神田望美さん/フルート/王立モンス音楽院/ベルギー・モンス
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。

フェリス女学院大学音楽学部卒。ベルギー王立モンス音楽院卒業。現在ベルギー王立ブリュッセル音楽院教職コース在中。
— 今までの略歴を教えていただけますか?
神田 フルートをきちんと始めたのは16歳の頃、高校一年の終わりからです。それからフェリス女学院大学音楽学部に入り、その後ベルギー王立モンス音楽院に留学して去年卒業しました。
— フルートを始められたきっかけは?
神田 小学校のブラスバンドにフルートがあって、かっこいいと思って小学校五年生の時から始めました。でも、きちんと学ばなかったのでそのまま卒業と同時にやめてしまいました。ブラスバンドが盛んな高校だったのでブラスバンド部に入って、一年目はホルンを吹いていました。でも、フルートで音大に行きたいと思うようになったのでフルートを本格的にやるようになりました。
— フェリスをご卒業してすぐにベルギーに行かれたのですか?
神田 そうですね。在学中からずっと考えていたので。
— 在学中にベルギーの学校の先生とお知りあいになったのですか?
神田 直接先生は知りませんでした。ただお名前だけは知っていて、こちらに来てからコンタクトを取りました。
— ベルギーに留学したきっかけはありますか?
神田 もともと海外交流や言語にとても興味がありました。私は、外国の人たちに囲まれて外国の中で暮らしたいと当時は思っていたので、日本人がたくさんいない所にしようと考えました。ベルギーはそんなに日本ではメジャーではないのでベルギーで先生を探してみたらいい先生がいらしたので、彼のところに行こうと決めました。
— 実際にベルギーはどうですか?日本人はそんなに多くないですか?
神田 日本人はいますけどそんなに多くはないですね。ブリュッセルには同じフランス語圏の学校でもブリュッセル音楽院、リエージュ音楽院、モンス音楽院と三つあるのですが私が行っていたモンス音楽院は、日本人が一番少なくて数人しかいませんでした。ピアノで二人、フルートが私一人でした。クラリネットとギターに一人いました。
— 学生は現地の人がほとんどですか?
神田 現地の学生と先生によっては留学生がいます。クラリネットの先生が有名な先生だったので、外国人の子がいっぱい来ていました。ピアノも歌もたまに留学生がいます。ギターの先生も有名な人で1-2名の日本人の方がいました。
— 授業は何語ですか?
神田 授業は全部フランス語です。レッスンは先生が英語ということもありますが、一般の音楽史などの講義の授業は全部フランス語でした。
— フランス語はずっと勉強されていたのですか?
神田 大学の授業で少しやった程度です。留学する前の半年位プライベートレッスンを受けました。あとはこちらに来てから一年半位語学学校に通いました。
— 語学学校は音楽院に入る前ですか?
神田 私は6月にベルギーに来たので2ヶ月間の夏休みに語学集中講義を受講しました。音楽院が始まってからは音楽院と平行して語学の夜コース、週2回の昼コースに行っていました。
— そうすると最初の音楽院のレッスンはいかがでしたか?
神田 全然分からなかったですね(笑)。先生とは英語でやりとりしていたので問題はなかったのですけれど、フランス語の普通の授業は作曲家の名前位しか分からなかった。全然分からなかったです(笑)。
— 大変ですよね。
神田 眠くなっちゃう(笑)。
— そういう分からない状況からどうやって乗り切っていかれましたか?
神田 一年目は本当に先生が優しかったです。一般の大学に比べたら話せなくても、まあまあみたいなところが音楽院にはありました。外国人の生徒には追試をしてくれるなど親切なことをしてくれたのでどうにか乗り越えることができました(笑)。
— 音楽院はどのようなシステムですか?
神田 音楽院には高等課程というのがあって最初はそれに入ります。高等課程では2年目から卒業の資格試験を受けることができ、4年目までにいつでも「私は今年資格をとります」と宣言して資格試験を受けることができます。私は4年間通って卒業し、今年は教職コースに入りました。教職コースは二年間で、音楽院のオプション授業みたいなものです。
— 「卒業の資格試験をとる」という宣言をするとどうなるのですか?
神田 「資格をとる」というと試験の曲数が変わります。普通の試験では4曲なのですが資格試験だと12曲になります。
— 試験は厳しいですか?
神田 そうですね。プルミエールプリ(一等賞)という高等課程の前のものだと、一回落ちても五回までチャレンジできるようになっているようです。しかし、高等課程では一回落ちたらそれでおしまいとだそうです。
— それは怖いですね。
神田 私は十二曲準備することに集中していたので落ちるという怖さを考えていなかったのですが、あとで落ちた人がいると聞いてびっくりしました。あとで聞いてよかったと思っています。先に聞いていたら落ちる事があるという恐怖にとらわれていました。
— 試験は公開で行われるのですか?
神田 公開です。コンサート形式です。
— 教職はどこで勉強されているのですか?
神田 教職コースはブリュッセル音楽院で受講しています。以前はブリュッセルからモンス音楽院まで通っていましたが、ブリュッセル音楽院の方が近いので教職コースはブリュッセル音楽院で受講することになりました。
— フルートの教職ですか?
神田 コンセトヴァトワール(音楽院)に入る前の音楽学校(公立の学校やヤマハとはまたちょっと違う)があるのですがそういう所で教えるための教職免許です。
— その教職免許があればいろいろなところで教えられるということですね。
神田 そうですね。ブリュッセルだと、区に一つ音楽学校があります。他の市でも町とか村に一つ程度は音楽学校があるみたいです。
— ベルギーの子供達はどうですか?
神田 一回産休の代理人をやったことがあるのですが日本の子とは違います。本当によくしゃべります。日本の子だとハイハイと聞いていると思うのですが、ベルギーの子は自分の意見もどんどん言ってきます。音楽的には日本の子供の方が一般的に練習するというか、親が練習させるところがあるみたいです。こちらの子はあまり練習してこないようです。きちんと親御さんが子供を見ているかどうかだと思いますけど、大きくなっても音楽を続けている子は楽しさが先行している感じですね。日本の子だとやっぱり音大受験など大変さの方が先行してくる気がしますが、こちらの子は楽しそうにやっている気がします。
— それは土壌の違いがあるのですか?
神田 そうですね。それにそんなに入学試験そのものは難しいわけではないからだとも思います。
— 音楽院の試験はどのようなものですか?
神田 音楽院の試験は最初から曲を二曲くらい提出しておきます。エチュードの曲と、それ以外を合わせて三、四曲準備します。当日、試験官より曲を指定されてエチュード一曲と曲一曲を吹きます。丸々じゃない場合もありますし、長い場合もあります。私はそんなにたくさん吹かなかったですね。
— 筆記試験はいかがですか?
神田 筆記は無かったですね。高等課程前の段階だとソルフェージュなどもあるみたいですが高等課程の試験では筆記はありませんでした。
— ベルギーのビザ申請は大変ですか?
神田 何度か大使館に行く手間はありましたが書類さえ準備すればそんなに大変なことはなかったです。
— 学校の入学許可証は必要ですか?
神田 学校の入学許可証、戸籍謄本などの類を揃えれば大丈夫でした。私は六月くらいにベルギーに行っていたので入学許可証はありませんでした。九月に入学試験がありすぐに入学なので音楽院の試験を受けてもいいよという紙を学校から送ってもらいました。そして仮ビザを出してもらいました。学校に入るとベルギーの区役所から滞在許可証がもらえるのですが、それはそんなに苦労なく取得出来ました。フランスにいる友人が半年経ってもまだ滞在許可証が来ないという話を聞いたことがあるのですが、私はそんなことは全然ありませんでした。朝早くから並ぶのが大変ですが、一年に一回なので我慢すれば全く問題なく出してもらえます。実はベルギーに来た時、保証人が必要でした。その当時、私はよく分かっていなかったのですが、先生が一緒に役所に来てくれて保証人になってくれたみたいです。後々、書類をよく読んだらそういうことでした。当時は良く分かっていなかったのですが、凄いいい先生でした。
— 凄いですね。
神田 本当に先生には面倒を良く見ていただきました。ベルギーの高等課程に入れたのも、先生が書類を全部やってくださったからです。
— 学校はどのような雰囲気でしたか?
神田 モンス音楽院は建物が非常に古く、雰囲気はいかにもヨーロッパの学校の雰囲気を持っています。先生によって生徒さんの雰囲気は全然違っています。ギターの先生は有名だったのでたくさん生徒がいました。クラリネットやピアノ、歌も同じです。私の先生も有名なのでたくさんの生徒さんがいました。例えばオーボエやファゴットは地元の子が中心でした。雰囲気は割とのんびりした感じだと思います。
— 競い合う感じではないのですか?
神田 多少は競い合いますが、ギスギスしているのが外に見える感じではないです。全体としてのんびりした感じです。
— 一クラス大体何人くらいですか?
神田 クラス数は先生によって全然違います。16人いるクラスもあれば、2名というクラスもありました。フルートは大体15人くらいだったと思います。全部で九年生になっているのですが、一学年13人〜15人くらいだと思います。
— フルート科の先生はお一人?
神田 一人の先生とアシスタントです。
— そうすると年間三、四人しか入らないということですね。
神田 そうですね。ベルギーは一千万人しかいないので、外国からやってこない限りは割とゆとりはあります。
— 日本とベルギーの学校で大きく違う点はありますか?
神田 カリキュラムで違う点は、室内楽の授業が日本だとない大学もありますがこちらは室内楽科の教授もいます。私の大学では室内楽は、半年間で一週間に一日90分の授業が一枠ありましたが公開授業でした。こちらでは室内楽の教授と何人かのアシスタントがいて、室内楽もレッスンです。室内楽の先生のところに行って室内楽の授業を受けます。試験も普通の試験と同様何曲か準備します(通常五曲くらい)。日本人が室内楽のクラスに行くと始めは他の楽器と合わせることを知らないというか、馬車馬的に演奏してしまう部分があるようです。いかにして他の音に混ぜるかという室内楽をベルギーに来て学んだと思います。
— いろいろな楽器と行いますか?
神田 一年目は、チェロとピアノとフルートの曲、それにビオラとフルートの曲、ビオラとフルートとコントラバスの曲などいろいろやりましたね。
— 先生がだれだれと組みなさいと決めるのですか?
神田 室内楽の先生のところに行ってどんな曲をやるのかということで決めていきます。
— 一番違うのは室内楽ですか?
神田 室内楽は相当違いますね。あとは学校の雰囲気が全然違います。私の時の授業は音楽史と分析と和声だけだったのですが、今はいろいろな科目を取らなくてはいけなくなりました。全部フランス語なので、それが結構大変だそうです。和声もすごい違いますね。私の受けた和声の試験はかなり厳しく五時間部屋に缶詰にされてしまいました。日本だと90分の枠の授業でぽんと入っているだけでしたがベルギーでは個人レッスンか少人数制で出来るようになるまでやらされます。
— なぜそこまでやるのですか?
神田 ピアノだと即興が出来るようになるようです。管の場合は下級コースだけでいいのですが、バイオリンは中級コースまで、ピアノは上級コースまでやらないといけません。上級コースになると寝泊りしてレッスンや試験受けたりするようです。
— 合宿状態ですね。
神田 合宿状態で試験を受ける位ごく徹底的なものになっています。
— 全然違いますね。
神田 試験が本当に厳しいところがかなり違います。日本は普段も厳しいけど、試験も同じような厳しさで通過していく感じですが、こちらは試験がいきなり厳しいです。
— 日常のレッスンはそんなの厳しくない?
神田 先生によって違いますけれども、普段なんとなくのんびりした雰囲気が流れているのに試験だけ非常に厳しいという感じです。一年目はのんびりしていたら、やられたという感じでした。
— 一年目は結構単位が取れないのですか?
神田 そうなんです。和声落としちゃいました。音楽史はそれでも追試で何とかなったのですけど、分析は全然だめで全く手が動かない。日本だと先生が説明してそこが試験に出る、という感じですが、こちらだといきなり全然違う曲が試験に出てきたりします。質問事項もなくて、「その曲について書きなさい」で終わりです。自分で分析できないと駄目なんですね。
— ベルギーに行く場合この辺のことはきちんとやっておかないといけないでしょうね。
神田 基本がきちんと分かっていればどうにかなると思いますが、和声が分かっていると結構いいこともあります。日本とは違うという事を試験前に分かっておくと良いとは思います。のんびりした雰囲気に飲み込まれて、そのままのんびりしているのは実は自分だけだったという感じで終わってしまいます。
— 周りは結構分かっているわけですね?
神田 そうですね。周りの方は、試験は大変だというのが分かっているみたいです。
— 学校の一日のスケジュールは?
神田 私の時は授業数がそんなになかったので週三回モンス音楽院に行っていました。一日が室内楽のレッスン、一日は和声や音楽史、室内楽のレッスンを兼ねてやっていました。もう一日がレッスンでした。他の日は家にいて練習をしていました。今の学生は授業数が増えたのでほとんど毎日学校があるようです。授業がある時は学校に行って、授業がないときは練習室を借りて練習したり、家に帰って練習していました。
— 学校の練習は何時まで出来るのですか?
神田 ブリュッセル音楽院は九時半までです。でもモンス音楽院だと早くしまります。モンス音楽院に行く場合は遅くまで練習できる家を借りることが大事ですが、ブリュッセル音楽院だと昼間家で吹ければ夜は学校で練習できますね。
— 学校のシステムはいつから変わったのですか?
神田 私が入った次の年から大学と同じように変わりました。フランスと同じで、昔は大学ではなくて高等専門学校のような感じでした。今は大学、大学院、博士課程というように他の国とほとんど同じなった分、哲学や社会学などの一般教養もとらないといけなくなりました。以前は学費も安かったです。
— ちなみにどの程度ですか?
神田 私が入った時は外国人で三百ユーロ程度でしたが、今は千〜千五百ユーロ位してしまうと思います。EUの人たちは三百〜四百ユーロ程度です。
— 神田さんはシステムが変わる前に音楽院に入っていたので、その後もずっと三百ユーロだったんですね。
神田 そうですね。日本の学費を考えたらベルギーの授業料は安いのですが、自分の料金と比較するとやっぱり高いと思います。
— 日ごろ練習はどこでなさっていますか?
神田 学校で練習室が見つかると学校で練習しますが、主には家です。1-2年目は先生がご自分の自宅の前にアパートを持っていらして、そこに入れてくださったので練習は問題なく出来ました。3年目は音大生専門のアパートに引っ越ししました。そこも練習出来ました。
— 音大生専用のアパートがあるんですね。
神田 凄く少ないですけどあります。学生用というとシェアでお風呂が共同になりますが、練習できるところは結構あるようです。
— 先生がアパートまで用意してくれるのは凄いですね。
神田 先生がたまたま前の年にアパートを買ってちょうど修理が終了した頃だったのです。「ここでいい?」みたいな感じで言ってくれました。私もどうやってアパートを探そうと思っていたので、「ここでいいです」と言いました。
— ベルギーに到着後すぐはどこに滞在していたのですか?
神田 二週間程度ですが、ホテルです。その後先生のアパートに移りました。
— アパートでの練習は何時までOKですか?
神田 法律では十時まで音を出して良いらしいです。ただ、大家さんによっては六時までなど時間が区切られる事はあります。万が一隣の家から楽器がうるさいと言われても法律上は楽器をやっている側の勝ちらしいです。
— 音のことで怒鳴り込まれたことはありますか?
神田 先生のアパートに住んでいた頃に一回だけあります。一つ上の階の人がアフガニスタンの人で、音楽と関係ない方でした。その方は始め音楽が好きだと言っていたのですが、ある日「六時くらいにはやめて欲しい」と言われました。困ったなと思って先生に相談したら、先生が大家なので「彼女は音大生だから六時にはやめられないんだよ」とその方に言ってくださいました。大家さんに言われたらどうしようもないので「分かりました」となりました。怒鳴り込まれたわけではないですが、もう一度そう言われると吹き辛い部分もあるので、先生に言って「来年引っ越します」となりました。その後引っ越したのですが、それ以後は他の人に特に音のことで注意されたことはないですね。
— 練習は一日何時間くらいするのですか?
神田 日によって違いましたけれども、学生の時だと気力があれば大体五時間くらい吹いていました。試験で十二曲やらなければならないときは六時間くらい吹かないと間に合いませんでした。日本にいた時はがむしゃらにやれという感じでしたが、ベルギーに来てからは要領を得て練習しなさいと言われました。先生は演奏会や試演会を準備してくれて、人前でどんどん吹いていくことによって内面に潜んでいる出来ない部分を自分自身で発見して練習していく方が効率がいいということでした。試演会といっても大々的な感じではなくて、次のレッスンは近所の人を集めておくからみたいな感じでした(笑)。
— そうやって人前で演奏する場数を踏んでいくと度胸もついていきますよね。
神田 緊張はするけど、緊張しても指が動くようになると思います。特に試験前などどうしても緊張で指が動かなくなってしまうのですが、そういうことをなくすためにガンガン演奏会をしていきました。
— コンサートは大体どのくらいの頻度で行っていますか?
神田 面倒見の良い先生だと試験前に小さい試演会から大きな支援会でだいたい五〜六回程度あります。ベルギーの方は全然知らない人でも、「あら若い子の演奏を聞きたいわ」と言って気軽に来てくださったりします。
— 学校でコンサートをやるのですか?
神田 学校や先生の家、それにどこか借りて下さることもあります。
— 家というのは凄いですね(笑)。
神田 そうですね。ホーム演奏会みたいです(笑)。
— ブリュッセルの生活費はどの程度ですか?
神田 家賃はシェアだと二百ユーロ程度からありますが、その料金だと家で練習できない場合が多いです。音楽の学生は、地区によりますが三百ユーロは最低で、五百ユーロ払えば結構いいアパートが借りられると思います。広くてキッチンもある場所で練習も可能です。
— 治安の悪い場所はありますか?
神田 南駅という駅があるのですけど、そこの周りは治安が悪いです。移民地区なので治安の良くない所で有名です。でもそこにはピアノ屋さんが一軒あって、そこの隣のアパートが音大生用です。シェアで二百五十ユーロでした。
— 生活費、食費はどうですか?
神田 食費は日本に比べたら安いです。月に家賃を入れて全部で五百ユーロ程度で生活できると思います。
— ベルギー自体の物価が安いのですか?
神田 物価は高くないです。レストランは税金(21%)が高いので日本と同じくらい取られます。食品は税金が6%なので、そんなに差はないと思います。
— ベルギーの音楽業界のツテはどのように作っていくのですか?
神田 これは本当に人格によると思います。どこかの演奏会でいろいろな方と出会い、コミュニケーションを取っていくことがよくあります。やはり社交性や積極性、あとは感じがいい人間であることが重要なことです。
— そういうふうにしているとお仕事が入ってくるのですか?
神田 そうですね。好かれるのが重要というと聞こえが悪いのですが、好かれないような性格だとやっぱりどこ行っても難しいと思います。たまに付き合っていくのに難しいタイプの方がいます。そのような方だと自然とみんな離れていきます。すごく上手くていい経歴もあるのだけれども意外と演奏会がないという方がいますね。
— では誰にでもチャンスはあるのですね。
神田 よく言えば割と誰にでもチャンスがあります。
— ベルギーの人たちとうまく付き合うコツはありますか?
神田 おしゃべりが得意だといいと思います(笑)。本当に良くしゃべるので。社交性は本当あったほうがいいと思います。それに日本のことをよく聞かれるので日本の事は知っているといいと思います。
— 演奏うんぬんよりも本当に人柄が結構大きいのですね。
神田 演奏が全然駄目ならもちろん全然駄目だと思いますが、きちんと演奏が出来ていればチャンスはあると思います。
— 留学して良かったと思える瞬間はありますか?
神田 演奏会をやる時は聴衆が暖かく、本当に音楽を楽しみに来ていると感じます。日本だと演奏会は何か観察しに行くみたいなところがあったり、有名な方が来たりすると、見に行くという雰囲気があると思うのです。ベルギーでは別にそういう感じでもなく、純粋に音楽を聞きに来て楽しんでいます。そういう時には、「ああ良かったな」と思います。それにいろいろな国の人に出会えて、今まで自分の知らなかった世界を知った時にこういう世界もあるんだと思う時に留学して良かったと思いますね。
— ベルギー人だけではないのですね。
神田 例えば隣人さんがアフガニスタン人だったので始めの頃はアフガニスタンの話を聞いたり、ギリシャ人からはギリシャの話、トルコ人からはトルコの話、イスラエル人にはイスラエルの話などいろいろ聞きました。また、ベルギー社会の表面から見ただけでは分からないことを聞いて、自分の心の持ちようも変わりました。そういう部分から音楽が変わるとこともあると思っています。
— 留学というのは音楽以外の意義がたくさんありますよね。
神田 日本の試験では、出来なかったら駄目、出来なかったら終わり、という感じでした。でもベルギーでは自分自身が出来るかどうかを自分自身に試して楽しんでいるところがあります。そういう心の持ちようが日本とベルギーでは随分違うと思います。出来なかったら出来なかったで「いやー残念だったね。じゃ次回」という、気軽といえば気軽な心の持ちようがあります。
— そういったところもご自身の中で影響されてきましたか?
神田 そういう人たちに囲まれているので影響されますね。変わらない部分もあるし、変われない部分もあるし、影響受ける部分もあるしという事でしょうか。
— どういった点が変わったと思いますか?
神田 一番変わった点は、一度出来なかったら終わりという考え方ではなくなったことです。前より人生を楽しむという気もあります。私の場合、日本の先生も追い込むようなタイプの先生ではなかったので、そういう意味では自由にやらせてもらっていました。しかしベルギーでは本当に自由に出来ると思います。私がこういう事をやりたいと言った時に、日本だと私の先生と周りの子だけが頑張ってね、という感じでしたがベルギーでは全体的にみんな聞いてくれます。曲目についてもスタンダードをやらなければならないというのもありません。各自がやりたいという事を追求できるシチュエーションにあります。こういうことをしなければいけないというのがあまり無いのです。
— 逆に自分のやりたいことがないとかなり大変ということですよね。
神田 ベルギーでも特にやりたいことがなくて淡々と過ごしている人がいないわけでもないんです。でも、やりたいと思っている人がそういう人たちに飲み込まれていくということは日本より少ないんじゃないかなと思います。
— ご留学してご自分が何か成長したと思う点はありますか?
神田 言葉は成長しましたね。それに前より言いたいことが言えるようになったと思います。ベルギーでは本当にきちんと言葉で伝えないと駄目なのです。そういう意味では隠さないで物事を言えるようにするのは私にとって成長という気がします。それに前はこうじゃないと駄目だと思っていた部分が、そうじゃない生き方もあるんだと視野が広がりましたね。演奏面では、舞台に立った自分がどう相手に印象を与えるかをよく考えるようになりました。日本では演奏面だけですが、ベルギーでは演奏面だけではなく舞台の立ち方から考えます。
— 今後はどういった進路をお考えですか?
神田 演奏活動もやっているのですが、それと並行して教えることをやっていこうと思っています。オーケストラに入るチャンスがあれば入りたいと思っています。
— オーケストラに入る事は結構大変ですか?
神田 大変ですね。一席の空きに対して、百人くらい来るので大変ですね。ベルギーでは室内楽が本当に盛んなので、アンサンブルを組んでやっていくことも可能です。ちょっと大きめなアンサンブルやったり、小さなアンサンブルやったりしていろいろ楽しめると思います。
— これから留学する人にアドバイスがあったらお願いします。
神田 言葉は何かしらできたほうがいいと思います。留学先をまだ決めてない場合はとりあえず英語を勉強しておいた方がいいと思います。ベルギーの人は言わないと何もないのと同じ意味になってしまいます。日本の場合のように言わなくても察するという能力をみんな持ってはいるのですが、察する能力が日本人よりは低いみたいです。きちんと口で言わないと何もないと思われる部分があります。何か言うためには語学が助けになると思います。私はこう思う、思わない、私はこうしたい、こうしたくないなど単純なことでいいのですが、そういうのが言えると言えないでは他人が自分を見る眼が変わります。音楽留学だと何もしゃべれないで留学される場合も多いとは思いますが、しゃべれた方がいいと思います。
— 結構その点で苦労されました?
神田 モンス音楽院では英語をしゃべる人がそんなにいませんでした。私は一応話をしていたつもりだったのですが、当時ノゾミは何を言っていたかよく分からなかったと言われます。英語が話せたので先生とコミュニケーションも取れたし、友人とコミュニケーションが取れたので、それで少し助かっていました。言葉が通じないと恐い部分もありますし、ストレスになったりすることも多いと思います。小さな事でストレスになると演奏に使うエネルギーも少なくなると思います。言葉そのものを習うのは楽器を習うのに似ているので言葉は話せた方がいいと思います。
— ありがとうございました。
田島高宏さん/ヴァイオリン/フライブルグ音楽大学/ドイツ・フライブルグ
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。

田島高宏さんプロフィール
仙台生まれ。4才よりヴァイオリンを始める。桐朋女子高等学校音楽科(男女共学)を経て、桐朋学園大学を卒業。2001年4月〜2004年3月まで札幌交響楽団コンサートマスター。退団後、渡独。フライブルク音楽大学にて、ライナー・クスマウル氏に師事し、同大学卒業。イフラ・ニーマン、和波孝禧など各氏に師事。全日本学生コンクール東京大会奨励賞、日本室内楽コンクール第2位など多数受賞。ハンガリー放送響などと協奏曲を共演。小澤征爾氏率いるサイトウキネンオーケストラなどに出演。ヴィオリストのヴォルフラム・クリスト氏が音楽監督を務めるKKO(Kurpfälzisches Kammerorchester)に出演。室内楽でも、JTアートホールでのアフタヌーンコンサートや皇居桃華楽堂御前演奏、フライブルクやスペイン・マヨルカ島でのリサイタルなどに出演。和波孝禧夫妻らとフランクのピアノ五重奏をCD録音(アートユニオン社)。現在、ドイツ・フライブルグにて演奏活動中。
― 簡単な略歴を教えていただけますか?
田島 高校から大学にかけて桐朋学園でヴァイオリニストの和波孝禧先生に師事し、大学を卒業と同時に札幌交響楽団にて三年間コンサートマスターを務めさせて頂きました。その後、九月からドイツのフライブルク音楽大学でヴァイオリニストのライナー・クスマウル先生(編集注:フライブルク音楽大学教授、元ベルリンフィルハーモニー管弦楽団コンサートマスター)に二年間お世話になり、2006年7月にフライブルク音楽大学を卒業しました。今は、ドイツでいろいろな仕事をしたいので、職を探しつつ、これから先の進路を考えています。
― ドイツに行かれるきっかけはどのようなことですか?
田島 高校生の時からずっと海外に憧れがありました。高校を卒業してから留学しようと考えたこともあったのですが、周りの人に相談した所「日本で勉強する事はもっとたくさんある」ということで、それでは大学卒業後に留学しようと思っていました。桐朋で仲間たちと切磋琢磨しながら勉強して、そろそろ先の進路を、と考えていたちょうどその頃、大学四年生の五月に札幌交響楽団の方から招待コンマスというお話を頂きました。和波先生に相談した結果、そんな話はなかなかないということで、その招待を受けさせて頂く事にしました。その後、大学を卒業して三年間、皆様にいろいろ教えていただきながら札幌交響楽団で演奏を続けていたのですが、だんだん自分の経験、技術などの「貯金」の少なさを思い知らされるようになってきました。それと同時にヨーロッパで生活してみたい、あわよくば職業としてヨーロッパに残ってみたい、という想いも一層強くなってきました。「何事も石の上にも三年」の一念で、札幌交響楽団で頑張っていたその二年目頃に、つきたかったロンドンの先生が亡くなってしまいましたので、その後の進路を迷っていました。しかし、仕事を辞めないと動けないと考え、札響三年目の四月頃、留学したいので退団しますというお話をしました。その時点では、つきたい先生がまだ決まっていなかったので、全くの見切り発車でした。僕は、毎年夏に和波先生の講習会でアシスタントをやらせて頂いているのですが、その年の講習会に、フライブルク音楽大学の元教授の方がいらして講義をして頂きました。その方とたまたまお話をする機会があったので「フライブルクにいい先生はいないのですか」と何気なく何の期待もなしに聞いてみると、「ああそういえばクスマウル先生がいるよ」と言われました。その時にはクスマウル先生がどのくらい凄い方か知らなかったので、軽く「そうなんですか」と言ったら、「僕は彼の友達だから彼に言っておいてあげるよ」という話になりました。後でクスマウル先生の事を調べてみると、以前ベルリンフィルで七年間コンマスをなさっていた方だということを知り、びっくりしました。クスマウル先生は、毎年日本に一、二回、演奏旅行でいらっしゃいます。たまたまその年の十一月にクスマウル先生が来日したので、ホテルに行って彼の前で弾きました。そして先生に「来年の九月からフライブルク音楽大学のあなたのクラスで勉強したい」というお話をしたら、「ぜひどうぞ」と仰ってくださいました。

― とんとん拍子にお話が進んでいますね。
田島 悩んでいた頃や先生が見つからなかった期間は不安で不安で仕方なかったですね。当時、留学された方にお話を聞くと「留学する時はポンポンと話しが進むものだから何の心配もしなくていい」と仰っていましたが、本当にその通りになりました。ご縁があったということでしょうか。
― 先生の前で演奏して、学校としても了解という事ですか?
田島 入試はやはり受ける必要があって、学校としてはOKではありませんでした。ドイツの場合は、先生に面通しをして演奏を聞いて頂き、その先生が生徒をとる気があるか、そしてそのクラスに空きがあるかどうか、という事がまず一番重要です。先生が取るとなったらほぼ確実だと思います。後は、入試を受けてよほど変なことをしない限り大丈夫だろうということを聞きます。
― 先生が来て良いと仰ってからドイツに試験を受けに行かれたのですよね?
田島 はい。ドイツはだいたい年二回の入試があります。ゼメスター(学期)は、四月から七月までの夏ゼメスター、九月から二月までの冬ゼメスターと二回に分けられていて、入試は七月と二月にあります。それで僕は七月に入試を受けました。
― フライブルク音大の場合、ドイツ語の規定は何かありますか?
田島 他の大学ではよく聞きますが、フライブルク音大はないみたいですね。
― ドイツ語は、お勉強されて行かれましたか?
田島 高校の時から第二外国語をとらないといけなかったので、第二外国語としてドイツ語を七年間取っていました。全然まじめにやっていなかったので当初はほとんど話せませんでした。なんとなく数字が読める程度です。留学直後にドイツで最初の三ヶ月間、語学学校に行って勉強したのですが、全然だめですね。いまだに(笑)。それからは、忙しさにかまけて放っていたのですが、やはりドイツ語を話さないといけないなと思い、この九月から毎日語学学校に行きだして、昨日終わったばかりです。

― 語学が出来ないと大変ですか?
田島 大変というか毎日がつまらないですよね。語学ができなくても、フライブルクには日本人が結構いるし、僕の場合は桐朋の同級生や知り合いもチラホラいます。僕は、和声や理論など、普通の授業を受ける必要がなかったので、ドイツ語が必要なのはレッスン、オーケストラ、室内楽の時くらいです。つまり、ほとんど必要ない。もちろん生活のための最低限のドイツ語というのはありますが、それ以外は触れないようにすることも出来ます。ただそれではつまらないし、留学の意味もないですよね。例えば、学校外でオーケストラの仕事を頂いた時に、指揮者の言っている最低限の事は理解できるのですが、逆にこちらがパートリーダーとして指示を出す時に、一言二言の表現しか出来なくて、実際にこちらの考えが伝わっているかどうか、疑心暗鬼になる事もしばしばあります。また、練習以外の休憩中の談笑など、人間としてのコミュニケーションをしていく事が出来ないとつまらないですよね。コミュニケーションを取ることが人間として大事だと思いますし。
― 日本人が多いと仰っていましたが、外国人はどの程度いるのですか?
田島 韓国の方が一番多いです。ロシアや日本人も多いですね。スロベニアやポーランドなど、東ヨーロッパ出身の方も少なくありません。オーケストラの授業で、それは二十人くらいの小さな編成だったのですが、この中にドイツ人は何人いるのと聞いたら、二、三人しかいなかったですね。学校全体では、もちろんドイツ人が一番多いと思いますが、だいたい四割くらいだと思います。その次に、韓国人やロシア人が多いと思います。
― 学校の授業は週にどの程度あるのですか?
田島 僕の場合は、オーケストラとレッスンと室内楽だけでした。オーケストラは、一つのゼメスターに四〜五のプロジェクトがあり、一つのプロジェクトがリハーサルを含めて約一週間程度。そのプロジェクトを一ゼメスターにつき、最低二つはとらないといけないので、約二、三週間それにかかりっきりになります。それ以外は毎週基本的にレッスンに行っていました。更に、室内楽ではそのグループの都合に合わせて、リハーサルやレッスンがありました。

― 時間的にゆとりがありそうですね。
田島 相当ゆとりありますよね。暇といえば暇です(笑)。でもそれがいいというか、桐朋の七年間と札響の三年間はただただ突っ走ってきたので、この留学は自分を見つめ直すいい機会になりました。こちらに来てから、逆にたくさんの日本語の本を読んだりもしました。フライブルクは音楽的にもベルリンやパリ、ロンドンのように刺激的な演奏会が続く所ではないのですが、人間的な何かを取り戻すには良い環境です。僕は田舎出身なので本当に合っていると思います。同じ日本語の本を読む場合でも、日本にいた時に読む場合とでは心の中の響き方が違うし、日本語のかみしめ方が違います。また、じっくり料理を作る時間がある事は、こんなに素晴らしいのかと思います。他にも、外から冷静に日本を見る事ができる事、自分の生活を振り返ることができる事など、いろいろと本当に良かったですね。暇と感じる事もあるのですが、そんな生活も悪くないと思いますし、音楽の見方も変わってきますね。
― 音楽的にはどういうふうに変わっていかれたのですか?
田島 自然体になったのかな。これは他の方に当てはまるか分からないのですが、僕の場合は、ただただがむしゃらにやってきたので、音楽を味わう余裕があまりありませんでした。そういう意味で今は、一つの作品と向かい合う時間が出来たわけですからいいですよね。心のゆとりをもって作品と向き合うことは幸せだということを感じています。僕はモーツァルトやブラームスが好きなのですが、特にモーツァルトの感じ方が違います。何が変わったのかよく分かりませんが、もしかしたらドイツ語の持つリズムとモーツァルトの音楽がシンクロしたのかもしれない。例えば日本にいた時は、モーツァルトに限らず、こういうパターンの時はこう弾く、とある意味自分自身の狭い範疇でしか考えられなかった。でも最近は、こういう弾き方もいいけど、こういう方法もあるかもしれないなと、少しずつですが、いろいろな可能性を感じることができるようになってきたかもしれません。
― ご自分の幅は広がっているのですね。
田島 まだそこまでは分からないです。ただ、可能性は一つではないなと思うようにはなってきています。例えばオーケストラで、弓の上げ下げを決める時に、日本での自分だったら「このパターンだったらこういう感じかな」と何となくやっていたところもありましたが、今はそうではなく「ここはこういう考え方だからこういう方法もある」というディスカッションが入るので大変です。「それじゃ試してみよう。」「これいいねぇ!」でも結局、「やっぱり元の弓の方がいいかな」となる事も多いのですが(笑)。外国の方が議論好きな事や、時間にゆとりがあるから出来る事なのですが、本当にそういう事の一つ一つが勉強になります。
― ドイツでのレッスンと日本でのレッスンは違いますか?
田島 和波先生とクスマウル先生は違うタイプの先生です。僕は中学二年から和波先生について勉強してきました。それまで基礎的なことをほとんどやってこなかったので、ヴァイオリンの弾き方や音楽との接し方など一から和波先生に教えていただきました。和波先生には本当に細かくいろいろな事を習ったので、言葉を教わった感じです。基本的なクラッシックの語法を習い、その語法を持ってクスマウル先生のところに行ったのでドイツに来てもそれほど大きな違和感はありません。ただ、僕が未熟なせいか、和波先生のレッスンでは少しでも変な弾き方をするとそれは違うと指摘される事がありました。クスマウル先生の場合は逆に何でも許容するところがあります。自分の可能性について頭ごなしに否定しないで「なるほど、そうかもね。でもここは違うんじゃない」とか、「ここはこういうやり方もあるかもね」というレッスンです。もちろんこの違いは自分の段階によるものも大きいとは思います。クスマウル先生のところでは、基礎的なものはもちろんの事、レッスンごとに自分で研究した成果に対して、他にこういう弾き方もあるし、こういう表現もあるよ、という助言を頂いている、というレッスン内容ですね。
― 逆に言えば自分の考えがないといけないのでしょうね。
田島 そうですね。クスマウル先生は最初のオーディションの時点でそういう所まで見ていると思います。彼は基礎的なことを教えるタイプの先生ではなく、音楽を楽しみたいタイプの先生だと思うので、その生徒の音楽との接し方などもその時点で見ていられるのでははないでしょうか。
― 先生の所は今もレッスンに行かれているのですか?
田島 卒業してからまだ行っていないのですが、そろそろ連絡をとろうかな、と思っています。ただ基本的に、プライベートの生徒をとらないようなのでどうなるか分かりません。実は卒業した時に、もう二年勉強しようと思ってソリストコースを受験して落ちちゃったんですね(笑)。実質プーみたいになってしまいました(苦笑)。フライブルク音大では、例えば夏ゼメスターの場合、1480ユーロ、日本円だと24万円程度お金を払って、担当教師の許可が下りれば、入試なしにその先生のレッスンを受けられるという制度があるのですが、次の学期に再度ソリストコースを受験しようか、その制度を使って勉強を再開しようか迷っています。僕はピアノとのデュオが凄く好きで、まだまだやっていない名曲がたくさんあるので習えるうちにもっとやっておきたいと思っているのですが、お金の問題もあります。今、円安ですし、こちらで働きながらもう一回勉強出来ないか模索中です。

― オーケストラに入るということですか?
田島 オーケストラに入ってしまうと時間が取られてしまうので、期間限定の仕事、例えばエキストラとして演奏しながら臨時収入を得て、自分の事が出来ないかと思っています。今度、初めてドイツのプロオケ、室内オーケストラにエキストラで出ることになりました。それをステップに何らかの形で広がっていけばいいなと願っています。
― どういうきっかけでエキストラ出演をすることになったのですか?
田島 ドイツは、オペラハウスから普通のオーケストラまで少なくとも200以上のオーケストラがあるのですが、それらのオーケストラの空き情報を掲載している雑誌やインターネットサイトがあります。たまたまそれを見ていたら、フライブルク音楽大学のヴィオラの先生が指揮者をやっているオーケストラがあり、コンサートマスターの席が空いているとのことだったので応募してみようと思ってメールを書いてみました。すると既に席は埋まってしまったものの「試しに履歴書を送って下さい」とのことだったので履歴書を送りました。札響時代のコンマスというのが功を奏したのか「一月二日から仕事があるから来てくれないか」とのこと。本当ここ一週間の話です。
― 一日の練習時間はどの程度ですか?
田島 日によって違います。僕は朝型なのですが、学校に通っていた頃は、朝八時から十二時頃まで練習。そのあと、買い物をして家に帰ってご飯を食べてお昼寝。実は毎日15~30分ほど、お昼寝をしているんです(笑)。そうすると本当に頭がスッキリします。そうやって朝の睡眠時間を取り戻して、午後三時頃から六時頃までまた練習。
― 練習はお家ですか?
田島 午前中は大体学校で練習し、午後は家で行います。たまたま練習できる家だったので本当にラッキーでした。でもフライブルク音大では24時間練習できるんですよ。地下室があって、いつでもその学校の学生であれば入れる仕組みになっています。だから本当に最高の環境です。

― そんな遅い時間に歩いても安全ですか?
田島 フライブルクは基本的にとても治安のいい所です。人もいいし、外国人に対してもとても親切です。町も非常に綺麗です。フライブルクは、環境都市と言われていて、町の中心部に車が入れないような仕組みになっています。聞いた話ですが、フライブルクに原子力発電所を作ろうという計画が昔あったのだけれど市民運動で跳ねのけたとか、風力発電が盛んだとか、僕はそれ以上知らないのですが、凄く環境に対してもいい町です。
― ドイツの町はどこも綺麗ですが、そこまで力を入れていると本当に綺麗ですよね。
田島 たまに他の都市に行くと、少し恐いと感じることもあります。町自体もあまり綺麗ではないし、東に行くと失業率の問題もあってか、外国人に対して差別があったりするとも聞きます。フライブルクは経済的にもゆとりがある町なので、一度この街を知ってしまうとなかなか離れられないですね。よくいろいろな人に、このフライブルクがドイツだと思っちゃいけないよと言われます。僕は、ベルリンに行っても街自体にあまり魅力を感じません。刺激的なものはたくさんあるだろうけど。フライブルクは自然が適度にあり、フランスやスイスに近く、ドイツの中で日照時間も一番長いようです。自然の美しい所は人間もいいと思います。僕は長野で育って、今は実家が茨城にあるのですが、ここはそんな自分にうってつけな環境ですね。
― 留学先としてフライブルクはお勧めですか?
田島 人によると思いますね。ここはベルリン、ウィーン、パリ、ロンドン、あるいは東京のように、毎日のようにすばらしい芸術家が来て、ひっきりなしに演奏会が行われている、という環境ではないので、そういう観点から見ると、刺激を求めている若い人にとってフライブルクが良いかは、ちょっと分からないです。でもフライブルクには、人口18万ですが、オケは三つもあります。一つは放送局のオーケストラである、南西ドイツ放送交響楽団。それから劇場オーケストラである、フライブルク市立フィルハーモニー。そしてフライブルガーバロックオーケストラです。それぞれ個性のあるとてもいいオーケストラです。ここでは刺激的なものに振り回されないので、自分と向き合え、落ち着いて勉強ができます。人間的な生活や音楽を、ゆとりをもって勉強したいならフライブルクは凄くいいと思いますよ。

― 学校以外でのコンサートの機会はありますか?
田島 フライブルクには、アマチュアの合唱団が多いのですが、そんな合唱団にもランク分けがあって、それぞれのランクに合わせて市から助成金が出ているそうです。それらの合唱団の演奏会で必要な時には、弾かせて頂いています。それから、知り合いの教会音楽家の方からのお誘いで教会での演奏会の機会が増えましたね。自分自身はカトリックなのですが、こういう時に内なる喜びがあります。あとは和波先生のご紹介もあって、ハンガリー放送交響楽団とブラームスのコンチェルトをソロで弾かせて頂いたり、茨城の地元の知り合いがスペインのマジョルカ島にいらっしゃる関係で、その方にお招き頂いて、マジョルカ島で2回もリサイタルをやらせて頂きました。それからフライブルクにも日本ドイツ文化協会のような所があって、リサイタルをピアノと一緒にやらせて頂きました。
― 学校以外でもお忙しいですね。
田島 幸せなことにいろいろやらせて頂いています。僕は、なるべく多くの分野で活動していければ、と思っているので、すばらしい経験をたくさんさせて頂いていますね。
― 周りの人からいろいろなお話が来るのですね。
田島 僕は、本当にいつも周りの方から助けてもらっています。例えば、フライブルクは、家探しが非常に難しいらしいのですが、たまたま僕の先輩が僕と入れ違いに出るので、その後に入らせて頂きました。学校の手続きもその時にいた僕の同級生がものすごく手伝ってくれました。自分でやって一番大変だったのは、滞在許可申請をフライブルクの市役所で行う時や、家に電話を繋げたことです。本当に、今の生活は周りの人の助けなしにはありえません。フライブルクは、日本人同士の関係も良いです。近づきすぎず、遠すぎず、家族みたいな関係でみんな親切にやっていて、その親切な伝統がずっと続いている感じです。それぞれのペースを守りながら困った時には手を差し伸べあっています。まあこういうことは、本来当たり前の事かも知れないのですが。こちらにいると、例えば日本と同じ親切をされても、よりありがたく感じます。僕も今度はその伝統を受け継いでいきたいと強く思っています。特に、留学は、最初が一番大変で肝心です。
― 最初というのはどの位ですか?
田島 最初の一ヶ月くらいが特に大事だと思います。本当にまだ言葉も体も食にも慣れていない中で、役所に行ったりしないといけないので大変です。
― ホームシックにかかる方も多いようですが、そんなことはなかったですか?
田島 ホームシックはないですね。でも最近出てきました(笑)。お金がかかるから日本には頻繁に帰れません。この間帰ったのは夏ですが、お正月には、おせちが食べられない、箱根駅伝が見られないとか(笑)。札響時代は舞台の上だったし、もう五、六年いわゆるお正月を堪能していないですね。
― フライブルグの生活は、ひと月どのくらい生活費がかかりますか?
田島 物価は安いです。例えば、牛乳が一本で八十円程度。卵も百円前後。野菜も凄く安い。肉も安い。五百グラムで豚は二百円位です。外食は高いのでほとんどしないです。一ヶ月を家賃、電気、電話代を含めて頑張って五百〜六百ユーロで過ごしています。日本円にするとそれでも十万円弱になってしまいますから、決して安いとはいえないです。演奏会は、学生券で十ユーロ前後です。ウィーンは五ユーロで聞けたりするようですけど、日本みたいに三千円、四千円するわけではないのでいいと思います。

― 留学して良かったと事はありますか?
田島 自分を見つめ直すことが出来たことです。演奏会で良い演奏をして、いい拍手をもらう事はありがたい事に日本でもドイツでも味わうことが出来ました。もちろんその瞬間は幸せで、ドイツでも自分のやろうとしている音楽や語法が、ある程度喜んでもらえることも分かりました。ただ僕にとっては、表舞台で脚光を浴びることよりも、今はとりあえず自分と対話出来ることが本当に幸せなんです。自分の性格や今まで見えなかった自分も見えるようになってきました。今まで悩んできた事が一つの言葉になって出て来たりもしました。それに凄く苦労していることが楽しいです(笑)。札響に入っていきなりコンサートマスターをやらせて頂いたので、急にお金ががっぽり入って、もうお金の使い方が分かりませんでした。とりあえずお金を使おうと思っていつも外食をしていました。北海道だったので二週間に一回くらいは回転寿司を食べてタクシーに乗って帰りました。また、イギリスに演奏旅行をしたり、たくさんの人と触れ合えたり、経済的に不自由することは無かったのですが、どこか心がすさんでいました。別に仕事や音楽ということではなくて、自分の心が満たされませんでした。今は逆に明日食うお金も本当にない。このギャップがたまらないのですが、苦しくなると札響時代はお金もあったし、寿司も食べたし、日本酒もいつも飲めたということを思い出します。弱気になるほどあの時辞めなきゃ良かったとか、やっていれば何の苦労もなかったと考えるのですが、実際は、今の不自由な環境を心のどこかで望んでいたと思うのです。だから、いろいろな問題に直面して一つ一つそれを解いていく楽しみがあります。それが今は本当に嬉しいですね。いい事も悪い事もたくさんあって、それが一つ一つ心に刻まれていきます。ドイツにいると小さい喜びが大きい喜びに変わります。困難も大きいのですが、困難があるから次に進めると思います。乗り越えられない試練は無いと思いますし、困難や課題を与えて下さっているのでしょうね。その課題を一つ一つ乗り越えて、今、人間的な生活が出来ていると思います。日本だったら、僕は忙しいことでごまかしちゃうんですよね。だけどドイツでは、暇だし刺激がないから、ごまかせるようなものがない。だから逆によく考えられるし、自分と対話が出来ます。自己対話が出来る事がいかに幸せかと思っています。僕の人生があとどのくらいあるか分からないのですが、この時の苦労はちゃんと覚えておきたいし、この苦労はお金にはかえられないです。札響の時は、コンサートマスターとしての責任感や音楽的には凄く苦労しましたが、今は本当に自分自身に突きつけられた課題を一つ一つ丁寧にこなしていっています。また、僕は、どこに行っても周りの人が助けて下さるので、自分も手助けをできれば嬉しいし恩返しをしたいと思っています。演奏というかたちになるのかもしれませんが、ヨーロッパで活動したことをいつか日本に持って帰りたいと思っています。僕は、三十代、四十代には日本に帰りたいので、その時までにたくさん苦労をして、自分の出来る音楽で何か力になれるのならなりたいと思います。
― ヨーロッパや日本でまたオーケストラに入りたいのでしょうか?
田島 どんどんすばらしい演奏家が出てきているので、簡単にいくとは思わないのですが、ご縁があればオーケストラに入れれば幸せだと思います。僕の強い希望としては、最終的に日本で何か還元できればと思っています。
― 今後留学する方にアドバイスはありますか?
田島 語学はやっておいたほうがいいと思います。人と心から打ち解けるためにはやはり言葉なんですよね。語学に対して全くなめていました。僕は、人間と人間のコミュニケーションとして誰とでもうち解ける自信があります。でも、それは日本語だったからという事だったんですね。その自信からドイツに行けば何とかなると思っていました。もちろん何とかなるのですが、それだけではつまらないですよね。本当に良い留学をしたいなら、語学は必要だと思います。ただ語学を勉強した方がいいというのではなく、「ああしたいな」「こういうふうになりたいな」「こう話したいな」「こういう話を聞きたいな」と頭に描きながら勉強すると凄く良いと思います。実際にいろいろ人種の方々がいて、コミュニケーションがとれると本当に面白いです。その人達と心から打ち解けたいなら語学は必要です。僕の場合は語学からずっと逃げてきていたので、語学が出来ないというコンプレックスもあります。だからシミュレーションをしておけばすっと入っていけると思います。僕が言うのも説得力が無いのですが、ドイツ語で「Viel Spaß!!(楽しんで!!)」という表現がありまして、 楽しんでいろいろなシチュエーションを思い描きながらドイツ語を勉強すればいいのではないでしょうか。
― ありがとうございました。
杉山由美子さん/声楽/イタリア語と声楽・カリアリ夏期国際音楽アカデミー/イタリア・フィレンツェ・カリアリ
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。

杉山由美子さんプロフィール
尚美学園短期大学声楽科、東京コンセルヴァトアール尚美研究科声楽専攻卒業。学生時代よりオペラ、ミュージカルに出演。ミュージカル劇団「音楽座」に在籍し、その後、フリーで音楽活動を始める。2001年初のソロリサイタルを開催。堅苦しくないクラッシックを広める為、意欲的にコンサートを行っている。第1回オペラアリアコンクール入賞(全日本音楽協会主催)。2006年イタリアフィレンツェにイタリア語+音楽で6ヶ月留学。イタリア留学中に、フィレンツェ夏期国際音楽キャンパス、カリアリ夏期国際音楽アカデミーのマスターコースに参加。
— 簡単な略歴を教えていただけますか?
杉山 高校時代から合唱をやっていて、その合唱を通じて歌うことは楽しいなと思っていました。日本人では第一人者である声楽家、伊藤京子さんという方が高校の先輩で、毎年高校に歌いに来てくれたんですね。その方の歌を聞いて「声楽家って凄い」と思っていたんです。それで、自分もあんなふうに歌えるようになりたいと思い高校三年の冬に音楽大学に行きたいと思いました。通常の音大受験をする人達に比べたら全然準備が遅いので間に合わないと言われたんですが、音楽短期大学声楽科に入れました。短大卒業後、専門コース研究科に進みました。その後は、働きながら細々とレッスンに通ってミュージカル劇団に入りました。劇団には歌のうまい人やダンスが上手な人が一杯いて、とても刺激になり勉強になりました。その後、アルバイトをしながら自分のスタイルで何かやっていこうと思っていろいろなオーディションを受けました。結局都内のライブハウスやホテル、クラブなどでクラッシック歌手として歌うことを始めました。また、自分の力を試してみようと思って、2004年にオペラアリアコンクールを受け、たまたま入賞しました。地道にやっていけばなんとか認めてくれる方もいらっしゃるのかなと思いましたね。それで、本場イタリアで勉強してみたいという気持ちがどんどん強くなってきました。年齢も年齢だったのでこの辺で留学しておかないと一生行けなくなると思い、イタリアで暮らしながらイタリアの夏期講習やマスターコースに参加してみようと決心しました。
— イタリアを選んだ理由はありますか?
杉山 イタリアは二回行ったことがありました。一回はプライベートで、もう一回は、私が所属していた東京の合唱団が優秀でイタリアに招待され演奏旅行をした事があるんです。その時に食べ物はおいしいし、人は陽気だし、風景も素晴らしく、そして時間がゆったり流れていて皆人生を楽しんでいる感じが凄くしました。イタリア人には、いろいろ親切にしていただいた事もあり、イタリアは本当にいいなと思っていたんです。
— そこで留学するならやっぱりイタリアだと?
杉山 いろいろ考えたんですが、イタリアは歌の本場ですし、カンツォーネにも興味がありました。以前行った時の印象も良かったので、それで住むならイタリアがいいかなと思いました。
— 実際にイタリアに住んでみていかがでしたか?
杉山 フィレンツェに住んだのですが、住むとこんなにも違うのか、というのが正直な感想です。日本は何もかも便利なので便利さに慣れていました。ところがフィレンツェでは、例えば夏でも、ほとんどの家庭にクーラーが無いんですね。なので、ものすごく暑いんです。光が入ると夜、気温が上昇して余計暑くなると言われていたので、昼間はブラインドを閉めてモグラみたいに生活をしていました。それでも夜は、ものすごく暑くて寝むれません。蚊もすごく多く、五、六十カ所くらい刺されましたね。
— 一晩でですか?
杉山 もちろん一晩ではないです(笑)。それにフィレンツェは日本みたいに交通網が発達していないので、自宅からフィレンツェ中心の学校まで行くのに歩いて片道三十分くらいかかりました。バスもいいかげんでよくストライキもあり、時間になっても来ないので、往復歩いたりしていました。そのうち自転車を借りて通うようになりました。
— 最初はイタリアの慣習に戸惑いましたか?
杉山 そうですね。コンビニのように二十四時間やっているお店も無いので、何か足りない時は困りますね。飲み物でもなんでも買いだめしておかないといけないです。
— スーパーなどは土日がお休みですか?
杉山 日曜日が休みです。スーパーやバールは全部休みになってしまいますね。私がフィレンツェに着いた日がたまたま日曜日だったので、買い物も行けず、一緒の家に住むギリシャ人の方が自分の食べ物を与えてくださいました(笑)。
— ご留学するまでに準備期間はどのくらいかかりましたか?
杉山 猛スピードで三ヵ月半ですね。日本でイタリア語の語学学校も三ヶ月通いました。特に私は会話を中心に習っていたので買い物やちょっとしたイタリア語は多少役に立ちましたが、イタリアに行くと会話の速度が速いので、耳が慣れないとダメですね。それにイタリアの学校では、文法をものすごくやらされます。その文法をいかに私は知らなかったのかと思いました。結局イタリアでは一から勉強したのですが、毎日学校もあって日常でイタリア語を使うのでやはり身につきますよね。語学学校では、四週間毎に試験があり、その試験にパスすると次のクラスに上がれます。上のクラスにいけないと恥ずかしいのでそこでも頑張りますよね。
— フィレンツェの語学学校に行かれて、イタリア語が分かってきたと思ったのは何ヵ月目くらいですか?
杉山 三ヶ月くらいですかね。長い文章は言えないのですが、耳が慣れる感じです。
— 宿題はありましたか?
杉山 毎日ありました。
— 学校の生徒さんはどこの国の方が多かったですか?
杉山 日本人も多かったのですが、ドイツ人やアメリカ人も多かったです。世界のいろいろな人達とお友達になれました。日本人スタッフが学校にいたので何かあった時は日本語で相談が出来るのでそれは大変助かりました。
— 緊急事態は何かありましたか?

杉山 学校で緊急事態は特にありませんでした。個人的にみんなで夕食を食べに行ったり、ディスコに行ったりすることがあるんですが、一度、大酔っ払いをしちゃいました(笑)。夜中三時くらいだったのでバスは無いし、自転車も恐かったのでタクシーで帰りました。その時、財布に50ユーロが一枚ポンと入っていたのを今でも覚えています。タクシーの運転手は、私が酔っぱらっているし、日本人だということを見ているんでしょうね。家まで9ユーロだったので50ユーロを出したら、お釣りが1ユーロしか返ってこなかったんですね。「え?50ユーロ出したんだけど」と言ったら、「見て。ここに10ユーロしかないでしょう」と言って、10ユーロが置いてあるんです。その時、私は、10ユーロを持っていたのかもしれないと思ってしまいました。でも、後で財布を見たらやっぱり50ユーロが無いので「ああやられた!」と思いましたね。次の日学校に行ってその話をしたら「今お金をとっさに、すり替える手口がはやっているんだよ」と言われ、まんまとひっかかったと思いました。あとは食中毒ですね(笑)。
— 食中毒?夏場ですか?
杉山 冬場だったんです(笑)。11月だったのですが、たまたま日本から友達がフィレンツェに来たので一緒にレストランに行きました。フィレンツェは、海の幸はあまりおいしくないので勧めなかったのですが、ムール貝のワイン蒸しを食べたいというのでそれを頼みました。おいしくないし、変な感じがしたんですが、もったいないし、他の料理もみんなに食べてもらいたかったので私が頑張ってこれを食べるしかないと思ったんですね。みんなは二、三個しか食べてないのに私のお皿はムール貝の貝殻でてんこ盛りになっていたんですよ(笑)。そしたら三時間後くらいに、いきなりきまして....、もうずっと朝まで、熱もでました(笑)。
— 災難でしたね(笑)。
杉山 そうなんです。でも私の友達と一緒に来た方が医療関係の方で、「食中毒に間違いないから、薬を飲まないで全部出したほうがいい。下痢止めを飲んじゃうと止まっちゃうから、とにかく悪いものは出すように」と言われました。そのようにしたら金曜日夜に発症して、一日寝込みましたけど、日曜日にはだいぶ良くなりました。
— その時は、学校のスタッフに連絡したのですか?
杉山 発症したのが、金曜の夜で友達のホテルだったんですね。久しぶりに友達に会ったのでみんなでホテルで話をしていたのですが、そこで具合が悪くなって、結局そのホテルに滞在しました。ホテルにたまたま日本人のスタッフがいて、薬は出せないと言われたのですが、ハーブティーなどを出してくれました。それに、お友達がいたので安心でした。学校には、土、日とお休みなので特に連絡しませんでした。
— 日本とイタリアでは何が違うと思いましたか?

杉山 日本にいる時は、人間対人間が殺伐としているなと感じる事もありました。留学生だからかもしれないのですが、イタリアでは、日本や韓国、その他世界中からデザインや料理の勉強に来た人など音楽以外のいろいろな人と知り合いました。その方達と絆が強くなって助け合う事がよくおこりました。例えば、私が日本に帰るときに荷物を三箱くらい日本に送らないといけなかったんです。日本のように便利ではなく自分で荷物を持って行き、重さも測ってもらう必要があって、結構面倒くさいんです。荷物を運ぶだけでも大変です。その時に友達が四人くらい来て、パーと運んでくれました。もちろん、私も他の方の時には、何かあったら助けます。そういう絆がとても強いと思いました。
— 学校で知り合った方達ですか?
杉山 そうですね。あとは知り合ったお友達のお友達。お友達のお友達はその学校に行っていたわけではないですね。
— フィレンツェは狭いですよね。みんな知り合いみたいな感じですか?
杉山 みんなではないかもしれないけど、どこかでつながっていますよね。
— 学校の授業ですが、スケジュールはどのような感じでしたか?
杉山 私はイタリア語と音楽コースを受講していました。九時に学校が始まって一コマ目が、九時から十時半まで。十時半から十一時までが休憩で、十一時から十二時半まで二コマ目の授業があります。一コマ目の授業は、テキストを使った文法中心の授業でした。二コマ目は、会話を中心とした授業でした。十二時半には、語学の授業は終わります。私はほとんど十二時半から学校でお昼を食べていました。みんなでバールに行ったり、トラットリアに行ったりすることもありました。歌のレッスンは週二回、イタリア語の授業の後にあり、レッスンに備えて大体五時くらいまでは毎日学校にいました。学校にパソコンが6台あり無料で使えるので、午後はパソコンをしたり、その他ピアノがある練習室が5室あるので、練習を毎日しました。
— 学校では宿題や練習をしていたのですか?
杉山 練習が主でしたね。練習の間、一時間休んでメールやパソコンをし、そのあと、また練習をしていました。友達も結構残っていたので、いろいろおしゃべりしたり、情報交換したり、バールにコーヒーを飲みに行ったりしていました。
— 週に二回の歌のレッスンは別々の先生でしたか?

杉山 最初は、歌の先生にしかついていなかったんですね。コレペティトールという伴奏専門のピアニストがいるのですが、その先生についているお友達がいてレッスンを見学させてもらいました。そうしたら歌の先生とは違う視点から音楽全体の事や音楽性をいろいろ教えてくださるので、後半からはそのコレぺティの先生と歌の先生と二人の先生につきました。
— イタリア歌曲が中心ですか?
杉山 オペラを中心に、イタリア歌曲、オペラアリアを勉強しました。
— 一曲にどのくらい時間をかけるのですか?
杉山 この学校の良いところは、必ず月に一回のコンサートがあるんです。私は8月から参加したので、8、9、10、11、12と5回コンサートに出演しました。
— 毎回コンサートに向けて曲をやっていくのですか?
杉山 そうですね。『夢遊病の女』というイタリアの作曲家ベッリーニのオペラがあるんですが、その中のアリアが、ずっと歌えなくて半年かけてやりました。先生が、「そのアリアがとてもあなたにあっているから勉強したらいいわ」と言ってくれたのですが、ものすごい難しいです。
— 完成しましたか?
杉山 まだ、熟成中ですね。「ちゃんとできるには二年かかるわよ」と言われています。
— 日ごろの練習はほとんど学校ですか?
杉山 そうですね。学校には、練習室があるのでそれを使っていました。三十分毎の予約制になっているのですが、誰もいない場合は自由に使っても良かったので結構使っていましたね。
— 月一回のコンサート以外に、自分たちでコンサート企画などはしましたか?

杉山 自分でコンサート企画はしなかったのですが、私は夏にフィレンツェで講習会にも参加しました。その講習会の最後に、教会で終了コンサートがあってそれに出る事ができました。お客さまも、ものすごくたくさん入りました。観光客などコンサートをやっているなら入ってみようという人も結構いました。学校のコンサートでも、十二月にものすごく大きい教会でやりました。響きもとても良くて礼拝の方もコンサートに来ます。その教会で歌ったことは本当に良かったですね。感動です。
— 学校ではコンサート以外のイベントはあるのですか?
杉山 映画、遠足など結構イベントがたくさんありました。海外の方は、ホームパーティーがとにかく好きで、夏は公園でその国の食べ物をそれぞれ一人一品ずつ持ち寄ってパーティーをやりました。世界の料理が食べられるんですね。その時はメキシコやスペインの方もいました。スペインの方は、バケツを持ってきてそこにワインをバーって入れて、果物を入れて、サングリアを作っていました。メキシコの方は自分でキュウイをリキュールでつけたものを家から持って来ました。私はおにぎり(笑)。学校では、クリスマスパーティーもあってその時も世界各国からいろいろ食べ物を持ち寄りました。
— お米などは普通にフィレンツェで買えるのですか?

杉山 アジアンマーケットがあってそこで結構買えます。イタリアのお米も買ったのですが、炊き方さえ間違わなければ大丈夫だと思います。でもイタリアのお米は芯が残ったりして難しいですね。三回失敗しました!火加減かな。リゾット風になっちゃいますね。
— 周りの方のお勉強の態度は日本の学校と比べて違いますか?
杉山 全然違いますよね。お国柄がでます。最後のクラスでは、日本人は私だけで、あとは、アメリカ人ばっかりでした。日本では椅子に普通は土足で上がったりしませんよね。だけどアメリカ人の人達は平気で土足のまま足を投げ出したり、椅子に登ります。それが一人だけじゃなくてみんなそうでした。日本人は靴を脱いで家にあがる文化なので随分違うなと思いました。お行儀が悪いように見えましたね。
— 授業以外はどのように過ごされていましたか?
杉山 午後は歌の練習をしていました。土曜、日曜は、近くの公園に行ったり、友達とフィレンツェから電車で行ける所に遠足に行ったり、テスト前は家で勉強ですね。
— テストは、厳しいですか?
杉山 厳しかったですね。テストで出来なかったということは、授業が理解出来ていないということなのでもう一回同じ授業を受けることになります。毎月どんどん次のレベルに進めるというわけではないですね。初めの頃は、音楽の講習会に行っていたのでテストはパスできなかったのですが、その後は、順調にパスできました。
— 日本人以外の人達と付き合うコツは何かありますか?
杉山 私は、ギリシャ人の女性とイタリア人の男性と住んでいました。イタリア人の男性は四十歳くらいの人で、ほとんど家で仕事をしていて考古学を研究している人でした。性格が日本人の男性より固い真面目な人で、良い人に恵まれたなという感じでしたね。ギリシャ人の女の子はフェラガモに勤めていました。私はそうめんを持っていたので、茹でてみんなで食べました。食べ物ですかね(笑)?そうすると今度は自分の作った物を食べさせてくれます。テスト前だとイタリア人の男性がスパゲティーを作ってくれたりしました。
— 生活費は食費を含めて一ヶ月どのくらい必要でしたか?
杉山 私は家賃が四百ユーロだったので月に最低六百ユーロは必要でした。
— 家賃以外は二百ユーロでやっていたのですか?

杉山 スーパーはものすごく安いんです。レストランやトラットリアに行くと高いのですが、スーパーで買い物をする場合は日本より安いです。お酒の話で申し訳ないんですが、イタリアの一番有名なモレッティーというビール350mlが、二つで0.8ユーロ。野菜は全部計り売りですが、ズッキーニを二、三個入れても40円くらいです。野菜、果物はとにかく安かったです。肉も市場で買うとものすごく安いです。スパゲティーも大体0.8ユーロくらいで売っていて安いですね。レストランやトラットリアは、ものすごい量の食事と、ものすごいお酒を飲んでいるので安いとは思うのですが、ユーロマジックにかかってしまいます。例えば、一人20ユーロかかったとして、日本の感覚だと2,000円位で安いと思うのですが、実際為替レートを計算してみると3,200円くらいですよね。「ああユーロだったか、この国は!」と思いました。レートで思い出しましたが、町の両替屋は1ユーロ200円位取られるので気をつけないといけないですね。とにかく銀行で換金した方がレートはいいです。
— オペラは見に行かれましたか?
杉山 フィレンツェで見に行きました。日本の感覚で比べたら本当に安いです。日本でオペラだと一番高い席で三万円前後、一番安くても五千円以上ですよね。でもイタリアだと安い席は、ものすごい悪い席ですけど10ユーロ前後、日本円で1500-1600円位です。夏は、野外オペラもやっていました。毎日コンサートをやっている教会もありました。パイプオルガンとフルートとテノール歌手の日やバイオリンの日など、いろいろな組み合わせで毎日コンサートをやっていました。フィレンツェという土地柄、観光客も多いので、町の広場で楽団が演奏したりしていました。
— 話しは変わりますが、夏期講習会についてお聞かせいただけますか?フィレンツェ夏期国際音楽キャンパス(編集注:2007年度の開催はなし)とカリアリ夏期国際音楽アカデミーにご参加されたのですよね?

杉山 フィレンツェ夏期国際音楽キャンパスは若い子が多かったです。一緒のクラスではドイツ人の女の子とメキシコ人の女の子とスペイン人の女の子、それと私でした。一番若い子は17歳のドイツ人で、日本人の参加者は私一人だけでした。私は、初めて海外でレッスンを受けるのでかなり気も張っていました。一人ずつレッスンがあるのはもちろんですが、全員でレッスンをする事もあります。その時それぞれの良い所や、注意点などのアドバイスをして下さいます。自分のレッスンが終われば帰っていいということではなかったので、その点が良かったですね。ヨーロッパ式のグループレッスンはずっと気が抜けない感じもあるのですが、一番日本と違うのは有名な凄い先生でもざっくばらんというか、壁をあまり作らないですよね。決して生徒を否定しないし、そう思うのなら、こうやったらもうちょっと良くなるかも知れないと生徒の可能性を高めてくれます。イタリアでは、自分の意見を言うことは本当に大事で、必ず「どうやってこれを歌っていきたいですか?」という自分の意見を先生に聞かれますね。
— 講習会の期間は一週間ですか?
杉山 本当は一週間でしたが、結局人数が少なかったので凝縮して五日間になりました。もう一つのクラスの先生はイタリア人の男の先生でした。イタリア人なのでイタリアの歌のことをものすごく良く分かっていて、その先生もいい先生だと思いました。期間中違うクラスのレッスンなど自由に聴講する事も出来るので、勉強になりますね。
— カリアリ夏期国際音楽アカデミーはいかがでしたか?

杉山 カリアリは、私がお会いしたかった、カーティア・リッチャレッリが体調不良のために来られなかったので残念でした。受講生は、日本人とフランス人が多く、有名な先生がたくさんいました。パリ国立高等音楽院などの先生がたくさん来るので、その先生についている生徒さんも多く来ていました。リッチャレッリが来れなくなった代わりに、ジュリオ・ザッパというコレペティの先生が指導をしてくれました。でも歌い手ではないんですよね。歌い手ではないので、「声楽」のレッスンとしては、疑問がありました。ピアノはすごいうまい方で、一流の声楽家と共演して引っ張りだこだそうです。だからこの方には、歌で習いに行くのではなく、コレペティの勉強をしている人がその先生に付いたらもの凄い良いと思います。日本人の女の子も一人コレペティの勉強として、オペラの伴奏をその先生についたけれど、ものすごい良かったと言ってました。
— 学校の施設はいかがでしたか?

杉山 学校の施設はものすごく良かったです。練習室もたくさんありました。カリアリ自体がもの凄くいい所で、景色も良く、カリアリの町はすごく好きですね。食べ物はおいしいし、物価は安いし、人ももの凄く温かいです。私にとっては、イタリアで一番人間的に温かい人が多かった気がします。
— 物価は安いのですか?
杉山 安いですよ。フィレンツェから比べると安いですね。カリアリ以外の北の街は高いらしいのですが、カリアリは安かったですね。景色もいいし海も凄くきれいだし、人も親切だし町自体も私は好きで、カリアリの音楽院の雰囲気も本当に好きです。
— 宿泊先は海の近くでしたか?
杉山 はい、海の目の前でした。学生寮でしたがなかなか良かったですよ。
— 学生寮からカリアリ音楽院まではバスですか?
杉山 バスですね。帰りはお店がいろいろあるので、歩いて帰ったこともあります。歩くと三十分弱位ですね。
— 講師演奏会はいかがですか?

杉山 二日間講師演奏会があるのですが、ブルーノ・カニーノ氏率いる室内楽は、感動しました。ルイ・サダはオリジナリティーがものすごくあって、クラッシックを一生懸命きちっと勉強した人は「何でこんなにリズムが変わっちゃうの?」と思った人がいるかもしれませんが、私は個人的に好きでした。このようなコンサートはありがたいですよね。これだけ著名な演奏家の演奏が、いっぺんに聞けるだけで本当に幸せです。生徒の優秀者コンサートもあるのですが、歌で日本人は出場できませんでした。
— 歌のコースは何人でしたか?
杉山 イタリア人が二人、スペイン人が一人、日本人二人でした。この中でコンサートに出場したのは一人だけでした。カリアリ夏期国際音楽アカデミーは、いろいろな年齢の方が来ていました。私は、そこでピアノの先生をしている六十代の方に知り合いました。もう一人の日本人の声楽の方もお子様が大学生だと言っていました。受講生は、小学生からかなり大人の方まで幅が広いので面白いと思います。小学生は、韓国人のバイオリンの子でした。弦楽器は、お母様と一緒に来ている人が多かったですね。日本人もお母様が付い来ていて熱心な方が多かったです。私は、食事をしている所で声をかけて頂いたおじ様たちと仲良くなりました。その人達は町の名士で、カリアリのお城を管理していて、案内所もやっているらしいのです。毎晩ご飯を食べに連れて行って頂いたり、そこの社長さんのお庭のパーティーに呼んで頂いたりしました。毎晩飲みにも行きました。その中には町の警察官もいましたね(笑)。
— 講習会を含めて6ヶ月イタリアにご留学されましたが、留学して良かったと思える事はありましたか?
杉山 やっぱり視野が広がった。日本が改めて素晴らしい国だと思えました。それにイタリアの芸術文化が凄いということも分かりましたし、かけがえのない友人も出来ました。
— 留学して自分が変わった、あるいは成長したところはありますか?
杉山 もともとのんびり屋なのですが、いろいろな事が気にならなくなりましたね。留学前は、仕事など忙しく時間に追われていた気がします。今は心に余裕が出来ました。あまりくよくよしなくなりました。何とかなるかなと(笑)。
— 今後はどのようにしていきたいと考えていらっしゃいますか?
杉山 イタリア留学を経験したことは、本当に楽しく、人生観が変わり、心の栄養をたくさんもらった気がします。それを糧に小さい所からどこでも演奏活動をやっていきたいと思っています。日本ではクラッシック音楽は、どうしても堅苦しく考えがちです。イタリアに行って思った事は街中に毎日音楽が溢れていて、そんな中にも遊び心がありました。音楽は、本当に音を楽しまなければいけないと思っているので、堅苦しくない良い音楽を提供出来たらと思いますね。
— これから留学する人にアドバイスはありますか?

杉山 イタリア人の友達に聞いたのは、日本人はお金を持っているイメージが本当にあると言っていました。「ボロボロの格好をしても分かる?」「日本人、韓国人、中国人など顔だって似てるしどうやって区別するの?」と聞いたんです。でも、「私は、日本人で汚い格好をしているわよ」と思っていても、着ているものがやっぱり少し違うらしいんですね。少し小洒落ているというか、ボロボロの服を身につけても小物が良かったりするそうです。語学学校の日本人のお友達がフェラガモの裏に住んでいました。少し暗い通りですが、普通に街を歩ける夜の7時くらいでした。彼女は、斜めにバックをかけていたのですが、オートバイの人に後ろからバックを引っ張られたんですね。それで、30メートルくらい引きずられたんです。ブーツは、ボロボロ、青あざも出来た。鞄は持っていかれなかったので良かったと言えば良かったのですが、正直どちらが良かったか分からない。イタリア人に言わせるとあれはイタリア人ではなくて外国人がやっていると言うのですが、ジプシーもたくさんいるのでとにかく自分の身は自分で守る事が必要です。身なりは気をつけることが本当に大事です。それにタクシーに乗る時は気をつけないといけません。フィレンツェではないのですが南に行くとメーターが無いんですね。最初にいくらかということを交渉しないと莫大なお金を請求されます。それに暗い道には一人で入らない。フィレンツェで、私はそんなに危険な目にあったことはないのですが、そういう例はあるので用心に越したことはないと思います。それから、私は自分の友達や知り合いなどがたくさん留学を経験していたのですが、別に自分自身の問題だから留学しても留学しなくても自分できちんとやっていれば、どこにいても同じだと思っていましたが、決して同じではないと思いました。イタリアの空気に触れてイタリアで歌ってイタリアの先生に習ってイタリアでたくさんいいオペラを聞くことが大切だと思います。若い時になるべく長い期間留学した方がいいなと思いましたね。
— 現地の音楽性を吸収してまた活動していけますよね。
杉山 結局イタリアでいろいろな歌を歌い勉強すると視野も広くなり、心にも余裕が出来てくると思います。日本だと日々の生活でどうしてもカリカリしがちなので。歌そのもの全然変わると思います。
— 帰国して歌が変わったと言われますか?
杉山 言われますね。
— どういう点で変わるとお思いですか?
杉山 日本人は「ウ」や「オ」の発音がものすごく浅いとどの先生にも言われました。向こうで勉強してくると、イタリア語で普段会話をしているからかもしれないのですが、声が柔らかくなるというのでしょうか、根本的な言葉の発音の問題もあると思います。イタリアでは、体を使って喉の奥から厚みのある声を作るという感じでしょうか。
— ご自分でも体感しますか?
杉山 前は繋がらなかった音が繋がるようになってきたり、レガートが初めはあまり得意ではなかったのですが、体を使ってレガートが出来るようになってきたり、喉の位置が変わってきたような気もします(笑)。実際は、もちろん喉の位置は変わっていないのですが、今までもっと上にあった気がするんですよね(笑)。
— 楽器として定まってきたのですね。成果があって良かったですよね。
杉山 先生探しで半年終わってしまったり、二年いても先生が合わないという話を良く聞くのですが、私の場合比較的良い先生と出会えた思っています。最後のチャンスだと思って半年という限られた中で出来るだけのことをやっていたので、かえっていろいろな先生に教わって良かったと思いました。
— 一番長くついた先生が一番合いましたか?
杉山 バレッリアという先生が一番良かったですね。語学学校で紹介してくれたその先生が私にはものすごくあいました。教え方も上手だと思いますし、とにかく一生懸命です。バレッリアの場合はイタリア人には珍しいと思うのですが、とにかく片言で質問したら、それに対して納得するまで多少の英語を使って説明してくれたり、図に描いて一生懸命考えてくれます。私の時間は、とっくに過ぎて次の生徒が待っているのですが、一生懸命というのが凄く伝わってきましたね。「私を先生と思わないで」というような事も言っています。「私は自分がやってきたことを伝えていければいいし、あなたが持っている良いものを私も吸収すればいいわけだから」という感じです。
— そういう出会いがあると留学してとても良かったと思いますよね。
杉山 バレッリアにまた会いに行きたいなと思います。
— ありがとうございました。
栗山みなみさん/ピアノ/カリアリ夏期国際音楽アカデミー/イタリア・カリアリ
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。

栗山みなみさんプロフィール
4才よりピアノを始める。桐朋学園大学4年在学中。クールシュベール夏期国際音楽アカデミー、カリアリ夏期国際音楽アカデミーに参加。全日本学生音楽コンクール東京大会入選、鳥栖フッペル平和祈念大学・一般の部優秀賞など多数。これまでに、山田富士子、ブルーノ・リグットなどに師事。2007年12月チェコフィルハーモニー管弦楽団首席ホルン奏者オンドジェイ・ブラヴェッツとピアノデュオで共演予定(佐賀県有田町・炎の博記念堂文化ホール)。
― 現在までの略歴を教えて下さい。
栗山 四歳からピアノを始めて、桐朋女子高等学校音楽科を経て、現在桐朋学園大学ピアノ科の四年生です。
― いつごろから留学したいと考えていましたか?
栗山 漠然と東京に来た時からいつかは留学したいと思っていたのですが、本気で留学したいと思ったのは、大学二年生になってからです。
― 何がきっかけですか?
栗山 大学二年生の十月に学校でブルーノ・リグット先生の公開レッスンを受けて、この先生の下で勉強したいと思ったのがきっかけです。
― 海外の講習会は、リグット先生がいたから選んだのですか?
栗山 大学二年より前は、ただ漠然と海外に行ってみたいと思ってクールシュベール夏期国際音楽アカデミーに参加しました。特別に先生をよく知りませんでしたし、この先生に習いたいという理由でクールシュベールの講習会に参加したわけではありませんでした。その後、カリアリ夏期国際音楽アカデミーに参加するときは、ブルーノ・リグット先生に師事する事が目的でした。
― カリアリ夏期国際音楽アカデミーに参加するまでの準備期間はどのくらいかかりましたか?
栗山 十月に公開レッスンを受けて、その時に「次にいつ日本にいらっしゃいますか?」と聞いたら、「まだ予定はたっていないからサルデニアで開かれる講習会に参加しなさい。とても環境が良いから」と仰ってくださいましたので、公開レッスンが終わってすぐに準備をしました。約1年前からですね(笑)。その時にこの曲を勉強しなさいと言われたので、その曲を講習会へ持っていきました。
― カリアリは場所柄、行きにくかったですか?
栗山 すでにヨーロッパに留学している人は、クールシュベールなどは電車で行けるから楽だと言っていました。カリアリは、ローマからカリアリまで飛行機に乗らないといけないのですが日本からの場合、特別大変ということはないと思います。
― カリアリの空港はどんな所でしたか?
栗山 かなり小さい空港です。
― 送迎もきちんと来ましたか?
栗山 大丈夫でした。大体同じ飛行機にみんな乗っているみたいです。だからみんなで一緒に送迎バスに乗りました。
― カリアリ夏期国際音楽アカデミーは、どんな印象の講習会でしたか?
栗山 すごくいい講習会でした。パリ国立高等音楽院を受ける人や在学している人がたくさん来ていて、結構レベルも高かったです。

― 自信がない人はお勧めしない感じですか?
栗山 先生によると思います。リグット先生は厳しい方なので、きちんと練習していないとレッスンが10分で終わってしまったり、「君はバケーションで来たのか!」と言われたりします。
― カリアリ夏期国際音楽アカデミーの一日のスケジュールを教えて頂けますか?
栗山 朝七時くらいに起きて、すぐ学校に行って練習をしていました。レッスンがある日はレッスン受けて、レッスンのない日はずっと他の人のレッスン聴講していました。
― レッスン自体は何時からですか?
栗山 リグット先生は13時位からでしたが、ルイサダ先生は午前9時からでした。
― 何時頃終わりましたか?
栗山 七時くらいです。
― レッスンスケジュールはどのように決めましたか?
栗山 リグット先生は初日に全部のレッスンスケジュールが分かりました。最初の日だけ、「君何時がいい?」と言って希望を取り、その順番でレッスンをします。全部で60分のプライベートレッスンが四回ありました。ルイサダ先生はその日にならないとレッスンのスケジュールは分からないようでした。だから先生によって随分スケジュールの方法は違います。ルイサダ先生は、最後はグループレッスンのような感じでしたね。
― 自分で希望を出さないと最後の時間のレッスンになってしまいますか?
栗山 そうですね。最初にやりますという主張が大事だと思います。
― レッスンは何語で受講されましたか?
栗山 フランス語でやりました。
― フランス語はどのくらい勉強なさっていましたか?
栗山 学校の授業で高校からフランス語の授業をとっていますが、リグット先生に出会ったことで真剣にやらないといけないと思い、週一回程度語学学校に通っています。
― フランス語でのレッスンはスムーズでしたか?
栗山 レッスンは、大丈夫でした。ちょうどその頃、テレビでミシェル・ベロフのスーパーピアノレッスンを放映していたので音楽用語は確認しておきました。
― 講習会では、どのくらい練習出来ましたか?
栗山 毎日四時間練習出来ました。
― 毎日四時間、予約をするのですか?
栗山 イタリアらしく、毎回予約システムも変わります(笑)。基本は、当日に事務室に行って何時から何時までという形で、自分で予約します。でも、前日に突然予約が出来る日もあったりします(笑)。どうして予約が出来るようになるかは分かりません(笑)。
― 事務はイタリア人でしたか?
栗山 はい。でも一人日本語が出来るイタリア人がいて、その人はすごく日本人に重宝されていました。

― レッスン前に練習していく感じですか?
栗山 例えば、練習時間が四時間あったら、レッスン前に二時間練習して、レッスン後に二時間練習していました。講習会会場がカリアリの音楽院なので、グランドピアノもかなりの数がありました。でも、鍵盤が割れているピアノもありました(笑)。
― 日本人はたくさん参加していましたか?
栗山 クールシュベール夏期国際音楽アカデミーなど他の有名な夏期講習会に比べたら多分日本人は少ないと思います。カリアリ夏期国際音楽アカデミーは、フランス人とイタリア人がとても多かったです。あと、韓国人は本当に多かったです。でも、今後はこの講習会も日本人が増えると思います。
― 韓国人も日本人と同じように固まっているのですか?
栗山 日本人よりももっと固まっていると思います。リグット先生はそういうのは良くないということで、最終日から二日目くらいにリグット門下だけでお食事会があったのですが、全部席を決めて、人種が固まらないようにしていました。
― 留学前にしっかりやっておいた方がいい事は何かありますか?
栗山 練習です!
― 講習会でコンサートはありましたか?
栗山 先生方のコンサートが三日間あって、夜九時ぐらいから始まって夜十二時くらいまでやっています。海外ならではですよね。本当に素晴らしい先生ばかりなので、コンサートは本当に感動しました。室内楽が多くて、ソロはルイサダ先生だけでした。あとは、デュオと室内楽。室内合奏団とピアノでコンチェルトをやっていた先生もいらっしゃいました。
― 宿泊先はどんな感じのところですか?
栗山 学生寮です。冷蔵庫、ベッド、シャワーバス付きで快適に生活できました。でも初日はシャワーの湯が茶色しかでずびっくりしました。キッチンは共同でした。何度か使かったのですが、すごく混んでいるので外食をしていました。
― 外食は、どのくらいのお値段でしたか?
栗山 夜を豪華にすると20-30ユーロ位だと思います。でもおいしかったです(笑)。ユーロが高いので日本円だと高くついてしまうかもしれません。物価はそんなに高くないと思います。
― 学校と寮は歩いて行けました?
栗山 歩けない距離ではないのですが、だいたいバスで十五分くらいだと思います。コンサートが夜の十二時くらいまであった時に、終バスが無かったので歩いて帰った事はありました。真っ暗でしたが、とても安全でした。カリアリの人もすごく暖かいと思いました。
― スリなどの被害にあうことはありませんでしたか?
栗山 なかったです。本当にみんな親切な人でした。
― バスは毎日時間通りに走っていましたか?
栗山 結構時間通りだったと思います。十分おき位にバスが来ていました。頻繁にバスはきます。
― 周りの人の勉強する態度が日本とは違いましたか?
栗山 西洋の人は、「ここはどういう練習方法でやればいいですか?」など、日本だったら「自分で考えなさい」と言われるようなことも聞いていました(笑)。外国の先生は結構親切に教えて下さるからそういうことも聞いていいんだと思いました。

― 海外の人達とうまく付き合うコツはありましたか?
栗山 それは一人でいることです(笑)。日本人同士で固まっているとなかなか他の人から敬遠されます。まずは同門の方達に自分から話しかけるようにしました。そうすることで、帰国後も連絡を取り合う仲間と出会えました。
― 今回講習会に参加して良かったと思える瞬間はありましたか?
栗山 もう全てが新鮮でした!いろいろ大変なことがあるけれど、小さい事に喜びを感じられました。素晴らしい先生方も多かったですし、パリ国立高等音楽院で学んでいる人たちの演奏も素晴らしかったです。本当にその場にいるだけで自分も変わった感じがしました。それにこの講習会のいいところはオーディションがないので早めに決めさえすれば希望の先生につけることだと思います。
― 行ってよかったですね。
栗山 本当に(笑)。
― 留学して、何か自分が変わったなとか成長したなと思う事はありますか?
栗山 辛抱強くなったことです(笑)。本当にいろいろな事が変更になったり、イタリアではうまく事務も機能していなかったりするのですが、臨機応変に対応出来るようになったかも知れないです。いい意味で広くなったような気がします。でも自分が納得できない時は相手にとことん言う必要がある事も分かりました。
― 留学してみて日本と大きく違う点は何がありましたか?
栗山 日によってシステムが変わったりすることです(笑)。でも自分が納得できないことをきちんと主張すれば対応してくれます。だから、主張は本当に大事かも知れません。
― 今後留学する人にアドバイスしておきたいことなどありますか?
栗山 本当に海外は日本と違って、一筋縄で行かないことがたくさんあるだろうけど、いつかは解決するだろうという心構えでいればやっていけると思います。すでに留学している日本人が夏期講習には結構参加しているので、先輩方にいろいろな話が聞けますから、これから留学したい人は絶対勉強になると思います。先生も、先生の一番優秀な生徒さんを連れてきますから本当に勉強になりました。それにカリアリは、気候がとにかく良かったので、先生達の気持ちも、おおらかでした(笑)。バイオリンの先生と一緒に海に行った人もいたようです。この先生に習いたいというのがあればすごい充実した講習会になります。
― 今後の活動は?
栗山 桐朋学園大学を卒業してパリに留学したいと思っています。でもその前に、今年(2007年)の12月、チェコフィルの首席ホルン奏者とデュオで共演することになっています。
― コンサート楽しみですね。ありがとうございました。
*チェコフィルハーモニー管弦楽団首席ホルン奏者オンドジェイ・ブラヴェッツと栗山みなみさんのピアノデュオコンサートの情報はアンドビジョンまでお問い合わせください(佐賀県有田町・炎の博記念堂文化ホール)。
日時:2007年12月7日(金)19:00予定
場所:佐賀県有田町・炎の博記念堂文化ホール
主催:アンドビジョン株式会社
後援:チェコ共和国大使館、佐賀県、有田町教育委員会、日本ホルン協会、社団法人全日本ピアノ指導者協会、NHK佐賀放送局、佐賀新聞社、エフエム佐賀
コンサートの詳細
栗山みなみさんのプロピアニスト活動としての第一歩の応援をよろしくお願いいたします。
*チケットも残りわずかですが、ぜひ足をお運びください!
山本いぶきさん/声楽/シャロシュパタク夏期講習会/ハンガリー・シャロシュパタク
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。

山本いぶきさんプロフィール
昭和音楽大学声楽学科で声楽を学ぶ。大学卒業後ソロ活動と共に合唱団での活動を続け、現在に至る。ハンガリー・シャロシュパタク夏期講習会に参加。
― はじめに現在までの略歴を教えてください。
山本 ピアノは4歳頃からやっていたのですが、小学校5年生のときに合唱団に入り歌を始めました。その後、普通高校から音楽大学を受験し、昭和音楽大学の声楽学科に入学しました。卒業後も職に就きながら勉強を続け、混声合唱団に所属、その活動は現在も続けています。
― 今回の講習会に参加したきっかけは?
山本 以前から音楽留学をしたいと思っていたのですが、期間と費用がネックでした。まずは短期間の講習に参加して留学を経験しようと思いました。
― ハンガリーに決めたのはどうしてですか?
山本 はじめはチェコに行きたかったのですが、選んでいるうちに締め切りが過ぎてしまいまして……(笑)。ハンガリーは以前に個人旅行で行った事があり、とてもいい国だったので決めました。それから講習会に日本人が少ないだろうと思ったのも理由の1つです。

― ハンガリーの中でこの講習会にしたのはどうしてですか?
山本 もともとハンガリーで開かれる講習会は数が多くないので、選択肢が限られていました。それから他の国でもそうだと思いますが、首都は騒がしいので、地方に行きたいと思っていました。その条件で探していたら、この講習会を見つけて、歌のレッスン以外にもプログラムが充実しているという事で決めました。
― 先生を選んだ決め手を教えてください。
山本 今回の講習のメインの先生だったからです。
― レッスンはどうでしたか?
山本 アメリカ人の先生で教える事が好きな方でした。専門的な事もわかりやすく、教え方も上手でした。レッスンの雰囲気も良かったです。先生との相性もよく、楽しく学ぶ事が出来ました。通訳はいませんでしたが、レッスンで英語が妨げになる事はありませんでした。
― 山本さんは英語がかなりできるんですね。
山本 いえできません(笑)。でも勉強はしていきました。今回は、アメリカ人の先生が丁寧に話してくださったので、特に問題はありませんでした。

― レッスンは何時からだったのですか?
山本 時間はその回によって様々でした。受講者が何人もいるので、その中でシフトが組まれて発表されるシステムでした。私の場合、2週間の間に個人レッスンが5回ありました。だいたい1日おきで、午前10時からの日もあれば、午後2時からの日もありました。
― 1日おきというレッスンのペースはいかがでしたか?
山本 私にはちょうどよかったです。レッスン以外にも授業がかなりあったので、毎日だと大変ではないかなと感じました。
― レッスンの時間はどのくらいですか?
山本 45分です。時間はわりときっちりしていました。ただ、朝1番目のときと、お昼休み後、1番目のときは、先生が遅れてきたりして、そのときは運が悪かったな、とあきらめていました(笑)。
― 講習会に日本人の方はどのくらい参加されていましたか?
山本 声楽は私を入れて3人、オーボエが2人、全部で5人でした。地元のハンガリーの方が1番多かったですね。あとはドイツ、アメリカの方が多かったです。他にはルーマニアやブルガリアなどヨーロッパ各地からです。アジアから来ているのは日本人だけでした。東洋人は、めずらしかったのか、現地のオフィシャルのカメラマンにけっこう写真を撮られました(笑)。恥ずかしい事に、いまその写真がホームページに掲載されているんですよ(笑)。

― 練習はどのくらいできましたか?
山本 講習会が高校の校舎を利用して行われていたので、ピアノのある部屋は限られていました。なので、その部屋は早い者勝ちでした。ピアノがない部屋であれば、いつでも利用可能でした。練習をする時間的な余裕はけっこうありました。
― レッスン以外の時間は何をされていたんですか?
山本 授業や練習があったので、まとまった自由時間はあまりありませんでした。練習したり、洗濯や近所への買い物などに時間を使いました。
― 講習会中はセッションやコンサートは行われましたか?
山本 キリスト教の奉仕の精神に基づいて行われた講習会で、全員にきっかけを与える、という考えからでしょうか、講習会の参加者全員に演奏会で何らかの役割が与えられました。私は、オペラ実習でレパートリーを与えられて、振り付きで歌いました。あとCreative Church という教会でのコンサートと、「メサイア」公演でアンサンブルを演奏しました。プロムナードコンサートは期間中の2週間、後半毎日開かれていました。
― 宿泊先はどんなところでしたか?

山本 シャワー付きでトイレは共同の学生寮でした。新しくはありませんが、過ごしやすいところでした。ハンガーがないので、少し困りましたね。ただ、近所に大きなスーパーがあったので、必要なものはそこで購入することができました。
― ご飯はどうしていましたか?
山本 寮食が準備されていました。朝は、パン、ハム等、紅茶、とかなり質素、夕飯はメイン料理に小皿、とそれなり、昼はメイン、スープ、デザートと量もあり豪華でした。インスタント食品を準備していけばよかったな、と思いました。1、2回外食しましたが、ほとんど寮ですませました。
― 外食はどのくらいのお値段でしたか?
山本 外食すると、1人1000円くらいです。近くのレストランで、みんなで食べることもありました。
― 講習会の会場と宿泊先はどのくらいの距離でしたか?
山本 歩いて1分ほどの近いところでした。駅も学校から徒歩5分ほどのところにありました。

― スリなどの被害に遭う事はありませんでしたか?
山本 ありませんでした。夜は外出しなかったので分かりませんが、昼は静かな田舎町、といった、とても良い雰囲気でした。
― 海外の人とうまく付き合うコツはありますか?
山本 積極的な姿勢が大切だと思います。
― 言葉は壁になりませんか?
山本 ハンガリー人は英語がペラペラの人もいれば、全く出来ない人もいたのですが、英語ができる生徒さんや事務局の方が通訳をしてくれました。ハンガリー以外の国の方や先生は英語が堪能でした。言葉についてはどうにかなるので、やはりこちらから働きかけるようにすることが大切だと思います。

― 今回講習会に参加して良かったと思える事はありましたか?
山本 レッスンが充実していたことと、海外の方と共演できたことです。
― 留学を振り返っていかがですか?
山本 ヨーロッパに留学するのが夢だったので、行ってよかったなと思います。それから、今まで自分が日本で学んできた事と、今回の講習会で習った事が大きく違わなかったので、今までしてきた事に自信を持てるようになりました。
― 留学前にしっかりやっておいたほうがいい事はありますか?
山本 英語とイタリア語の勉強をもっとしておけばよかったと思います。それから、イタリア語の辞書は準備していくべきだったと感じました。日本以上にテキストを重要視しました。単語の意味を調べるのに辞書が必要になりました。重かったのでやめたのですが、やはり持っていくべきでした。あとはアリアだけではなく、ドイツ、イタリア歌曲も用意していって、先生に聞いてもらいたかったです。
― 向こうで新しい譜面が必要になることはなかったのですか?
山本 レッスン中に新しく課題曲をもらうこともありましたが、持っていない楽譜の準備は、事務局のスタッフがしてくれました。
― 日本と留学先で大きく違う点を教えてください。
山本 ハンガリーに限った事ではないと思いますが、積極性が強いと思います。自分から言わないと何も始まらないので、授業の参加の仕方でも、自分から歌い、質問していくという姿勢を求められます。

― 今後留学する人にアドバイスをお願いします。
山本 行ってみる価値はあると思います。日本人の少ないハンガリーでも、日本人の多い、例えばウィーンでも大切なのはやはり積極性だと思います。
― 今後の活動のご予定を教えてください。
山本 合唱やアンサンブルをしていますので、続けていきたいと思います。それから、1年や2年といった長期間留学するのは大変なので、機会があればこういった短期間の講習会にまた参加したいと思います。
― どういった講習会に興味を持ってらっしゃるのですか?
最初、チェコに留学したいと思っていたのは、興味がある講習会があるからでした。オラトリオを古楽器で演奏するのが目的なのですが、そういった演奏の目的を持つ講習会にも参加したいと思っています。

― 現在、活動は合唱やアンサンブルでされているんですか?
山本 目標はもちろんソリストですが、合唱での活動も続けていきたいです。
― 今日は、貴重なお話をありがとうございました。
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山本いぶきさんからのアドバイス
【留学先に持って行った方が良かったもの】
1 イタリア語の辞書
2 黒ブラウス→日本で合唱の舞台は白ブラウス・黒スカートですが、
あちらは上下「黒」でした。楽器の方は黒・黒が基本なので持っていましたが、
声楽の私はうっかりしてました。黒ロングスカートは持っていったので、黒ブラウスを借りました。
3 2007年夏は、シャロシュパタクで日本円の両替はできませんでした。
4 参考にした本。
「音楽家の英語入門〜レッスン・留学のために」
三ヶ尻 正 著
安藤はるかさん/ピアノ/エコールノルマル音楽院ラムジヤッサ教授・アンドビジョン特別プログラム/フランス・パリ
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。

安藤はるかさんプロフィール
4才よりピアノを始める。上野学園大学音楽学部音楽学科卒業。エコールノルマル音楽院ラムジヤッサ教授のレッスンを受講(アンドビジョン特別プログラム)。
- はじめに、これまでの略歴を教えてください。
安藤 上野学園高等学校音楽科ピアノ専門を卒業し、上野学園大学の音楽学科に進学し、フランシス・プーランクという作曲家を研究していました。
- 今まではピアノの演奏と音楽の研究を主にされていたんですね。
安藤 はい、そうです。
- 卒業後はどのようにされていたんですか?
安藤 外為の事務をしているんですが、社会人になって2年目くらいから、またピアノが弾きたくなって再開しました。ピアノ教育連盟のオーディションや、日本クラシック音楽コンクールの本選に参加しました。
- すごいですね。それで、今回、留学に参加したきっかけは?
安藤 ウィーンに留学した友達が帰ってきて、話を聞いて影響を受けたのが直接のきっかけです。
- パリのヤッサ先生を選ばれたのはどうしてですか?
安藤 プーランクが過ごしたパリに行ってみたかったというのと、今ついている先生からヤッサ先生はとても素晴らしく、優しく、よく見てくださる先生だという話を伺って、それで選びました。
- 先生がヤッサ先生とお知り合いなんですか?
安藤 いえ。先生のお友達がついていたそうなんです。
- 実際のレッスンはいかがでしたか?
安藤 とても温かく、優しく、表現豊かで、熱心に指導してくださるので、とても素敵なレッスンでした。
- どういう教え方なんですか?
安藤 ご自分で弾かれて解説をしてくださいました。あとは、音や技術を物に喩えてくださるのですが、その喩えがすごく上手でわかりやすかったです。
- 例えばどういった喩えがありましたか?
安藤 和音の変化するところで、「チョコレートの箱から魚が出てきた」とか、日本人はしないような表現なんですが、豊かな表現でとても分かりやすかったです。あとは、和音の1つの音を出したほうがいいというときに、机に物が均等に置かれていたら使いにくいでしょう、という風に教えてくださいました。
- 曲はどのような曲を練習されたんですか?
安藤 ショパンのバラード第1番、ドビュッシーの版画から「塔」、ブラームスの「4つの小品」、ヒナステラのアルゼンチン舞曲、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番などです。

- これらの曲のなかで印象的な教え方はありましたか?
安藤 やはり、ドビュッシーは音の色をつけて演奏するのが印象的でした。ブラームスでは美しいハーモニーの感じ方。それから、先生がショパンやベートーヴェンを全楽章弾いて解説してくださったんですが、とても感動しました。
- 贅沢ですね。
安藤 はい(笑)。
- 先生が実際に弾いてくださって、手の使い方といった技術的なことと音楽的なことの両方を教えてくださるという感じですか?
安藤 そうですね。例えば、カギを開けるときは肘をまわす、だからピアノも肘を使って、腕全体で弾きなさい、といったことを実際に先生が弾きながら見せてくれました。
- 3回のレッスンはどのように進められましたか?
安藤 最初のレッスンではドビュッシーとバラードを教えていただきました。まず先生がバラードを全部弾きながら、ポイントを注意してくださって、次のレッスンまでにバラードを直してくるように言われました。2回目のレッスンは、バラードとブラームスを見てくれました。バラードは少し改善したので、ブラームスを直しくださって、同じように3回目のレッスンまでにブラームスを直してくるように言われました。最後の3回目のレッスンは、ブラームスの直し、ヒナステラの3曲、ベートーヴェンと盛りだくさんでした。
- そうすると60分のレッスン時間は短く感じそうですね。
安藤 そうですね。でも、少し長くやってくださいました(笑)。
- そうだったんですか。どのくらい長くやってくださったんですか?
安藤 1時間くらい延びて、トータル2時間くらいになっていたかと思います。
- 安藤さんは最初と最後のレッスンのときは通訳をつけられて、2回目は通訳なしでしたよね。レッスンは何語で受講されたんですか?
安藤 1回目と3回目はフランス語で、2回目は英語で教えていただきました。
- 英語でのレッスンはいかがでしたか?
安藤 やはり通訳なしで直接話しかけてくれるので、2回目のほうが1回目よりも親近感がありました。通訳さんがいると、通訳さんのほうを見て話してしまったり、聞いてしまったりするので、どうコミュニケーションをとっていいのか迷ってしまうこともありました。
- 通訳の方はどんな方でしたか?
安藤 とても気さくで親切で明るく話しやすい方でした。
- レッスン中の通訳も分かりやすかったですか?
安藤 はい。上手でした。
- もし、今度レッスンを受けるとしたら、通訳はありにしますか、なしにしますか?
安藤 そうですね。やはり聞き取れないところもあってニュアンスなどわかりにくい部分もあるので、通訳はあったほうがいいかなと感じました。
- 事前に語学の勉強はされていかれたんですか?
安藤 大学時代に4年間、フランス語の講読などを勉強してはいたのですが、会話は全くだったので、少しCDを聞いて、初歩的なこと、たとえば道の聞き方や数字などは覚えていきました。
- 向こうで役に立ちましたか?
安藤 実際に道を聞くときには役に立ったのですが、それだけではホームステイ先で他の学生さんたちと会話をするのは難しかったです。

- ホームステイ先にはいろんな国の方がいらしたんですか?
安藤 はい。アメリカとベネズエラの方がいました。
- その方たちとは、英語でコミュニケーションを?
安藤 はい。最初は無理をしてフランス語で会話をしていたんですが、最後は英語になっていました(笑)。
- 海外の方とうまく付き合うコツはありますか?
安藤 そうですね、やはり語学をきちんと勉強しておくことですね。あと、笑顔を絶やさないことは大事だと思います。
- ホームステイ先はどのような感じのところでしたか?
安藤 とてもきれいで広いお部屋でした。窓が大きかったり、壁紙が白地に葉っぱの模様だったりと、やはり日本よりおしゃれでした。
- お部屋の大きさはどのくらいだったんですか?
安藤 とても広かったです。12畳くらいありました。部屋には、ベッド、机、テレビ、引き出しの家具、物が置けるラックがありました。ハンガーも用意されていました。他に、流しとお手洗いとお風呂が部屋についていたので、とても快適でした。洗面所もお風呂もいつでも自由に使えて、帰宅時間も自由だったので、遅くまで学校にいることもありました。
- 帰宅時間が遅くなったりして、危険なことはありませんでしたか?
安藤 思ったよりも観光客がいっぱいで、自分と同じように地図をもっている人がたくさんいたので、あまり危険を感じることはありませんでした。
- 宿泊先とレッスン会場は何で移動されていたのですか?
安藤 メトロで移動していました。
- 乗り換えなどで困ることはありませんでしたか?
安藤 分かりやすかったので、大丈夫でした。メトロを降りてから歩くことのほうが大変だったかもしれません。

- 練習室の会場はどんな場所でしたか?
安藤 大学の構内ですが、入り口で「ここはどこですか?」と聞いても、誰も分からないくらい分かりにくい場所にありました。結局、地図に“studio”という文字を見つけてたどりついたのですが、大学の地下にあるので、少し暗めの感じの場所でした。練習室も地下なので少し暗いところでした。
- ピアノの状態はいかがでしたか?
安藤 ヤマハのアッププライト・ピアノで、状態はわりと良かったと思います。
- 練習はどのくらいできましたか?

安藤 16時間です。受付のお兄さんがよく話しかけてくださり、優しかったので、レッスンに合わせて練習時間の変更もしてもらいました。
- 練習以外の時間は何をされていましたか?
安藤 ずっとパリを歩き回っていました(笑)。
- どこかオススメの場所はありますか?
安藤 ノートルダム大聖堂、サント・シャペルのステンドグラスが美しかったです。
- 外食はされましたか?
安藤 ホームステイ先の目の前のチャイナレストランで、2回くらい食事をしました。
- お値段はどのくらいですか?
安藤 だいたい10ユーロくらいでした。
- 味はいかがでしたか?
安藤 チャイナレストランは美味しかったのですが、町で入ったカフェではキッシュの味が濃いところもありました。スーパーで買ったものは、とても安くて口に合いましたね。
- 外食以外のお食事はどうされていたんですか?
安藤 日本からレトルトの食品を持って行きました。山用品屋で買った水を入れて1時間待つとお赤飯ができるものなどを持って行きました。ご飯が欲しくなるので、そういうものを準備していったんです。
- お水はあちらで購入されたんですか?
安藤 日本からも持って行ったのですが、向こうにもたくさん売っていました。
- 他にも何か用意していったんですか?

安藤 少しでも時間があれば観光したかったので、ソイジョイやカロリーメイトのようなものを持って行って、時間がないときはそれをお昼ご飯にしていたのですが、とても便利でした。
- 短期留学に参加して良かったと思う瞬間はありましたか?
安藤 先ほどお話しした「チョコレートの箱から魚」といった先生の指導ですね(笑)。あとは演奏で、ベートーヴェンの晩年のつらい心境を表現しくださったのに
はとても感動しました。
- 今回、留学してみて、変わったなとか成長したなと思えることはありますか?
安藤 技術的なこともそうですが、考え方が少し変わったと思います。物事を柔軟に考えられるようになりました。やはり、違う世界を見たのがいい刺激になりました。
- 例えば、どういう部分ですか?
安藤 以前は、本番ですぐ緊張してしまったり、ちょっとしたことでくじけてしまっていたんです。でも、留学をして、向こうではもっと大きく音楽を捉えているように思いました。
- 音楽観、もっと大きく言えば、人生観みたいなものが変わったんですね。
安藤 そうですね。楽しまなきゃ損だなと思うようになりました。日本でも厳しい先生に教えていただいたこともあったのですが、暴言ばかりで……。今回の先生(ラムジ・ヤッサ先生)に出会って、優しくて実力もある、こんな先生もいるんだな、と思いました。
- そんな先生のレッスンを受けられて良かったですね。
安藤 はい。本当に。
- 音は変わりましたか?
安藤 はい、変わりましたね。特にブラームスは変わったと思います。
- 音楽のとらえ方は全然違うこともあったりしましたか?
安藤 今までと同じことを言われているところもあるんですが、さらにわかりやすいというか、1回で伝わってくる部分が多かったです。実際に弾いてくださるので、すごくわかりやすかったです。
- 日本と留学先で大きく違う点はありましたか?
安藤 日本だと新しいものばかり大事にされていますが、パリでは新しいものも古いものも同じように大事にされていると感じました。それから、家にもカフェにもチャイナレストランにも絵が飾ってあったり、すごく色やセンスを大事にしていると思いました。そこの場に行かないとそこで生まれた音楽は理解できないんだなと感じました。日本で研究していたプーランクの音楽も、実際にパリを訪れてみて、理解できたように思います。
- 留学前にしっかりやっておいたほうがいいことはありますか?
安藤 細かい地図を入手して、どこの通りを歩くかまでチェックして、毎日のプランをしっかりと立てておいたのですが、それはしておいてよかったなと思いました。
- フランス語、英語は問題ありませんでしたか?
安藤 そうですね。通じました。行く前は、フランスはフランス語で話しかけられるので、日本人が一度行ったら行きたくなくなる国No1と聞いていたのですが、道に迷っていたら、日本語で話しかけてくれたり、親切にしてくださる方もいました。レストランのおばちゃんも日本語で話しかけてくれました。

- ホームステイ先の大家さんと交流する機会はありましたか?
安藤 朝ご飯を食べるときに顔を合わせて、その度に話しかけてくれました。最初に家に入ったときに、優しく鍵の掛け方を教えてくださり、拙いフランス語を褒めてくださったり、オレンジカードをなくしたときやレッスン、観光のことなど、いろいろお話を聞いてくださり、本当にとても優しい方でした。
- 今後、留学する人にアドバイスをお願いします。
安藤 1週間でも留学できるというプランがあるということが、私にはとても良かったです。社会人になって自分の時間が減っても夢を叶えられる、ということを迷っている方たちに伝えたいです。すべてにおいてそうですが、年齢は関係ありません。留学してみて、行きたいと思ったとき実行するべきだと実感しました。
- 1週間でレッスン3回というプランはいかがでしたか?
安藤 やっぱり短いとは感じました。もう少し長くいれば、もっと変われたかなとは思います。でも、今の会社では1週間しか連続してお休みを取ることができないので、今の環境で精一杯できる限りのことをしたので満足感はあります。夢の留学をして本当に良かったと思っています。
- 今は仕事をしながら時間を見つけて練習しているんですよね。
安藤 そうですね。
- どのくらい練習されているんですか?
安藤 週末は1日中できるんですが、平日は2時間くらいですね。
- 今後のご予定を教えてください。
安藤 10月と3月にクラリネット、フルートとのアンサンブル、連弾などによるコンサートをします。あとは、8月にはクルーズ船での演奏、11月には母校の学園祭に出演します。
- 演奏活動を頻繁になされているんですね。今日は本当にありがとうございました。
太田優子さん/声楽/ナポリ国際音楽マスタークラス/イタリア・ナポリ
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。

太田優子さんプロフィール
高校2年より声楽を始める。2008年3月武蔵野音楽大学の声楽科を卒業。ナポリ国際音楽マスタークラスに参加。
— はじめに簡単な略歴を教えてください。
太田 今年の3月に武蔵野音楽大学の声楽科を卒業しました。歌を始めたのは、周りの方よりも遅くて高校2年生の冬です。昔からピアノを習ったり、中高で吹奏楽部に所属してパーカッションを演奏したりはしていたのですが、本格的に声楽を始めてからはまだ6年程になります。
— 歌を始めたきっかけはなんですか?
太田 1番のきっかけは、イタリアに行きたかったということです。イタリア語を勉強したい気持ちが強かったのですが、語学で大学に行くのはな……、という感じで、親に相談をした結果、歌を始めればイタリア語も勉強できるということで、もともと音楽はすごく好きだったので、音楽もしながらイタリア語も学べるのならそれが1番いいと思いました。母が同大学のピアノ科を卒業しているということも影響しているかもしれません。ちょっと動機は不純なんですけど……(笑)。
— へー。おもしろいですね。
太田 はい。でも始めたら、本当に歌が楽しくて。大学の4年間、すごく楽しく過ごすことができました。
— そうすると、外国に行きたいという気持ちはずっと強かったんですか?
太田 そうですね。高校生の頃からイタリアにはずっと憧れていました。旅行で行ったことはあったんですが、やはり観光と留学は違うので、大学を卒業したら勉強に行きたいとはずっと考えていました。
— 今までこういった講習会に参加したことはありましたか?
太田 いえ、今回が初めてです。留学自体したことがありませんでした。
— イタリア国内では、どこかに行かれたことがあったんですか?
太田 両親が昔、仕事の都合で2年間ローマに住んでいて、ローマには知り合いが多いので、何度か行ったことがあります。あとは、フィレンツェ、ヴェネツィア、ミラノ。ナポリにも行ったことがありました。ナポリは今回が初めてではなかったんですが、前回訪れたときは体調を崩してしまっていて、ゆっくり観光することができなかったので、きちんと観たのは今回が初めてです。
— 今回、イタリアでもいくつかの講習会があったのですが、ナポリを選ばれたのはどうしてですか?
太田 留学自体が初めてということもあり、いくつかの講習会を見ていたのですが、オーディションがあるところが多くて……。オーディションの場合、もし不合格ですと聴講だけということになってしまい、勿論それはそれで勉強にはなると思うのですが、初めてですし、折角イタリアに行くのなら聴講だけで無く実際レッスンもして頂けるところがイイと思い、オーディション無しで受け入れて頂けるナポリの講習会を選びました。それから、今回、講師をしてくださったメニクッチ先生が今年の10月にリサイタルで来日されるということを知り、興味を持ちました。
— 先生のことは演奏家としてご存知だったんですね。
太田 そうですね。名前だけは知っているという感じでした。ボチェッリというポップス歌手が、クラシックを勉強するときに師事していた先生ということで興味を持っていました。
— 実際の先生はいかがでしたか?
太田 すごく気さくな方で、楽しかったです。私があまりイタリア語が分からなくても、きちんと理解できるように話してくださいました。それで、今度来日されるということなので、逆に私が簡単な日本語を教えたり……(笑)。
— すごく親しくなったんですね。
太田 本当にフランクな先生でした。とてもありがたかったです。
— いくつの方なんですか?
太田 ちょうど講習中に誕生日を迎えられて54歳になられました。花束を買っていて、みんなでお祝いをしました。
— レッスンの内容はどんなものでしたか?
太田 聴講もできる公開レッスンだったんですが、ほとんどが発声でした。歌を歌う時間は最後の15分くらいで、あとはずっと発声。全く歌を歌わなかった日もあります。ヴォカリッツォ(発声)がいかに大事かということを実感しました。
編集注)イタリアでは、特に発声が大事と言われ、「必ず教授と共に発声を行い」レッスン時間の大部分を発声に使う場合があります。
— 今までに習ったことのないような発声方法もありましたか?
太田 最初に歌ったときに「今まであなたが勉強してきたことは何も間違っていないけれど、今の声はテアトロ(劇場)で歌う声ではない」と言われました。この発声だと、きれいには聴こえるけれど、何千人も人が入るところで歌うにはダメだ、と言われました。それで、まず、声を変えることからレッスンが始まりました。
— 声を変えるというのを今回の講習の目標にされたんですね?
太田 私の声が狭い場所で歌う声だったので、それを広いところでも歌える声にしようというのが今回の目標でした。いわゆるオペラ歌手が出す声、テアトロ向けの声にしようと。
— レッスン時間はどのくらいでしたか?
太田 基本的には1時間で予定が組まれていたのですが、割とアバウトで1時間を越えてしまうこともありました。レッスンは全部で5回ありました。
— 最低3回という予定でしたが、多く取れたんですね。
太田 そうですね。次の日の予定が壁に貼ってありまして、それで自分の名前を見て、時間を確認するというかたちでした。
— 受講者は何名くらいいたのですか?
太田 全部で11名です。私ともう一人日本人の方がいました。その方はミラノに住んでいらして、もともとメニクッチ先生に師事されている方で、ご自分で演奏活動もされているそうです。あとは、一人だけルーマニア人の女の子がいて、それ以外はイタリアの方でした。ルーマニア人の子とは同じ宿泊先だったこともあり、仲良くなりました。
— 講習会だとさまざまな国の方が参加される場合も多いですが、周りにイタリアの方がそれだけ多いと、イタリアに行ったという実感が持てますね。
太田 そうですね。もうどっぷりイタリアに浸かったという感じがあります(笑)。
— レッスンで教わったことで印象に残っていることはなんですか?
太田 ウエストの部分の筋肉の使い方はすごく勉強になりました。先生の助手の方が私が発声をしている間、そこの筋肉をずーっと押さえていて、それを押し返す気持ちで声を出しなさい、と言われました。背中に指のあとがつくくらい強い力だったんですが(笑)、おかげで自分のポジションが変わったのを実感できるようになりました。日本に帰ってから練習するときも、自分でそこを押さえながらするようにしています。
— 声質も変わりましたか?
太田 最終日に演奏会に出させてもらったんですが、「声が変わっただろう」、と先生に言われて、自分でも変化を実感できました。帰国後も家で練習していると、家族からも「少し声が変わったんじゃない」、と言われます。成長できたのかなーと、うれしかったですね。
— 他に変わったことはありますか?
太田 発音のことをすごく言われました。助手の方が別室でレッスン以外の時間に持って行った曲の発音を確認してくださったんです、今まで何気なく歌ってきましたが、ネイティブの方に見てもらうと、やっぱり違うなと感じましたね。
— そうやって見てくださると意識も変わりますよね。
太田 そうですね。発音がいかに大事かということを痛感しました。私が大学でついていた先生はフランスものが専門の方で、大学4年のときは1年間イタリアものから離れていたんです。今回の講習でも「あなたの“u”はフランチェーゼの“u”になっている」と言われました。それを根本から直していただいて、いい勉強になったと思っています。たった5回のレッスンだったんですが、得るものは大きかったです。
— 通訳はついていなかったですよね?
太田 はい。私も先生も英語は特に使わず、全部イタリア語でやりとりをしました。わからないときは、ジェスチャーを交えて話してくださるので、困ることはありませんでした。
— 覚えておいて役立った言葉はありますか?
太田 一応、声楽に必要な言葉は一通り覚えていったのですが、レッスン中に何度も言われるので自然に身に付いたといった感じです。舌がlingua(リングア)、息を吸うことをinspirazione(インスピラツィオーネ)、吐くことをespirazione(エスピラツィオーネ)、appoggio(アッポッジョ)これは「支え」という意味です。それから筋肉をmuscolo(ムスコロ)と言いますが、これらは本当に何回も言われました。あとイタリア人はオーディションやコンクールに参加する人を送り出す時等、「In bocca al lupo!(インボッカアルーポ)」「Crepi!(クレーピ)」というやりとりをします。これは直訳すると「狼の口に気を付けて!」「くたばれ!」という意味なのですが、所謂日本で言う「頑張ってね」「ありがとう」という意味で使われます。最終日のコンチェルトの時に、控え室では皆で言い合っていました。
— レッスン会場で練習はされましたか?
太田 毎日レッスンがあったのと、会場の建物内に所謂練習室といった練習室がなかったので、練習はしなかったです。ただ呼吸の仕方と筋肉の使い方は、毎日ホテルに帰ってから練習していました。壁に足と頭をつけてきちんと背筋を伸ばして立って、息を吸うという方法を初日に習ったので、それを毎日ホテルに帰ってからやっていました。あとは、腹筋などの筋トレやストレッチもしていました。ホテルなので大きな声を出すことはできませんでしたが、ハミングで歌の練習をしたこともあります。
— レッスン以外の時間は何をされていたのですか?
太田 他の人のレッスンの聴講が自由だったので聴講をしたり、ホテルに帰って、のんびり過ごしたりしていました。
— 他の方のレッスンはどうでしたか?
太田 人のレッスンを聴くのもすごく勉強になりますね。ノートを持っていって、レッスンを受けている方が注意されたことをメモしていたのですが、それがすごく勉強になりました。
— 最終日の演奏会はいかがでしたか?
太田 講習を受けた方は全員出させていただいたんです。場所は近くにある有名な考古学博物館で、各自で移動しました。講習会に参加した人だけで行う内輪な発表会だと思っていたのですが、一般のお客様が観にきてくださっているところでやらせていただきました。
— お客さんはたくさんいらしてたんですか?
太田 正確には分かりませんが100人以上はいらしていたと思います。考古学博物館にいらしていた方が「あ、なんかやってるな」という感じで観に来てくださっていたので、年配の方から小さなお子さんまでいろんな方がいました。
— 博物館のロビーのピアノを使って、という感じだったんですか?
太田 いえ、ロビーではなく、エントランスから少し脇に入ったところの小さなお部屋にピアノが置いてあって、そこで行われました。その部屋は、普段からよく発表会が行われているそうです。
— わりと音楽が盛んな街なんですね。
太田 そうですね。ナポリに限らず、イタリアではそういう小さな音楽会がレベル問わず当たり前にあるようで、日本との違いを感じました。
— 他に日本との違いは何か感じましたか?
太田 何よりも街が古いということですね。日本でも古い町並みはありますが、道路はきれいに整備されたりしていますよね。でも、ナポリの街は本当に昔のまま残っているんです。千何百年も前の石畳がそのまま残っていて、昔の有名な方もここを歩いたのかな、と思うと感慨深かったです。音楽家でいうと、ナポリといえばベッリーニも有名ですよね。近くにあるベッリーニ広場にも行きました。
— どうでしたか?
太田 そんなに大きな広場ではないんですが、ベッリーニの像があって、近くにはリストランテベッリーニというイタリアレストランもありました。そこにも一度入りました。
— 味はいかがでしたか?
太田 海鮮のサラダとパスタを食べたのですが、すごくおいしかったです。デザートのドルチェが有名だということを聞いていたので、それも食べてきました。ナポリは海が近いので魚介類がおいしかったです。
— 街の人はどうでしたか?
太田 みなさん親切でした。道が分からなくて尋ねると、連れて行ってくださったり……。日本人が少ないので、歩いていると目立つようで、お土産屋さんに話しかけられたり、お店のおじさんと仲良くなったりしました。
— フレンドリーですね。
太田 そうですね。行く前はスリやひったくりが多いと聞いて、警戒していたのですが、自分が隙を見せなければ狙われないですし、特に危険な目にも遭いませんでした。
— そうすると、ナポリはイタリアの中でもオススメですか?
太田 うーん。ナポリや車やオートバイがすごく多くて、とにかく交通マナーが悪く、道を横断するのも命がけなんですね(笑)。ミラノ在住の方がナポリのほうがミラノより交通マナーが悪いと言っていました。ナポリに来たら、歌を習う前に道路の渡り方を学ばなくっちゃいけないんだ、と(笑)。ですから自分の身は自分で守るといった範囲で個人で行く分にはいいと思いますが、道も狭く、細い路地にはバス等は入れないので、ツアーなどの団体で行くのには向かないなと感じました。特にお年寄りには危険だと思います。やはりどんなに周りが親切でも、常に警戒して気を張っていなければならないので疲れてしまいますし。私は古い街が好きなので、ナポリはとても気に入ったのですが、色々なことをふまえて考えると、万人にオススメは出来ないかなと。
— ホテルはいかがでしたか?
太田 鍵が開かなくなったり、クーラーが壊れたりと小さなトラブルはありましたが、ホテルの管理人さんがすごく親切だったので、過ごしやすかったです。着いた日がちょうど日曜日で入り口が閉まっていて分からなかったのですが、電話をしたら管理人さんがすぐに出迎えてくれて助かりました。
— レッスン会場のサラショパンも分かりにくい場所ですよね。
太田 そうですね、最初建物名がサラショパンなんだと思っていたので、でも会場がある広場付近で誰に聞いても知らないと言われてしまい(笑)建物に住所も書いてなかった為、少し分かりにくかったのですが、向こうに行く前に一度説明をしていただいていたので、無事にたどりつくことが出来ました。
— 移動は何でされていたんですか?
太田 徒歩です。ホテルとレッスン会場は徒歩でも15分かからないくらいの近い場所だったので。1度だけバスに乗ったのですが、あまりの交通渋滞で歩いた方が確実なので、歩いて行っていました。
— バスはいくらくらいでしたか?
太田 システムがわかりにくいのですが、カードを買ってバスに乗るとその時刻が打刻されるんです。それで、カードの金額によって、有効時間が違うというものでした。私は1ユーロのものを買ったので、75分の有効時間でした。中にはもっと長い時間のものもあれば、1日使えるもの、3日間使えるものもあるようです。
— 日本より少し安いくらいですね。
太田 そうですね。全体的に交通費は日本より安いと感じました。タクシーも土地や時間によっても違うのですが、初乗りが2〜3ユーロでした。
— 今回はローマを観光されてからナポリに行かれたんですよね?
太田 はい。観光というか、ローマでは少し郊外の音楽院に2週間通いまして、プライベートレッスンを受けたのですが、どちらも勉強になりましたね。サンタチェチーリア音楽院で教授をされている先生に教えていただきました。
— どのような違いがありましたか?
太田 ローマでもいろいろな発声を教わったのですが、ナポリではテアトロを意識したものだったので、そのあたりに大きな違いがありました。
— レッスン形態の違いについてはいかがですか?
太田 日本でのレッスンもプライベートレッスンでしたので、公開レッスン自体初めてでしたが、公開は公開で、自分の歌を同じく歌を勉強している人に聴かれるというので勉強になりますし、逆に自分が聴く立場になれるのもすごく勉強になりました。ずっとプライベートレッスンしかしてきませんでしたが、人前で歌うことにも慣れることができますし、公開レッスンもいいなと感じました。
— 他の受講生と話す機会はけっこうありましたか?
太田 ルーマニア人の子と一番仲良くなったんですが、その子はもともとミラノで声楽を勉強している子でした。一緒に聴講をしながらその場で感想を言い合ったり、晩ご飯を一緒に食べに行ったりしました。
— 海外の方と上手く付き合うコツはありますか?
太田 どうしても言語の問題が出てきて萎縮してしまうこともあるかと思いますが、こちらから積極的に話しかけることが大事だと感じました。それからあちらの方は曖昧にされることを嫌うので、分からなければ分からない、と自分の意志をきちんと伝えることが重要だと思います。
— 日本とイタリアの違いは?
太田 根本的にすべてが違うと感じました。日本人からすると、向こうはとにかくすべてが自由でマイペースだと感じると思います。例えば、不便なんですけど、昼間や日曜日はお店が閉まっていたり。私はそのことを知っていたので平気でしたが、知らないで観光に来た人はびっくりするんじゃないですかね。お店の営業時間に合わせて、車の量も変わります。日曜日はバスとタクシー以外車は殆ど走っていませんでした(笑)
— スーパーなどに買い物に行きましたか?
太田 駅の近くに日用品を扱っている有名なスーパーがありまして、そこに一度だけ行きました。
— 物価はどうでしたか?
太田 今はユーロが高いので、けして安くはないです。しかも水道水が飲めないので、水などはどうしても買わなけれならず、それはけっこうな出費だったなと思います。
— お水はいくらくらいでしたか?
太田 近くのマクドナルドやバールで購入していたのですが、だいたい500ミリリットルで1ユーロくらいでした。私が行った時は1ユーロが170円くらいだったので、やはり日本より少し高い感じですね。
— 最後に留学をする人にアドバイスをお願いします。
太田 留学する人へのアドバイスではないのですが、もし留学を悩んでいる方がいたら、私は絶対に行くことをお勧めします。やはり、音楽の本場で学ぶというのは、そこの空気を吸うだけで日本とはまったく違う感覚を味わうことができるんです。私は幸い、今回そういう機会をいただいて、大きなものを得ることができたなと感じています。
— なるほど。
太田 少し言い方は悪くなってしまうんですが、日本でいくらクラシック音楽を学んでも、日本でやっている西洋音楽というのは西洋音楽の真似事なんだなと感じたんです。勿論、私が日本で師事した先生方はいずれも海外へ留学経験のある、素晴らしい先生方でしたので、日本で勉強したことが無駄だったかというとけしてそうではありません。大学の4年間があったからこそ、留学することが出来たんだと思いますし。ただ、例えば向こうの方がいくら向こうで演歌を勉強しても、日本に来ないと実態が分からないように、クラシック音楽は向こうの音楽で、本物を知るには向こうに行って勉強しないとダメだと感じました。
— なるほど。
太田 音大を出て別のところに就職して音楽は趣味でやっていくという人なら、それでもいいと思うんですが、音楽を本格的に一生やっていきたいと思うのであれば、やはり向こうに行くという経験は必要になってくると思います。
— 太田さんは今後、音楽とどういうふうに関わっていきたいですか?
太田 できれば冬あたりにもう一度イタリアに行って勉強したいと考えています。音楽で食べていきたいといった欲はないんです。演奏家として食べていくのはそんなに簡単なことではないと思いますし。ただ、せっかく音大で4年間勉強をしましたし、今回の留学で歌が好きだということが再確認できたので、音楽の勉強は一生続けて行きたいと思っています。自分に合う、自分を伸ばしてくれる先生に出会って、その先生の元で勉強していきたいな、と思います。今回、憧れだったイタリアに行って、その思いは強くなりました。大きなリサイタルが開けなくても、小さなところでいいから人のために歌えたらいな、と考えています。聴いて下さる人が感動…とまではいかなくても、少しでも何か感じて貰える、そんな歌が歌えるようになりたいです。
— 今回の留学で音楽への思いが強くなったのですね。
太田 テレビもパソコンもないので、音楽のことしか考えることがなく、自分を見つめ直せるいい機会でした。短い期間の
留学だったけれど、自分が歌が好きだということを再認識することができました。今回の留学で、まだ歌が歌える段階ではないということが判りました。発声や体作りが必要だということを痛感しましたし、まずは、基礎をきちんとさせていきたいと思いました。
— 今日は本当にありがとうございました。
竹内律子さん/ピアノ/プラハ室内楽マスターコース/チェコ・プラハ
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。

竹内律子さんプロフィール
作陽音楽大学音楽学部教育音楽学科卒業。くらしき作陽大学音楽学部音楽専攻科修了。現在中学校教員。2008年プラハ室内楽マスターコース&フェスティバル参加。
-初めに簡単な略歴をお願いします。
竹内 4才からピアノをはじめました。作陽音楽大学のピアノ専攻を卒業しまして、くらしき作陽大学音楽学部音楽専攻科ピアノ専攻を修了しました。卒業後は就職して、合唱団にピアノで所属したり、ソロで演奏活動をして、仕事をしながら音楽を続けています。
-講習会に参加された経験はありますか?
竹内 全然ありません。今回が初めてです。
-いつごろから参加を考えていましたか?
竹内 前々から、漠然とですが海外に留学したいなとは思っていました。室内楽をちゃんと勉強したいという思いがだんだん強くなっていて、今回の講習会は、一人でも参加できて、室内楽を勉強できるし、ソロもみてもらえる、というので参加を決めました。仕事の日程がついたのも参加を決めた理由です。
-これまで室内楽を勉強されたことはありましたか?
竹内 ちゃんとしたかたちで勉強したことはありません。ただ、オーケストラにバイオリンで所属していたこともあり、弦の方や管の方とアンサンブルをさせてもらう機会もあって、楽しいなって……。それで、ちゃんと勉強したいなと思いました。

-講習会にはどういった方が参加されていましたか?
竹内 学生の方が多かったですが、私のような社会人もいました。
-同じ期間にどれくらいの人数の方が来ていましたか?
竹内 今回は53人でした。
-どこの国の人が多かったですか?
竹内 一番多いのがアメリカで、次は台湾でした。あとは、イタリアやフランス等から来ていました。
-日本人は何名でしたか?
竹内 自分を含めて6人でした。

-それだけ日本人が少ないと、ヨーロッパの雰囲気は味わえましたか?
竹内 そうですね。日本人の方は各国に留学されている方が3人でした。日本から参加したのは3人だったんですけど、皆さん英語も堪能で、分からないときは教えてもらったりしました。
-レッスンで通訳がいなくて、大変なことはありましたか?
竹内 レッスンで困ることはなかったですね。英語だったんですが、難しい単語でバーッと話されても、こちらがあまり理解していないようだと、簡単な単語に直して、ゆっくり話してくれたりしたので、英語で困ることはなかったです。
-すごくやりやすかったんですね。
竹内 そうですね。

-今回、2名の先生のレッスンを受けたかと思いますが、それぞれの先生のレッスンについて教えてください。まず、テレサ・エールリヒ先生はいかがでしたか?
竹内 テレサ先生には、ピアノクウィンテットをみていただきました。エイミー・ビーチのピアノ五重奏でした。グループのコーチだったんですけど、目をかけて下さり、個人的にも見てあげるよ、と言ってくださり、個人レッスンでも教えていただきました。テレサ先生はとてもやさしく温かい人です。
-レッスンはいかがでしたか?
竹内 運動や手の運びなどのテクニックや曲の解釈など、とても熱心に指導して下さいました。一つ一つを丁寧にみて下さり、理論的でとても分かりやすかったです。どうしてうまくいかないのかとモヤモヤしていたところがスッキリしました。先生に教えていただいた後は、自分の音(音楽)が色彩をもった響きに変わっていったような気がします。
-弾き方を提案してくれたり、説明して教えてくれるんですね。
竹内 そうですね。
-先生の教えで印象に残っていることはありますか?
竹内 「ここの音は、こういう気持ちの持っていきかた」と、言われたことです。
-「気持ちのもっていきかた」というのは、曲全体を通してですか?
竹内 全体の時もあるし、基本的に……小さなまとまりの時もあります。
-大きくも細かくも見てくださる感じなんですね。
竹内 そうですね。

-もう一方のフランティシェク・マリー先生の進め方はいかがでしたか?
竹内 マリー先生は、まず自分が思うように弾いてみなさい、と。その後に先生が弾いて下さいました。表現方法など、いろいろなアドバイスを下さりトライしてみるように言われました。それで、やってみるんですけれど、なかなかすぐに対応できませんでした。それでも根気強くじっくりみて下さいました。個人レッスンはだいたいの時間が決まっているみたいなんです。先生はとてもお忙しい方だったのですが、時間が許す時は、2時間ぐらいみっちり教えて下さることもありました。
-先生はどんな印象の方ですか?
竹内 穏やかな印象です。私は、英語が堪能じゃなくって、先生もどちらかといえば英語よりは独語の方が良かったそうですが、お互い英語で頑張っていました(笑)。でも、伝えられないっていうときには、弾いてくださるんです。ペダリングの速度やタイミングとか、弾きながら教えてくださいました。
-先生の弾く音楽はいかがでしたか?
竹内 オーラがかかっていました(笑)。重厚でそれでいて繊細なんですけど、包み込むような音でした。オープニングのコンサートがあって、そのときにマリー先生も弾かれたんですが、それを聴いて、受講生みんなファンになりました。
-その時は何の曲を弾かれていたんですか?
竹内 シューマンのピアノ五重奏だったと思います。
-レッスンの中で弾いてくださることはありましたか?
竹内 もちろんありました。まず先生が弾いてくださって、そのあと私にやってごらん、と。
-テレサ先生の演奏はどうでしたか?
竹内 スッキリしていて、音がクリアな感じで、でも、人間的温かさを感じる音でした。
-二人の先生の音や音楽観は異なっていましたか?
竹内 曲のタイプが全然違う感じだったので、なんとも言えないですけれども……。でも、どちらもすばらしい演奏でした。お二人とも音楽も、音楽に対する姿勢も、人間としても、とても尊敬できる方々です。
-講習会で複数の先生にみてもらって大変なこと、よかったことを教えてください。
竹内 今回はマスタークラスだったので、基本は、グループのレッスンでした。自分は4グループ持っていたので、ハードでした。でも、せっかくの機会なので、個人レッスンも受けることにしました。忙しかったけれど、すごく充実していてよかったです。室内楽のマスターコースは個人レッスンを絶対とらないといけないというわけでもないんです。自分で選択して、自分で受けていくかたちでした。
-自分次第なんですね。
竹内 そうですね。

-室内楽のグループの人たちとの交流はありましたか?
竹内 同じグループの人だと、レッスンや空き時間に会ったりしました。たまに食事もしました。
-レッスン以外で、それぞれ個別で練習することはありましたか?
竹内 そういうグループもあったと思います。私も4つのうちの1つ、プーランクの曲では、一度、個別練習をしました。ファゴットの方が日本人でオーボエの方がアメリカ人、あとは私、というメンバーでした。
-練習のときは何語で話されていたんですか?
竹内 英語です。私はそんなに長く話せないので、簡単な会話なんですけど、もう一人の方はわりと英語が大丈夫だったので、困った時はその方をかいして伝えていただきました。
-協力してやりとりしながら、練習されたんですね?
竹内 プーランクは1週目はマリー先生が見てくださったんですけど、2週目からは、フランス人のフランク・ルブロワ先生について教わりました。フランスの音楽をフランス人の先生に教わるというのはとても刺激的でした。フランス音楽について熱く語ってくれたことも印象的でした。最初は1音出した瞬間に「それはフランスの音じゃない」と言われたり弾き方やタッチも変えられたりして、大変でしたけど。グループレッスンでExtraレッスンをどんどん入れてみてくださったり、とにかく情熱的な先生でよい勉強になりました。
-いろんな国の先生にそれぞれの曲を教わる感じだったんですね。
竹内 そうですね。
-難しい曲がたくさんあったと思いますが、準備は大変ではありませんでしたか?
竹内 大変でした! 曲をいただいてから出発するまでの時間が短いのであせりました。向こうに行ってからは、けっこう練習もしっかりできたので、最終的にはやりきった感じでした。

-練習はどこでされたんですか?
竹内 講習会場にそれぞれ練習室を割りふられていました。そこの部屋を使わせていただきました。
-どのくらい練習できましたか?
竹内 3人で一つの練習室を使いました。弦の方や管の方はホテルの部屋でゆっくり練習したい・・というのをよく聞きました。自分の場合は他の二人がチェコに住んでいる人だったので、ゆずってもらったりして、部屋が結構使えたんです。日によって違うんですけど、1~2時間くらいから多い日は6時間ぐらい練習しました。
-練習室の施設はいかがでしたか?
竹内 ペトロフというメーカーのピアノがあって、調律が必要な部屋もあったようです。でも自分は、4階の部屋ですごく日当たりがよくて、恵まれた部屋でした。ただ、窓は響くからで開けられなかったので、暑かったです。扇風機はありましたけどね。
-何時から何時の間、使えたんですか?
竹内 朝はたしか8時くらいから、夜は9時まで使えました。
-たっぷり練習できますね。
竹内 そうですね、部屋が空いていればけっこう使えます。

-レッスンの他にはどんなスケジュールがありましたか?
竹内 ベルトラムカ荘や、ブランディース・ナド・ラベム、チェスキークロムロフなど、講習会場以外の場所で演奏したり聴いたりする機会がありました。先生方のコンサートを聴く機会も多く、すごく勉強になりました。
-オペラは何をご覧になりましたか?
竹内 ドン・ジョバンニを全幕観ました。講習会に参加された方でまとまって観に行ったんですけど、座席が一番前から2列目と3列目だったんで、けっこう前よりだったんですけど、すごく近いので、迫力がありました。
-舞台装置もきちんと作られている感じでしたか?
竹内 エステート劇場というで、こじんまりはしているんですけど、ちゃんとしている所でした。
-日本で観に行くオペラとの違いは何かありましたか?
竹内 日本でもそんなに観に行ったりはしないんですけど、客席とステージが一体になったような感じがあって、楽しかったです。
-他にどこか観光はされましたか?
竹内 講習会中は時間がないので、観光は講習会が終わってからしました。

-どこかお勧めはありますか?
竹内 プラハ城です。お城の中に大聖堂があって、その中のステンドグラスがとても美しく、荘厳な感じでした。チェスキークロムロフという所も町中がおとぎの国のようで美しかったです。
-プラハの街の治安はどうでしたか?
竹内 安全で、別に怖い思いもしませんでした。プラハは段々治安も悪くなってきたとガイドブックには書いてあったんですけど、そんなこともなく、みんな親切な人たちばかりでした。
-親切にしてくださったんですね。
竹内 どの人も笑顔で接してくれましたね(笑)。そういえば夜の演奏会後に日本の受講生の人とバスで帰っていて、降りなきゃいけないバス停を乗り越して、二つ先で降りたんです。そこからはもう二人とも迷子です。そんなときにたまたま犬の散歩をしていた方にあいまして。こちらが困っているらしいっていうのを感じ取ってくれたみたいで、道を教えてくれました。チェコなまりの英語だったのでこちらもうまく聞き取れなくて。結局、地図やバス停の名前をペンで紙に書いて教えてくれました。バスに乗ったら車掌さんにこの紙を見せて、目的地で泊めてもらいなさいって。

-ホテルはどんなところでしたか?
竹内 こざっぱりしていて、きれいなところでした。
-食事はどうでしたか?
竹内 朝はビュッフェでした。7時からだったので、余裕をもって登校できました。
-居心地はよかったですか?
竹内 そうですね、不満はないといえばないので。
-シングルルームでしたか?
竹内 ツインの部屋を一人で使いました。
-そうすると、広く使えましたか?
竹内 すごく広い感じですね。
-何か持っていったほうがよいものはありましたか?
竹内 アメニティグッズがなかったです。ポットみたいなお湯を沸かすものがないので、温かいものが飲みたいと思われる方は、準備してもよいですね。あと絶対持っていた方がよいのが「製本テープ」です。向こうへ行ってから曲の変更や追加がよくあるのですが、楽譜はA4サイズでコピーされます。その他のサイズはあまりないようで。周辺へのショップにもセロハンテープは見かけなかったので、持っているといざという時便利です。

-外食はされましたか?
竹内 夜はたまにしましたね。カフェテリアのランチが食べられ、毎日日替わりで3種類から選ぶものでした。
-楽しみですね
竹内 そうですね。
-どんなメニューでしたか?
竹内 ランチは基本的に肉料理で、副菜がパスタなのか米(タイ米)なのかポテトなのかという具合です。味はちょっと濃いめだったり薄めだったりしましたが、大丈夫でした。サラダバーまであったので驚きでした。講習会場やホテルの周りにもわりと飲食店はありましたね。
-お値段はいくらくらいでしたか?
竹内 一食が日本円で千円ちょっとくらいで食べられるんですけど、ボリュームがあるので、おなかいっぱいになります。
-他の受講者の方とご飯を食べに行ったり、交流はありましたか?
竹内 タイミングがあえば行くこともありました。
-今回の留学で、友達はできましたか?
竹内 はい、そうですね。親切にしてくださって、日本に帰ってからも連絡を取り合っています。
-どこの国の方ですか?
竹内 フランスの方です。

-海外の人とうまく付き合うコツはありますか?
竹内 自分から積極的に話すことだと思います。笑顔で会話をすればいいと思います。
-笑顔は大切そうですよね。
竹内 そうですね。
-宿泊先とレッスン会場の移動はどうしましたか?
竹内 だいたい600メートル弱くらいしかないので、歩いて10分もかからないくらいでした。
-会場の近くに落書きがあって怖かったという話を聞いたのですが……。
竹内 講習会場があった周辺は、落書きが多かったです。プラハ中心部のほうに行くとあまり多くありません。日本でよく見かける落書きが多くある感じと似ています。犬のフンも多かったです。

-講習会から交通の定期が出たんですよね?
竹内 簡単な身分証明書のようなものと交通定期をいただきました。地下鉄、トラム、バスの共通券です。バスはだいたい時間通りに来て、わりと便利なのでよく使いました。
-地下鉄はどうでしたか?
竹内 地下鉄のホームへ降りるときが、エスカレーターだったんですけど、すごく長くて急なんです。スピードが日本ではありえないくらいの速さで、戸惑ってしまいました。
-疲れているときは怖いですね。
竹内 ちょっとびっくりすると思います。それから、自分たちは定期を使っていたので大丈夫でしたが、トラム内では観光地域で検問をしていることが多かったです。明らかに観光客という人をターゲットにして検問していました。
-検問されましたか?

竹内 はい。プラハ城周辺へ行っているときに、検問にあいました。紺のポロシャツに紺のパンツという格好で、一見一般人かなと思いました。
-講習会中に演奏会があったかと思いますが、演奏会ではどの曲を演奏されたんですか?
竹内 全部のグループで出させてもらえたので、4曲で出ました。
-演奏会は皆さんが出演するかたちだったんですか?
竹内 だいたいどれかの演奏会に出してもらえた感じですね。
-会場はどんな場所でしたか?
竹内 音楽学校ホールもあるし、町のホールのときもありましたし、ベルトラムカ荘で演奏させてもらったときもありました。ベルトラムカときはビバルディーの曲を演奏しました。
-これはプラハに行ってからもらった曲なんですよね。
竹内 そうです。少しアレンジして、ボーカル、オーボエ、ファゴット、チェンバロで演奏しました。

-普通のホールとは違う場所で演奏するのはどうでしたか?
竹内 音の響きも全然違いました。そんなに広い場所じゃなくて、サロン的な感じなんで、なかなか日本ではそういう感じのところでは演奏しないので、新鮮でした。
-留学中に何か変わったことはありましたか?
竹内 特にないですね。チェコはEUに加盟したのでユーロが使えるかなって思ったんですけれど。学校の周辺や町でもほぼコルナしか使えない状態でした。あと学校の中に自販機があるんですけど、コインしかダメなんです。お札しか持ってなかった時は不便でした。
-スケジュールで困ったことはありませんでしたか?
竹内 困ることはなかったです。
-ヨーロッパの講習会だと、日本と違って事前に分かることが少なくて困った、といった話を聞きますが、そういった点はいかがでしたか?
竹内 向こうへ行くまでは、事前に分からないことがたくさんあったので不安もありました。スケジュールの変更はよくあるのですが、その都度掲示板に張り出されるのでチェックしていれば、特に困ることはありませんでした。

-今回、講習会に参加されて、よかったと思えた瞬間はありますか?
竹内 体力的にはすごく厳しかったんですが、終わってみると、もう終わったのか、という感じでした。グループのレッスンも、ソロのレッスンも充実していたので、それがすごくよかったです。そして素晴らしい師や受講生との出会いです。音楽も広く深く学ぶことができ、本当に幸せな時間を過ごすことができました。
-今回の留学で成長したなと思えるところはありますか?
竹内 いい意味でおおらかになりました(笑)。今までだったら、演奏している途中にいつもどおりできないと微妙に思うことがあったんです。でも、そういうことがあっても、全体を通して流れがあってまとまっていたらいいんではないか、と思うようになりました。
-そういう気持ちって、精神力が強くないと持てないですよね。
竹内 そうですね。
-音楽観が成長したんですかね。
竹内 どうでしょうか。

-ほかには何か今までと違うところはありますか?
竹内 グループレッスンでよく言われていたのが、お互いをもっと見て、聴いて感じて、一緒に呼吸を合わせて、ということでした。自分たちはしているつもりだけだったんですね。それ以降今まで以上に意識して、お互いを感じて演奏するようにしました。すると、ある演奏会で、演奏が終わった時にすごくみんなと気持ちが合って終わったと思える瞬間があって、今までとは違う気持ちの良さを経験することができました。
-それができたのは、やはり意識の問題だったと思いますか?
竹内 どうだったんでしょうね(笑)。気持ちひとつということですかね。
-日本で勉強されてきたことと大きく違う点はありましたか?
竹内 日本で勉強してきた方向も、そんなに違ってなかったかもしれません。今までやってきたことの延長線上にある感じでしょうか。ただ、聴衆が違うと思いました。日本では、たいがい微妙にピリピリとした雰囲気があるじゃないですか。向こうはすごくおおらかというか、温かい感じなんです。全然知らない演奏家であっても、どんな演奏でも受け止める、感じてくれる、そういう雰囲気がありました。
-拍手や歓声も違いましたか?
竹内 拍手でもう一回呼び戻されたりとか、ブラボーとか。日本では、そんなことってあまりないじゃないですか。自分では「なんで?」と思いながらも(笑)、とてもありがたかったです。

-聴いていたのは受講生ですか?
竹内 受講生の他に、多分、一般の人もいたと思います。
-そういう人たちも音楽に対しておおらかな感じなんですね。
竹内 多分、音楽が身近にあるんですよね。
-良い土地で、よかったですね。
竹内 そうですね。緑が豊かで、山や川もあって、坂もたくさんあって、日本に似ていると思いました。
-今後、留学を考えている人にアドバイスをお願いします。
竹内 自分は何をしに来ているのか、自分はどんな音楽をしたいのか、そういったことをしっかり持っていたほうがいいかなと思います。
-目標をしっかり持ったほうがいいということですね。
竹内 そのほうが、得ることが多いと思います。それから、受身ではなくて、積極的に自分から働きかけるようにすれば、返ってくるものも多いと思います。せっかく日本を出て勉強できる機会なので、多くのことを経験して帰ってくるのがいいと思います。

-なるほど。では、留学前にしておいたほうがいいことはありますか?
竹内 絶対に語学です。あまり話せなくてもなんとかなるんですけど、話せればもっと深く話ができたりもするので、話せたほうがより良いと思います。それから、練習をとにかくしっかりやっていくことです。向こうに行ったら、環境が変わるので、なかなか落ち着いて練習ができないっていう部分もあるし。しっかり練習していくと、教えていただくことも、より深いものを教えてもらえると思います。なので、練習はしっかりなさっていったほうがいいと思います。
-最後に今後の活動のご予定を教えてください。
竹内 今、合唱の伴奏をさせていただいていて、演奏活動もしているので、それを続けていこうと思っています。機会があれば、またこういった短期の講習会に参加できたらいいなと思っています。
-一生音楽は続けていきたいですか?
竹内 はい。
-今日は本当にありがとうございました。
布施あづささん/ジャズピアノ/ピート・マリンベルニ教授・アンドビジョン特別プログラム/アメリカ・ニューヨーク
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。

布施あづささんプロフィール
フェリス女学院音楽学部卒業。レナートバイリンガル(語学学校)とピート・マリンベルニ先生のジャズピアノレッスンを受講。
-はじめに自己紹介をお願いします。
布施 フェリス女学院の音楽学部を3月に卒業しました。ジャズピアノを4年間勉強していました。ピアノは3歳から始めて、高校まではクラッシックピアノを習っていました。
-クラッシックからジャズに変わったきっかけは何かあったんですか?
布施 高校の3年間、音楽科に通っていて、クラッシックだけをびっちりやっていたので、もっと他の世界に飛び込んでいきたいという気持ちがあって、ジャズを始めました。
-これまでに講習会に参加したり、海外の先生のレッスンを受けたことはありましたか?
布施 一度もないです。
-海外に旅行されたことはありましたか?
布施 はい、ハワイなどに行く機会がありました。
-今回、語学レッスンと音楽レッスンがセットになったご留学をされたわけですが、受講しようと思ったきっかけは?
布施 大学生活の集大成として、ジャズピアノの本場であるニューヨークで勉強したかったということと、自分の語学レベルを少しだけでも上げたいと思ったことです。
-語学レベルを上げたいと思ったのは、将来的に何か目的があるのですか?
布施 将来、また留学したいと考えているんです。そのためにも会話ができるようになりたいと思っていて、今回は、下見もかねてニューヨークに行きました。
-下見はできましたか?
布施 街の雰囲気などはばっちり下見してきました!(笑)しかし、会話はなかなか難しいと感じました。文法がわかっていても、自分の考えていることを会話にして発するというのは、すごく難しいんだな、と感じました。
-頭ではこういうことを言いたいな、と思っても、なかなか言葉にできない感じですか?
布施 そうですね。言えない悔しさともどかしさをすごく感じました。

-それぞれのレッスンの感想をうかがいたいのですが、まず語学レッスンはいかがでしたか?
布施 レナート(語学学校)は7〜8人の少人数にレベル分けされたクラスで、ほとんどが会話の授業でした。
-日本人は何人かいましたか?
布施 私の他に1人だけいました。スペイン人が多くて、他に、メキシコ、ブラジル、フランスの方がいました。
-他の受講生とは仲良くなりましたか?
布施 はい。友だちになることができました。現地では、一緒にご飯に行きましたし、帰国後もメールを交わしています。
-では、学校以外でも英語を交わす機会があったのですね。
布施 そうですね。なかなか難しかったですが……(笑)。
-ジェスチャーを交えて……といった感じですか?
布施 そうですね。ジェスチャーや指差しをたくさん使って、コミュニケーションをとっていました。こちらが一生懸命に伝えたい、と思って話すと、たいてい向こうも分かってくれますね。「あ! 分かる、分かる!」って感じでした。
-では、音楽のレッスンはいかがでしたか? 今回は、語学学校が紹介してくれた音楽レッスンと、弊社が紹介したピート・マリンベルニ先生のレッスンを受講されたんですよね。
布施 2人の先生に共通していたのは、感性から入っていく、ということでした。具体的に言うと「とにかくまず、好きなように弾いてみて」といった感じで、そこが日本とは違うなと感じました。やはり日本は、形から入るというか……、わりと自由がきかなくて「こう教えたらこう弾いてね」という感じなんですが、ニューヨークでは「自由に弾いてみて」というところから入って、ちょっとでも弾けたらすごく褒めてくれるので、本当に楽しく弾けました。
-それぞれの先生にはどんなことを教わったのですか?
布施 レナードで紹介してもらったフォーノ先生はラテンジャズが専門の方なのでボサ・ノヴァを教えてもらい、マリンベルニ先生からはスタンダード・ジャズを教えてもらいました。
-マリンベルニ先生のレッスンはどのように進んだのですか?
布施 スタンダード・ジャズの本に載っている曲を自分でアレンジして流して弾いて、先生にコメントをいただく、といった感じでした。
-難しそうですね。
布施 けっこう大変でした(笑)。あとは、先生と一緒に弾いたりもしました。
-レッスン中はピアノを弾いていることが多かったですか?
布施 そうですね。もうずーっと弾いていました。私が弾いていると、先生が入ってきて、音で会話をしている感じでした(笑)。なので、本当に楽しいレッスンでした。
-マリンベルニ先生はどんな方でしたか?
布施 まず、すごくハンサムでした(笑)。すごく優しくて、穏やかでおもしろい方でした。それがレッスンにも表れていました。
-1回のレッスンはどのくらいでしたか?
布施 1時間です。そのときの雰囲気でちょっと延びることもありました。
-今回のレッスンで新しく学んだのはどういうことですか?
布施 いろんな人のピアノの奏法をもっと聴かなければいけないと感じました。聴いて、コピーして、そこから自分の音をつくっていく、ということをレッスンを通して学びました。アドリブに関しても、今までは好き勝手に弾いていいと思っていたんですが、「話すように弾いて」と言われて、実は言葉のフレーズのように音を繋げていくものなんだ、ということを学びました。
-それは、新しい発見でしたね。
布施 そうですね。ですので、帰国したこれからも具体的にどういった練習をしていけばよいのか分かったのも大きな収穫です。先生からも具体的に練習法のアドバイスをいただきました。
-他に何か印象的なことはありましたか?
布施 マリンベルニ先生はいろいろと喩え話をしてくださいました。「いろんな生き方があって、みんな理想に向かって頑張るんだけれども、それはピアノにも共通していて、自分の理想とする音を奏でるために毎日練習しなきゃいけないんだ。でも、忘れてはいけないのは、必ず楽しむということだよ」と言ってくださって、その言葉が深くて、ズキンときました。
-なるほど。そういえば、レッスンのときに通訳さんはつけていなかったと思いますが、特に問題はありませんでしたか?
布施 意外となんとかなりました。先生も1対1だとゆっくり話してくださったり、なんとか伝えようとしてくださるので、理解することができました。
-向こうでピアノの練習はどうされていましたか?
布施 ホームステイ先のお家でしていました。玄関を入ってすぐの廊下にピアノがあって、それをお借りしていました。学校から帰って夕方までの間しか弾けなかったので、その時間で練習していました。だいたい毎日1時間くらいです。
-レッスンでやった曲を復習で弾くような感じでしたか?
布施 はい、そうですね。次のレッスンで前に習って練習した曲を聴いていただくこともありました。

-レッスンや練習、語学学校以外の時間は何をされていましたか?
布施 買い物に行ったり、ジャズ・バーに行ったり、バレエを鑑賞しました。ニューヨークでしか味わえないことを実感したかったので、いろんなところに出かけました。
-それは一人で行かれたんですか?
布施 いえ、語学学校でニューヨーク在住の日本人の女性の方と知り合って、その方と一緒に出かけていたので、本当に心強かったです。38歳と年上の方だったので、頼れるお姉さんという感じでした。
-バレエは何を観に行かれたんですか?
布施 ニューヨークシティバレエ団です。毎週月曜日に90ドルのチケットが25ドルになるので、わざわざ並んで観に行きました。
-ジャズ・バーというと、行かれたのは夜ですよね?
布施 いえ、ブルーノートのブランチ・ライブというものに行きました。日曜日のお昼にやっていて、値段も少しリーズナブルなんです。ジュリアードの学生の演奏を観に行ったのですが、同じくらいの年とは思えないくらいレベルが高くって、感動しました。
-ニューヨークに住んでいる人など街の様子はどうでしたか?
布施 みんなすごく忙しそうで、いろんな言語が飛び交っていて、「ここはどこ!?」って感じでした。
-ニューヨーク以外のところに観光はされましたか?
布施 他にもボストンやワシントン、ニュー・ジャージーなど、行きたいと思っていたのですが、行かずじまいで惜しかったなぁ……と思います。
-ホームステイ先はいかがでしたか?
布施 お部屋は本当にキレイでした。ベッドも「今まで、こんなベッドに寝たことない」っていうくらいフカフカで、サイズもキングサイズでした(笑)。ホテルの一室のようで、本当にラッキーでした。家族も優しくて、ホストマザーが一度、イタリアンのレストランに連れていってくれました。かわいがってくれて、私が若いからか「ベイビー」と呼ばれていたんです(笑)。最後も「また来てね」と言ってくれてうれしかったです。
-ホームステイ先と学校までは、どうやって移動されていたんですか?
布施 地下鉄を利用していました。乗り換えも、同じホームで向かいに来る電車に乗り換える感じだったので、わりと迷わずに利用できました。看板を見れば分かるようになっているので、大丈夫だと思います。
-道に迷ったりはしませんでしたか?
布施 もう初日から迷ってしまって大変でした。人に聞いて無事にたどり着けたんですが、そういうことがあったので、毎日家を授業の2時間前に出るようにしていました。
-えー! 大変ですね。
布施 それを1週間続けて、道を完璧に覚えてから、1時間くらい遅く出るようにしました。
-お食事はどうされていましたか?
布施 ランチは学校帰りにお店に寄って、夜はデリを利用したり、ホストマザーが作ってくれたものをいただいていました。
-外食のときの値段はいくらくらいでしたか?
布施 ランチは10ドルくらいでした。夜はデリで6ドルくらい使っていました。向こうは量が多いので、6ドルでもけっこうお腹いっぱいになりましたね。
-向こうでは、語学学校やレッスンなど海外の方とお話する機会が多かったと思いますが、そういった方とうまく付き合っていくコツは何かありますか?
布施 シャイにならないことだと思います。思ったことをはっきり言う人たちなので、自分もそうしないとその会話に入っていけないんです。
-最初から自分の意見を言うことはできましたか?
布施 いえ、出来ませんでした。徐々に徐々に……という感じです。何気ない会話でも授業でも、自分の意見を求められることが多いと感じました。積極的にいくのが本当に大事だと思います。
-留学中に困ったことはありましたか?
布施 やはり、道に迷ったことですね。あとは、ドライヤーがなくて、大変な思いをしました。それから、日常品に不便を感じることが多かったです。例えば、ティッシュを買ってもゴワゴワしていたり……、といった細かいことに不便を感じて、向こうに行って、日本の環境って本当に恵まれているなと感じました。
-ご留学されてよかったなと思ったのはどういう瞬間ですか?
布施 考え方が変わりました。今まで自分が正しいと思ってきたことを、また別の視点から見ることができました。こういう考え方もあるんだ、と視野が広がりましたね。あとは、日本を離れて日本の良さを知ることができたと思います。
-日本に帰って来て、成長したと思うことがあれば教えてください。
布施 今までは友だちを羨んだりすることが多かったのですが、それがなくなって、自分は自分なんだと思えるようになりました。たった3週間しか滞在していないのですが、向こうは、自分は自分で突き進む人が多いので、私も私で自分をちゃんと持ってしっかっりしていかなきゃいけない、と感じたんだと思います。

-日本と留学先でどんなところに違いを感じましたか?
布施 生活面で言えば、まったく干渉がないことです。多分日本だと、ホームステイに来ていても、かまってしまうと思うんです。でも、向こうでは、プライベートがきちんとあると感じました。私は干渉されない方がいいので、すごく楽でした。音楽面では、向こうの人たちは生まれたときからノリがある、と感じました。本当に音楽を楽しんでいるっていう感じでしたね。
-留学する前にしっかりやっておいたほうがよいことを教えてください。
布施 きちんと下調べをしておいたほうがいいと思います。さっきお話したティッシュとか……(笑)、本当に小さいことなんですけど、そういうことがすごく気になってくるんです。ハンドブックにもそういうことは書いていないので、留学をした人に話を聞いてみるのがいいと思います。
-今後は、どういう音楽活動をされていくんですか?
布施 4月からは社会人になって、音楽とはまったく関係のない仕事をしますが、早く蓄えて、また留学したいと思っています。今度は、ピアノだけで、もう少し長く留学したいと思っています。
-今日は本当にありがとうございました。
堀江夕子さん/ピアノ/アルベルト・フランツ先生・アンドビジョン特別プログラム/オーストリア・ウィーン
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。

堀江夕子さんプロフィール
1970年生まれ。ヤマハ音楽教室講師を経て、現在堀江音楽教室主宰。音楽教室・英語教室・クライミング教室・設計事務所を併せ持つクライミングジムロック・ジム ほりえ 代表。ウィーンでアルベルト・フランツ先生のピアノレッスンを受講。
-はじめに、簡単な自己紹介をお願いします。
堀江 5歳からピアノを習い始めました。高校2年生で進路を考えたときに、何をするか迷いまして、結局、音楽系には進まずにピアノも一度辞めてしまいました。そのあと、大学3年生の頃になんとなく指が寂しくなって、また弾き始めたんです。その頃、ちょうど就職をどうしようか考えていた時期でもあって、そしたら、当時のピアノの先生がヤマハの人だったんですが、「ヤマハを受けてみない?」って誘ってくれたんです。それがきっかけで試験を受けたら合格したので、ヤマハ音楽教室に入りました。
-それからずっとヤマハとの関係は続いているんですか?
堀江 いえ。25歳で結婚するときに、辞めました。主人の実家に引っ越しをして、そのあとは、クライミングを一生懸命したかったので、ピアノは、結婚式の教会で時々、弾くくらいでした。
-今回、ご留学されようと思ったきっかけは何かあったんですか?
堀江 子育ても一段落して、音楽教室の経営も安定したんです。そしたら、引き出しが空っぽになってしまったような感じがして、何かしたいな、と思ったんです。それで、ウェブサイトで探していたら、アンドビジョンさんのサイトを見つけて、資料を取り寄せたんです。
-それは8月の頃でしたよね? それまでは留学も考えていませんでしたか?
堀江 そうですね。クライミングをしながら、知り合った方たちに「ピアノをしていたの」って話をしたら、そこでだんだん輪が広がって、今は音楽教室の生徒も60人くらいいるんです。そういうのもあって、2年前くらいからちゃんと弾こうと思うようになりました。それで、自分自身、先生にもついていたんですね。先生はたくさんいらっしゃるので、弾ける先生にも来ていただいたりしていました。そういうふうに、ピアノへの思いはだんだん募っていて、今回、留学をしてみようと思ったんです。
-そうだったんですね。アルベルト・フラン先生を選ばれた決め手は何だったんですか?
堀江 ホームページでも最初の方に紹介されていたので、お勧めの先生なんだろう、と思ったことと、初心者でも大丈夫といったことが書かれていたので、フランツ先生にお願いしたいと思いました。
-レッスン場所がウィーンでしたが、惹かれる部分はありましたか?
堀江 そうですね。オーストリアというのは、クライミングの世界ではトップレベルなんです。覇者がオーストリアからたくさん出ていますし、情報もたくさん入ってくるんです。それで、オーストリアにどんなバックボーンがあるのだろう?と気になっていました。それだけではなく、やはりウィーンは音楽の街ですし、行きたいと思いました。
-そうすると、初心者でも大丈夫なフランツ先生だったこと、クライミングにも関係があること、音楽の街であること、と三拍子そろっていたわけですね。
堀江 そうですね。それから、音楽留学というとすごく志が高い人が行くのかな、という不安もあったのですが、同じくらいのレベルの方の体験談も見せて頂いたので、安心して申し込みました。
-それから、留学までにドイツ語を勉強されたりしましたか?
堀江 いえ。急なことだったので……。“指差しオーストリア語の本”を買ったくらいです。指を差してなんとか伝わるかな、と思ったんです。
-その本に載っていたことで、何か役に立ったフレーズはありましたか?
堀江 向こうでその本を開くこと自体、ほとんどありませんでした。英語が通じる国なので簡単な英語と“ダンケ”と“ブレス・ゴット”の2つで大丈夫でした。
-生活する上でも英語が話せれば問題ありませんでしたか?
堀江 はい、大丈夫でした。

-フランツ先生のレッスンは全部で3回でしたよね。いかがでしたか?
堀江 まず最初にモーツアルトの時代のブラピーアの話から始まりました。あとは、クライミングをしていて指が痛かったので、最後の頃は、弾くときの姿勢や手が痛いときの弾き方、指の動かし方、力の抜き方のストレッチなどを教えてくださいました。
-ただ単にピアノを弾く、ということだけではなかったんですね。
堀江 そうですね。私もいくつか聞きたいことがあったので、質問をいくつか用意して行ったんです。それに対して、先生がひとつずつ丁寧に答えてくださいました。あとは、第一次世界大戦前後で教則本が変わったことから、弾き方の違いで今は故障者が多いのだけれど、姿勢に気をつけることで君の痛みはとれるよ、と教えてくださいました。日本に帰って来てから実際にその弾き方にしたら、まだ違和感はあるんですが、確かに痛みは出ないんです。本当にびっくりしました。
-その弾き方が堀江さんに合っているのかもしれないですね。
堀江 肩を後ろにして、ひじを開きすぎない弾き方なんです。すごく恰幅のいいおじさんが弾いているような感じになるので、主人はそれを見て笑っているんですが(笑)……。
-でも、痛みが取れてよかったですね。フランツ先生のレッスンの中で一番大きな発見はそのことでしょうか?
堀江 そうですね!
-日本のレッスンだとあまり姿勢については言われないですよね?
堀江 そうですね。ひじや指の形については指摘されることがありますが、私の場合は、姿勢が悪く肩が出ていたようなんです。それをフランツ先生が見つけてくれて、肩が出ているから、ひじも出てしまうんだ、と気づくことが出来ました。
-実際のレッスンの流れはどういうものだったのですか?
堀江 最初にモーツアルトの話から始まって、弾いてみて下さいと言われて、弾いて、直されて、という普通のレッスンの流れでした。途中から「あれ、指が転ぶね」ということで話が始まり、いろいろとアドバイスをしてくださいました。私が何か質問をすると、その質問はおもしろい、と言ってメモをとったり、先生が何かを言ったりしたときの私の反応が珍しかったようで、それもメモに取っていました(笑)。私は普通の反応をしたつもりだったのですが、先生には新鮮だったようです(笑)。
-おもしろい生徒さんだな、と思われたんですね。
堀江 あとから通訳さんに「君はおもしろい題材だ」と先生がおっしゃっていたと言われました(笑)。
-なんだか楽しそうなレッスンの様子がすごく伝わってくるエピソードですね。
堀江 はい、とても楽しかったです。
-通訳の仕方やフランツ先生とのやりとりはいかがでしたか?
堀江 先生が話し終えるとすぐにバラバラバラと通訳してくださって、私の言いたいこともきちんと伝えてくださいました。1時間半という限られた時間の中でやりとりをしなければいけないので、言葉のストレスを感じるのは嫌だったんです。先生と二人で楽譜を覗いて、顔を突き合わせて、どうします? とやるとすごく疲れると思うんです。そういう意味で、3回とも通訳の方に来ていただいて、よかったと思います。通訳の方もピアノが弾ける方だったのも、すごくよかったですね。先生が私の反応のメモをとっている間に、「通訳さんはどう弾きますか?」、「僕はこうかなー」なんてやりとりをしていました(笑)。
-今回は、どんな曲を見てもらったんですか?
堀江 フランツ先生はモーツアルトがご専門だと聞いていたので、モーツアルトのソナタを持って行きました。
-他には何か用意して行かれましたか?
堀江 簡単なもので、メンデルス・ゾーンを持って行きました。メンデルス・ゾーンの1番をもっと意味があるように弾いてみたいと思っていたんです。でも結局、メンデルス・ゾーンまで行かずに、ソナタも1曲で終わり、「はっ! もう時間だ!」という感じでした(笑)。
-その分、1曲を濃く教えてもらった感じでしょうか。フランツ先生のレッスンを受ける前と受けた後で、そのソナタを弾いて何か変化はありましたか?
堀江 帰ってきてから、日本の先生に見ていただいたのですが、「左手がきれいにまとまっていますね」と言われました。フランツ先生と左手の連打を練習するのに、バスケットボールのようにやろうということで、ピアノから降りてバスケットボールの練習をしたんです(笑)。それの効果があったのかもしれませんね。
-それも楽しそうですね。さきほどストレッチの話をされていましたが、どういうストレッチを教わったのですか?
堀江 力の抜き方のストレッチで、肩から腕を水平に上げて、ひじを90度曲げた状態から、糸がぷつんと切れたようにマリオネットのように落とすんです。その状態で、私は肩が前に出てしまうんですが、前に出ないようにと何度も注意されましたね。

-ウィーンでは、練習室を予約されていたかと思いますが、練習室はいかがでしたか?
堀江 アンドビジョンさんから送っていただいた用紙に部屋の番号まで書いてあったので、何の問題もなく部屋を使えました。部屋は7部屋くらいあって、ピアノも5台くらいあったと思います。
-けっこう練習時間を取られていましたよね。みっちり練習されたんですか?
堀江 1日目は一生懸命弾きましたね。着いた最初の日にレッスンがあったので、レッスンの後、4時間くらい練習しました。お水を飲んで、スーパーで買ったハムをかじりながら、練習しました(笑)。
-ハム、ですか?
堀江 はい。けっこうおいしいハムが売っていたので、それをそのままかじっていました(笑)。
-お食事はどうされていたんですか?
堀江 最初にスーパーで食材を買い込みました。それで、朝はトーストにトマトとチーズとハムのサンドイッチを作って食べていました。ラップにくるんで持って行って、お昼もそれで済ませることも多かったです。あとは、アンケルというサンドイッチのチェーン店で食べたり、ウィンナーシュニッツェル屋さんで食べたりしていました。
-ウィンナーシュニッツェルはおいしかったですか?
堀江 おいしんですけど……、すごく大きいんです。適当に頼んだら、自分の顔より大きなものが出てきました(笑)。薄くてペラペラなんですけど、それでも顔以上のサイズなのでボリュームはあって、ウィンナーシュニッツェルを食べた日は、それしか食べられませんでしたね。
-夕飯はどうされていましたか?
堀江 1日目は、普通の個人のお店で外食したんですが、ちょっと量が多くてびっくりしました。ヒドリという日本食のお店があったので、そこに入り、一度行ったらおいしかったので、あとは毎晩、通っていました(笑)。からあげや定食、焼き鳥、巻き寿司、などいろいろありました。日本人のスタッフさんばかりだったので、その方たちに現地のお話を聞いて、毎晩、楽しく過ごすことができました。
-やはり日本食が恋しくなりますか?
堀江 若い頃は、外国に来てまで日本食を食べる人の気がしれない、なんて思っていたんですが……(笑)。向こうの食事もおいしいんですけど、ウィンナーシュニッツェルやパンを食べていると、やはりお米が食べたいな、と思いますね。スーパーにもお米は売っていたのですが、朝ご飯やお昼ご飯は自分で作ることがほとんどだったので、夕飯くらいいいや、と外食していました。

-レッスンや練習以外の時間はどのように過ごされていましたか?
堀江 仕事に関することですが、クライミング・ジムの視察に行っていました。向こうの建物や規模を見て、肌で感じていました。それから、オペラを日本から予約して行ったので、「フィガロの結婚」を観ることができました。
-えー! いいですね。やはり、本場のものは違いますか?
堀江 はい。日本でもよく観るのですが、全然違いますね。建物が円形で上の方に席がある会場でした。1万4、5千の席がありましたが、それでもすごく臨場感があって、周りの人たちも口ずさんだり、鼻歌を歌ったり、知っている曲では歓声を上げたり……、そういう空気を体験できて、すごく良かったです。
-そういうのって、日本ではあまり体験できないですよね。
堀江 そうですね。日本ではそういう体験はしたことがありませんでした。
-他にも観光はされましたか?
堀江 小さいところに見所がギュギュっとつまっている街だったので、レッスン会場から練習室に行く間にも、観光名所がちょこちょこありました。あとは、ステファン寺院や旧市街のあたりを観光しました。でも、どこかに行かなくても、電車に乗っているだけで、すごい建物がたくさんあるので、それを見ているだけでも楽しめましたね。
-向こうでは日本人以外の現地の人や他の国籍の人と話す機会も多かったかと思いますが、何か話すコツなどはありますでしょうか?
堀江 しかめっ面はいけないと思っていたので、笑顔で“ダンケ”と“ブレス・ゴット”と言っていました。通りすがりの人でも、すれ違ったら挨拶をしていましたね。挨拶をすると、向こうの人も笑顔で返してくれました。

-今回はフラットにご滞在されていましたが、いかがでしたか?
堀江 すごくおもしろかったです。ホテルやキャンプではわからない、ウィーンの人の生活の実態が見られたのが良かったです。
-大家さんと話す機会はありましたか?
堀江 最初の日に鍵を渡すのに待っていてくれて、英語でわーっと、ガスや鍵の説明をしてくれました。どうやら日本びいきの大家さんだったようで、仏像がお部屋の角にありました(笑)。けっこう大きい仏像で、大人が座っているより少し大きいくらいのものだったので、すごくびっくりしました。あとはたぬきの置物もあって、おもしろいお家でした。
-部屋の広さはいかがでしたか?
堀江 ダブル・ベッドが2つもあって、家族で借りられるな、というくらい広かったです。主人は設計の仕事をしているので、現地でスケールを買って、いろいろと測っていましたね(笑)。そして、その広さや色使いに感心していました。そのセンスの良さは、他のお家も同じで、そのセンスというのは、街をきれいに保とうという精神から来ているのかな、と感じました。主人も日本に帰って来たら、「やっぱり信州の町並みって変だよね」とか言っていて、この前も「もうちょっと、もともとあるものでできることを、提案していく必要があるよね」なんて、お友達に話していました。
-今回、レッスンを受けて良かった瞬間があれば教えてください。
堀江 やはり、百聞は一見に如かず、だと思いました。これまで、書物や楽譜でいろいろな先生方に教えていただいたのですが、その場所に行かなければ分からない目に見えない空気や雰囲気、クラッシック音楽が培われて来た社会風土のようなものを感じることができたのが、良かったと思います。また、そういうのに触れて、日本に帰って来た今、視野が広がったと思いました。小さなところに詰まっていたものが外に出て、上から見られるようになった気がします。
-なるほど。
堀江 弾くこともすごく楽しくなって、ピアノの先生からも「堀江さん、楽しそうだね」と言われました。あとは、自分が教えるときも、行く前は、あまり弾けない子たちに対して、こんなんでいいのかなとブレがあったのですが、自分が留学したことで変わりましたね。音楽留学ってすごい人たちが行くんだろうなと思っていたのですが、そんなことはなくて、フランツ先生もその中で出来ることを教えて下さったんですね。そんな経験をして帰って来てからは、30分のレッスンの中で15分は歌って弾いてもいいかな、とか、その時間の中で曲のレパートリーを増やして、とか楽しいレッスンをしてあげようと思えるようになりました。
-堀江さんご自身は今後はどうされていきたいとお考えなんですか?
堀江 先生がモーツアルトを研究されているので、ウィーンなので、という理由から何となくモーツアルトを教わったのですが、これも何かのご縁なので、せっかくだからちゃんとモーツアルトのソナタを弾けるようになろうと思いました。

-またフランツ先生のレッスンを受けたいですか?
堀江 はい、そうですね。先生が嫌がらなければ(笑)。
-いえいえ、そんなことはないかと。きっと先生も覚えてらっしゃいますよ(笑)。最後になりますが、これから留学を考えている方にアドバイスをお願いします。
堀江 自分もそうだったのですが、まずは迷う前に失敗してもいいから、行きたいときに行くのがいいと思いました。いつか時間が出来たら、とか、お金が貯まったら、とかではなく、まず、出てみることが大事だと思いました。そうすれば、自然に次のことが浮かんでくると思います。そのときには、簡単な中学校レベルの英語を話せれば日常生活は十分だと思います。先生とのやり取りも長期滞在だと事情が違ってくるかもしれませんが、1週間くらいの短期の滞在でしたら、通訳さんをつけて、言葉のストレスをなくすことで、限られた時間を有効に使えると思いました。
-なるほど。今日は貴重な体験談を本当にありがとうございました。