でした。
-参加者の国籍は?
上西 アメリカ出身の方が多いのですが、フランスとかいろいろいました。
-日本人はいましたか?
上西 全然いませんでした。アジア系は少なかったです。
-スケジュールや授業はどんな感じでしたか?
上西 毎日、起きたらすぐに食堂にいってご飯を1時間くらいかけて食べて、9時くらいから授業が始まって11時くらいに終わります。その後また昼食のために食堂に戻って、12時半から2時半と、2時半から4時半くらいまでの授業があって、それで一通り授業が終わります。夜は7時からオープンマイクという、参加者がみんなの前で自分の作曲した曲を演奏するというものがありました。
-それに出られたのですよね? どうでしたか?
上西 ちょっと緊張したのですが上手くできて、みんな拍手をしてくれました。
-そうなんですね! それに出るのはいつ決まったのですか?
上西 オープンマイクが始まる前に名前を書く所があって、参加したい人は名前を書き、順番がまわってくるまで待つという感じです。
-では自ら出たいという感じで?
上西 そうですね。
-チャレンジだったのではないですか?
上西 チャレンジでした(笑)。
-それは何日目くらいに?
上西 3日目くらいでした。
-いい経験でしたね。
上西 そうですね。
-他にも同じ日に演奏されている人もいたのですか?
上西 そうです。
-他の人のも聞きつつ、ということですね。他の方の、現地の方達の演奏はいかがでしたか?
上西 やっぱりレベルもすごく高くて、声も大きくて(笑)。
-授業もみっちりあったのですね。
上西 はい。みっちりでした。
-授業は何人くらいだったのですか?
上西 まちまちです。ワークショップは8人くらいですが、ビジネスクラスはほぼ全員参加していました。
-先生はどんな方でしたか?
上西 音楽業界で成功された方で、ノウハウなどを知っている方が多かったです。結構年配の方が多かったですね。
-ソングライティングの実技の授業もあったのですよね?
上西 ありましたね。
-他に授業はどんなものがありましたか?
上西 僕が受けたのは、音楽業界のビジネスと、シンガーソングライターワークショップというものです。ワークショップは少人数で、一人ずつみんなの前で演奏をして、そのフィードバックをもらうものです。その他、作詞の授業やロジックというソフトの使い方の授業などがありました。
-結構実践的な授業が多いのですね。
その中で印象に残っている授業はありますか?
上西 英語が聞き取れない所が多くて内容を理解するのに苦労したのですが、英語じゃなくて音楽で自分も参加できたのがシンガーソングライターのワークショップでした。それがとてもためにもなったし、楽しかったです。
-自分で演奏してフィードバックをもらうのですよね。
どういうフィードバックをもらうのですか?
上西 あんまり辛口ではなくて(笑)。ここがいいとか、ここのメロディーをちょっと工夫した方がいいとか。
-結構具体的ですね。
反対にアドバイスする側にもなるのですよね。何か言ったりしたのですか?
上西 あんまり言えませんでした(笑)。なんて言ったらいいかわからず、、、
-全部英語ですものね。難しかったですか?
上西 難しいですね。
-同じ部屋の方とは結構話されたのですよね?
上西 はい。生活面では苦労しなかったです。
-授業となるとやっぱり違いますか?
上西 違いますね。用語も出てきますし、ちょっとは分かるのですが。。。
-そうですよね、音楽ビジネスの話になると私でもわからないと思います(笑)。
練習などはしたのですか?
上西 学生寮の地下に練習室がいくつかあったのでそこで。練習室はピアノがある部屋が3つか4つ、その他何もない部屋があってそこでギターなどを。
-そこはみんな自由に使えるのですか?
上西 はい。
-練習時間は、何時から何時までと決まっていたのですか?
上西 特になく自由でした。
-練習は結構しましたか?
上西 はい、しました。
-レッスン以外の時間はあまりなかったと思いますが、お友達とどこかに行ったり、何かしたりしましたか?
上西 最終日、修了式の後に、ルームメイトとその家族が、一緒にボストン美術館に連れていってくださいました。
-その方は現地の方ですか?
上西 そうです。アメリカ人でオハイオ州から家族でボストンに来ていて。学年も一緒でした。
-そうなんですね! では会話もはずんで?
上西 はい。
-そういう出会いはよかったですね。その方も将来的にはバークリーに入りたいとか?
上西 そうでもないみたいです(笑)。音楽が好きという感じでした。
-それ以外でもお友達はできましたか?
上西 はい。いろいろな授業を通してフィードバックなどをしている内に仲良くなりました。
-ではご飯なんかも一緒に?
上西 そういうことはありませんでした(笑)
-少し英語を勉強していった甲斐がありましたね。
今回行ったボストンの街の様子や治安はいかがでしたか?
上西 すごくのんびりした雰囲気でした。街並も綺麗で平和な感じでした。
-その前にニューヨークにも行かれていますが、比べていかがですか?
上西 全然違いますね(笑)。ニューヨークは大都会という感じで、車もいっぱいでいろんな人がいたのですが、ボストンは静かで、田舎の街という感じでした。
-全然違う街に行かれたのですね。
どっちが合っていると思われましたか?
上西 ニューヨークの方が好きですね。
-ニューヨークでは観光などはしましたか?
上西 一通り有名な所は行きました。タイムズスクエアや自由の女神をみる無料のツアーに行ったり、あとは公園にも行って似顔絵を書いてもらったり。
-一人で自由に動かれたのですか?
上西 いえ、友達が一緒にいました。
-ニューヨークで泊まったB&Bはいかがでしたか?
上西 すごくフレンドリーな方で、B&Bについた日に、一回ニューヨークに出てみようかと一緒に連れていってくださいました。夕食も一緒に食べていろいろ教えてくださって、すごくアットホームな感じでした。
-では特に困ったこともなく?
上西 そうですね。
-反対に学生寮の方はどうでしたか?
上西 特に困ったことはありませんでした。設備面ではシャワーが使えなかったり、水が出なかったりしたこともありましたが。あとは二段ベッドの上の段が少し怖かったです(笑)。
-なるほど(笑)。二人部屋ですか?
上西 そうです。
-学生寮からバークリーまでは歩いて移動されたのですか?
上西 はい。結構近かったです。
-ではボストンは基本歩いて移動ということですか?
上西 そうです。
-ご飯はバークリーの学食みたいな所で食べたのですよね。
お食事はどうでしたか?
上西 すごくおいしかったです。どうなんだろうなと思っていたのですが、普通においしかったです。
-基本はそこで食べたのですね。
ニューヨークではご自身でいろいろな所で食べたのですか?
上西 はい、そうです。
-今回海外の方と接してみて、うまくつきあうコツなどはありますか?
上西 日本人にないのが、最初に会って、目をみて挨拶ができないことですよね。あっちの人は最初から目をみて、古い知り合いのように接しているので、ちゃんと相手の目をみて挨拶をして、ガードみたいなものを作らないでオープンな感じにしているといいと思います。
-行っている間にできるようになりましたか?
上西 徐々に徐々に慣れました。最初はきつかったですが、ちょっと廊下ですれ違った知らない人でも、「ハイ!」という感じで。
-確かに日本ではしないですものね。
上西 挨拶できっかけをつくれると思います。
-留学中に困ったことはありましたか? 日本と違ったこととか、びっくりされたこととか。
上西 そんなに困らなかったのですが、大抵食べ物が大きくて食べきれないことがありました。ピザを頼んで食べきれなかったり(笑)。
それと注意した方がいいと思うのは、バークリーのショップみたいなものがあって、そこで教科書などを買えるのですが、5時くらいで閉まってしまうんです。なので早めに行かないと買えないということがありました。
-他のお店は普通にやっているのですか?
上西 はい、やっています。
-学校内のお店が早くに閉まってしまうのですね。
上西 はい。あとはお店に入って店員さんにお金を払う時に、まず目をみて挨拶しないと「あれ? 無愛想だな」と思われてしまうと感じたので、ちゃんと挨拶をした方がいいと思いました。
-そういう経験があったのですか?
上西 最初に。挨拶をしなかったので、無愛想に対応されてしまって。それからちゃんと挨拶をするようにしたら普通に対応してくれるようになりました。
-何事も最初が大事というこですね(笑)。
今回講習会に参加してよかったと思った瞬間はありますか?
上西 一番はオープンマイクです。自分の曲を誰にも聞かせたことがなくてちょっと不安だったのですが、やってみるとみんな歓声みたいなものをあげてくれて、ライブが終わった後も「よかったね」などと声をかけてくれて。それが自信にもつながったし、いい思い出です。
-日本では披露したことがなかったのですね。
上西 機会が全然なくて。
-初舞台がそこだったのですね。歌もつけてということですよね?
上西 はい、ピアノと歌で。歌詞も英語で。
-ご自身で詞もつけてということですよね。
その曲は事前に作っていったものですか?
上西 そうです。
-それはすごくいい経験をされたのですね。みたかったです!
今回留学をして、自分が変わったなとか、成長したなと思う所はありますか?
上西 いろんなことで分からないことがあると、少しパニックになってしまう時があったのですが、いろんな経験をして自分で自分のことをやらなければいけなくなった時に、自分で対応する力をつけられたと思います。あとは人と接する時に、オープンな感じになれたかなと思います。自立みたいなものがちょっとはできたかな、と。
-自信にあふれているように見えます。
もう次に一人で行っても大丈夫ですね?
上西 たぶん大丈夫だと思います(笑)。
-日本と違った点などはありますか?
上西 ノリノリな感じの人が多くて、エレベーターの中や街中でいきなり歌い始めちゃったり。それが全然違うなと感じました。でもそれが楽しくて、いい違いだなと。
あとは本当に自由で、規則みたいなものがなくて、これもいい違いだなと思いました。
あとは毎食毎食ピザかハンバーガーなのですが、それがすごくおいしくて。そういう食文化も楽しかったです(笑)
-今後留学する方にアドバイスはありますか?
上西 まず一通りの基本的な英語はできた方が苦労しないと思います。それと最初は失敗して落ち込むことが多いのですが、あきらめないでオープンになれるように努力し続けることが大事だと思います。
-今後の進路はどうですか?
上西 今回の留学でアメリカがどういう国か、そして楽しい国だなということがわかったので、また来年も留学したいと思っています。最終的にはアメリカの音楽大学に行けたらいいなと思っています。
-応援しています!ありがとうございました!
Vol.266音楽留学アンドビジョン【講習会&オーディション&留学説明会情報】
Vol.265音楽留学アンドビジョン【講習会&オーディション&留学説明会情報】
K.Kさん/ホルン/バークリー音楽大学語学+音楽サマーコース/アメリカ・ボストン
K.Kさんプロフィール
中学生のころ、学校の部活でホルンを始める。今はアメリカの高校に在学中の17歳。音楽も英語も勉強できる良いコースがあると先生から聞き、夏休みを利用して本コースに参加。
-よろしくお願いいたします。まずは、簡単な自己紹介をお願いいたします。
K.K 中学の吹奏楽クラブで楽器を始めました。卒業してからは、吹く頻度は減りましたが、ときどき吹いています。
-講習会は初めてのご参加ですか?
K.K はい、初めてです。NYの高校に通っているので、学校自体は海外ですが、音楽の講習会は初めてです。
-この講習会へ参加したきっかけはなんでしょうか?
K.K 学校の先生のおすすめでした。語学の勉強にもなるし、音楽も学べるし、私にぴったりじゃないかと勧めてくれました。
-参加者はどのくらいの人数がいましたか?どんな人たちがいましたでしょうか?
K.K ESL+音楽のコース自体には14人程度でした。ただ、音楽のコースには1000人以上いたと思います。というのも、ESLのコースの音楽レッスンの部分は、5週間のサマーコースに参加している方たちと同じレッスンを受けることになっているからです。
参加者は、秋からバークリーの本科コースに参加する方が多かったと思います。国籍は様々でした。ロシア、ドミニカ共和国、ジョージア、韓国、台湾、イタリア、フランスなどでした。年齢もいろいろでしたが、ESLのコースは、20歳前後位の方が多かったと思います。
-1000人とはすごいですね!いろいろな楽器の方がいたのでしょうか?
K.K はい、楽器は本当にさまざまでした。私はホルンで参加でしたが、ホルンはたった2名だったのですが・・・・。でもアンサンブルでは個人の楽器に関係なくグループを組みますし、特に人数の多い少ないは関係なく学ぶことができると思います。
-なるほど。講習会はどんなスケジュールが組まれていましたか?
K.K 最初の2週間はESLだけの授業でした。2週間たったところで5week のコースが始まるので、そこから音楽の授業も始まります。
英語は午前中、午後が音楽、という形です。英語はかなりみっちり勉強しました!楽譜の読み方、のようなことはもうわかるという前提で、音楽史の勉強などもありました。
音楽は、週1回プライベートレッスン、週1回アンサンブルのレッスン・・・というように、毎日ちがうプログラムが曜日ごとに組まれていました。
-先生はどんな人でしたか?
K.K 語学は、近隣の語学学校や大学で英語を教えている先生が来てくれていました。音楽はもちろんバークリー音楽大学の先生でした。
主にJAZZを学んだのですが、とても楽しかったです。私の楽器は楽譜の読み替えなどがあるので、初見は大変でしたが・・・
-レッスンはもちろん英語で行うかと思いますが、ESLクラスの英語のレベルはいかがでしたか?
K.K 秋からバークリーに入る方たちはやはり少し英語も他の生徒よりできていましたが、グラマーなど基本的なことから学びました。日本語を話す環境が無かったので、とても勉強になりました。
-英語だけを学ぶのではなく、英語で音楽について勉強したりするのも良い勉強になりそうですね!
K.K はい、普段NYの学校にいるよりか、英語は勉強になりました!
-あとは、音楽のレッスンも楽しめましたでしょうか?
K.K はい。私はJAZZを学びたいとずっと思っていたのですが、その勉強はしたことが無かったので、初めはとても大変でした。JAZZは楽譜がない部分も多いので、自分でアレンジをしたりするやり方が最初はわからなくて・・・でも最後にはだんだんできるようになってきました。
-楽器の練習はどこでおこなったのでしょうか?
K.K 学校の寮の地下に防音の部屋が多くあり、24時間使えました。最初の2週間はかなり自由に使っていたのですが、5週間の生徒が来てからは、部屋が埋まってしまっているときもありました。特に事前に予約をしたりせず、行って、空いていたら使う、という形でした。音楽ではない学生も寮にはいたので、お部屋では練習できませんでした。それと、ドラムの方たちは楽器のある、学校の練習室を使っていました。
-寮にも練習室があるのですね。それだと夜も練習できて便利ですね!
K.K はい、未成年は11時半が門限なのであまり学校の練習室を遅くまでもつかえないですし、便利でした!
-寮は練習室の他はいかがでしたか?過ごしやすかったでしょうか?
K.K はい、ロシア人のルームメイトと仲良くすごしました!ただ、この寮は冷房がなくて、扇風機は貸してくれるのですが最初は暑かったです・・・・。もう一つの寮はエアコンがあるらしく、うらやましかったですが、でも少ししたら過ごしやすい気候になってきたので良かったです。
食事は、そのもう一つの寮の方で取りました。歩いて10分くらいだったと思います。フルーツとかはおいしかったですが、アメリカの食事なので、全体的に重かったです・・・(笑)
3食そこで食べられるので便利でしたが、ときどき外でも食事をしました。
-練習をしたり、レッスンを受けたりしている以外の時間はどうやって過ごしていらっしゃいましたか?
K.K 友達とお茶を飲んだり、町を散歩したり、ビーチに行ったりしていました。土日は完全にOFFだったので、のんびりする時間もとれました。
-周りもたくさん見れたのですね!ボストンの町はいかがでしたか?
K.K 怖い思いをしたことは私は一度もなかったです。1人だけ、クライスメイトがホームレスに話しかけられたりしたことがあったみたいですが・・・。電車でも困る事はなかったですし、安心して過ごせる雰囲気でした。
-観光もできたようで良かったです。今後、講習会に参加する方へのアドバイスなどはありますでしょうか・・・?
K.K そうですね・・・とりあえず、話しかけてみる、ということは大事だと思います。あとは、何か聞かれたとき、「ちゃんと考えてますよ」という意思も伝えることです。
英語の単語で言うと、Let me see… とか、How can I say…. などのつなぎの言葉を最初にいうだけでだいぶ違います。だまって考え込んでいると、質問の意味を分かっていないのかと思われて、会話がつづかなくなってしまったりもするので。
-なるほど。つなぎの言葉、確かに大切ですね!このような言葉を発するだけで、相手を安心させることもできそうですね。
K.K はい。あとは、積極的に町を歩き回ったりして周りの様子を知っておくことも良いと思います。歩くことは気分転換にもなりますし、「見知らぬ土地に来てさみしい」という感情も薄れます。実際ボストンの町はヨーロッパ調の建物もあったりして、とてもきれいでした。
-留学中、何か困ったことなどはありましたでしょうか?
K.K 大きな問題は特になかったですが・・・あ、でも、寮でネズミがでました!夜に小さな音がして驚きました。
-ネズミ!それは驚きますね・・・大きなネズミですか・・・?
K.K 寮で見たのは小さなネズミでした。でも町では大きいのもいました(笑)
-それも一つの異文化体験でしょうか・・・(笑)そのほか、何か普段の生活とは違ったことはありましたか?
K.K とにかく、「自由」ということを感じました。普段学校では決められたスケジュールをこなす、という生活なのですが、ここでは11時半の門限にさえ間に合えば、特に午後の時間はとても自由です。勉強をするも、しないも自分次第というか。
-それでは時間の使い方も大切ですね!K.Kさんは会話をしたり、町をみたり・・・と積極的に過ごしていらっしゃったようなのでそうしていると吸収できることも多そうですね。
今回JAZZにふれて、これからも勉強は続けれいかれるのでしょうか?
K.K 私は音楽家にはならないと思いますが(笑)、でも音楽とはずっと関わって行きたいので、とても良い経験になりました。JAZZもこれからも機会があれば学んで行きたいと思っています。
-今日はお忙しいところどうもありがとうございました。K.Kさんの楽しさが伝わってきて、とても楽しくお話お伺いできました。