佐藤暁彦さん/ジャズドラム/シエナジャズサマーコース/イタリア・シエナ
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。
佐藤暁彦さんプロフィール
中学時代に、吹奏楽部のパーカッションでドラムを始める。大学でジャズ研究会に入部し、ジャズドラムを開始。2007年、シエナジャズサマーコースに参加。講習会では、選抜のビックバンドのメンバーに選ばれる。2007年、横浜ジャズプロムナードにコンボバンドで参加。
― はじめに略歴を教えてください。
佐藤 中学生のとき、ドラムをやりたくて吹奏楽部に入り、高校でも引き続き、吹奏楽部でした。大学でコンボ主体のジャズ研究会に入部して、興味があったジャズをやり始めました。同時にポップスのバンドも結成し、大学卒業後も続けて、インディーズでCDを出したりもしたんです。一方、大学卒業後、ヤマハ音楽院で、ジャズに限らず、ポップス、ロックといろいろ学びました。卒業後は、ポップスの活動がメインだったのですが、だんだん、またジャズを本格的にやりたいなと思うようになって、ジャズクラブやライブハウスに行くようになったんです。
― 今もポップスは演奏されているんですか?
佐藤 頼まれたら演奏しますが、今は本格的にジャズに絞ってやろうと思っています。
― どこか決まったライブハウスで演奏されているんですか?
佐藤 地元の横浜や横須賀のライブハウスで演奏することが多いですね。横浜はかなりそういうお店が多いんです。
― 講習会に参加したのは何がきっかけですか?
佐藤 演奏の仕事があまりなかった時期に、何かしようと思い立って、以前から覗いていたこちらのサイトでこの講習会に興味を持ったんです。普通、イタリアにジャズしに行くヤツいないだろうと思って(笑)。
― アメリカとは迷わなかったですか?
佐藤 最初は、アメリカも考えたのですが、日本の人がジャズを勉強しようと思ったら、普通、アメリカに行くじゃないですか。だから、他の人と違うことをやってやろうと(笑)。
― それでイタリアに?
佐藤 もともとイタリアのジャズに興味は持っていたんです。講習会には、エンリコ・ラバというトランペットの先生もいたんですが、その方はイタリアジャズの中では、世界的に有名な人です。東京のブルー・ノートに来たときに観に行ったのですが、それもこの講習会に参加したきっかけになっています。そのときにイタリアのジャズをおもしろいと感じたんです。アメリカのジャズと比べても、泥くささがないというか…。ヨーロッパのジャズというのは、クラシックの影響が強いとよく言われています。やっぱりイタリアのジャズも、クラシックをジャズに昇華したような感じがしますよね。
― それでは、シエナジャズ講習会の全体の様子を教えてください。
佐藤 今回の講習会はシエナジャズという大きなイベントの一環でした。全体で200人くらいが参加していました。各パート30人くらいですね。楽器の他にも作曲のコースで来ている人が数人いました。
― レッスンはどのように進められたのですか?
佐藤 最初に選抜試験がありまして、それで2クラスに分かれて、クラス別に1人ずつ先生がつきました。
― 選抜試験というのはどのような試験だったのですか?
佐藤 基礎的なことができるかどうかをみる試験です。1人ずつ呼ばれて、「こんな感じのできる?」「これやってみて」という感じで行われました。
― レッスンはどんな内容でしたか?
佐藤 ドラムを2つ並べて、2人がセッションをするといった内容です。基本的には生徒2人がセッションをしましたが、場合によっては先生が叩くこともありました。例えば「早めのテンポで」とか「こういう拍子で」といったテーマが出されて、それにそって2人がセッションをします。それを先生が聞いていて、指導してくれます。
― ずっとグループレッスンだったんですか?
佐藤 そうですね。短期間の講習会なのでそういう形なんだと思います。
― 他の生徒の皆さんは上手でしたか?
佐藤 講習会を受けた人の中には、若い人もいたし、これからジャズやりますっていう人もいたんですが、ラッキーなことに僕は上級者のクラスに入ることができたので、皆さん、上手でしたね。音楽のレベルはとても高かったです。
― 講習会のスケジュールを教えてください。
佐藤 朝の9時から始まって、夕方の5時までのスケジュールですが、だいたい5時半くらいまででした。間に1時間くらいお昼の休憩がある程度で、あとはずっと講習です。実技のレッスンだけでなく講義もあったのですが、それも含めて本当にみっちりでした(笑)。
― 講義はどんな授業でしたか?
佐藤 音楽理論と聴音(ヒアリング)、ジャズの歴史、それから楽曲分析の授業がありました。理論の授業では、コードや音階のことを学びます。ドラムでもそういうことは知っておいた方がいいので、ためになりました。楽曲分析ではある曲を聞いて、その曲の構成、リズム、進行がどういうものかを分析していきます。
― 何語でやりとりされているんですか?
佐藤 基本的にはイタリア語ですが、実技のレッスンのときは僕が分からないと、先生が英語で言い直してくれました。理論の授業のときは、いちいち先生が言い直していると時間がかかってしまうので、英語が堪能な生徒さんを紹介してくれて、その人が英語で教えてくれました。僕はそんなに理論は詳しくないのですが、自分の持っている音楽のボキャボラリーで考えていけば、理解することができました。
― 参加を決めてから、事前に語学の勉強はされたんですか?
佐藤 英語はもちろん、イタリア語も音楽用語などはそれなりに勉強していきました。結果的にそれはすごく役に立ちました。おもしろいもので、耳が慣れてくると、音楽用語であれば、イタリア語でも大まかにわかるようになってくるんです。
― すると、言葉にはほとんど困らなかったですか?
佐藤 いや、困りましたね(笑)。勉強もしていたし、なんとかなるだろうと思っていたんですが、いざとなると、緊張してしまって聞き取れないこともありました。指示を間違えて受け止めて演奏してしまったこともありました。それから、受け身の姿勢ではなくて、「こう表現したいんだけどどう演奏したらいいのか」とか、もっとこちら側からアプローチできる語学力があればよかったなと思いました。
― では自分から質問されることはあまりなかったのですか?
佐藤 そうですね。そこが悔やまれますね。あとから冷静になれば、英語でこう言えばよかったな、とは思うのですが、なかなかその場では言葉が出てこなかったです(笑)。
― 日本人は参加していましたか?
佐藤 いえ、僕1人でした。ほとんどがイタリア人で、あとは何人か他のヨーロッパの国から来ていました。ある程度予想はしていたのですが、まさか本当に一人とは…(笑)。そういう意味では、すごく目立ちましたね。最初の説明会に行ったときも、視線を感じました(笑)。
― 講習会中は、個人練習はどのくらいされたのですか?
佐藤 実質、やる時間がなかったですね。ファイナルコンサートというのがあって、選抜のメンバーでビックバンドを結成したのですが、そのメンバーに選ばれたんです。それで、その練習が講習のあと、夜の7時くらいまであって、個人の練習をする時間はなかなか取れませんでした。
― 選抜メンバーに選ばれたんですね。すごいですね。
佐藤 クラス分けの選抜試験のときに同時に見ていたらしく、ラッキーなことに先生が推薦してくれたようです。
― 選抜メンバーとの練習はどうでしたか?
佐藤 最初の練習のときに1人ずつソロを回していって、最後に僕もドラムソロをしたんですが、ソロが終わったあとにみんなが「お前、いいじゃん」って拍手してくれたんです。それですごく楽になりましたね。これなら楽しくやっていけそうだなと思いました。
― そのバンドの練習も事前に個人練習はしなかったんですか?
佐藤 そうですね。譜面だけ見ておいて、あとは全体の練習のときにその場で演奏しました。ただ、昼休みを削って(笑)、生徒同士で他の楽器と組んでセッションしていました。
― セッションをする部屋は用意されていたのですか?
佐藤 昼休みなので、開いている部屋を使いました。あとは、もともと使われていない部屋も事前に予約すれば使うことができました。
― イタリアの事務局はどうでしたか?
佐藤 中には適当な人もいましたが(笑)、けっこう親切にしてもらったと思います。根本的なシステムが日本と違うので、戸惑うことも多かったんですが、優しく教えてくれました。
― 宿泊先はどうでしたか?
佐藤 シエナにある大学の寮に泊まりました。二人部屋でした。講習会に参加した人は、けっこうバラバラに振り分けられていたようで、大学の寮に限らず、中にはホテルの人もいました。
― 宿泊先と講習会の会場は近かったのですか?
佐藤 僕の宿泊先はけっこう距離があって、歩くと40分くらいかかるところでした。朝はバスがあるので利用していました。
― 帰りは歩いていたのですか?
佐藤 シエナジャズという大きなイベントなので、講習会の会場や特設ステージで、インストラクターの方やイタリアのプロミュージシャンたちがライブをしているんです。練習後にそれを見ていると、帰りが12時半位になってしまうんです(笑)。もちろん、バスは終わっているので、帰りは、歩いて帰っていました。せっかくなので、ライブも観ておきたかったんです。
― 治安はどうでしたか?
佐藤 よかったですね。周囲でも危険な目に遭ったというような話は聞きませんでした。宿泊先までも離れていたので人通りの少ないところもあったんですが、危険そうな感じはありませんでした。小さい街なので、治安はよいと思います。
― 食事はどうされていたのですか?
佐藤 お昼は近くにあったバールでパニーニをつまんで、夜はピザ屋さんで食べる、ということが多かったです。食事はどこのお店もおいしかったですね。
― 海外の人たちとうまくつきあうコツはありますか?
佐藤 イエス・ノーをはっきり言うことですかね。はじめのうちは日本人的な曖昧な返答をしていたのですが、それで相手を怒らせてしまいました。年下の16歳くらいの子に「日本人にはノーという言葉がないのか!」って言われました(笑)。向こうの人たちは、はっきりしていますね。でも、ノーと言っても、失礼にはならないのでイヤならイヤと伝えるのがいいと思います。あとは、こちらから話しかけてコミュニケーションをとっていくのがいいと思います。
― 講習会に参加して良かったと思える瞬間はありましたか?
佐藤 それはやっぱりファイナルコンサートに出られたことですね。シエナにすごく大きな聖堂があるんですが、その前の広場に大きなステージを組んで、そこで演奏したんです。メンバーとは、ずっと一緒に練習していたので、信頼関係ができて、向こうも自分のことを受け入れてくれて、それが伝わってきたんです。そういう瞬間はすごく良かったです。
― 留学して成長したなと感じる部分はありますか?
佐藤 演奏面では、向こうで友達に「もっと楽しもうよ」と言われて、あぁ、楽しむのが大事なんだな、と思いました。その友達は、僕が演奏すると苦しそうに見えるって言うんです。そういえば、日本にいるときから立ち向かうぞという気持ちでいて、楽しむということをあまり意識していなかったことに気づかされました。それから、留学する前はテクニックを身につけたもののどう表現すればいいのか、と行き詰まっていた部分があったのですが、レッスンの中で「どうしたら音楽的な対話ができるのか」という内容も多かったので、とても勉強になりました。「最初にどう表現したいかを考えなさい」と言われたのが印象に残っています。
― 音楽以外のところではいかがですか?
佐藤 何でも自分でなんとかしないとどうにもならないんだということを痛感しました。 例えば、講習会中も、若い人でも自分で様々な手配をやっているわけです。日本だと、手取り足取りという感じですよね。
― そのあたりが日本とイタリアの違いでしょうか?
佐藤 そうですね。自己責任の部分が強いと思います。講習会をどう消化していけばいいのかという基本的な部分ですら教えてくれないんです。本来は講習会の中でいろいろなことが出来るはずなんですが、こちらから聞かないと分からないままです。例えば、資料を借りられるということは、聞いてみてはじめて、出来ると知りました。講習会を最大限に利用しようと思ったら、そういう自ら働きかけていく姿勢が大事になってくると思います。
― 留学前にしっかりと準備したほうがいいことを教えてください。
佐藤 語学です。語学を学んでおけば、理解の仕方がちがってくると思いますよ。確かに言葉がなくても通じ合える部分はあるのですが、やはり講習会なので、深く質問していこうと思ったら、語学を学んで行くことが必要です。
― 今後留学する人にアドバイスをお願いします。
佐藤 シエナに行きたい人は、イタリアに興味がある人だと思うんですが、今の時代、日本でもアメリカでもイタリアでも同じ情報はシェアできますよね。そんな中、どうしてイタリアまで行きたいのかをはっきりさせてから行った方がいいと思います。「どうしてイタリアまで来たの?」とイタリア人に言われるくらいですから(笑)。これは、他の国でもそうだと思うのですが、自分の意思をはっきり伝えれば、向こうも受け入れてくれると思います。
― 最後に今後の活動予定を教えてください。
佐藤 横浜・横須賀のジャズクラブを中心に、複数のグループでライブ活動しています。
― ビックバンドはもうやらないのですか?
佐藤 機会があれば、今回の経験を活かして、ビックバンドもやってみたいな、と思っています。
― 実現したらぜひ教えてください。楽しみにしています。ありがとうございました。
佐藤さんの近況は以下のホームページで!
http://www.geocities.jp/pacifico_sato/
香田亜以さん/ヴァイオリン/アンギャン夏期国際マスタークラス/ベルギー・アンギャン
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。
香田亜以さんプロフィール
1989年札幌生まれ。北海道大学工学部2年在学中。現在、北海道大学交響楽団、その他アンサンブルに所属。
2009年ベルギー・アンギャン夏期国際マスタークラス受講
-まずは、香田さんの簡単なご経歴を教えてください。
香田 4歳からバイオリンを始め、プライベートレッスンで先生について習っています。音楽大学ではなく一般の大学に通っています。
-今回アンギャンに行かれたわけですが、それまでに海外に行かれたこと、レッスンを受けられたことはありましたか?
香田 いえ、ありません。初めてです。
-海外の講習会に参加して、音楽を勉強しようと思ったきっかけは?
香田 作曲家が生きた国や場所で、実際に曲を作った場所を見てみたいという思いや、その空気を感じながら弾いてみたいという思いがあったからです。
-ベルギーを選ばれた理由は?
香田 ブロン先生のレッスンを以前テレビで見たことがあって、一度生でレッスンを見てみたいな、と思っていたんです。
-では、以前からブロン先生にご興味があったのですね。
香田 はい。ブロン先生は、日本にもけっこういらっしゃっている方なので。
-今回、アンギャンの講習会はどれくらいの人数が参加されていましたか?
香田 最初の1週間は聴講生だったのですが、大体25人ほどでした。2週目は6人です。
-どの国の人が多かったですか?
香田 フランス人、ドイツ人はやはり多かったです。でも、ブラジルから来ていた方もいましたし、日本人もいました。国際色豊かでしたよ。
-レッスンは英語でしたか?
香田 はい、英語でした。
-1週間目はザハール・ブロン先生の聴講ということですが、毎日聴講には行かれましたか?
香田 毎日ではありません。一週目は人数が多かったので、一人あたりでは40分のレッスンでしたが、朝から晩まで行われていました。出入り自由なので、気軽に聴講しに行っていました。
-実際にレッスンを聴講した感想は?
香田 実際に外国人のレッスンを初めて見ましたが、ブロン先生は基本ドイツ語だったので先生の話していることが分からなくて…。でも、ブロン先生はお手本として弾いてみせていたので、それで理解できるという感じでした。フレーズとか入り方とか。受講生が上手な方ばっかりだったので、聴いているだけで表現の仕方など本当に勉強になりました。
-レッスンの雰囲気は、どんな感じですか?
香田 先生と自由に話せるような雰囲気でした。聴講している生徒や親もたまに先生と話したりもしていましたよ。
-2週目からのウルフ・ヴァーリン先生のレッスンはいかがでしたか?
香田 それが、先生が直前に病気になられて、講習会にいらっしゃらなかったんですよ。
-そうだったんですか!?
香田 急遽、ミッチェル先生という女性の方に代わったんです。最初、どういう方かも分からなかったので、不安でした。帰ってから調べてみたら、ソロ活動をされている先生のようで。ソロの方なので弾き方がやっぱりパワフルでした。見せるパフォーマンスを大事にされているというか。
-そんな方のレッスンを受けられて、逆に良かったかもしれないですね。
香田 はい。最初はびっくりしましたが、刺激的でした。
-ミッチェル先生のレッスンは、どのくらいのペースで行われましたか?
香田 一回1時間のレッスンを一週間に3回ですね。先生方のコンサートがあったので、その練習のために、レッスンの時間が変わって日数的には4日間やりましたが。
-レッスンの内容はどういった感じでしたか?
香田 フレーズの取り方や表現の仕方がメインだったと思います。聴講の時も感じましたが、もっともっと自分を出していかないといけないんだなって。自分がどんなに感情的に弾いたとしてもミッチェル先生はOKを出してくれませんでした。
-何曲くらい見ていただけたのですか?
香田 私は2曲持っていきました。皆さんは、3~4曲持って来ていたので、2曲は少なかったかなとも思ったんですけど、自分の気になった所を突き詰めて習えたので良かったです。
-2日で1曲見てもらった感じですか?
香田 いえ。無伴奏とコンチェルトを一曲ずつ持っていったのですが、弓を上手く使ったフレーズの取り方をもっと教えてもらいたくてコンチェルトを中心にレッスンを受けました。
-その中で、基礎的なことを教わったのですね。
香田 やはり体の動かし方とか、表現の仕方ですね。先生がお手本を見せてくださって。小柄な先生だったんですが、動きの大きな方でした。
-どんな人柄の先生でしたか?
香田 とても優しくて、いつもにこやかな方でしたね。演奏とのギャップがありました。
-レッスン以外の時間は何をしていたんですか?
香田 もちろん練習はしましたが、友達とご飯を食べに行ったり。何度かパーティーもありました。少し時間があったので、一人でブリュッセルの観光もしました。
-充実されていたようですね。練習は、どこでされましたか?
香田 近くの学校が夏休み期間でしたので、そこの教室を使って練習しました。
-ひとり何時間とか決められているのでしょうか?
香田 いえ、決まっていませんでした、朝10時から夜7時まで学校が空いているので、自由に使えました。十分練習できましたよ。
-海外の方とのコミュニケーションはいかがでしたか?
香田 雰囲気はすごく楽しかったですけど、やっぱり、もうちょっと英語が話せたら良かったな…と思いました。
-事前に英語は勉強されていたんですか?
香田 いえ、全然。(笑)行ってみて、頑張ろうという気になりました。
-文化の違いで驚いたことはありましたか?
香田 そうですね。よく言われることですが、本当に自分の意志をはっきり言いますね。ちゃんと自分の意見を持ってて、自信を持って言えるというか。外国に行って、私はもっと自分を出せる気がしました。周りがみんなそういう空気ですから自然と自分に自信も持てますね。海外では、やはり積極的にならないといけないですよね。
-日本人の感覚よりオーバーな感じでやったほうがいい感じなんでしょうかね
香田 はい。それでも、全然オーバーではないんですよね。むしろそれくらいしないと伝わらない。
-なるほど。街の様子はどんな感じですか?
香田 小さな町で、特に観光するところもないような田舎でした。でも、お城の中が本当にキレイでした。公園の中にお城があるのですが、歩いて回ると2~3時間くらいかかりましたよ。ゴルフ場もあってゆったりとした雰囲気で本当に落ち着く場所でした。
-ブリュッセル市内はどんな感じでしたか?
香田 多くの人でとても賑やかでしたよ。本当に親切な方ばかりで道に迷っても全く困りませんでした。
-治安はどうでしたか?
香田 問題ありませんでした。怖い思いもしませんでしたし、英語も通じましたから。
-初めての海外という方にも、比較的安心な場所のようですね。今回、宿泊先は、どういったところでしたか?
香田 ホームステイでした。おじいちゃんとおばあちゃんの、すごく素敵な家庭でした。息子さんもブリュッセルに住んでいるので、週末に来たりしていました。その方が、日本の大学に行っていたようで、日本語がペラペラでした。色々お話してくれましたよ。
-海外のお宅に入るのは、不安があったと思うんですが。
香田 そうですね。でも、毎年日本人を受け入れているホームステイ先でしたので、日本人がそこに滞在したんです。なので、安心でした。凄く大きなお家なので、たくさん受け入れられるみたいです。本当にお城のようなお家でした。
-ひとりに一家庭ではないんですね。
香田 他の受講生はほとんどそうだったみたいですが、わたしが滞在したお家だけは、たくさん受け入れていました。他の参加者からは一番良いステイ先だと言われましたよ。
-それはラッキーでしたね! 滞在中の食事はどうされましたか?
香田 朝はステイ先で用意してくれるので、それを食べました。パン、ジャム、コーンフレーク、フルーツなどが並んでいて、自分の好きなものをそれぞれ取って食べるという感じです。夕食も用意してくれたのですが、講習会が終わるのが18時頃で、ステイ先までのシャトルバスの時間が21時でしたから、その空いた3時間で他の受講生たちと一緒に食べることが多かったです。
-レストランはあるのですか?
香田 はい、会場の近くにはありました。日本食レストランもあったのですが高そうだったので、中華料理屋さんによく行きましたね。結構美味しかったですよ。ステイ先ではほとんど毎日パンが出ました。あと、ソーセージも多かったですね。
-講習会場までは、どうやって移動していたんですか?
香田 シャトルバスが迎えに来てくれました。前の日に名前を書いて予約すると、家の前まで迎えに来てくれるんです。帰りも同じ要領でした。
-歩いては行けない距離だったんですか。
香田 ちょっと無理ですね。どこも行けないんです、田舎過ぎて(笑)。ホームステイ先があるところなどは、本当に何もなかったんです。学校の近くにはスーパーがあるので、学校のあとに寄って、その後バスで帰るという感じでした。
-今回、講習会に参加して一番良かったことは何ですか?
香田 バイオリンの技術についていえば、今後の課題が浮き彫りになって、これから練習していく上で大きな収穫となりました。日本人の演奏だけでなく、色々な方の演奏を聞いたことによって、表現の仕方の幅が広がったように思います。また、室内楽のレッスンもありました。私は今回ピアノ、チェロの方とトリオを演奏することができました。残念ながら私の聞いたことのない曲になったのですが、ピアノ、チェロの方と一緒に弾いているだけで、自分にどのような演奏、表現が求められているのかが感じ取れたのです。まるで魔法のようでした。今までで一番楽しく、衝撃的な室内楽のレッスンでした。ソロのレッスンより室内楽の方が楽しかったかもしれません(笑)
-今後の音楽活動に生かせそうですね。今後、海外留学をしてみたいという方にアドバイスをお願いします。
香田 やはり、ペラペラではなくてもいいので、英語は話せたほうがいいということですね。一生懸命話していれば、分かってくれる部分はあるのですが、話せるに越したことはありません。
-音楽家になりたいという目標はありますか?
香田 そうですね。今までは音楽は趣味だと思っていたんですが、今回参加してみて音楽の素晴らしさを改めて実感しましたし、もっと深く追求して将来的にそういう道に進めたらいいなとは思い始めています。
-今回の留学で可能性も更に増えたことと思いますので、今後も頑張ってください。今日はお忙しいなか本当にありがとうございました。
須山由梨さん/ピアノ/ウィーン国際音楽ゼミナール/オーストリア・ウィーン
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。
須山由梨さんプロフィール
3歳よりヤマハ音楽教室に入会。幼児科~ジュニア専門コースで学ぶ。中学2年生で「第2回かやぶき音楽堂ピアノデュオ連弾コンクールD部門」第2位、中学3年生で「第6回若き獅子たちのジュニア音楽コンクール」県知事賞を受賞。兵庫県立西宮高校音楽科ピアノ専攻を経て神戸女学院大学音楽学部器楽(ピアノ)専攻入学。同時に半年毎に阪神間にて自主企画コンサートを実施(1~3回目はフェリーチェ音楽院、4回目以降は世良美術館)。3年生で「第54回朝日推薦演奏会」に出演、「第15回KOBE国際学生音楽コンクールピアノ部門」奨励賞を受賞。現在4年に在籍し「第16回オータムコンサート」に出演、ハンナ・ギューリック・スエヒロ賞を授与される。ボリス・ベクテレフ氏に師事。2009年夏、ウィーン国際音楽ゼミナール ジュゼッペ・マリオッティ先生のコースを受講。
-まずは、須山さんのご経歴からお願いいたします。
須山 兵庫県立西宮高等学校音楽科を卒業し、現在、神戸女学院大学音楽学部の4年生です。
-講習会に参加されたのは、今回が初めてなんですよね?
須山 はい、初めてです。海外旅行としては、小さい頃に行ったことはあるようなのですが、記憶にないんです。写真を見て、ああこんなところに行ったんだな、という感じで。
-今回、参加されたきっかけは、学校でそういう制度があったからということですが。
須山 そうですね。今年から制度が始まって、こういう講習会に参加しませんか、という掲示を見て存在を知りました。そこに書いてあった講師陣の中に、以前から気になっていた先生のお名前を見つけたのも、大きな理由です。その先生にも教えていただきたいし、海外で講習を受けられるなら、と思い応募しました。
-その制度には、学内で選考試験などはあったのですか?
須山 はい、一応選考は成績だったようです。3年生の後期の成績が評価されたようです。
-素晴らしいですね。さて、講習会ですが、参加者はどのくらいの人数がいましたか?
須山 50人くらいだったと思います。実際、全員集まるという機会がなかったのでよくわからないのですが・・・。担当の先生によって、行事への関わり方が違いまして。たとえば、オープニングイベントなどに、「いってらっしゃい」って送り出してくれる先生もいれば、「僕たちは僕たちでやりましょう」みたいな先生もいらしたので。
-参加者は、どんな国籍の方が多かったですか?
須山 私たちのときは、日本人が本当に多かったです。ちらほら他の国の方はいらしたんですけど。
-ウィーンは、日本人には人気の場所ですし、日本の大学生のお休みの時期でしたもんね。
須山 そうですね。夏休みが始まる頃だったので、皆さんも行きやすかったんでしょうね。私は、二期に参加しましたけど、フルートの友達が五期で行ったときには、外国の方が多かったって言っていましたので、時期によっても違うみたいです。
-講習会のスケジュールは、先生ごとに個々で決まっていたんですか?
須山 はい。私の場合は、土日を除いて毎日レッスンしていただきました。本当に先生によって、大分スケジュールも違っていたみたいです。
-たくさんレッスンを受けられて良かったですね。
須山 本当にありがたかったです。時間としても、1時間から1時間半くらいで、それが毎日でしたから。
-先生はどんな方でしたか?
須山 本当に穏やかで親切な、まさに紳士という方でしたね。細かいところにまで気を使ってくださって、すごく丁寧に教えていただきました。
-レッスンではどんなことを教わりましたか?
須山 ペダルの使い方をよく教えていただいたのが印象に残っています。先生曰く、ウィーンスタイルという奏法があるそうで。そういうことをいろいろ教えていただきました。
-レッスンはドイツ語ですか?
須山 基本は英語でした。ただ、いろんな言語がしゃべれる先生なので。日本でも徳島文理大学の音楽学部長をされている方で、時々日本語も混じりましたし(笑)。
-練習はどこでされていたんですか?
須山 学校とホテルの練習室ですね。どちらも、2時間を上限として、予約して使う形です。私は、学校の練習室もホテルの練習室もどちらも使いました。
-それぞれの練習室で違いはありましたか?
須山 学校の練習室は、アップライトのピアノだったんです。ホテルは3部屋中2部屋がグランドピアノでした。私は、そのうち1つの部屋が気に入ったので、主にその部屋で弾いていました。
-レッスン以外の時間は何をしていましたか?
須山 コンサートに行ったり、観光したりしていました。美術館へ行ったり、ショッピングなどもしましたね。
-美術館はどうでしたか?
須山 やっぱり素晴らしかったです。美術博物館に行ったんですけど、本当にいたるところに作品が並んでいて、歴史を感じられる作品がたくさんあって、感動しましたね。有名な絵などもありましたから。
-ウィーンは、そういう芸術面は充実してますからね。
須山 ただ、ちょうどオペラをやっていない時期だったので、それが残念でしたけど。
-それは残念でしたね。コンサートは何のコンサートに行かれたんですか?
須山 ひとつは、観光客向けの弦楽四重奏だったんですが、歌やバレエもついていました。こじんまりとした所だったんですけど、素晴らしかったですよ。あとは、ウィーン国立音楽大学の先生が指揮されている、管弦楽団のコンサートに、私のピアノの先生に招待していただいて行きました。とてもいい思い出になりました。
-宿泊先はホテルだったと思うんですが、対応はいかがでしたか?
須山 すごく皆さん親切でした。しいて言えば、シーツなどを整えてくださるハウスキーピングの方が、日によって、すごい早いときがあって、思いっきり寝ているときに来てしまったこともありましたね(笑)。「Don't Disturb 」の札とかなかったので・・・。困ったことはそのくらいで、とても過ごしやすかったですよ。
-宿泊先と講習会場は、どうやって移動していたんですか?
須山 トラムで移動しました。不安だったんですけど、最初、詳しい方が連れて行ってくださったんです。おかげで、すぐ自分で乗れるようになったので、毎日使ってました。
-助けてくださる方もいたんですね。
須山 はい、とてもありがたかったです。宿泊先にも日本人の方が多かったですし。学校の先輩と、向こうでばったりお会いしたりもして、それも心強かったですね。
-食事は外食が多かったんですか?
須山 そうですね、友達と一緒に行きました。けっこうイタリアンレストランが多くて、入りやすかったのでよく行っていました。あとはカフェとかですね。値段としては、平均、10から15ユーロくらいだったと思います。
-日本と比べると、やや高いですよね。
須山 そうですね、量も多いんですけど。ただ、私の場合は、すごくお腹がすいていたので、たっぷり食べてましたから(笑)。レッスンだけでもお腹が空きますからね。
-皆さんも、疲れてたくさん食べるって聞きますよ。カフェではお菓子も食べられたんですか?
須山 はい。お昼とおやつを食べたり、夕飯とデザートを食べたり。それこそ、ザッハトルテとか、ケーキとか、思う存分食べてきました(笑)。あとは、ウィーンの郷土料理の、ヴィーナシュニッツェルも食べました。
-それはどういう料理なんですか?
須山 牛や豚のカツレツです。シュニッツェルセンターというのがホテルの近くにあって、そこにも通いました。ヴィーナシュニッツェルのファーストフードみたいなものなんですけど。
-どんなソースなんですか?
須山 ソースはかかってないですね。塩コショウで、すごくシンプルなんです。
-今後行かれる方にはぜひ食べてもらいたいですね。さて、日本人の方が多かったということですが、海外の人と交流することは少なかったんですか?
須山 お店の方とはお話しする程度でしたね。
-そのときに上手くコミュニケーションするコツはありますか?
須山 笑顔と挨拶ですね。ガイドブックにも書いてあったのですが、お店に入るときも、挨拶をするように心がけました。そうすると皆さんも笑顔で返してくれるので。
-特に困ったことやトラブルはありましたか?
須山 大きなトラブルは特になかったんです。ひとつ挙げれば、前日に大学の下見に行ったんですね。そのときは地下鉄を使ったんですけど、地下鉄からホテルに帰れなくなって・・・(笑)。友達も一緒だったんですが、どうしても分からなくなってしまって、近くの方に聞いて教えてもらったりして、なんとか無事にたどり着いたということがありました。
-現地の人も親切だったんですね。
須山 本当に親切でしたよ。片言の英語で話しかけたんですけど、すぐに英語で答えてくれましたし。
-英語は皆さん話せるんですね。
須山 はい。お店の方も英語で対応してくださいました。
-ドイツ語が話せるほうがベストだけれど、英語でも困らないんですね。
須山 はい、お店での会話ならそれでも。観光客の方も多いので、お店の方々は、日ごろから英語を話してらっしゃるんでしょうね。
-今回講習会に参加して良かったことは何ですか?
須山 もちろん、ウィーンの文化に触れることが出来たのも嬉しかったんですけど、講習会の中で、 ベーゼンドルファーザールで演奏する機会があるっていうのが、しおりに書いてあったので、そういう機会があったらいいなって思っていたんです。そうしたら運良く、そこで弾けることになりまして。私はベーゼンドルファーが好きなので、夢のような場所で演奏できて、とても感激しました。
-素晴らしいですね!今後の自信にもなりますね。では、日本とウィーンとで大きく違う点は何ですか?
須山 日が暮れるのが遅かったですね。9時くらいにやっと暗くなる感じで。日本でいるときの感覚からしたら、「あれ?もうこんな時間?」っていうのことがありました。
-電車などの交通が遅れたりとかはしなかったんですか?
須山 トラムは、バスみたいな感じで、少し遅れることはありましたけど、大幅な遅れはなかったですね。あとは、また食べ物の話ですが(笑)、料理を注文してから来るまでの時間が長かったです。日本だとクレームがつくくらいでしょうか、平均で30分は待ってましたね。ですから、コンサートに行く前などは、余裕を持ってご飯を食べに行ったほうがいいと思います。
-今後留学する人へ、何かアドバイスはありますか?
須山 私の場合は、西洋音楽の歴史がすごく遠いものだったんです。それが、作曲家のゆかりの地などを訪ねたりして、「こういう所からこういう音楽が生まれたんだな」って実感できて、身近に感じられるようになりました。想像以上のものを感じられたので、ぜひ、皆さんにも、実際足を運んでみてほしいなと思います。
-では、留学前にしっかりやっておいたほうがいいことはありますか?
須山 私の場合は、語学をもうちょっとやっておいたほうがよかったと思いました。片言の英語でも通じるのですが、ドイツ語も少しはやっておいたほうがいいと思います。メニューを見るときや、標識を読むときなども苦労しましたので。通りの名前も細かく書いてありますし、地図も見やすいので、最低限それが読める程度の語学力があればいいと思います。
-留学を経て、今後の進路は?
須山 今、大学4年生で、大学院に進学を希望しているのですが、試験が1ヵ月後なのでまだ分かりません。神戸女学院の大学院があるので。そのまま進めたらいいなと思っています。
-試験では何曲弾かれるんですか?
須山 4曲です。40分程度のプログラムを組まなくてはいけないんですよ。
-いつかまたウィーンにも行ってみたいですか?
須山 はい! すぐにでも行きたいです!
-今度は研究として留学されるのでしょうか、演奏家としてなのでしょうか。
須山 演奏家としてでしたら嬉しいですね。
-今後の活躍を期待しております。本日はありがとうございました。
簾田勝俊さん/フルート/ミステルバッハ国際夏期音楽マスタークラス/オーストリア・ミステルバッハ
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。
簾田勝俊さんプロフィール
プロフィール追加
2009年夏、ミステルバッハ国際夏期音楽マスタークラス において、カーリン・レーダ教授のコースを受講。
-まずは、現在までのご経歴を教えてください。
簾田 高校1年生のときにブラスバンドに入り、フルートを始めました。でも、進学校でしたから1年で辞めたんですけど。
-では、フルートは、ご趣味として練習を重ねてきたんですか?
簾田 いえ、それからずっと遠ざかっていまして。2年半前、57歳の時ですが、キヤノンという会社を辞めて独立し、会社を興したんです。それで、自由時間が出来たものですから、数十年ぶりに再開したというわけです。レッスンにも2年半前から通っています。
-では、講習会に参加されるのは全く初めてだったんですね?
簾田 はい。日本では、新日本フィルの方のレッスンなどを受けたりしたこともありましたが、海外は始めてです。
-これまでに海外に行かれたご経験は?
簾田 はい、仕事を含めてしょっちゅう行っています。
-どこが一番思い出深かったですか?
簾田 世界中ですからね(笑)。個人的には、北欧が好きですね。写真展でも北欧の写真が多いですよ。
-今回、このミステルバッハの講習会に行きたいと思った理由は何だったんですか?
簾田 仕事もあるので、スケジュールが合ったというのが一番の理由ですね。ニューヨークで写真展があったりしましたから、しょっちゅう行ったり来たりは出来ませんし。実は、モーツァルテウムも気になったのですが、オーディションがあるということだったので諦めました。落ちたらやだなと思って(笑)。ミステルバッハはオーディションがないですし、誰でもコンサートに出られるというところが魅力でしたね。
-講習会の参加者はどのくらいでしたか?
簾田 フルートだけで15人くらいです。
-どんな人が参加されていましたか?
簾田 ほとんど学生でしたね。一番若い子は、13歳でした。コンクールで優勝して、そのご褒美として参加していたみたいですけど、かなり上手かったですね(笑)。オーストリア人がほとんどでした。僕以外は、生徒も先生も顔見知りのようでしたね。先生が普段も教えている生徒もいたみたいです。僕は、世界各地から集まってくると思っていたので 、そこは予想と少し違っていました。それはそれで良かったですけど。
-アジアの方はいらっしゃらなかったんですか?
簾田 台湾の子が二人いましたけど、その子たちもオーストリアに留学している子たちでしたね。
-スケジュールはどんな感じでしたか?
簾田 8日間の中で、1時間のレッスンが5回くらいありました。夜はアンサンブルの練習をしましたし、かなり充実していましたね。先生たちのコンサートも含めて、コンサートは3日間ありました。
-先生はどんな方でしたか?
簾田 3人いたんですが、まずカーリン・レーダー先生というウィーンの音楽院の教授がメインで教えてくれました。そして、イタリアの大学で教えてらっしゃる方、もう一人はイスラエル出身のオーストリアの大学の先生でした。それぞれ個性的で面白かったですよ。
-皆さんフレンドリーでしたか?
簾田 そうですね、とてもフレンドリーでしたよ。僕が写真を撮るのを分かっていて、写真を撮ってほしい先生とかもいましたし。いい写真をたくさん撮れたのも良かったですよ。とても美しい生徒もいたから(笑)、レッスン中なんて、ものすごくいい絵になりますし。写真家としても、なかなかそういう機会には恵まれないですからね。
-ぜひ拝見したいです!
簾田 日本でも写真展やると思いますから、見てください。
-レッスンではどんなことを教わりましたか?
簾田 今やっている教わりたい曲を中心に教えてもらうのと、コンサート用のレッスンです。コンサートにおける心構えや姿勢、気持ちのもっていき方とかを教えてもらって、非常に勉強になりました。音楽は人に聴かせるものだっていう考え方とか、やはり違うなって思いました。日本では、練習することが重要なんだっていう考え方ですからね。国民性の違いもあるでしょうが、やはり音楽の国だなと思いましたね。僕も、もともと人前で演奏するのが好きだし、人に楽しんでほしいなという思いを持っていたので、合っていましたよ。日本のレッスンでは、オーケストラに所属している子や音大を卒業した子などもいますが、積極的に前に出て行くということは、あまりしませんからね。
-日本人の国民性でしょうかね。
簾田 「オーケストラに入っていても首席はやりたくない」とか言う人もいますよ。何でだろう?みたいな(笑)。僕は、下手でも首席やらせてくれないと面白くないって思うタイプだし、コンチェルトでも「ソロやらせてくれないかな」とか(笑)。今回の講習会でも再確認しましたが、音楽っていうのは、人を気持ち良くさせるというか、そういうのも重要な要素ですので、そのために練習するのが大事なんですね。
-良い勉強になったんですね。日本の曲を演奏されたそうですが、反応はいかがでしたか?
簾田 「春の海」ね。受けましたよ。コンサート後に、この譜面くれないかって言う先生もいました。日本にも聴かせる曲があるんだ、ということを見せられたのは非常に良かったです。「来年は、絶対モーツァルトのコンチェルトをやる」って言って帰ってきたんですけど(笑)。オーストリアですから、やはりモーツァルトもやりたかったんですよ。僕は、かぶれているわけじゃないですけど、ヨーロッパは美術や芸術の面で素晴らしいものがあると思っていますので、もっと知りたかったんですよね。
-やはり、聴かせる音楽という点では、日本とは違いましたか?
簾田 練習を聴いていても、日本とは根本的に違うなって思いました。あそこの雰囲気で聴くのもまた違いますしね。初日に、先生が弾いたのを聴いた時、ああやっぱり先生は違うなって思いましたけど、その後、生徒の音を聞いても、やっぱり音の流れが違うなって感じましたね。非常に心地良いんです。そういう心地良さが音楽の原点になっているのかなって思いました。音楽ではないですけど、僕の写真もそういうものが多いんですよ、静けさを感じるような心地良いものが。
-レッスンは、基本的にドイツ語だったんですか?
簾田 僕の個人レッスンは、ほとんど英語でしたね。他の生徒はドイツ語が多かったですけど。イタリアの先生は、英語のほうが得意だったので英語でしたが、基本的に二人の先生はドイツ語でしたね。
-言葉のほうは大丈夫だったんですね。
簾田 ええ、英語は。普段使っていますから。
-練習はどこででされていたんですか?
簾田 練習室は特になかったんです。自分の部屋がかなり広いのでそこでやったり、先生のレッスン室でやったりました。夏休みの間のドミトリーのような所でしたので、どこで吹いてもOKだったんです。
-自由で良かったですね。どのくらい練習しましたか?
簾田 僕はそんな長くないです、2時間くらいでしょうか。他の子は、朝から晩までやっていましたね。朝8時っていうと音が聞えてきましたから。
-レッスンや練習の時間以外は、何をされていましたか?
簾田 レッスン以外は、写真を撮っていました。僕は、オーストリアやドイツの田舎の風景が好きなので。非常にいい写真がたくさん撮れましたよ。歴史的な建築物がたくさんありますからね。
-街の様子はいかがでしたか?治安は良いほうですか?
簾田 オーストリアやドイツは、いろんなところに何十回と行っていますが、怖いことはないですね。ただ、若い女の子たちは分かりませんけど。ナイロビなんかに比べたら安全ですよ(笑)。オーストリアは夜9時にもなれば、レストランなども閉まってしまいますから。イタリアやギリシャは夜2時くらいまでは大騒ぎしてますけど。
-街の人の様子はどんな感じですか?
簾田 オーストリアやドイツは、基本的には真面目な人が多いですよ。日本みたいに繁華街が乱れているとかそういうのはないですね。そして、特にミステルバッハは田舎なので、夜にはほとんど人がいませんよ。スーパーなども6時には閉まってしまうような所ですから。ほとんど音楽しかやることがないっていう感じですね。
-音楽を集中して勉強したい人にはピッタリですね。
簾田 みんな音楽が好きですよね。参加者は小さい頃から音楽をやっている子ばっかりだから。僕くらいですよ(笑)。でも、行ってよかったと思います。まあ、海外にあまり行ったことのないような男性だったら、少しキツイかもしれませんが。孤独になっちゃうかもしれないから(笑)。僕は、音楽が好きな人なら、もっと来たらいいのにって思いますけど。
-どこかに遊びに行かれたりはしなかったんですか?
簾田 行きませんでしたね。その1週間くらいは音楽漬けでいたいと思ってましたから、良かったですよ。
-宿泊先は、寮だったんですね。
簾田 寮みたいな感じですね。いろいろな合宿の人も使うのでしょうか、ほとんど誰もいなかったです。ご飯も、簡単な朝食が出るくらいですから。
-管理人さんはいらっしゃらなかったんですか?
簾田 いなかったです。カーリン・レーダー先生と、彼女のご主人が中心になって面倒を見てくれたので、非常にこじんまりとした感じでしたよ。
-カーリンレーダー先生の対応はいかがでしたか?
簾田 非常に良かったですよ。ご主人も素晴らしい方でしたね。クラリネットとサックスの間みたいな楽器でアンサンブルに参加してくれたり。演出が好きな方で、野外コンサートのときのライティングなどは、素晴らしかったですよ。僕が持っていった写真データを使って、日本の曲のときは日本の写真を壁に投影したりして。観客はワインを飲みながら、それを聴くっていう雰囲気を作ってくれたりしました。夫妻が住んでいるところが車で10分くらいのところらしく、いろいろ世話を焼いてくれて楽しかったですよ。
-宿泊先から講習会場へは、どうやって移動していたんですか?
簾田 一緒の場所だったんです。コンサートだけがシティホールだったんですよ。
-ご飯は、どうされていたんですか?
簾田 朝はパンとハムとチーズ、あとは果物がちょっとある程度です。昼は、みんなでピザを取ってつまんだりという感じでした。夜は、アンサンブルの練習を毎晩6時から10時くらいまでやっていますから、その後みんなで飲みに行ったりしました。食べるものはソーセージくらいしかないんですけどね。質素そのものです。
-外食でも安く上がるんですね。
簾田 ええ。ミステルバッハには、日本のように何千円も何万円もするような食事をする場所はないですからね。まあ、千円も出せば腹いっぱいですよ。
-今回は、オーストリアの参加者が多かったということですが、海外の人と上手く付き合うコツはありますか?
簾田 僕は、写真の話がありますからね。相手も聞きたがりますし、僕はあまり苦労はしないですね。
-簾田さんは、積極的に話されるほうですか?
簾田 そうでもないですよ。向こうから必要なことを話しかけてきて、そこから話題になっていくという感じですかね。イタリア男みたいに、女の子に声を掛けまくるようなことはしないですよ(笑)。若い学生ばかりでしたが、ひとり中年の女性もいらして、その方も良く話しかけてきましたね。
-趣味的なものがあると、話しやすいんでしょうね。
簾田 そうですね。日本の中高年の男性で、留学される方はあまりいらっしゃらないでしょうけど。
-それがけっこういらっしゃるんですよ! ジャズピアノとかが割と多いですね。クラシックではバイオリンの方とかいらっしゃいますよ。
簾田 そうなんですか。フルートは全体的に女の子が多いですけどね。
-さて、留学中に何か困ったことはありましたか?
簾田 全然、何もなかったです。僕は何十回と行っていますが、ドイツ、オーストリア、フランスなどでは、今まで怖い思いをしたことは全くありません。今回も、ローマから飛行機が1時間半くらい遅れたんですけど、ドライバーが待っててくれましたし。真面目なお国柄だなと思いましたよ。
-今回講習会に参加して、良かったと思う点は何ですか?
簾田 それはもう、最後のコンサートですね。若い子たちが、みんなで親指を突き上げて、日本語で「良かった!良かった!」って言ってくれたことです。日本人ピアニストの渡辺さんから教わった言葉らしいんですけどね。アンコールではないのですが、演奏後、もう一回舞台に立って拍手を浴びたのが嬉しかったですね。
-それは素晴らしいですね!日本人が日本の曲を演奏したのも良かったのでしょうかね。
簾田 一番感激してくれたのは、オーストリアの大学から来ていた先生ですね。カーリン・レーダー先生が忙しくて来れない時、舞台のリハを見てくれたんですが、演奏後にハグをしてくれたりして。確かに、「春の海」をフルートで演奏するのとても良かったですよ。日本の誇る名曲だなって思います。
-現地の方は、日本の曲を聴く機会もなかなかないでしょうからね。
簾田 カーリン・レーダー先生が、「絶対受けるから、この曲を演奏しなさい」っておっしゃって。でも、日本の曲とはいえ、勉強になりましたよ。やはり人に聴かせる音楽としての教え方ですよね、楽譜どおりに弾きなさいというのではなく。そういう教わり方をしたことはなかったので、勉強になりました。
-教え方も国によって違うんですね。
簾田 やはり、あれだけのものを作り出す国ですものね。僕は、クラシックの専門家ではないですが、クラシック音楽って良く出来ているなって思いますよ。僕はずっと技術屋として、もの作りをしてきましたから、音楽も「どうしてこんなものが作れるんだろう」って、もの作りの観点からも感動してしまったんですよね。そういう面でも、行って感じられて良かったと思います。僕は、やはり感動から物事が始まるって思っていますから。
-ブログを拝見しても、良い経験をされたというのが伝わってきました。では、留学に参加してみて、自分が変わったなって思うことはありますか?
簾田 この年だから簡単には変わりませんが(笑)、先ほども言ったように、音楽に対する見方は変わりました。本質に近いものを感じられて良かったです。その環境にいないと聴こえない音っていうのもありますから。それと、音楽や絵画、写真でもそうですが、人に感動を与えることが大事だなって、今まで以上に感じました。ヨーロッパでは、どんな小さい街でも、コンサートをやっていますから、そういう感動に触れる機会が非常に多いでしょう。日本ではなかなかないですからね。
-音楽に対する姿勢は、日本とは違いますか?
簾田 ヨーロッパでは、音楽そのものを学ぶことが大事だっていうか、本質的なものを勉強する考え方ですが、日本は、ロビー活動が重要視されるような感じが、少なからずありますからね。
-では、今後留学する人へアドバイスをお願いします。
簾田 積極的に行ったほうがいいと思います。
-「行きたいけど行けない」って言っている人ほど、行ったほうがいいですよね。
簾田 僕は、長年小さいオーケストラに入っていますが、向こうのアンサンブルの指導を受けてみて、やはり全然違うなって思いましたからね。カーリン・レーダー先生のご主人を見てても思いました。アンサンブルのとらえ方や、体の使い方までも違いますから。今回、垣間見ただけですが、本気でやるんだったら、海外で勉強することはいいことだと思いますよ。
-では、簾田さんの今後の音楽活動について教えてください。
簾田 音楽でメシを食おうとは思っていませんけど(笑)、機会を作ってできるだけ演奏したいです。すぐ近くに信州国際音楽村っていうのがあって、そこの屋外の木の舞台に上がって、一人で演奏したりとかするんですが、観客が一人二人で手を叩いてくれるだけでも嬉しいですからね 。この前も外で吹いてたら、「おじさんすごいね、フルート吹いているの?」って声かけられたりして。田舎ですから、普段あまり聞く機会がないと思うんですよ。なので、ここで小さい子どもたちにフルートを教えたりもしたいとも思いますね。本当は、犬がいなければ、2年や3年ヨーロッパに行ってみたいんですけど。スロバキアの大学一年で卒業できるとかいうプランもあるようなので、そういうのいいかなって思うんですよ。1年くらいは音楽の専門の勉強をしたいなって思います。でも、犬がかわいそうですからね(笑)。
-せっかく見せる音楽を学ばれたので、演奏する機会がたくさんあるといいですね。
簾田 若い子たちは一生懸命音楽をやっていますけど、もっともっと人前で演奏するということをやったらいいと思いますよ。 ・・・あなたは音楽をやっていたんですか?
-私は中学、高校とピアノを専門で学んでいましたが、才能がなくって・・・。
簾田 そうですか。でも、若いときに、自分の才能の限界は決めちゃいけないって思いますよ。僕も昔は、才能が必要だと思っていたんですが、今は、目標意識を高く持つことだなって、そういう気がします。僕の場合は音楽専門でやってきたわけではないからかもしれませんが、「音楽も出来る」っていうのが、とても嬉しいんですよ。少しでもやっていて良かったなって思いますから。才能のある人っていうのは、必ずいるんでしょうけど、音楽って一生懸命やれば、誰でも人に感動を伝えられると思いますよ。
-なんだか、とても励まされました!今日は本当にありがとうございました。
海瀬京子さん/ピアノ/ベルリン芸術大学/ドイツ・ベルリン
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。
海瀬京子さんプロフィール
静岡県出身。西島淑恵、高原節子、塩谷安圭美、播本枝未子、倉沢仁子、エレーナ・ラピツカヤの各氏に師事。東京音楽大学付属高校、同大学を経て同大学院修了。2004年第28回ピティナピアノコンペティション特級準金賞および聴衆賞、併せてロイズ賞、三井ホーム賞、王子賞を受賞。2005年第74回日本音楽コンクールピアノ部門第1位。併せて野村賞、井口賞、河合賞を受賞。2010年第17回アルトゥール・シュナーベルコンクール第1位。これまでに東京交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、セントラル愛知交響楽団、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、群馬交響楽団、東京音楽大学シンフォニーオーケストラ等と共演。また、NHK交響楽団首席奏者メンバーと室内楽を共演。2007~2010年度(財)ローム・ミュージックファンデーション奨学生。現在ベルリン芸術大学に在籍中。
-まずは、簡単なご経歴をお願いします。
海瀬 5歳からピアノを始めまして、東京音大の付属高校に入学しました。そして、そのまま東京音大と同大学院を修了しまして、現在ベルリン芸術大学に留学中です。
-ずっと長く音楽をやっていらっしゃるんですね。最初に始めたのは、近所のピアノ教室ですか?
海瀬 はい。ただ、その前に始めは近所の音楽教室に入って、みんなとわいわい音楽を楽しんでいました。母が元音楽講師だったのでグランドピアノが家にあったりして、音楽が身近にある環境で育ちました。
-本格的にピアノを学ぼうと思ったきっかけは?
海瀬 ピアノを始めた頃から、なんとなく音楽家になりたいとは思っていたんです。具体的には、中学校くらいの頃から、早く本格的な教育を受けたいと思うようになりました。のちに教わることになる高校・大学時代の教授に教わりたいなって思ったとこから、本格的に音高受験を準備し始めたという感じですね。
-留学を決意されたきっかけは?
海瀬 実は、元々はあんまり留学のことは考えていなかったんですよ。運良く奨学金がいただけることになったので、留学を決意しました。
-奨学金はどの団体のものですか?
海瀬 ローム・ミュージックファンデーションです。大学院2年の時にいただいたんですが、その奨学金は、国内の学校でも海外の学校でも、最長4年もらえると言うものだったんですよ。なので、日本の大学院で残りの1年間分を使って、今のベルリン芸大が3年のプログラムなので、ちょうどいいなということで。
-ベルリン芸大を選ばれたということですが、決めるまでのいきさつは?
海瀬 日本の先生が、この先生がいいんじゃないかとおっしゃったんです。実際、受験する前に、現在の先生の前で演奏したところ、先生も気に入ってくださいまして。あと、都会に行きたいという思いもあったんです。いろいろな講習会を受けたりして悩んでいたんですが、ベルリンに来た時、しっくりきたんですよね。それで、やっぱりここにしようと思いました。
-どういった講習会に参加されたんですか?
海瀬 ザルツブルグとか、浜松でやってる浜松国際ピアノアカデミーなどです。
-今師事されている先生は、どんな方なんですか?
海瀬 エレーナ・ラビツカヤ先生と言うロシア人女性です。
-ベルリン芸大を志望されている方は非常に多いのですが、受験の内容や出願書類などについて教えてください。
海瀬 私の課程の試験は実技のみです。曲も、バッハ、古典のソナタ一曲と自由曲ですね。でも、とにかく受験者が多いので、試験は1次試験と2次試験にわかれて行われます。1次試験では2~3分しか弾かせてもらえなかったです。2次試験になると、もうちょっと長く弾けるんですが、それでも全部は弾かせてもらえなかったですね。その短時間で、とにかく結果を出さなきゃいけないので、それは大変でしたね。出願書類は、そんなに覚えていませんが、特に多くなかったと思います。願書と写真、成績証明書、卒業証明書、それと語学の修了証明書などです。
-結果はその場で分かるんですか?
海瀬 その日のうちにだいたいの結果は出ますが、会議を経て正式に決まるので、書類を待たなくてはいけません。人によっては、先生からの情報では合格だったのに、会議後書類が送られてきて不合格だった、なんて人もいました。
-志望動機書などはなかったんですか?
海瀬 そういうのはありませんでした。
-試験の時の思い出を教えてください。
海瀬 すごく短くしか弾かせてもらえないと聞いていたので、私は、山を張ったというか、大体ここが出るだろうと予想して、そこだけ練習していたんです。でも、受験の直前に先生に聞いていただいた時、先生に「あなた、なんでここは弾かないの?」と指摘されたんですよ、あまり準備してなかったところを。「ここも出されるかもしれないから弾きなさい。」と言われたんです。それが、試験の4~5日前だったんですけど、急遽それを練習しましたら、実際、そこが試験に出たんですよ! やっぱり、ちゃんとやっておかないとだめなんだと思いましたね(笑)。
-レッスンしてもらって良かったですね!留学に関しての手続きは、ほぼご自分でされたんですか?
海瀬 ドイツ語が全然出来なかったので、ドイツ語の詳しい方に助けていただきました。もちろん全部ではなく、最初自分で書いて、最終チェックをお願いしました。
-では、手続きに関しては、そこまで苦労はされなかったんですね。
海瀬 はい。私は周りの方に恵まれていまして。こちらの先生とのやり取りも、大変素晴らしい先輩が親切にお世話をして下さいました。とてもありがたかったですね。
-そういう方がいると心強いですね。ちなみに留学準備はどのくらいから始めましたか?
海瀬 今の学校に決めてからとなると、半年ほど前からでしょうか。
-それまでドイツ語は勉強されてましたか?
海瀬 はい。ベルリン芸大は語学が厳しい学校でして、入学してから1年以内に、中級レベルの試験をパスしないと退学になってしまうんですよ。私は、大学でドイツ語を専攻してなかったので、慌てて1年前くらいから学校に通いました。けれど、実際はこっちに来てからはなかなか活かせなかったですね。最初はすごく辛かったです。
-ドイツに渡ってから、語学学校には行ってたんですか?
海瀬 はい、もちろん。毎日通っていました。最初の一年は、いったい何をしに来たんだろう?というくらい、語学ばっかりやっていました。そうしないと、試験にパスできないので。
-じゃあ最初の1年は語学学校に行きつつ、音楽はレッスンのみという感じですか?
海瀬 そうですね。今は語学の試験もパスしたので、レッスンのみです。そういうコースなので。ベルリン芸大は、とにかく自由な時間が多いんですよ。日本での成績証明書を見ながら、どの授業を取ったらいいか照らし合わせていくんですが、私の場合、たいていは日本で終えてきていたんですね。なので、室内楽とレッスンのみ取っています。室内楽は日本でもたくさん勉強していたのですが、なぜか取らないといけないことになりました(笑)室内楽というのも授業があるわけじゃなくて、3回本番をやればいいというものですし、レッスンも週に1回です。本番がある時は、追加でレッスンしてくださいますけど。
-噂なんですが、先生の推薦があると、語学の成績に関して厳しくないというのは本当ですか?
海瀬 それはいわゆる力のある先生のみ、でしょうね。でも、そのような先生に師事していても語学試験は取らないといけないでしょうし、あくまで噂程度、ととらえていた方が良いと思いますよ。
-そんなに甘くないですよね。
海瀬 でも、たいていの方はクリアしてますので、それほど恐れる必要はないかもしれませんが、一生懸命やらないといけないのは確かです。
-学校の雰囲気はどんな感じなんですか?
海瀬 ベルリン芸大は大きいので、校舎も何個かに分かれていますから、みんなばらばらでよく分からないんですよね。特徴は・・・、自由に使える時間がたくさんあるということでしょうか。自分の時間がたくさんあると思います。だから、いかようにも頑張れるし、怠けようと思ったらいくらでも怠けられる。それはどこでも同じかもしれませんけど。
-ドイツの学校は、厳しいのかなというイメージがあったのですが。
海瀬 自己管理がきちんと出来ていないといけないと思います。中間試験などもないので、3年間で唯一の試験は、卒業試験ということもありえますから。日本の学校みたいに、一年に一回試験があるわけではないで、時間の使い方は、その人にゆだねられています。自由なようで、それはある意味では厳しいことだと思います。
-そうなんですね。学生さんは、みなさん一生懸命練習されているんですか?日本の学生ほど、みんな練習しないと聞いたのですが。
海瀬 私も本番前など以外はそれほどはしてない方だと思いますけど。日本人の中でも、人それぞれですかね。でも基本的にきちんと練習しているんじゃないでしょうか。あと、こっちの人は、休むときは休むってはっきりしていますね。日曜とかは、学校も空いているみたいですね。
-日本人留学生の方はけっこういるんですか?
海瀬 はい。ピアノだけで、10人以上いるんじゃないでしょうか。ベルリンには、もう一つ音大がありますので、そちらも合わせると、かなり多いと思いますよ。
-日本とドイツで大きく違うことは?
海瀬 重複しますが、時間の使い方が自由に出来るので、自分自身にかかっているということでしょうか。
-授業やレッスンは日本と違いますか?
海瀬 特に違いはないと思います。日本か海外かではなく、それは担当の先生によって違うものでしょうね。私が日本で師事していた教授は長くドイツにいらした先生だったので、その影響か日本にいた時からその時々の状況によってレッスン内容が全く違いました。私の出来によってはレッスンが成立せずに終わってしまう、なんてこともありました。海外だともっとルーズ、のようなイメージを持っているかもしれませんが、逆に今の先生の方が時間に合わせて進行されているので、それぞれ先生方によって違いますね。
-熱心な先生なんですか?
海瀬 そうですね。細かく見てくださいます。段階を踏んで教えてくださるというか。
-レッスンは、時間通りに始まりますか?
海瀬 はい。私が日本で師事していた先生は大変お忙しい方でしたので、3~4時間待つこともしばしばでしたが、こっちに来てからのほうが時間通りですね。生徒数も日本の比にならないほど少ないですから。遅刻しても、それもその生徒の責任って感じで、咎められたりしないんです。心の中ではむっとしているかもしれませんが(笑)。
-学費は、奨学金でまかなえているんですよね。
海瀬 はい。
-日本でしっかり勉強しておいた方がいいことはありますか?
海瀬 勉強の仕方というのか、音楽に向かう姿勢をきちんと確立しておいたほうがいいと思います。自分で作り上げる能力を持っておかないといけないですね。それがないと、軸がどんどんぶれていってしまうので。
-日本だと、先生主体で音楽を作っていくというイメージが強いですが、それはないんですね。
海瀬 ないですね。日本、海外に関係なく基本は自分で作り上げるものだと思います。ですから自分で作り上げる力を培っておかないといけないのではないでしょうか。やはり、先生によっては癖みたいなものもありますから。「これは先生の癖だ」と判断できるようになっていないといけないというか。
-いろんな先生に見ていただくというのはいかがでしょうか。
海瀬 それはいいことだと思います。先生によってはそれを嫌う方もいらっしゃいますけど。でも私は、いろんな見方を教えていただける貴重な機会だと思います。
-あと、やっぱりドイツ語は勉強しておいた方がいいですよね。
海瀬 それは100%そうですね。そうでないと、ストレスだらけになってしまいますから。私も未だに出来ないですけど、最初の頃は、外に出るのもイヤでしたから。
-ベルリンは、ドイツ語だけなんですか?英語もOKなんですか?
海瀬 ドイツ語ですね。私の先生はロシアの方ですが、英語は一切話せないので、ドイツ語かロシア語のみですね。ぜひ日本で勉強しておいたほうがいいと思います。
-日ごろの練習はどのくらいされていますか?
海瀬 家でやったり学校でやったりするんですけど、本番前になって、ようやく弾き始める感じなので・・・(笑)。2~4時間とかでしょうか。
-休みの日は、どこかに行かれたりすることが多いですか?
海瀬 特にはどこにも出かけてもいないんですけど、こっちに来てから、思いきってピアノから離れてみるということもしてみています。
-不安にならないですか?
海瀬 それはないですね。周りののんびりした雰囲気を見ていると、そういった時間を過ごしてみるのもいいのかもしれないと思って。そういった日常的な「余裕」を作ることによって、自分の音楽にも何か良い影響があるかもしれない、と思います。それと音楽マンションのような、防音の部屋ではないので、周りの方の生活を考えなくてはいけないですし。
-フラットで一人暮らしですか?
海瀬 はい。ピアノをレンタルして、家で練習しています。
-弾いてはいけない時間帯とかがあるんですか?
海瀬 一応、日曜の午前中は弾かないようにしているとか、夜も8時くらいまでにしてます。私のところは周りの方も理解のある方々なので。そこらへんはフレキシブルにやっていますね。
-いい家が見つかって良かったですね。
海瀬 そうですね。みなさん住宅事情で苦労されていますからね。学校では、2時間くらいしか練習出来ないので。日本と違って、普通のレッスン室で練習するので、先生がレッスンをしていると部屋の数が減ってしまうんですよね。
-2時間でも足りないのに、大変ですよね。
海瀬 そうですよね。だから、ピアノの人は、たいてい自分の家にピアノを入れています。
-学外でのセッションやコンサートの機会は多いんですか?
海瀬 それもやはり、コネクションでしょうか。力のある先生のところですと、そのつながりで声がかかってくるみたいですが、私の先生はそういう方ではないので、自力で頑張って機会を作っていかないとなかなか無いです。なので、学外での演奏の機会はあまりないですね。
-何かに出演されたりしましたか?
海瀬 友達と室内楽をやったり、学内で行われたコンクールに出場しました。知人の方からリサイタルの話を紹介していただいたり、来年はコンクールの副賞でベルリンでもリサイタルの予定があります。
-やっぱりコネクションって大事ですね。現地の音楽の業界のツテは出来るのもですか?
海瀬 それもやっぱり先生によるかもしれませんが、基本的にはコンクール受けたり、自分でチャンスをつかむことが大事だと思います。
-留学生の皆さんは、コンクールとか受けてるんですか?
海瀬 はい。ドイツ国内外に限らず、受けてると思います。
-そういうところからプロへの道を開拓されているんですね。海瀬さんの一日のスケジュールはどんな感じなんですか?
海瀬 家にいる場合は、練習してご飯食べて練習して、っていう感じですね。出かける時は出かけますけど。特別なことはしていないです(笑)。
-お友達は、現地の方が多いんですか?
海瀬 どうしても日本人の方が多いですね。外国人のお友達は少ないです。少しだけ韓国の友達がいますけど。
-韓国の人だと、ドイツ語を練習し合えますしね。
海瀬 はい。お互い同じようなテンポなので(笑)。
-ベルリン芸大は、留学生も多いんですか?
海瀬 すごく多いです。私の周りで、ドイツ人ってあまりいないんじゃないでしょうか。アジア人がたくさんいます。特に日本人と韓国人。学校全体でもそうだと思います。
-海瀬さんのところの門下では、どんな比率ですか?
海瀬 日本、韓国、ロシア、アイルランド人などですかね。西洋人が3~4人くらい、5~6人がアジア人という感じです。
-でもドイツ語が必要なんですよね。
海瀬 守衛さんや事務局の人は全員ドイツ人なので。そういう方々とのやりとりも必要ですからね。
-日本人以外の国の人とうまく付き合うコツはありますか?
海瀬 私は、外国人の知り合いが少ないので・・・。積極的に話しかけたり、輪に加わっていくというのは大事なんじゃないでしょうか。
-そうですよね。やはり話題は音楽のことですか?
海瀬 他愛もない話ですね、芸能ニュースやサッカーの話など、共通の話題を見つけて話しています。
-住む場所も、自分で探されたんですか?
海瀬 たまたま先輩が同じところに住んでいらして、そこが空いているよと紹介していただいたんです。
-ラッキーでしたね。
海瀬 そうですね。その先輩は、前から知り合いだったのではないんですが、受験前に先生に会いに行ったとき、レッスンの時間が、たまたま前後してたんです。そのとき、「あ、この人日本人だ!」と思って、レッスンが終わるのを待ち構えて話を聞いたんです。そしたら、同じアパートの部屋が空いていると言うことで、大家さんにお話してもらうようにお願いしたんです。
-自分から話しかけたことによって見つけられたんですね。
海瀬 気になることがあったらどんどん聞いて、スパッと決めていかないと。特に住宅は、みんながいい所を探していますからね。
-悩んでいる暇があったら行動しないとって感じですね。大変な部分もあるかと思いますが、留学して良かったと思う瞬間はどんな時ですか?
海瀬 言葉が分からなくてストレス感じたり、レッスンで自分にない部分を指摘されて悔しく思う時こそ、留学している醍醐味を感じますね。ベルリンには世界でも超一流のオーケストラやオペラがあります。そこに良く足を運ぶのですが、そういった一流のものに間近で触れられた時なども、留学して良かったと思う瞬間ですね。
-そこで自分が変わったなとか、成長したなって思うのでしょうか?
海瀬 自分ではまだよく分からないですけど・・・。でも、日本に帰ったとき、先生に久々に聞いていただいたりして、「変わったね」とか「良くなったね」みたいに言ってもらえると嬉しいですね。
-こんなこと知らなかった、とかいう発見はありますか?
海瀬 ありますね。私はとにかく音色の種類を増やしたいと思って来たので、そういう面で、先生も細かく指摘してくださいますから、新しい発見はたくさんあります。
-それをどんどん習得している最中なんですね。
海瀬 毎回毎回、同じようなことを言われてしまうので、成長してないなってがっかりするときも多いですけどね。くじけそうになりますけど、ここで諦めるわけにはいかないっていう気持ちで頑張っています。
-前向きに考えられて素晴らしいです。ベルリン芸大なんてなかなか入れない学校ですし。海瀬さんが受けられたときは、どのくらい受験者がいてどのくらい合格されたんですか?
海瀬 130人くらい受験して、5~6人ですね。前に受験していて、入学時期をずらしてくる人もいるんですけど、その人たちを入れても10人くらいでしたから。
-試験官はどのくらいいらしたんですか?
海瀬 1次試験は午前午後に分かれていて、それぞれに分かれて先生がいるんですけど、2次試験は全教授が来ていましたね。
-それは緊張しますね!
海瀬 でも、フレンドリーな感じでしたよ。それよりも、ベルリン芸大の試験は、すごく大きなホールであったのですが、響きがかなりないところなんです。だから慣れていないと大変ですね。先生方は和やかでしたけど、ホールに対して緊張しました。
-今は2年生ということですが、卒業されてからの進路はどうお考えですか。
海瀬 私は最終的に日本に帰って、日本で音楽活動をしていきたいと考えています。
-プロのピアニストを目指されるんですね。
海瀬 なれるかなれないかは別ですけど。あとは、教えたりして音楽で生きていけたらと思います。
-音楽教授を目指したいとかはありますか?
海瀬 もし、そういったチャンスがあれば、ですね。
-最後に、これから留学する人にむけてのアドバイスを。
海瀬 今は、ある程度のお金さえあれば、音楽的なレベルに関係なく比較的誰でもが留学しやすくなり、インターネットで簡単にどこでもつながれる時代だと思います。飛行機で簡単に日本と行き来も出来ます。街中には日本人もたくさんいて、日本のものも簡単に手に入ります。一昔前の先輩方が留学していた時の苦労を思うと全く状況は違うと思うので、なぜ自分は留学するのかということを、心に決めてから来た方がいいと思います。まずは「行ってみたい、見てみたい」という好奇心があることが大前提だと思うのですが、今の時代でしたら、何かしら自覚を持っていかないとブレてしまうと思うんです。ある程度、留学に対する大きな目標を持つというか、自分は最終的にどうなっていたいのか、というのを考えてくるのも大事だと思いますね。人によってはとりあえず来てから考える、というのも良いのでは、という方もいらっしゃいますが。現在はどこに行っても留学生もたくさんいて、私の周りで、とりあえず来たけど、語学も出来ずにどうしていいか分からないという人もいて、そういう人はトラブルに巻き込まれたりしています。ですから、自分の中に一本考えを持ってきたほうがいいと私は思います。
-しっかりした意思を持っていないと、せっかくの留学を活かせないということですね。
今日は、参考になるお話をたくさんお聞かせ下さって、本当にありがとうございました!
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海瀬京子ピアノリサイタル
開演: 2010年10月8日(金) 19時...(18時30分開場)
入場料金: 3,500円
会場: トッパンホール 112-8531 文京区水道1-3-3 tel:03-5840-2200
主催・お問い合わせ: カノン工房 このメールアドレスはスパムボットから保護されています。閲覧するにはJavaScriptを有効にする必要があります。
広瀬ゆう子さん/ヴァイオリン/ウィーン国際音楽ゼミナール/オーストリア・ウィーン
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。
広瀬ゆう子さんプロフィール
二歳からバイオリンを始める。慶應義塾大学中退。ウィーン国際音楽ゼミナール参加。
— 現在までの略歴を教えて下さい。
広瀬 二歳の頃からバイオリンを始めて、はじめは鈴木メソッドに通っていました。本当にバイオリンが好きで、「バイオリンを続けるか、幼稚園に行くかどちらにする?」と両親に聞かれて、「バイオリン!」と答えたほどでした。途中体調を崩した事もあって、自宅近くのバイオリン教室に変わりました。ドイツから帰国されたばかりの有名な先生だったのですが、そうと知らずに入りました。中学生の時にジュニアオーケストラに入団したんですが、経営難で潰れてしまって‥それでシニアオーケストラに入りました。高校に進み、その後音楽大学へ進学したい気持ちもあったのですが、「堅実な人生を歩んでほしい」という両親の希望で慶応大学に入学し、その際ユースオーケストラに移りました。大学では室内楽のサークルで活動していました。
— 今までバイオリンを中断したことはないのですか?
広瀬 じつは高校の吹奏楽部の時に少しだけあまりやっていない時期があります。シニアオーケストラでドヴォルザークの『新世界』を演奏した時に、管楽器が素晴らしいと思ったんです。それで私も木管楽器をやってみたいと、浮気心がでちゃいました(笑)。中学校では少人数の合唱部に所属していたので、大所帯の部に属してみたかった、というのもあって、高校の吹奏楽部に入りました。でも実際に入部してみると、木管楽器はとても人気があって、経験者が優先されたので、チューバの担当になっちゃいました(笑)。今はもうチューバは演奏していませんし、マウスピースも高校に置いてきました。その間は部活動が忙しくて、バイオリンは週に一度程度しか弾けませんでした。それも親から決められて一時間だけだったんですが、まったく弾かない時期はないですね。
— いつ頃から留学したいと考えていましたか?
広瀬 高校時代からドイツにバイオリン留学したいという思いがありました。海外のディプロマコースの存在を知って、社会人になった後で、働いて貯めたお金で留学することができる、いつかは音楽で夢を叶えたいと思っていました。
— 何がきっかけですか?
広瀬 大学2年生の時に体調を崩して退学せざるを得なくなってしまい、それからは派遣社員として社会に出ました。その頃、よく悪夢にうなされていて‥。夢にバイオリンの先生が出てきたんですよ。音楽をやれと私に言っているようでした。それで音楽を志すことに決めました。そうしたら、たまたま友人がドイツ留学すると言うんです。私が前からドイツに行きたかったのに、「先にドイツに行くなんてずるい!私も行く!」と(笑)。バイオリンの先生がハンブルグ交響楽団の客演コンサートミストレスだったこともあって、ドイツには前々から興味がありました。ノイシュバンシュタイン城(シンデレラ城のモデルとなったミュンヘン近くの城)が大好きで、ドイツ語も好きだったんです。
— 実際にはオーストリアのウィーン国際音楽ゼミナールに参加されていますが?
広瀬 最初はドイツに行きたかったんです。ですが、ドイツのコースはオーディションで聴講生と受講生に分かれるような、レベルの高い講習会だったので、まずはウィーンを検討することにしました。いずれは長期留学をしたいのですが、これまで海外に行ったことがないので、まずは短期から、と考えて、アンドビジョンのスタッフの方に薦めていただいたウィーン国際音楽ゼミナールにしました。よく考えてみると、私は英語しか話せないので、ドイツだと田舎に行ってしまったら言葉が通じなくなるおそれがあるけど、ウィーンだと都市だから英語が通じて安心だな、と思ったんです。それに、ウィーンからだとミュンヘンも近いので、帰国する際にドイツに寄ることもできるかと。ゼミナール終了後、本当にミュンヘンやノイシュバンシュタイン城にも寄って帰って来ることができたんですよ。
— 準備期間はどのくらいでしたか?
広瀬 3ヶ月ほどでした。あっという間でした。
— 学費はどのように捻出されたのですか?
広瀬 派遣社員として働いていたお金と、子供の頃からのお年玉や入学祝などの貯金に、祖母からもらった成人祝いを足しました。
— ウィーンでは実際に英語が通じましたか?
広瀬 そうですね。ホテルや大きいお店、チケット売り場などでは普通に通じました。観光客が行くような場所では大概通じたと思います。ですが、バーなどに行くと、マスターは話せても、その奥さんは話せなかったり、常連さんが話せなくて通訳してもらったりしました。私自身、父親の薦めで英語は小さい頃からやっていて、これまでも読み書きはできました。ただ、英会話のチャンスが日本ではなかなかないので、ウィーンに行ってからコツを掴むまではたどたどしいものでしたが、2週間ほどでそれもスムーズにできるようになりました。
— ドイツ語(オーストリアの公用語)は特別に勉強して行ったのですか?
広瀬 もともと語学が好きなので、独学で少しかじってはいたのですが、留学が決まってからは仕事もしていたので、なかなか時間がとれなくて‥。でも英語が通じるということだったので、語学の勉強をするよりは楽器を弾いた方がいいかな、と、特に勉強はしませんでしたが、挨拶程度はドイツ語で会話することができました。
— ツィエンコフスキー先生のコースを選ばれたのはどうしてですか?
広瀬 ゼミナールのブロックⅡはポーランド人のツィエンコフスキー先生とロシア人のアレンコフ先生お二人の講師で、どちらに教えていただくか迷っていました。以前ツィエンコフスキー先生にレッスンを受けられた方が「ツィエンコフスキー先生はとてもよかったよ」と言われていたのと、バイオリンの先生に相談したら、どちらもお名前をご存知だったんですが、「ロシア人は厳しいらしいわよ」と言われたので、ポーランド人のツィエンコフスキー先生にしました(笑)。
— ツィエンコフスキー先生にレッスンを受けてみて、いかがでしたか?
広瀬 大変気さくな方で、レッスン中はもちろん真剣に教えてくださるんですが、普段はフレンドリーに接してくださいました。今まで習った日本人の先生達と違っていたのは、本場ヨーロッパ、ウィーンの、最先端の演奏を教えてくれたことです。たとえば、「チャイコフスキーの第2楽章はコンソルディーノ(ミュートを付けて)と楽譜には書いてあるけれども、作曲した当時は規模が小さい所で演奏していたからで、現在は大きなホールで弾くから基本的にはミュートは付けずに弾くんだよ」と。それが今回の留学で一番感動したことです。弓順も、カール・フレッシュ版よりも、ペーター版よりも、オイストラフ版の楽譜がいいよ、と教えていただきました。それに、私のレベルに合わせて、具体的に私のテクニックの悪いところを指摘してくれて、とにかく真剣に教えてくださいました。自分のレベルとはちょっと違うな、ということは一度もありませんでしたね。他の生徒さんにも一人一人のレベルに合った指導をされていました。
— それでは一時間はあっという間でした?
広瀬 はい、あっという間でした(笑)。
— レッスンは何人で行われるんですか?その中に日本人はどのくらいいました?
広瀬 十三人ほどで、日本人は三分の一くらいかな?韓国人と足したら半分くらいだったと思います。なかにはウィーン国立音大に合格して、ツィエンコフスキー先生の門下生としてこの後入学する、というポーランドの男の子もいましたが、アジアの方が多かったですね。音大生の方や音大浪人の方が多かったのですが、日本人で、音大卒業後に自分でお教室をされているという方も参加されていました。
— レッスンはどんな形で進められましたか?
広瀬 最初はコースごとにみんなで集合して、レッスン日と時間を決めました。ツィエンコフスキー先生の場合はその後すぐレッスンだったんですが、なかにはバイオリンを持って来ていない生徒もいました。時間は朝の9時から遅くても夕方の4時くらいには終わる感じです。自分の弾きたい曲を希望して教えてもらって、基本的にはレッスン一回に一曲、私は全部で五曲教えてもらいました。毎日レッスンを受けていた方は結構大変だったと思います。私の場合、途中体調を崩して入院してしまったので五曲でした。入院前後はアンドビジョンや講習会のスタッフの方がちゃんと連絡をとってくれて、意向を酌んで体調が回復した後半にレッスンを集中していれてくださり、臨機応変に対応してもらうことができました。
— 周囲の人の学習態度は日本とは違いましたか?
広瀬 そうですね、何分日本人が多かったのですが(笑)。それでも、韓国人の方などは先生がいらっしゃる前からピアノと合わせていたりして、レッスンに参加されている時点で意欲的な方が多いな、とは感じました。
— 現地でのレッスン以外の練習はどうされていましたか?
広瀬 ホテルの自分の部屋で練習していました。時間が決められていて、9時から12時と、14時から20時まででした。
— レッスン以外の時間はどうされていました?
広瀬 そうですね、練習以外の時間は観光を楽しみました。シェーンブルン宮殿からハイリゲンシュタット(ベートーベンゆかりの地)まで、くまなく周りました。駅の近くに、行きつけのバーまでできて、地元の方との交流を楽しみました。他のレッスン生も、どこにも観光に行かなかった、という人はいなくて、シェーンブルン宮殿だけには行ったとか言っていました。ちなみに、シェーンブルン宮殿よりも、私は王宮宝物館の方がお薦めです(笑)。
— どうやって現地の方と交流したんですか?
広瀬 高校の英語の先生から、「日本の5円玉は穴が開いていて、貨幣としてとても珍しいから、海外に行く時は持って行くといいよ」と聞いていたので、留学が決まってから一所懸命5円玉を貯めていました。でもホテルでは「これ、コインランドリーで見つけた」とか言われてあまり‥(笑)。
それから、千代紙を1セット持って行きました。電車の中とかで鶴を折っていると、周りの人が珍しそうにジーッと珍しそうに見てくるんで、差し上げるととても喜んでもらえました。日本のこと知っている方には「オリガミー!」って言われて(笑)。知り合った5歳くらいのイタリア人の女の子には作り方を教えてあげました。その子のお母さんが手伝って、お父さんがビデオまで撮って。そしたら、その女の子がお礼にと、左右の頬に唇を寄せる挨拶、あれをしてくれたんです。すごく嬉しかったです!折鶴はきっかけとしてとてもよかったですね。ホテルでチップを置くときに一緒に添えておくと、一緒に持って行ってくれていました。
— 宿泊先のホテルはどうでしたか?
広瀬 とてもよかったです。スタッフのみなさんとても親切で、ほかのレッスン生から聞いた話にだと、朝食が7時からと決まっていたんですが、それよりも早く出なければいけない時があって、フロントに相談すると、早い時間に合わせてお弁当を作ってくれたそうです。宿泊とセットになっている朝食がとても美味しかったです。ハムが何種類もあって、ズッキーニがシャキーンとしていて。蜂蜜やヘーセルナッツバターや、ジャムがたくさんありました。ジュースも何種類も用意されていたし。ホテルには共同ですがキッチンも使えますので、自炊できます。近くにはスーパーがありますし、部屋も、とびきり新しい、というわけではないんですが、ちゃんと綺麗に掃除されていて、広くて。ちなみに2人部屋より1人部屋の方がバスルーム広いです(笑)。
— バスタブ付きですか?
広瀬 バスタブはさすがにないです。
— ドライヤーはありますか?
広瀬 部屋には付いてないんですが、フロントに言えば貸してもらえました。
— 生活費はどのくらいかかりましたか?
広瀬 そうですね‥。食費の金額で変わってくると思うんですが、高級なレストランや日本食店は、それはもちろん高いです。でも、駅前とかにおっきなピザが2ユーロくらいで売ってるんですよ。焼いてすぐ切ってくれます。シュニッツェル(ウィーン風カツレツ)は3ユーロで売っています。ちなみにマヨネーズとケチャップは別売りです(笑)。ウィーンにはねぎるという習慣はないんですが、たぶん、食費は抑えようと思えばいくらでも抑えることができると思います。朝食は宿泊費とセット料金なので、朝たくさん食べるようにしてタンパク質をそこで摂って、あとはパンとジャムで生活するとか(笑)。交通費はとても安いです。1回券は1.7ユーロですが、一週間フリーパス券があって、それが10.50ユーロなんですよ。それをよく利用していました。切符はクレジットカードでも買えます。今ユーロが円に対して高くなっていますけれど、もともと物価が安い国らしくて、私はそんなに高くは感じませんでした。
— 何か不便なことはありましたか?
広瀬 特別ありませんでした。レッスン生の中には英語やドイツ語があまりできなくてちょっと困っている子もいたようです。本はドイツ語のものしか売ってないので、よく分からない。それくらいですね。
— ホテルから学校まではどのくらいの時間かかりましたか?
広瀬 そうですね、30分かからなかったと思います。ホテルからシュネルバーン(郊外電車)の駅まで3分かからないくらいだったし、電車の本数は頻繁にありましたから。駅を出て大学まではすぐなので、20分くらいかな?
— 電車の中の治安はどうでしたか?
広瀬 よかったですよ。たまに、本当にたまにヘンな人はいましたが。
— 留学する際に持っていった方がいいと思うものがあったら教えてください。
広瀬 音楽面では、とにかく曲は多めに用意しておくことです。多いにこしたことはありません。生徒が少ない時とか、予定している曲数よりも多く教えてもらえることがあります。バイオリンの方はピアノ伴奏譜も持っていかれるといいと思います。ピアノ伴奏有りか無しかを選ぶことはできるんですが。楽譜に関することで言うと、もし同じ曲を日本でも習っていたら新しく楽譜を買っていかれると、書き込みが混ざらずにいいと思います。生活面では、ホテルのキッチンにはグラスや鍋やフライパンなどの調理器具は揃ってるんですが、お皿や食器がないんですよ。お皿1枚とスプーン1本、持っていくと便利だと思います。あと、ヨーロッパはシャンプーとコンディショナーに分かれていないので、気にされる方はご自分がお使いのものを用意されるといいと思います。それから、日本に電話やメールをする機会もあると思うんですが、日本の時刻が分かるように、世界時計とか、なければ腕時計を2つ持っていくと便利だと思います。
— 日本とウィーンでの違いは感じましたか?
広瀬 そうですね、音楽的なことで言えば、日本では譜面は暗記して弾くのが当たり前だという風潮がありますよね。実際私もプロなら覚えるのが当たり前だと思っていたんです。ソナタに関して言えば、ウィーンでは譜面を見ない方が逆に悪いイメージを持たれるそうなんです。ソナタはピアノと2人だけど室内楽だから、見るのが当たり前だと言われました。私が暗譜で弾いたらびっくりされました(笑)。そういった日本では知らない常識みたいなものがウィーンにはきっといっぱいあるんでしょうね。まぁ、私が特に音大に入ってないから余計それが多かったかもしれないんですけど。あとは、音の鳴り方が全然違うと思いました。空気が違うと感じましたね。文化面では、向こうではすれ違う人と必ず挨拶するんですよ。日本では絶対ないことですよね。みんなフレンドリーで、親切で。荷物を棚に上げるところとか必ず手伝ってくれるし。そんなウィーンの文化が好きでした。道路の幅ひとつにしてもすごく居心地よかったですね。生活面では、虫をね、あまり気にしない文化らしくて‥網戸が付いてない家がほとんどなんですよ。それでハエや小バエが入ってきたりはします。一度、ホテルに持ち込んだサワークリームに蟻がたかって大変だったことがありました。硬いんですよ、ウィーンの蟻って(笑)。日本でやるみたいにプチって指で潰そうとしても潰れないんで、ハウスキーパーの人に来てもらって取ってもらいました。都市部では人を刺すような蚊はいませんでしたね。たぶん山の方に行かないといないと思います。
— 留学して良かったと感じる瞬間はどんな時でしたか?
広瀬 今付いているバイオリンの先生も素晴らしい方ですし、日本でも十分音楽の勉強はできると留学する前は思っていました。まぁ、多少は違うのかな、とは思っていましたが。でも、留学してみると「全然違うな」と思いました。やはり、日本は狭いと感じました。さきほどお話したように、チャイコフスキーのコンチェルトにしても、最新の弾き方があるということが分かりました。ほかにもたくさんヨーロッパの新しい技術を教えていただいたので、もっと練習して自分のものにしていきたいと思います。音楽面以外では、ウィーンにはコソボから来て働いている人がたくさんいるんです。紛争で家族を亡くした方とも話をしました。自分がいかに井の中の蛙だったか思い知らされました。オーストリアという広い所に行ったおかげでそういう自分に気付くことができた時に、留学してよかったと思いました。お金を貯めてまたどこかに留学したいです。
— 留学をして、自分が成長したな、と思うところはありますか?
広瀬 私、お金を貯めてまた留学したいと思っているんです。最初はウィーンに行って、広い世界を見て、世界を知った気になったんですけど、よく考えてみると、ウィーンって世界的な観光地なので、そこで観光したり、住んでいる人達って『世界が100人の村だったら』風に考えると、世界のほんの一部のお金持ちの人達なんですよね。だから、これからは東南アジアとか、貧しい国の人達のこともちゃんと見なければいけないと思ったんです。それで、本などでいろいろと勉強するようになりました。そういうところに目を向けることができたところは成長したと思いますね。もともと私、僻地に学校を建てるのが夢なんです。それが一層強まりました。
— 今後の進路について聞かせてください。
広瀬 ウィーン国立音楽大学への入学を当面の目標に、私立の音楽院を踏み台にしても行きたいなと思います。将来的な目標としては、これは中学生くらいからの夢なんですが‥。葉加瀬太郎さんや、高嶋ちさ子さんみたいに、クラシックを身近に聞いてもらえる音楽家になりたいです。「ジュピター」のようにクラシック音楽が流行したように、ざっくばらんに一般の方にもクラシックを楽しんでもらえたら、と思います。ヨーロッパに移住したいという希望もあります。帰国したら、たとえ他の仕事をしながらでも、ファミリーコンサートみたいな、一般的な方が知っている曲だけを集めたコンサートがしたいな、と思っています。「これ好きだけど、題名が分からない」って曲、みなさんきっと多いと思うんですよ。そういう曲を集めて、青島広志さんみたいに自分でMCもしながらコンサートしたいんです。一人でも多くの人に、クラシック音楽に親しみを持ってもらえたらな、と思っています。いくらこれから技術を磨くと言っても、今からテクニカルな演奏家になるのは無理だと自分でも分かっているので、そちらの方面で活動できたらな、と思っています。教えるよりは、自分が弾きたい方なので、普段は教えながらでも、楽器を弾く友達はいっぱいいるので、そういうコンサートをやっていけたらと思います。
— これから留学する人に、心しておかなければいけないことを教えてあげてください。
広瀬 レッスンを受ける際は、曖昧な返事はなるべくしない方がいいと思います。先生もたぶん困っちゃうので。生活面では、いくら英語が通じるといっても、挨拶程度のドイツ語は覚えて行った方がいいと思います。「こんにちは」「ありがとう」くらいでいいと思いますが。それから、クレジットカードがレストランでもスーパーでも使えますし、切符とか小さい金額のものでも何でも買えて、領収書が一緒に出てきます。その領収書にクレジット番号や有効期限がきちんと書いてあるんです。それがあるとインターネットショッピングが出来てしまうので、万が一その領収書が他人の手に渡ると、クレジットカードが悪用される可能性があります。だからくれぐれも失くさないように注意してください。それからこれは女性限定ですが、ナンパ注意です(笑)。面倒くさいです。英語が分からないフリしていればいいと思います。他には、先ほどウィーンは治安が良いと言いましたけれども、いくら治安が良いとは言っても、日本より治安が良い国はまずないです。大学の教授から教えてもらったことですが、パスポートは首から提げるタイプよりも、お腹に巻くタイプとかの方が良いと。私はずっとスカートかズボンだったので、パスポート、額が大きいお金、電車のパスなどの貴重品は袋に入れてウェストに挟んでました。ウィーンで一度、私が駅のインフォメーションを探していたら、おばあさんが駆け込んできて、「バッグ盗まれました」って言ってるのを見たことがあります。だから置き引きにも十分注意してください。ウィーンはある程度英語が通じるといっても、それは日常会話程度のことなんですね。何があるかわかないので、私は医学用語を入れた電子辞書を持って行って、入院した時に医学用語をドイツ語で表示したりしてとても役に立ちました。あとは、常備薬は必ず携帯するとか、国際電話のかけ方は何があるか分からないのでマスターしておくとか、海外保険は入るとか‥。どこに留学するにしろ、「留学する際の注意点」ガイドはアンドビジョンでもいただけるので、必ず読んだ方がいいと思います。
— 今回の留学は入院されて大変でしたね。
広瀬 ちょうど行きの飛行機の中で『300』という映画を見たんですよ。ゲルマン民族の話なんですけど、救急車をホテルの方が呼んでくださったら、体格が良いドイツ人が2人来て怖かったです(笑)。ちなみに救急車は451ユーロでした‥(留学生保険でカバーされます)。
— 最後に一言、これから留学される方にどうぞ。
広瀬 ウィーンは世界的に有名な観光地で、いろんな国からいろんな人達が集まってくる所です。特に夏期講習の時期は観光の季節でもあるので、いろんな方と触れ合うことで、本当にこれからの人生を変えるだけの衝撃を受ける可能性は十分にあると思います。
— ありがとうございました。
福森道華さん/ジャズピアニスト/アメリカ・ニューヨーク
「音楽家に聴く」というコーナーは、普段舞台の上で音楽を奏でているプロに皆さんに舞台を下りて言葉で語ってもらうコーナーです。今回はニューヨークでご活躍中のジャズピアニスト福森道華(フクモリミチカ)さんをゲストにインタビューさせていただきます。「音楽家としてニューヨークで活躍すること」についてお話しを伺ってみたいと思います。
ー福森道華さんプロフィールー
愛知県立芸術大学音楽部作曲科を卒業。上京後、鈴木コルゲン宏昌さんに師事し、東京で8年間活動。2000年に渡米。Steve Kuhnにジャズ・ピアノを師事 し、ニューヨーク市立大学大学院音楽学部ジャズ科を卒業。Lenox Lounge、Cleopatra's Needle、University Street、Beekman Tower Hotel等に出演。ギリシャツアー、アルバムのレコーディングと音楽活動を広げています。ジャズライブハウス「ブルーノート」へも出演し、実力が高く評価されています。また、「CDで学ぶピアノの弾き方/気楽に楽しむポップスピアノ」(ナツメ社)の著者であり「ハモンドオルガン/キーボード ジョーイ・デフランセスコ イン」(ATN)の翻訳なども行っています。
ー そもそも音楽に興味をもったきっかけを教えていただけますか?
きっかけですか?3才のときに母親に地元の音楽教室に連れて行かれたことですね。自宅にピアノがたまたまあったので...。
ー 小さい頃だと興味があったというわけではなかったと思うのですが、やり始めていって、プロになろうと思った瞬間とかがあったわけですか?
そうですね、3才以降、常にやっていたので、そのまま何も考えずに音大に行き、今はジャズをやっているんですけど、あえてこの道に入ろうとしたのは、音大を出てからですね。
ー 日本ではクラシックから始めたようですが、何故ジャズに行き着いたのでしょうか?
あんまり大きくは言えないんですが、音大まで行って、私はクラシックがあんまり好きじゃないと思って。音楽教室はクラシックもやらせるし、ポップスみたいなのもあるんですが、よく考えてみるとそっちの方が好きだったな、というのに気がついて。それまでは学校でも音楽の時間は普通の授業より好きだな、とか音楽だったら何でも好きだったんですが、いざ100%クラシック音楽の環境に入って、ちょっと違うなっていうのがあって。よくよく考えたらテレビでやってる歌謡曲の方が好きって。
ー 今でもクラシックはあまり?
ジャズの道に入ってからは、こっちに必死なんですよね。時間がないから聴いていないですね。
ー ブラジル音楽がお好きだそうですが、ジャズに進まれたのはなぜですか?
ブラジル音楽はそれで仕事が出来るとは知らなかったんですね。ホントは大学卒業してから、商業音楽家になりたかったんですよね。歌手の人に楽曲を提供する作曲家みたいな。で、そういう人になるならジャズの理論とか知っていた方が良いかな、と思って、テレビでたまたまジャズフェスティバルみたいなのをやっていて、このアレンジがすごい!、この人につきたい、と思ったときに、Dr.JAZZとして日本のジャズを支えて育ててくださった内田修先生にお会いして話したら鈴木君につきたいのか、紹介してあげるから、是非つきなさいと言われて..。鈴木先生が教えているのがアンミュージックしかなかったんですね。それで鈴木先生についてからすごく奥深くて、のめり込んで、難しくて、ジャズしかできない、他のことをやる時間がなく、今に至るという感じですね。
ー そのころから一気にジャズに変換して、東京でもジャズという感じだったんですね。
変換というか、ふと考えたら他のことをやる時間がなかったし、難しかったし。自分にもあっていたし、すごく好きだったので。たまたま拾ってくれるバンドとかもあったので、東京に行った瞬間からジャズにドボっとはまったという感じですね。ご縁があったんですね。横道を考える暇がなかった。そんな中でブラジル音楽がすごく好きでよく聴いていたのですが、ニューヨークに行ってみたところ、そのブラジル音楽とジャズの両方がすごいクオリティーで存在するので、ニューヨークに住もうかな!、将来あこがれのバーに出れたらいいよな〜!みたいに思って。ZINC BARっていう憧れのBarにでれたらいいよな〜と思ってたんです。そこのバーでは、ぱっと見たらどう考えてもブラジル人しか弾いてないので、まさか自分がステージに出れるとは思っていなかったんですけど。次の人生はブラジル人なりたいと思いますけどね(笑)。本当はブラジル音楽とジャズ一緒にやりたいと思うんですけど、ブラジル音楽もすごい難しいんですよね。リズムの問題で。天才だったら出来たかもしれないんですけど自分の容量はよく分かっていますので(笑)。
ー 渡米を考えたきっかけを教えてください。
ジャズを初めたときから私を育てて頂いた、歌手の植村美芳子さんに、会ったときからニューヨーク行こうよって言われていたんです。でも、お金がないじゃないですか、もちろん。どうやってニューヨークへ?日々手一杯なのに、どうやってお金を貯めてニューヨークへ行くんだ?という感じだったんです。ある日、お金がようやく貯まったので、植村さん今年は行けそうなんですけど、と言ったら、ホントに〜って言われて。私が部屋借りるから、居候でいいから連れって言ってあげるわよ、っていわれて、行ったら初日からはまってしまったんです。私はもうここに住んでしまえ〜、これは住むしかないな、という風に思ってたんですね。
ー 1番そういう風に思われたのはどう部分なんですか?
やっぱり音楽ですよね。すごいショックを受けたんですよね。レコードしか聴いたことがないじゃないですか。いわゆる勉強するとか、ブラジル音楽にしても CDを聴いてう〜んという感じがあるみたいな(笑)。生を聴いて、生ってCDの百倍ぐらい迫力が有るじゃないですか、もちろん東京でもブルーノートとか行ってましたけど、それを1/10ぐらいの値段、もしくはタダで聴ける生活があるなんて。自分がそこに入るなんて夢にも思っていなかったので、とりあえずすがるように、聴けるだけでもいいや〜、という感じで。まさか自分が、そういう人たちに混じるとか、そんなおこがましい事は全然考えていないです。ほんと聴けるだけで有り難うございます、という感じで。
ー 現状で福森さんの音楽スタイルはご自分ではどのようなものだと思っていらっしゃいますか?また、ご自分の音楽をどのように作っていくのですか?
アメリカ来てから音楽に対して、変わったと思うのは、日本にいるときはすごく頭で考えていたんですよ。音楽のことを。とにかくすごい頭で考えていたんですね。こっちに来てからジャズが生まれた国で、ジャズが発展してきた土地で、こうして聴いている訳じゃないですか。しかも、びっくりするような大御所を間近で聴いて、その人たちの音楽を浴びるように聴いからは、頭で考えるんじゃなくて、心から伝えなきゃいけないんだ、っていうのがありますね。自分が日本とニューヨークにいてすごく変わったと思うのはそこですね。それで、それを感じられたのは幸せだなあと思うんですけど。Steve Kuhnに付いているというのもありますし、こちらでは全てがそういう思考なので。Steve Kuhnからは、君は何のために音楽やっているの?って。伝えるものがなければ意味がないじゃないかと。わたしが100万回練習した曲をSteve Kuhnが、なんだこれは〜!って言って、僕はこんなの30年ぐらい弾いていないけどね、と言って、30年ぶりに弾いた彼のその一発が、私の100万回の練習よりも100万倍うまいんですよ、というかずっと良いんですよ。
ー 舞台の上ではどのような事を考えて演奏しているのですか?それとも自然に演奏しているんですか?
日本にいる時は考えて演奏していたんですよ。今は、自然が自然にでるようする、という事ですね。そして頭で考えなくて良いぐらい、練習する。自然に自分がでるように、自分が何を感じているかがすぐに手に伝わるような訓練をしておく。日本ではそれをしていたつもりでも伝わっていなかったんですよね。回路が間違っていた、というか、間違っていたとは言わないですが、あれはあれでよかったんですけど。実際気持ちよくスイングするというのはどういうことか、っていうのを、今自分がスイングしているかということをおいておいても、体でこういうことじゃじゃないのかなっていうのを何となく感じ始められたんですね。そのことは一生考え続けることです。だいたいこっちで育ってないし(笑)。そういうことは良く言われるんですよ、僕達はこちらの音楽を聴いてきて、英語を話してこういう風にスイングしているけど、だいたい君思考回路日本語でしょ、って(笑)。
ー やっぱりジャズって、ツーカーの部分があると思うんですけど日本人と演奏するときと外国人と演奏するときと、一緒にやるときは感覚はちがうものですか?
やりとりの仕方は一緒です。日本で学んだHow to Jazzでも全然OKです。でもその先のどうやってスイングするとか、あこがれのレコードで聴いていた演奏に近づくには、っていう答えが、今でもずっと探しているんですけど、先生にも言われるんですけど、難しいんですよね。それはもう心で感じるっていうことなんですね。
ー 体に染みついてくるっていうような感じですか?
やっぱり年中浴びるようにあの音楽を聴いて、ですかね。
ー それはやっぱりずっと住んでいないと分からないような感じですか?
世の中には分かる人もいると思います。私のような人間は、住んで5年たって、やっとなんとな〜くわかりはじめて、でもやっぱり分かってないんだろうなって、感じですかね。こんなこと言っていてもSteve Kuhnに言わせればNever ever swingとか言われちゃうんですけど。やっぱり本では勉強するじゃないですか。奴隷制度があって、アフリカ音楽と西洋音楽の融合みたいな、そういうのをものをこちらにいると身近で感じるんですよね。例えば、ゴスペルとかを見ると、こういうのが根底にあるのね、とか。
ー ニューヨークに住んでると浴びるように感じるって事ですよね。
ニューヨークに住んでるとテレビも英語でCM流れても英語じゃないですか。その行間に流れる音楽も英語で流れるじゃないですか。日本に帰るとそれが全部日本の音楽、そこにまず、違いを感じます。だから、例えばただテレビでもこれを30年聴いて育ってきたか、きてないかで違うだろうなと。
ー その部分で根本的な違いが出てくるってことですか。じゃあ更に30年間そちらに住み続けていけば、いわゆる自分の目指している音楽に近づけるということなんですか?
近づけたら良いですね。でも、そういう意識をずっと持ち続けることが大切だと思っています。
ー 音楽活動をする上でどのようなこだわりをお持ちですか?
う〜ん。ないです(笑)。今は電話がかかってくれば何でもお受けしています。
ー 演奏上でもないですか?
ないです。言われたものは何でもやります(笑)。よく分からないんですけど、どうやら私はたくさんの曲を知っているらしいのですよ。日本で最初に入れてもらったバンドがデキシーランドジャズで、普通の人が知らない古い曲から、歌伴をたくさん演らせて頂いていたので、歌手の人達が好む曲まで。そういう意味でも使ってもらえることが多いです。なので、雇ってくださった日本のバンドリーダーに感謝しています!。よく言われるんですよ、あなた多分日本人で結構若いわよね、なんでそんなおばあちゃんが知っているような歌知っているの?って(笑)。
ー 音楽活動して最も興奮することはどんなことでしょうか?
一緒に演奏している人達と、今なんかすごく通い合ってるなって感じるときですかね。その瞬間ってすごい曖昧なんですけど、グルーブしてるというか。自分なりにスイングしているってときですね。
ー その時はお客さんにも伝わるものですか?
伝わると思います。のってない時ってお客さん、聴いてないんですよ。Zinc Barとかでもざわざわざわ〜っとしてて。で、やっぱりワッってバンドがするとお客も聴いてるんですよ。正直ですよね(笑)。
ー 自分たちが今日はのってないな、という時はお客さんものってないなってなっちゃうんですか?
うーん、自分たちは100%でやっていたとしても、なんかのきっかけでうまくいかないことがあるんですよね。わかんないですけど。常に良い状態を目指してはいるんですけど。音楽からエネルギーを感じるか感じないかでうまくいかないことがあるんです。ダラダラした演奏をしようと思ってなくても、結果的にエネルギーが音楽に行き届いていないとそれがお客さんに伝わるんですね。
ー ミュージシャンは盛り上がっていこうとしてもいまいちのれないときがあるって言うことですよね?
そうですね。いつも音を出した瞬間にときにバーンと来るのが理想なんですけど。
ー 日米の観客の違いはありますか?
そんなに違いはないような気がしますけど、例えばレストランで演奏する時にお客さんは聴こう、聴かないはあまり関係ないはじゃないですか。ただ、アメリカ人の方が楽しもうという雰囲気を持っていますよね。日本人の方がちょっと構えちゃう?っという感じ。でも日本人の人は慣れてきたら、良い感じで聴いてくれます。
ー ジャズクラブのお客さんも日米で違う感じですか?
ジャズクラブはジャズが流れてるって分かってるから、そんなに違いは感じませんね。
ー 福森さんにとって、ジャズって、音楽ってどんなものでしょう?
なんでしょう、もうこんなに長くやってしまったんで、人生の相棒といったところでしょうか。そんなこと言いながら、いろいろ趣味はもっているんですけどね(笑)。
ー ニューヨークで最も受けた影響って何ですか?
ニューヨークで音楽的に、う〜ん、やっぱりSteve Kuhnに付いていたんですけど、やっぱり一番影響を受けましたね。音楽に対する姿勢というか。姿勢って言っても私よく分からないんですけどね。ああいう偉大な人って、1時間半ぐらいのレッスン受けるだけでもものすごい、なんかワーって言うオーラみたいなものがあるんですよ。天才オーラというか。横で弾いてくれてるだけでも影響は受けますよね。
ー 技術とか、うまい下手とかそういうわけではないんですよね?
そういうんじゃないです。多分Steve Kuhnの人生がその音に詰まっていて、その音を通して、影響を受けるみたいな感じでしょうね。
ー それがご自分の演奏にも出てくるって感じですよね。
ええ、マニアですので。オタクやなあ、と思うんですけど。彼のレコード集めてるし、ニューヨークでのライブはほぼ100%聴きに行ってます。
ー 将来の夢を聴かせて頂けますか?
もっとうまくなりたいですよね(笑)。(技術的ではなく)もっと自分を伝えられる音楽家になりたいですね。結果的に自分を伝えて、ハッピーを共有できたらいいですよね。
ー お客さんがいいと思っている事はミュージシャンに伝わるものなんですか?
伝わります、さっきのざわざわしているって言うのと同じで、のっているときはエールの交換みたいな。そうするとミュージシャンものってきて。相互に良い感じですよね。
ー 海外でミュージシャンとして活躍する何か秘訣というか成功する条件はあるとお考えですか?
私が成功しているかどうかよくわかんないんですけど、やっぱり必死になることですかね。ジャズの場合、ニューヨークが本場じゃないですか、それで、そこを毎日毎日憧れてくる人が何百人といる訳じゃないですか。で、自分の前には何万人といる訳じゃないですか。だから必死でやっていかないと、ついて行けないですよね。
ー 逆に言えば、必死でやればチャンスがあるって言う感じですか?
そうですね。
ー 海外で勉強したいと考えている、読者にメッセージをお願いします。
海外で勉強するという夢は絶対叶うと思います。それはもう自分で努力して、お金を貯めれば叶うじゃないですか。勉強して卒業するまでは出来ると思うんですよ、誰でも。でもそこから先がスタートって言うか。それを活かせるような心がけというんですか、あと熱意です。それと努力の方向を間違わないようにする事。留学する方に取っては先の先かもしれないんですけど。演奏家になりたいといっても演奏家になれる人は、ほんの一握りの人達だけなので、演奏家になりたい場合はやはり覚悟を決める事です。必死さと方向を間違わないことですね。やっぱり難しいので空回りしてしまうこともありますし。自分の必死が報われるような努力をしないとダメです。あと練習だけではなく、アンテナも張らなくてはいけない。仕事を取るという意味です。やっぱりいろんな人と交流をはかっていないと、情報が入ってこないですね。そういうのも大事だと思います。もちろんチャンスが来たときに、自分の実力がそれに伴っていないとダメです。夢を持って留学されて、その夢を叶えるためには、常に自分の実力が伴っていないといけないので、そういう状態である事が必要ですね。
福森さんのオフィシャルホームページでもライブ情報を公開しています。
川口成彦さん/ピアノ/オヴィエド国際夏期講習会/スペイン・オヴィエド
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。
川口成彦さんプロフィール
2009年夏、オヴィエド国際夏期講習会において、ガリーナ・エギャザローワ教授のコースを受講。
-最初に、川口さんの簡単なご経歴を教えてください。
川口 受賞歴としては、第2回青少年のためのスペイン音楽ピアノコンクール第一位、最優秀スペイン音楽賞受賞、横浜開港150周年記念ピアノコンクール第3位です。
-素晴らしい受賞歴ですね。以前から他の国の音楽よりも、スペイン音楽に興味があったんですか?
川口 はい、スペイン音楽”も”好き、という感じですね。民族色の強い音楽ですので、スペインも好きだし、チェコやノルウェイの作家も好きですね。
-ピアノを始められたのは、いつごろですか?
川口 小学校1年生からです。
-現在は、東京芸術大学の学生さんですよね。
川口 はい。でも、ピアノ科ではないんですよ。音楽を研究する学科で、ピアノも研究しているという感じです。
-将来の夢は、演奏家になることですか?
川口 一応、音楽を研究しながら演奏するというのが夢ですが、学校の先生になれたら満足かな、とも思っています。
-柔らかい雰囲気なので、生徒さんにも好かれるでしょうね。さて、今回講習会に参加されたきっかけを教えてください。
川口 スペインのコンクールで賞金をいただきまして。今まで、海外で音楽を学んだ経験がなかったので、いい機会だから行ってみようと思いました。
-では、今回が初めてだったんですね。スペインを選ばれた理由は?
川口 そのコンクールがスペイン音楽だったことと、今年がアルベニス没後100周年だったことです。興味を持っていましたので、ぜひ今年スペインに行きたいと思っていました。また、グラナダなどスペインの世界遺産に憬れていまして。独特な美しさがあるので、それを観てみたかったというのもあります。
-講習会の参加者は、どのくらいの人数でしたか?
川口 ピアノは12人でした。ほとんどスペイン人だったんですけど、スペイン在住のアルメニア人やロシア人などもいて、僕以外は全員スペイン語を話せる人たちでした。
-皆さんは、どんな方々でしたか?
川口 とてもいい人たちでした。スペイン人は気さくな方が多いので、皆さんのほうから話しかけてくれて、嬉しかったです。
-講習会のスケジュールは、どんな形でしたか?
川口 明日は誰にしますと、先生が決められ、平等な回数レッスンを受けられるようになっていました。だいたい、2日か3日に1回レッスンがある形ですね。自分のレッスン以外は、練習をしたり、他の方のレッスンを聴講したりしていました。最後の3日くらいで選抜コンサートがあり、それで締めくくられました。
-レッスンは何時間くらいでしたか?
川口 だいたい1時間です。じっくり見てもらえました。
-コンサートは勉強になりましたか?
川口 はい。コンサートに出演させてもらったんですが、日本人のいない会場で演奏することは、もちろん初めてでしたので、すごく緊張したんですが、やはりとても嬉しかったです。他のバイオリンやチェロの生徒の演奏を聞けたのも、すごく刺激になりました。
-素晴らしいですね!では、先生についてお伺いします。どんな先生でしたか?
川口 普段は優しい方なんですが、レッスン中は厳しい方でした。身長も2メートルくらいある女性で、怪獣みたいな先生だったんです(笑)。厳しく根本的な部分を注意してくださいました。ひとつの曲としての問題点ではなく、これからピアノを続けていく上でも、ためになる指摘をずいぶん受けました。教え方も上手な先生で、とても勉強になりました。
-その中で最も印象に残っていることは?
川口 和音についてですね。ピアノ音楽は和音がたくさん出てきますが、和音の中のひとつひとつの音の響きに、順序というか優劣があるわけです。それを判断してよく聞くことを習いました。たとえば、ソプラノが一番輝き、その次がバス、アルト、テノールの順だとか。それを全部吟味しながらコントロールしていく力や、耳を養っていきなさいという指導を受けたことが、一番印象に残っています。
-新しい音楽の世界を開いたのですね。レッスンはスペイン語だったんですか?
川口 はい。スペイン語、あるいはロシア語でした。友だちが英語に訳してくれました。
-先生はロシアの方だったんですか?
川口 ロシア語圏の方ですね。スペイン語かロシア語かを話される先生でした。
-練習はどこでされたんですか?
川口 学校の中に練習室が何個かありました、。すごく弾きやすいアップライトピアノが置いてありました。
-その練習室は、何時間かごとに、皆さんでシェアする形ですか?
川口 いえ。いったん入ったら、ずっとそのまま使えます。僕は、ずっと占拠していました(笑)。
-他の講習会では、交代で、という形が多いようですが、ラッキーでしたね。どのくらい練習されましたか?
川口 多い日は9時間くらいです。せっかく来たから頑張ろうと思いまして、一日中こもっている日もありました。
-レッスンや練習以外の時間は、何をされていたんですか?
川口 街を散策したりしていましたね。オヴィエドは世界遺産の街なので、とてもキレイなところなんですよ。そして、バスで少し行けば、また別の世界遺産の街がありますし。中世以前の教会があったりして、とても素晴らしかったですね。
-世界遺産を見ると、人生観が変わるという方もいらっしゃいますが。
川口 基本的に、僕は日本が大好きなのですが、日本とはまた違う空気があって良かったです。近くにサンティアゴ・デ・コンポステーラという、キリスト教の第三の聖地があるんですが、そこへ向かう巡礼の方もたくさんいらっしゃったんです。心からキリスト教を信仰している人たちを見て、とても感慨深かったですね。
-街の様子はいかがでしたか?
川口 スペインでも北のほうの街なので、治安が良いほうらしくて、安心して生活出来ました。
-街の中でショッピングしたりするときは、スペイン語ですか?
川口 はい、スペイン語です。英語も通じる方は少しいますが、ほとんどはスペイン語オンリーでした。
-お友だちと一緒に行かれたんですか?
川口 ほとんど一人でしたね。そのほうが気楽ですので。でも、夜はバルに友だちと行ったりして、すごく楽しかったですよ。スペインはバル巡りが盛んで、一つの店に行ったら次の店のタダ券をくれたりするので、夜通し遊べてしまうんです(笑)。
-スペインならではの雰囲気ですね。
川口 はい。あと、日が沈むのが夜10時なんです。夕食もそれくらいからですから、子どもでも11時くらいまでは起きているんです。10時くらいからワイワイ始まるのは、スペインならではですね。それでいて、昼もにぎやかなんですよ。この人たちはいつ休むんだというくらい、一日中人がたくさんいて、楽しんでいました。
-昼は何をされていたんですか?
川口 街を散策したり、サルスエラという歌劇も観に行きました。オペラとは違う、スペインで生まれ、スペインだけに根付いてきた歌劇です。舞台装置がすごくて、言葉は分からなかったんですが、音楽も素晴らしくて感動しました。あとは、演奏会も聴きに行ったりしましたね。
-素敵ですね。宿泊先はどんなところでしたか?
川口 街の中のフラット(アパート)でして、そこを4人でシェアしました。
-ルームメイトは、どんな方々でしたか?
川口 全員バイオリンの講習生でした。年齢はみなさん年上だったんですが、みんないい人たちでした。スイス人とスペイン人、それから、ギリシャと日本のハーフの人がいました。この人は、ベルギー在住の有名なバイオリニストなんですが、やはり、一人だけ断トツにレベルの高い人でしたね。この前来日したので、演奏を聴きに行ってきました。
-良い出会いだったんですね。フラットの大家さんは、そこには住んでいなかったんですか?
川口 ええ。なので、まったく自由に暮らしていました。
-そのフラットと講習会場は、どのくらいの距離があったんですか?
川口 歩いて10分くらいです。何度も行き来できるような距離でしたので、バスは利用しませんでした。
-食事はどうされていたんですか?
川口 ほとんど外食です。スーパーでパンが60セントくらいと、安いんです。2、3個買って、200円くらい。水が1リットル30セントくらいですから、それが一番安く済ませるときのパターンでしたね。ちょっとしたカフェでパスタを食べると6ユーロくらい、700円程度でしょうか。日本とそんなに変わらないくらいですね。ちょっと贅沢してレストランに入ると、10ユーロくらいはかかりました。お店もたくさんあったし、味もおいしかったので、まったく困りませんでした。
-日本と物価に差はなかったんですか?
川口 ちょっと安いくらいでしょうか、今は。
-外国人の方とお話されたりしたと思いますが、上手く付き合うコツは何でしょうか。
川口 なんでもいいから話すということです。ある友だちとは、「好きなピアニストは?」「この曲知ってる?」「ビートルズ知ってる?」など、ひたすら質問し合っていましたね(笑)。「お互いさっきから、~知ってる?って聞いてるだけだけど、楽しいね。」って笑ってました。スペインで日本のマンガがブームらしく、「名探偵コナン知ってる?」って聞かれたりもしましたよ。ただ、一人になりたいときは、無理をしないことも大事だと思います。「今日は本を読みたいから」とか「今夜はバルはやめておく」とか、自分のやりたいことを優先させてた時もありました。その分、一緒にいるときはたくさんしゃべりましたけど。
-自分のペースを崩しすぎないように、ということですね。
川口 ええ。疲れているときに、さらに英語で話すのは、やはり疲れますから。無理に話すと、無愛想な顔してるかもしれなくて、相手に嫌な思いをさせてしまうかもしれないじゃないですか。基本的には、たくさん話しましたけど、疲れているときはそんなふうにしていました。
-お互い無理をしないことも大事ですね。では、特に困ったことはなかったんですか?
川口 あまりなかったかもしれませんね。プラス思考なタイプなので。生活面では、全く苦労せず、楽しく快適に過ごすことができました。あえて言えば、もっと話せたら良かったということですかね。もっと日本のことも教えたかったし、もっとスペインのことも聞きたかったです。
-講習会に参加して良かったと思った瞬間は、どんなときでしたか?
川口 いちばん良かったのは、コンサートで演奏できたことです。自分では納得いかない部分のあった演奏だったのですが、「ブラボー!」って言ってもらったりして、観客の皆さんがとても温かかったです。演奏が終わったあとも、「日本人なのに、よくスペインの音楽をこんなに表現できたね」って褒めてもらったりしたんです。本場の人たちに、自分の演奏が認められたっていうのがすごく嬉しかったですね。日本じゃなくても、音楽って通じるんだなって改めて思いました。あとは、外国にも友だちができたことです。今まで音楽をやっている友達は、日本人しかいなかったですから、世界に広がったというのは、とても嬉しいことです。
-良い経験だったのですね。ぜひその出会い大切にしてください。
川口 はい。スペイン人の友だちは、来年日本に行きたいって言ってるんですが、どうやら本気で来そうです(笑)。
-留学して、ご自身が一番変わったことや、成長したな、と思うことはどんなことですか?
川口 自分はどこでも生活できるんだな、っていうのが分かったというか(笑)、自分に自信がつきました。もともと一人旅は好きで、日本国内では、一人でどこにでも出かけていたんですが、今回は初めての海外でしたから。やはり最初は不安でしたが、それをやり遂げたという達成感を感じました。日本人が一人もいない街だったので、特にそう思いましたね。
-日本とスペインで、大きく違う点は何でしょうか?
川口 スペイン人は明るく社交的で、誰とでも仲良くなれるという感じでした。日本人ではなかなかない感覚ですね。偶然、街の中で結婚式を見たんですが、それも日本とは大きく違ってました。スペインには、ガイタというバグパイプみたいな楽器があるのですが、街中にガイタが鳴り響き、「今日、新婚さんが誕生しましたよ!」と、街全体で祝福していました。ひとつの幸せをみんなで共有しようという感じで、お祭り状態でしたね。あと、違うことといえば、やはり、日が沈むのが10時ということでしょうね。昼からたっぷり遊んでいても、まだ明るい。そして暗くなってからもまだ遊びますからね。マクドナルドでビールも飲めますし(笑)、一日中、たくさんの人が楽しんでいることは、一番違う点でしょうか。
-スペインのお国柄なんでしょうね。では、今後、留学される方にアドバイスをお願いします。
川口 英語はすごく重要です。今回、それを実感しました。「英語は地球語」になってきています。どの国の人たちも英語は教育されているので、子どもでもみんな話せるんです。もしかしたら、日本の英語教育は遅れているんじゃないか、とも思いました。自分の英語力がないだけなんですが(笑)。もっと事前に勉強していたら、レッスンももっと充実していたかもしれないし、交友関係ももっと深く広くなっていたかもしれない・・・・そう考えると、やはり悔しいですから、英語の勉強だけは、きちんとしておいたほうがいいと思います。
-今後の活動や進路など、具体的なプランがあれば教えてください。
川口 4年生には卒論を書かなければいけないので、そろそろテーマを決めて、研究していかなければいけないですね。コンクールは、たぶんいろいろ受けると思います。優勝をするためにコンクールを受けるというより、その練習が充実したものになるので、コンクールは結果にこだわらずたくさん受けたいです。
-卒業論文は、スペイン音楽を研究されるという可能性もありますか?
川口 はい。スペインは候補ですね。
-今後のご活躍をお祈りしております。本日は本当にありがとうございました!
奥山彩さん/ピアニスト/フランス・パリ
「音楽家に聴く」というコーナーは、普段舞台の上で音楽を奏でているプロの皆さんに舞台を下りて言葉で語ってもらうコーナーです。今回はフランス・パリでコンサートピアニストおよび音楽院講師をされているピアニスト奥山彩(オクヤマアヤ)さんをゲストにインタビューさせていただきます。「パリで学ぶピアノ・パリでの音楽活動」をテーマにお話しを伺ってみたいと思います(インタビュー:2005年12月)。
ー奥山 彩さんプロフィールー
岡山生まれ。幼少よりピアノを始める。フランス、エコール・ノルマル音楽院を経て、パリ国立高等音楽院ピアノ科、室内楽科卒業。パリ高等音楽院古楽器科卒業(フォルテピアノ)。ピアノをブリジット・エンゲラー、ミシェル・ベロフ、室内楽をアラン・ムニエ、ピエール・ロラン・エマールに師事。フォルテピアノをパトリック・コーエン、歌曲伴奏をケネット・ヴァイスに師事。フランス、サン・ノム・ラ・ブロテッシュ・ピアノコンクール1位。日本教育連盟主催ピアノオーディション奨励賞。フランス、スペイン、ドイツ、スイス、オーストリア、ベルギーにて、ソロ、室内楽のコンサート、リサイタルを行う。鎌倉FMにて横浜みなとみらいホールのリサイタルを放送。オリヴィエ・マレシャルと2台ピアノのデュオを組み、フランス各地でリサイタル。ピアニスト、イヨルク・デムス氏に招かれ、トゥーロン城で演奏。ベルギー、オーステンドにおけるPianoFest'招待。現在、パリで演奏活動のほか、ヴェジネ市立音楽院、パリ6区ラモー音楽院にて非常勤講師、試験審査員など、後進の指導を行っている。
— 簡単な経歴を教えていただいてよろしいですか?
奥山 近所にたまたまピアノを教えていた先生がいらしたので、三歳半くらいから遊びがてらピアノを始めました。
— ピアノはご自分で始めようと思われたのですか?
奥山 ほんとに小さかったので、あまり覚えていないのです。両親は音楽家ではないのですけど母が小さい頃にピアノをやっていたので家にアップライトピアノがありました。ピアノの先生のお子さんも同じ年くらいだったので一緒に遊んだりしました。それで興味を持ってちょっとずつ教えてもらいに行くようになりました。幼稚園くらいからみんなもうピアノをやっていたのでそれで一緒に始めました。小学校三年生くらいの時にもっと本格的な先生に習うというふうになって、鎌倉に住んでいる宮原峠子先生という先生のところに習いに行くようになりました。先生は桐朋を出て、ドイツ留学をされた方でした。今は愛知芸大の先生をされています。その先生の勧めで実家が鎌倉なので、鎌倉の桐朋大学付属子供のための音楽教室へ通うになりました。
— 桐朋の子供のためのピアノ教室はいつから行っていたのですか?
奥山 小学校5年の時から行くようになってそれで音楽をやっている友達が出来るようになりました。それで小、中と普通の公立の学校だったんですけど高校受験の時に音楽高校に行くか普通高校に行くか選択がありました。それで私はまだその頃、それほど音楽を一生やっていこうとか決意みたいなものはまだなかったのですが、たまたま才能があるから音楽をやりたいのだったら、音楽高校を受けたらいいのではないかというふうに勧められて、受けてみたのですけど駄目だったんです。それで結局、普通の高校に行きました。でも音楽は好きなので将来的にピアノはどうしようかなと迷っていたんです。ずっと宮原峠子先生に習っていて、先生に小学生のころからあなたはどちらにしろちょっと変わっているから早いうちに日本のシステムに入るのじゃなくて、例えば音高に行ったとしても途中で辞めるくらいの感じで外国に出たほうがいいんじゃない、というふうに言われていました。
— 変わっているというのはどういう部分でしょうか?
奥山 まあ感性が(笑)。型にはめようとしてもはまらないというか。
— 素晴らしいじゃないですか音楽家としては。
奥山 そのへんの言葉は良く分からないのです(笑)。小学校六年生の時から先生になんとなく言われていたことなので。先生の生徒さんでフランスに行かれた方がいらしたこともあってだと思うのですけど、そういうふうになんとなく教え込まれていたので。
— 小さい頃から将来外国に行くんだ、と思っていたのですか?
奥山 なんとなくですね。フランスに行ったら素敵かな、くらいです(笑)。小学生なので(笑)。
— そこまで意志ががっちり固まっているわけないですよね。
奥山 固まってないですよ、本当に。私もふわふわしていたので、高校生の時は。普通の高校生活は楽しかったし(笑)。それで高校1年と2年の春休みにフランスのコンクールを受けに行ったらどうですか、と先生に勧められたんです。日本でぼんやり過ごしているより、一度外を見に行ったらいいのではないかということで。
— フランスですか?
奥山 宮原先生の生徒さんだった方で、フランスに留学されたあとエコール・ノルマルの先生になった方が、私が16歳の時、私の演奏を名古屋で聞いてくださったんです。それで、フランスの小さいコンクールがあるから受けてみたらと言われました。それがいいきっかけになると良いのではないか、ということでセッティングして下さいました。3月か4月だったかな。春に受けることになって、その時1ヶ月パリに来てレッスンを受けたりコンクールを受けて賞を頂いたりして、ああフランスはいいな、と思いました。コンクールで演奏を聴いてくださる審査員の雰囲気もとても暖かく、また、フランス留学されている方の話を聞いて、こういう方向に行ってみようかなと思うようになったんです。
— いつごろクラッシックの専門になろうと思ったのですか?
奥山 高校生位ですね。高校生の時にすごくいろいろ考えたんです。何でピアノをやるのかとか、なんで音楽を続けているのかとか、世の中の役に立つのかなとか。それで、フランスに初めて行った後の次の夏に、ザルツブルグ音楽祭のザルツブルグアカデミーに行きました。ヨーロッパで勉強している人のレッスンや演奏会をたくさん見て、今やっているままだと自分は駄目だなというふうに感じたんです。たまたま小さい頃からお世話になっている調律師の方が田崎悦子先生を車に乗せていた時に私の弾いているカセットテープを先生に聞かせてくださって、それがきっかけで田崎悦子先生に教えていただくようになりまして、先生はすごく素敵な方で憧れるというか、そういうふうになりたいなと思って、何か引っ張られるような形で、クラッシックをやろうと、本気でやろうと思ったんです。
— プロになろうと思ったのはどうしてですか?
奥山 田崎悦子先生にレッスンしていただけますかとお電話を差し上げました。田崎先生は18歳の時から一人でアメリカにいらした方で、親が電話してくるより自分でするほうが良いと言われました。それで、電話で先生に「あなたはピアニストになりたいの?」と聞かれて、「はい、なりたいです。」と言いました。「なりたくないです。」なんて、言えませんよね(笑)。
— 自分に言い聞かせたわけですね。
奥山 それが初めてピアニストになりますというふうに言った事でした。だから田崎先生に習うということはピアニストになると思って習うことなんだなというふうに理解したんです。途中で辞めさせられそうになったりしたんですけど(笑)。
— 何故ですか?不真面目だったりしたんですか(笑)?
奥山 その時は曲をいろいろやっていて、自分の曲をやっていたのと人のバックの曲を頼まれてやっていました。先生の生徒のレッスンの時にコンチェルトの伴奏を頼まれたんです。でも自分の曲は練習しているけど人の曲は全然練習していなくてそれで先生が怒っちゃって。
— それはまずいですね。今ではあり得ない事でしょうね(笑)。
奥山 本当ですね(笑)。プロだったら全部しないとだめです。引き受けたことは最後までちゃんとやるという。仕事だったら許されないですよね。初見でもなんでも本番なら、寝なくでもやるじゃないですか。だからそういう意味で良くなかったですね(笑)。
— 日本で高校を卒業してすぐにフランスに行こうと思ったのですか?
奥山 普通高校に通いながら、田崎先生に習っていて、留学というのはしたいと思っていたんです。でも、音大や普通大学の選択肢もありました。大学受験して、大学に通学するのも日本だと住宅事情から通学時間などがずいぶんかかりますから、その分、ピアノの練習や語学など留学の準備をして、私にとっては、そのままフランスに行くチャンスに賭けたほうがいいんじゃないか、ということになったのです。
— 言葉はどうしていたのですか?
奥山 高校生の時からフランス語を勉強していました。高校生のときは週1回学校に通って、高校卒業してから週2、3回くらい行っていました。卒業しても1年半くらい日本にいたのでその間に勉強していました。
— ドイツ、オーストリア、アメリカなど他の国もあるのに何故フランスなのでしょうか?
奥山 きっかけが結構ありましたからね。それに感性としてはドビッシーが好きです。フランスものは全体的にやっぱりすごく好きです。かっちりしたものよりも流動性のあるというか、ハーモニーというか色がある感じの曲が好きです。それに自分自身ではドイツはちょっときっちりとしたイメージがあったので、フランスのほうがあっているんじゃないかしらというふうに言われて。あとは実質的な問題で、アメリカの学校はTOEFLとかあるじゃないですか。ドイツの学校は大学卒業してないと行けないんですよね。第2期から入るには。1期から入るとドイツ語が出来ないといけないし、心理学とかそういう外国人には難解な授業もあるし。そして、フランスは下の年齢制限がないんです。上の制限は22歳未満と決まっているんですけど。私の時は入学試験は実技だけだったんですけど。今はソルフェージュの予備試験とかあるようですね。私は本当に実技一発勝負だけだったので、そういう意味でシンプルでした(笑)。
— 音楽が出来れば入れたということですか?
奥山 そうですね。あと年齢も関係ないですね。フランスの学校は、どちらかというともともと完成している人よりも今後の才能を見るという試験なようです。ものすごくテクニックとか完璧に出来ている人よりは、いろいろな可能性がある人の方が入りやすいらしいですよ。そういうふうに言われたので、だったら可能性があるかなと思ったもので。
— 最初は、エコール・ノルマルに行かれていますよね。そのあとパリ国立高等音楽院に行かれている。
奥山 最初、エコール・ノルマルに登録して。それでその間にパリ国立高等音楽院の試験を受けたりしていました。エコール・ノルマルは実質8ヶ月くらいしか行っていないんです。エコール・ノルマルという学校は私立の学校で誰でも入れるんです。普通に登録して、授業料を払えば(笑)。レベルはいろいろで、入る時に先生がレベルを決めます。1から6まであって、6段階というのはなかなか難しいので日本で音大を卒業した人だと5か6で入るんです。そういう感じで一年ずつ試験を受けて上がっていって、コンサーティスト・ディプロマ(演奏家資格)まであります。入ることよりは試験を受けてディプロマをもらうことに意味があるという学校です。先生は有名な先生から、若い先生までいろいろです。ピアノ科だと何人くらいいるのかな。たくさんいらっしゃるんですよ(笑)(編集注:注:2005年12月現在 ピアノ科講師46人)。
— 学生さんは何人位いるのですか?
奥山 ちょっと把握できないくらいです。
— 日本人の方はどの位いるのでしょうか?
奥山 エコールノルマルは、どちらかというと日本人、韓国人の生徒が半分以上だと思います。実質外国人がとても多い学校だと思います。
— 現地の方というよりも外国人が多い学校ですね。
奥山 外国人はたくさんいます。中にはエコールノルマルに登録しているけれどもレッスンはあまり受けないでディプロマ試験のみを受ける人もいます。
— そういうのもいいのですか?
奥山 いいみたいですね。
— 結構自由なんですね(笑)。
奥山 とても自由です。先生さえ承諾してくだされば、何でも自由な感じです。だから求めるものさえあれば、いろいろできると思います。
— 人によるでしょうが、奥山さんは、エコールノルマルよりコンセルヴァトワールの方が合っていると思ったわけですね。
奥山 コンセルヴァトワールというのはフランス各地にいろいろあります。国立高等音楽院と言われているのはパリとリヨンにあります。そこはエコールノルマルと違って入学試験があってピアノ科だと200人くらい受けて、入るのは15人から20人位です。年によるんですけど、卒業生が出た数だけ入れるということになります。コンセルヴァトワール(パリ国立高等音楽院)は、ピアノ科全体の生徒が80人位いると思います。授業料は完全に無料です。
— それは国立だからですか?
奥山 国立なので授業料は完全に無料です。学校に登録するための登録料のみ必要で、日本円で4万円位です。それだけで1年間通えますのでほとんど無料みたいなものですね。それで学校の施設や練習室の利用、ピアノ科ですと先生のレッスンが受講できます。レッスンが週に2回1時間ずつあって、その他いろいろな授業もあります。それが本当に全部国の予算でまかなわれています。
— 実際エコールノルマルと比較してレベルはいかがでしたか?
奥山 レベルはエコールノルマルのトップの人とコンセルヴァトワール(パリ国立高等音楽院)のトップの人とそんなに変わらないと思います。ただ、コンセルヴァトワールの生徒の方が全体的に年齢は若いですね。コンセルヴァトワール(パリ国立高等音楽院)に、フランス人は15歳位から入学試験を受け始めます。平均年齢だと20歳をいっていないくらいです。20歳で入るとちょっと年上の人って感じがしますね。
— 学校に入る前に師事する先生を見つけておくのですか?それとも学校に入ったあとに師事する先生を見つけるのですか?
奥山 学校に入る前に師事した方がいいです。まったく先生を知らないで試験を受けに行かないほうがいいです。
— まったく先生を知らないと入りにくいのでしょうか?
奥山 どうなのでしょうね。大体先生を指定して、試験を受けるので。先生を知らないと先生の方もその生徒を取りにくいと思います。結局、試験があって一番から順番に並んで、一番の生徒から希望の先生の所にいけるんです。ただ、先生が気に入られている生徒だと、順番を無視して、とってくださるケースもありますね。
— 先生が引っ張ってくれるということですね。
奥山 学校に習いに行くというよりは先生に習いに行くという感じですね。
— コンセルヴァトワール(パリ国立高等音楽院)には、一般的な授業や講義みたいなものはあるのですか?
奥山 ピアノと室内楽とソルフェージュは、年の初めに試験があります。それで免除される人がたくさんいるのですが、免除されないとそれらの科目は受講しなくてはいけないのです。あとは、楽曲分析とオプションで好きな授業を二つ以上取れます。オプションはいろいろあります。即興、合唱、理論、指揮、音楽史、美術史、音響に関することなどいろいろです。選択で授業を受ける感じですね。
— 自分の好きなように選んでいいということですよね。
奥山 私はそこでフォルテピアノ(編集注:初期のピアノ・古楽器)や即興演奏を習いました。
— フランスは非常に楽曲分析が厳しいというか、よくやるなと思うのですけど、かなり細かいところまで分析するのですか?実際その辺りはどうなのでしょうか?
奥山 コンセルヴァトワール(パリ国立高等音楽院)の授業で、外国人で一番大変なのがその授業です。週に1回3時間ぶっ続けであるんですよ。1回1時間半やって途中で10分くらい休むんですけど、また1時間半あるのでほとんど3時間ぶっ続けです。だからやっぱりすごい気分的に重いですよね。レベルは初級レベルから上級レベルまであるんですけど。私のように普通の楽器の生徒がやるのは初級レベルですね。知らない曲を聞いてどんな曲でも大体どの時代のどの作曲家のどういうスタイルの曲かというのを口頭で言えるような感じです。
— 結構厳しそうですね。
奥山 時代背景や曲のスタイル、調整とかいろいろありますよね。そういうことが出来るようになるわけです。試験も、選択式などの質問形式ではなくて分かることを全部言わなければならないので。
— 試験は質問に答えるわけではなくて全部答える感じですか?
奥山 一曲聞いて、分かることを全部紙に書くという感じです。
— そういう試験なんですね。これは辛いですね(笑)。
奥山 そうですね。曲の名前と時代だけ書けばいいというわけではないので。
— ちょっと知っていればいいというわけではないですね。
奥山 ちょっと知っていればいいというわけではなくて、ここから自分で分析して、使われている楽器だとかそこから何を言っているかとか、そういうところまで勉強しなくちゃいけないのである意味きついですね。そういうアナリーズ(Analyse)というのは音楽ではメシアンが始めたらしいのです。メシアンは最初その授業をフィロゾフィー・ドゥ・ラ・ミュジック(philosopie de la musique)、音楽哲学というふうに呼ばれていたそうですね。だからもう哲学なのです。
— 哲学ですか?非常にフランスらしいですね(笑)。
奥山 深い。深く分かっていくのだという。
— 楽器分析と聞くとただの分析かなと思うのですけど、実際は哲学なのですね。
奥山 そうなんです。音楽家としての音楽哲学なんです。そういうふうにお聞きしました。それでそういう授業を始めたのだと。そういうふうに歴史的に今につながってきているんですね。私が習っていた先生は実際にメシアンに作曲を習われた方でした。
— メシアンですか?本物ですか。すごいな。
奥山 そうですね。今先生をしている方はメシアンに習われたりした方です。メシアンに作曲を習われたという人がそういう楽曲分析の先生をしていらっしゃる。
— すごい。
奥山 すごいですね、考えると。そういうふうに歴史的に私たちまでつながってきている。そういう意味では、私はピアノをブリジット・エンゲラー先生とミシェル・ベロフ先生に習ったんですけど、ある意味ラッキーですよね。
— そうですよね。先生にはどうやってコンタクト取ったのですか?
奥山 もともと習いたかった先生は別にいらっしゃって、彼に入学前にレッスンしていただいていました。私がコンセルヴァトワール(パリ国立高等音楽院)に入学した年は彼のクラスに一席しか席が開いていなくてこの先生にとっていただけなかったんです。それで、ロシアで勉強されて、素晴らしいコンサート・ピアニストであるブリジット・エンゲラー先生にコンタクトを取って入れてくださいって言ったのですね。それで、彼女のところに入りました。先生と三年間やってそのあとエンゲラー先生に、私は現代のレパートリーが好きだったので、ミシェル・ベロフ先生と合うのじゃないか、と言われてベロフ先生に途中で変わったんです。
— 先生に紹介してもらってミシェル・ベロフ先生に変えてもらったんですか?
奥山 私はミシェル・ベロフ先生に習えると全く思って入ってなかったのでラッキーでした。
— 紹介がなければ習えないわけですもんね。
奥山 直接行っても当時は彼も生徒をあまりとらなかった時期だったので、なかなか難しかったでしょうね。
— コンセルヴァトワール(パリ国立高等音楽院)は、フランスの音楽を多く勉強するのですか?
奥山 他の国よりはフランス音楽を多く勉強する、というくらいの感じです。でも全部やりますね。それに、コンセルヴァトワール(パリ国立高等音楽院)は現代曲を必ずやります。あと初見のクラスというのが結構進んでいます。初見のクラスも週に1回あるんですけど、それもかなり難しい楽譜をいきなり見て弾くという感じです。現代曲を2分くらい見て大体の構造をぱっと見て骨組みだけ弾く感じです。曲の感じをすぐつかむとか、読み方ですね。完璧に弾くのではなくて大体こんな感じの曲みたいな訓練はかなりさせられます。
— それはプロになるためには初見で弾けることが重要だということですよね。
奥山 完全にそうですね。専門家になるための訓練ですよね。
— コンセルヴァトワール(パリ国立高等音楽院)の場合は語学の試験はないと仰ってましたが、どの程度語学はできればいいのでしょうか?
奥山 今は、ソルフェージュの予備試験というのがあるので、言っていることなどある程度聞き取れないと難しいと思いますが。ただ、普通に出来れば入ることは入れます。でも、入ってからがすごく苦労するかな、と思います。語学が出来ないと授業も分かりませんし。
— 授業は、全部フランス語でやりますもんね。
奥山 全く出来ないよりは中級レベル位までやって来られる方がいいと思います。自分にとっても先生にとっても。先生もいつも語学力については文句を言っていますので。
— 語学力ですか?
奥山 言葉のわからない生徒は先生も大変じゃないですか。日本人は日本人同士で固まりがちなのでなるべくフランス語は礼儀としてというか、外国の社会に入っていく立場から最低限勉強していったほうが私はいいと思います。
— コミュニケーションの出来る人のほうがフランス人と仲良く出来ますしね。
奥山 コミュニケーションというか言葉が出来たほうが来てから早くいろいろ吸収できますよね。
— 長い間フランスにいらしてフランスのいい点、悪い点がいっぱいあると思うのです。音楽をやるにあたって。それは何か教えていただけますか?(編集注:在仏12年)
奥山 パリに限定して言うとやっぱり音楽家や芸術家の人口密度が高いというか、可能性がたくさんあることですね。それがすごくいいと思います。この土地に、ある意味芸術的レベルが高い人がたくさん集まっているので。学校にも先生はいますし、この先生のレッスンを受けたいということになっても、パリに住んでいる方がものすごくたくさんいらっしゃるので、そういう意味ではチャンスが多いです。
— 逆に悪い点って何かありますか?
奥山 なんかすごい時間にルーズです。時間にルーズというよりは日本人の感覚から言うと口で言ったら実行するじゃないですか。口だけでいつまでたっても実行がないというか…(笑)。もちろん人によりますけど。あとはお給料も安いと思います。音楽のお仕事というのは日本でもパリでも大変なのは一緒だと思いますが。パリではちょっとしたサロンコンサートの機会は探せば結構あります。
— フランスで仕事を始めるにあたって留学する必要性はあると思いますか?
奥山 留学はビザなどの点から見ても、外国に出るのに、ある意味一番簡単な手段だと思うんですよ。それを利用するのは最初の手段として良いと思います。あとは最低限のコミュニケーション能力は必要だと思うので慣れる意味でも留学するのはいいと思います。
— フランス人は時間にルーズということでしたが、レッスン時間には遅れるのですか?
奥山 例えばブリジット・エンゲラー先生は演奏家なのですけど、自分が遅れてきても生徒は絶対先にいるべきだという人でした。上下関係とか、常識的な礼儀として。でも、本当のプロの人は、時間は正確です。一流の人はやっぱり遅れたりしないですね。時々、演奏家の先生はお忙しくて遅れてきたりはしますけど、来なかったりとか(笑)。
— 来なかった?
奥山 行ったら来なかった。でも一般的に一流の方は、すごい時間にきっちりしています。例えば現代曲で有名なピエール・ロラン・エマールという先生に習っていたのですけど、彼なんて5分刻みみたいな感じです。大げさに言えば、来週の13時5分にレッスンをしようという感じです(笑)。
— そんな感じですか(笑)。
奥山 どんなに忙しくても必要であればレッスンを入れてくださいます。でも本当に細かいです。フランス人には、そういう人も中にはいますね。通常は、レッスン時間がずれたり、やっていて長くなったりは良くあります。レッスンはほとんど時間が決まって無くて順番だけ決まっていたので2時間位ずれてずっと待っていたりします。でも私の先生はそうやって待たせて違う人のレッスンを聞かせるのが好きだったのでそういう意味もあるかと思います。
— フランスで仕事をするという意味で、日本人で有利な点、不利な点はありますか?
奥山 不利な点のほうが多いと思うのです。ヨーロッパで勉強されている、または活躍されている日本人の優秀な音楽家の人数がものすごく多くいるので。だから日本人が来るとまた日本人が来たというふうに思われることが多いです、現実的に。
— それはどういう意味ですか?
奥山 やっぱりヨーロッパやフランスでもどこでも外国人に仕事をとられるというのがあるじゃないですか。音楽は伝統芸能なので、外国人がアジア人が演奏しているよりは、ヨーロッパ人の顔をしている人が演奏した方がある意味自然と言ったらおかしいんですけど、そういう事があるのかなと。
— 日本でお琴を弾いている人が西洋人だったらちょっと違和感があるみたいな事ですね。
奥山 言い方はおかしいのですけど、そういう変な固定観念を持っている人はやっぱりたくさんいると思います。もっと開いたことを言っている人がいてもやっぱり心の中ではヨーロッパ人の方が優れていると思っているのに決まっているので。日本人はたくさん勉強して自分たちの音楽というか芸術を素晴らしく真似して、と言ったらおかしいけれども勉強して、そこまでやってくれてえらい人達だ、みたいなところがあると思います。その中で自分の個性とか壁というのを壊して超えて行くというのには時間かかかると思いますね。だからいきなり来てぱっと入るのだったら相当の実力がある人だったら、来られる人もいらっしゃいますけど実際はかなり難しいと思います。
— 人脈が大事ということでしょうか?
奥山 人脈ですね。つながりとか。一つ一つ仕事をしてある意味最高の仕事というか自分の最高の音楽を見せていくことだと思っています。後はやっぱり言葉という意味でもコミュニケーションという意味でもいきなり「こんにちは」と言ったくらいではしゃべれないと向こうは頭で思っていますので。
— 有利な点はいかがですか?
奥山 例えば伴奏ピアニストとしてやっていく場合、仕事をするという意味では期限内にちゃんと仕上げるとか、技術面もしっかりしているという評判があるので、そういう意味では信用されやすいと思います。
— 日本人のほうが信用されやすいのですね。
奥山 そうですね、まじめな人種っていう事でしょうね。でも逆に利用されているような場合もあるので気をつけないといけないと思います。言ったらやってくれるだろうと。ある程度自分がやりたい事というのを提示していかないと流されて、その場限りみたいな感じになることも結構あると思いますね。
— 奥山さんにとってクラッシックもしくは音楽とはどういうものですか?
奥山 「今の時点」だと人生そのものですね。音楽をやって初めて自分が一つになるというか、とても深いものですね。
— それはやっぱりクラッシックですか?
奥山 クラッシックというのは100年、200年前に作曲家というか芸術家がいて、それで作品を書いてそれがずっと残ってきたものです。それはモネの絵とかゴッホの絵とか画家の中でもたくさん人がいるうちで素晴らしいものが残っているのと同じように、音楽も、時間をかけて理解して表現して磨いていくような過程がやっぱり好きですね。
— なるほど。
奥山 クラシックは、時間をかけて深めて理解して、自分の人生をかけてといったらおかしいのですけど、そういう感じで細部まで磨くというのでしょうか。音に対しても非常にこだわりを持って全てが重なった時に、ある意味感動が生まれたりします。自分一人だけ感動するのではなく。だから演奏会があったら演奏会の時点だけではなくて前々から、積み重ねていってそこで到達するような感じですね。
— 音楽を日常でやっていて、喜びが最高潮に達する時があると思うのです。演奏会でも練習でも。それはどういう時でしょうか?
奥山 演奏会というのはある意味ゴール地点なので、入った瞬間というのはそんなに面白いという感じではないのですけど興奮みたいなのはあるんです。面白いなと思うのはやっぱり楽譜と向かい合って勉強していく過程で一つ一つ発見していくことですね。発見というか、インスピレーションがだんだん湧いてきて形にしていく過程が面白いです。出来てしまったらあとは人に見せるんですけど、人にみせるというのは別のことだと思っています。それは例えばコンディションを整えたりすることです。演奏会が一番好きで、来てくださった方々とそういう濃い時間を分かち合うのがやりたいことなんですけど、一番脳が面白がるのは発見の過程ですね。他のミュージシャンと弾いて新しいものが生まれてきたりするのも面白いです。
— 「お客さんに見せる」段階よりもその「前段階」が面白いということですね?
奥山 それが一番面白い。でも、お客さんに見せた段階でやっぱり音楽が変わるんです。自分がとことん理解して勉強して時を重ねても見せる時になるとまた変わるんですよね。ある意味そこで一段階ステップアップするんです。それもまた面白いです。それは自分だけの力とかいうんじゃなくて、その時の雰囲気だとか、アコースティックだとか感じることだとかあるんですけど。そこで生まれてくるものというのは。
— これは面白いと思いますよ。今まで一生懸命練習や解釈をして自分が最高だと思っていることが、お客さんやいろいな条件によって自分が思っていないことが出てくるのですからね。
奥山 そうですね。急に違うことやったり(笑)。
— 違うことやるのですか?
奥山 本筋は変わらないのですけど、もっとよくなることもあるし、悪くなることもあります。例えばお話する機会があったとしても、話し方というのは目の前にいる人によって変わりますよね。それと同じ事が起こりますね。自分の中ではこういうものを作ろうと決めてやっているのですけれど。
— ソロとアンサンブルとどちらのほうがお好きなんですか。
奥山 私はアンサンブルすごく好きなんです。パートナーは、すごくあう人じゃないと出来ないんですけど。
— 自分の方が合わないなと思うのですか?
奥山 いろんな人と試してやってみようと思って、実際にやってみてもいるのですけど、この人とやったほうが良いというのが最近分かってきましたので。レベルとかフィーリングとかいろいろあるんですよね。やっぱり気質がソリスト気質というふうに言われてしまうことが多いんですね。自分ではどうにもならない(笑)。
— 日本人の方と演奏する機会もあるでしょうし、現地フランス人の方と演奏する機会もあるでしょうけれども、どちらの方がやりやすいのですか?
奥山 日本人は正直やりやすいです。すぐにあいます。
— やっぱり奥山さんが日本人というのがあるんでしょうか?
奥山 何かテンポの感覚とか拍子の感覚とかでしょうか。それに日本人は合わせるのがすごく上手です。誰でも、日本人同士だと、ほとんどずれません。
— フランス人はずれるということですか?
奥山 ずれる。もう信じられない。こんなにずれないというくらいずれます。本当に神経疑うくらい(笑)。プロ同士だったらずれないように最後はやります。でも、ずれる人は本当にずれますし、勝手に弾いてます(笑)。だからというわけではないのですが、合う人と会えば非常に合うのでそれはすごく面白いですね。
— 奥山さんの今後の音楽としての夢を聞かせていただけますか?
奥山 音楽としての夢はいっぱい演奏の機会を増やすこと、それにいろいろ人とコラボレーションしていきたいです。アンサンブルとしてもそうですし、例えば他の分野、映像や舞踏の人などそういう意味でもいろいろやっていきたいですね。なんか私は「交換(Echange)」と、「分け合う(Partage)」みたいなことに今すごく興味があるのです。
— それはあるものを、気持ちを通して、「交換し」「分け合う」のですか?
奥山 いや自分の気持ちというか持っているものですね。それは例えば芸術家の「フィーリング」だとか「インスピレーション」などです。興味としては、知らない作曲家の人も新たにやってみたいし、持っているものを深めるのもいいのですけれども、一番興味を持っているのはそれを「交換」することなのです。
— 面白いですね。
奥山 一人でやるにはやっぱり制限があるし、今の時代だとショパンコンクール1位とかチャイコフスキーコンクール1位などを目指すのは、20代までは良いと思うのです。でも、そういうことには限りが出てくると思います。いろんな人と関わり合って自分を高めてオリジナリティーを探求していった方が良いかなと思います。
— 確かにショパンコンクール1位とかチャイコフスキーコンクール1位とかというのはすごいのですけど、それ以上ではありえないですよね。例えば先ほど言われた映像の方といっしょにやるとか、ダンスの人と一緒にやるとか、そのほうが面白いと思いますね。
奥山 選択肢をコンクールだけにしたら、他の人と関わるというのは絶対無理じゃないですか。一日10時間、家に閉じこもって練習するしか道はないような感じになりますよね。それにチャイコフスキーコンクールを受けるとしたらコンクールのための曲を弾くしかないのです。そうではなくてもっとテクニック的に難しくない曲や、もっと単純なコンクールでは栄えなくても素晴らしい作品を勉強する時間もとれないことが多いのです。20代にそれを全然勉強しないことになるんですよ。感性が鋭くて一番吸収できる時期に、それもまたもったいないと思います。
— いろんな人と一緒にやるというのは次のステップということですね。
奥山 いろんな人と一緒にやるとか、いろんな世界の人と関わりたいというのは次のステップとして、そういう経験を通して、自分を深めたいという感じです。
— いろんな人とやるのは一番面白いことだと僕も思うのです。観客も含めて、音楽というのは一人のものではないと思うので。いろんな人とやるのが一番面白いのかなと思いますね。
奥山 ソロと言われながらも他の人とやってソロの演奏の中にもそれを取り込んで、こう色彩というか。自分のパレットを増やしたいと思っています。
— プロのミュージシャンとして、フランスで活躍出来るような秘訣とか、仕事がとれるような理由とか、成功する条件は何かあるとお考えですか?
奥山 最終的には成功する条件はどこでも一緒だと思うのです。やっぱり努力と、努力して人への思いやりを持つことです。あとは自分のやりたいと思っているチャンスを常に逃さないように待機している状態にすることです、精神的に。
— 精神的にですか?
奥山 そうですね。精神的なテンションを保つのって結構難しいと思うんです。ある時やりたいな、と思うことがあっても、一週間くらいたったら、もういいかな、と思ったりするじゃないですか(笑)。そういう意味で続けること、継続が大事ですよね。途中で失敗してもそんなにあきらめないで何度もトライしていくことが大事だと思います。
— 人間なんでやる気が落ちる時もあるし、これを保っていくということは難しいと思いますね。
奥山 保つということは難しいですよね。私も結構落ち込むので。一人の時間がすごく多いので。特にピアノをやっている人は。だから自問自答ばっかりしている人がたくさんいると思います。でもある意味捨てていかなきゃいけないものがあると思うんですよ(笑)。学生の時はやっぱり可能性をいっぱい探るので可能性の中でおぼれてしまうような感じです。でもやっぱりプロになろうと思った時点でなんといったらいいのかな、開き直りというのとは違うと思うのですけど捨てる部分があるんです。
— 学生のときは、自分が世界のトップピアニストで、例えばニューヨークのカーネギーホールでいつも演奏するだとか、常時、そのような場にのみ自分がいると思っているのでしょうね。
奥山 そうですね。でもプロになるということはいきなりそんなカーネギーホールに行くことではないですよね。一つ一つ積み重ねていって、その頂点にカーネギーホールがあればすごく素晴らしいことなのだと思います。やっぱり音楽家、特にクラッシックだったら20代で最高を目指すなんてやっぱりありえなくて、 20代があって30代があって40代があると思います。80才でもまだ現役でコンサートやっている方もいらっしゃいますので。やっぱり上には上がいて、何というのかな、謙虚な姿勢というか長い目で見るようにした方がいいと思います。プロというのは、中学校の上は高校とかそういうのではないので今やっていることが40代になった時に花開くといいなという長いスタンスでいるとやっぱり気持ち的にはいいんじゃないかなと思いますね。
— フランスで音楽を勉強したいと考えている日本の方に何かアドバイスがあれば教えて頂いてよろしいですか?
奥山 フランス留学する方は、まずとりあえず来てみてください。いきなり長期で来ないで例えば2週間とか1ヶ月とか期間を決めてトライしてみると良いと思います。とにかく一回来て本場を見ることが大事だと思います。そして、もし来たいと思われたらあきらめずに頑張ってください。
— 長期留学する前に短期で一回見るというのは大切ですよね。
奥山 私も一回見るチャンスがあったので。夢というのはどんどん膨らんでしまうのでやっぱり見ないといけないと思います。来て、見て、触ってみないといけないですね。
— 考えてばかりだと実際は違ったというのもありますしね。
奥山 来た後に、もしかしたら来たくないかもしれないですし。文化の違う所で生活するのは大変ですので、日本に居た方がいいと思うかもしれないし、違う国の方がいいと思うかもしれません。学校を見学したり、短期で2週間〜1ヶ月くらい春休みや夏休みを利用して一度来られるのがいいと思います。
ー ありがとうございました。
吉田智晴さん/オーボエ/ケルン放送管弦楽団/ドイツ・ケルン
「音楽家に聴く」というコーナーは、普段舞台の上で音楽を奏でているプロの皆さんに舞台を下りて言葉で語ってもらうコーナーです。今回はドイツの名門オケ・ケルン放送管弦楽団オーボエ奏者でご活躍中の吉田智晴(ヨシダトモハル)さんをゲストにインタビューさせていただきます。「音楽留学をすること」をテーマにお話しを伺ってみたいと思います。
(インタビュー:2006年6月)
ー吉田智晴さんプロフィールー
横浜生まれ。高校卒業後、渡独。ハンブルク国立音楽大学卒業。ヨエンスー市立管弦楽団、ヒルデスハイム市立歌劇場、ホーフ交響楽団を経て現在ケルン放送管弦楽団でオーボエ、イングリッシュホルン奏者。ケルン放送管弦楽団の木管五重奏団、ケルン放送交響楽団の木管八重奏団のメンバーとしても活躍中。これまでに小島葉子、河野剛、W.リーバーマン、R,ヘルヴィッヒ、I.ゴリツキ各氏に師事。
— ドイツでの簡単な履歴を教えてください。
吉田 ハンブルグ国立音楽大学で勉強しながらブレーメンのオーケストラで演奏させて頂きました。その間にドイツのオーケストラのオーディションをいろいろ受けてヒルデスハイム市立歌劇場に入団しました。ハノーバーの近くにあるものすごく小さなオーケストラです。1年位そこにいてその後バイエルンにあるホーフ交響楽団に入団しました、そこに4年間いまして、その後たまたま招待状を頂いたケルン放送管弦楽団に入りました。オーケストラを転々としていますね。
— 高校卒業してからすぐにドイツに行かれていますが日本で音大は受験しなかったのですか?
吉田 最初に京都芸大を受けました。ピアノを始めるのが遅くて東京芸大の試験を受けるのにはピアノの腕がおいつきませんでした。京都芸大は当時、ピアノの試験がものすごく簡単だったんです(笑)。今でもそうかは分からないですが(笑)。ただ単に受けに行ったので一次で落ちました(笑)。それで1年間浪人してピアノを練習して、次は東京芸大を受けようと思いました。東京芸大を受けるために1年間師事した当時の先生がドイツのデトモルトで勉強されたご経験がありました。先生はハンブルグのオーケストラでも吹いた事があって、その関係でハンブルグのオーボエ奏者をご存知だったんです。結局、芸大を受けてダメだった後に、ハンブルグの先生が日本に偶然来まして、じゃあ先生の前で吹いてみろ、ということで吹きましたら付いてこいということになり、その年の10月にハンブルグに行くことになりました。
— もともと海外に留学しようという思いはあったのですか?
吉田 あんまり考えてなかったですね。芸大に入れれば芸大にずっといたんじゃないかと思います。
— たまたまという事ですね。
吉田 たまたまですね。というか芸大がダメだった時に、以前そういう形でドイツに行かれた方がいらして、その話をうちの父親が聞いていましたので、「お前もそういう風にドイツに行けるんだったら行けばいいじゃないか」みたいな感じで後を押してくれました。僕は深く考えずに日本にいてもしょうがないと思い、2年目も浪人する気はなかったのでドイツ行きを決心しました。
— ドイツ語は勉強していましたか?
吉田 ドイツ行きが決まってから日本で少し勉強しました。でもやっぱりあまり役に立たなかったですね。ドイツに来て語学学校に行きましたけど、ドイツ人の音大友達と話しているうちにだんだん覚えていきました。僕の場合、日本で音大を出ていませんので、ドイツで基礎科目も取らなきゃいけなかったんです。そのおかげもあってドイツ語をどうしても勉強しなければいけない状況でしたので頑張りました。尻に火が点かないとやはりやらないですよね(笑)。
— やらざるを得ない時が一番やりますよね(笑)。
吉田 ドイツ語ができないと単位が取れないんで(笑)。
— 音楽に興味を持ったきっかけを教えて頂いてよろしいですか。
吉田 もともとブラスバンドでオーボエを始めたんです。
— 中学校ですか?
吉田 中学です。ブラスバンドがとてもうまかった学校で入学式の日に演奏してくれたんです。その演奏がものすごくうまくて、同じ中学生でなんでこんなにうまく出来るんだろうと思ったのがきっかけです。親父が高校の時にブラスバンドをやっていてその関係でフルートが家にありました。それでフルートをやろうと思っていたら、親父に「フルートはきっと人も多いだろう。オーボエというのはいい楽器だから、オーボエが学校にあるんだったらオーボエをやりなさい」と言われたんです。それでブラスバンドに入部した時にオーボエを希望したのですがやはり僕1人でした。トランペットやフルートはものすごい人が多かったですね。
— 小さい頃から音楽はやっていたのですか?
吉田 音楽を聴くのは好きでしたね。名曲アルバムなどをよく1人で聴いた記憶はあります。
— 子供の時からピアノを習っていたというわけではないんですね。
吉田 英才教育ではありませんでした。父親に連れられて小学生の頃、何回かクラシックの演奏会に行った記憶は今でもありますけど、先を考えてした行動ではなかったと思います。
— オーボエを中学校からやる人は珍しいですよね?
吉田 あまりいないのかもしれません。今考えると楽器の調節も無茶苦茶だったし、リード自体もとんでもないものだったから、音を出すこと自体が何かもうきついっていう記憶は未だに残っています。
— オーボエを教えてくれる方はいらしたのですか?
吉田 1歳年上の先輩しかいませんでした。女性の先輩で、その方自身もオーボエを吹いて1年になっていない訳です。悪条件で始めたので目眩がしましたからね(笑)。楽器も調整されてないしリードも悪いしきつかったですね。
— それがいまだに続いているんですからオーボエに取りつかれたんですね(笑)
吉田 そうですね。実は中学の時に、オーボエだと人数的に少ないので吹奏楽コンクールに出れませんでした。それでクラリネットだったらコンクールに出れるというので中学2年から1年半ぐらいクラリネットを吹いていたんです。クラリネットの方がオーボエに比べると音を出すこと自体はそれほど難しくなかったのでクラリネットが結構うまくなりました(笑)。コンクールが終わったらオーボエに戻ろうと思っていたんですけど、先生が「お前はクラリネットとして必要だ」と言ってくださいました。それで、そのままずるずるとクラリネットをやっていたんですが、高校に入ったのをきっかけにオーボエに戻りました。自分が本当にやりたい楽器はオーボエなんじゃないかと思ったんですね。楽器を持っていなかったので神奈川県青少年オーケストラという楽団に所属したらオーボエを借りられるということで青少年オーケストラに入りました。それがオーケストラを経験した最初です。そこで楽器をずっと使わせていただいて大学受験の時にオーボエをようやく買ったんですよね。
— それまではどうしていたのですか?
吉田 ずっと借り物でした。親としても本当にやるかどうか分からなかったと思いますから。
— もともとプロの音楽家としてやろうと思っていたわけではないですもんね。
吉田 高校3年の時になるまで音楽大学は考えていませんでした。だから普通の大学を受験すると思っていたんです。でもよく考えてみたらもともと勉強が好きなほうじゃないし、自分には音楽しかないのかなと思うようになったんですね。
— ピアノはいつから始めたんですか?
吉田 高校3年の時です。
— 高校3年生ですか!
吉田 音楽大学を受験するにはピアノが必要という事になりました。高校のブラスバンドの先生がたまたまピアノも教えていらしたので、その先生にピアノを習い始めてそこで長音とか受験に付随する科目を習いました。
— 指は動くんですか?そのぐらいの年齢から始めても。
吉田 ものすごいスピードで練習しましたからね。何とか、何ヶ月かで弾けるようになりましたね。でも、小さい頃からやっていませんので1回ピアノをやめちゃうと全く弾けなくなっちゃいます。聴くのは好きですけど、弾くのは本当にあんまり好きじゃないんです(笑)。
— ところで、音楽を勉強するためにドイツの良い点、悪い点はありますか?
吉田 ドイツの音楽大学の場合は、例えばオーケストラでやりたい、音楽院などで音楽理論を教えたい、音楽を使ったセラピーを専門にしたい、など自分の目的がはっきりしている人にはすごくいいと思います。卒業する前に方向を決めるのではなく、学校に入る時点である程度自分の方向性を決めないといけないんです。悪い意味だと入ってからは軌道修正がしにくいんですね。これはドイツの小学校、中学校のシステムについても言えるんです。ある程度、目的意識を持っている人にとっては将来職業として必要とされるものがかなり集中してやれる環境ですので、そういう意味では無駄な事をしなくていいのでそのシステムはすごく僕はいいと思うんです。それに国立音楽大学に関して言えば授業料がないということは素晴らしい事だと思います。悪い点は自分が違うことやりたいと思った時に、その他の学科への編入がかなり難しいということでしょうね。
— そうですよね。
吉田 大学では学習環境がよく整備されていますし、教鞭を執っている方はいい先生が揃っています。例えばハノーファー音楽大学は練習室が数多くあります。自宅で練習して大きい音を出さなくても学校に行けば休日以外はほとんど開いていましたので、朝から晩まで練習していましたね。
— ドイツは法律で何時まで練習していいよと決められているんですよね?
吉田 夜は10時までです。
— オーボエの場合、部屋で練習すると近所からクレームはきましたか?
吉田 あんまりこなかったですね、オーボエの場合は。それほどうるさくないみたいです。
— 基本的に部屋の中で練習されている方が多いのですか?
吉田 部屋の中で練習できる楽器は、多分部屋で練習されていると思います。金管楽器ですとみんな学校に来て練習していますけれども。
— これからドイツに行きたい方にとって、最も重要と思われる事はなんでしょうか?
吉田 自分がどういう事をしたいかという事が明確に分かっていないと道を選ぶ上でも少し困難だと思います。例えば、どうしてもこの先生に付きたいという意識があるのでしたら、学校も決まってきます。漠然とドイツに行くと決めた場合、焦点を非常にしぼりにくい。人気のある先生のクラスに入りたいと思った場合は倍率がかなり高いです。しかし倍率の低い大学に入った場合は相当のデメリットが待ち構えています。ドイツに行きたいという理由だけで大学を選択した場合でも、多分運が良ければどこかしらの音大に入れるかも知れません。でもどうしてその音大の先生の弟子が少ないのか、どうしてその音大の受験倍率が低いのか、を考えてみた場合、答えが分かると思います。オーケストラが応募者に招待状を出す場合に、どこで勉強したか、どの先生に付いたかをよく見ます。その時にその楽器の権威とかいい弟子をたくさん出している先生に付いている事はある程度選択条件になります。もちろんいい先生でも、それほど名前の知られていない方はいらっしゃいます。ただネームバリューというのは選考の際、結構重く見られる場合が多いです。
— ドイツでオーケストラに入る場合、大学を卒業していないといけないのですか?
吉田 いや、それは全然ないです。学生が在学中にポンと入っちゃう人もたくさんいます。
— 実力が優先されるんですね。
吉田 当日オーディションで一番うまく吹けばいい訳で、根回しはあまり必要ないんじゃないかと思います。
— 実力だけで勝負できるという事ですよね。ドイツで音楽をやる上での良い点でもありますね。さてドイツでオーケストラやソロ活動をする場合、日本人が有利な点、不利な点はありますか?
吉田 不利な点はオーケストラのオーディションになかなか呼んでくれないことですね。ドイツの失業率はかなり高いですので、まずはドイツ人が優先されます。ただ現実的に最近の傾向としては、例えば音大などでもドイツ人の割合がすごく低いんです。
— そうなんですか。
吉田 ドイツの音楽大学は、いい先生がたくさんいて学費がいらない、などのことからロシア、韓国、中国からたくさんの学生が来ます。ドイツに来る方は基本的に音楽レベルの高い国でさらにある程度弾ける方が多いので、ドイツのペースでぬくぬくとやっているドイツ人だと最初から外国人と勝負にならないんです。先生としてはいい弟子を取りたいでしょうから、結果としてドイツ人の学生が減少しています。
— 感覚的に何%が外国人なんですか?
吉田 感覚的に言うと40%ぐらいになるんじゃないでしょうか。
— そんなに高いんですか!
吉田 高いと思います。最近学生さんと交流があってファゴットはケルン音大のレベルは高いんですけど外国人がやっぱり過半数です。それは僕の学生時代でも言えた事です。20人位いたんですけども、そのうちの半分以上は外国人でした。イタリア人、台湾人、イギリス人、オランダ人、日本人でしたね。
— オーケストラもそうですか?
吉田 うちのオーケストラ(*ケルン放送管弦楽団)は15カ国、16カ国ぐらいの国籍ですね。ベルリンフィルでは今13〜15%ぐらいだと思います。ベルリンフィルは比較的ドイツ人が多いオーケストラだと思うんですけど、他のオーケストラになると、外国人の占める割合の方がドイツ人より多いというオーケストラはずいぶんありますね。
— そうなんですね。
吉田 妻はアメリカ人でホルンを吹いているのですが彼女もドイツに仕事をしに来た人間です。
— アメリカからですか?
吉田 そうです。アメリカは、オーケストラの1つのオーディションに300人ぐらい来ちゃう国じゃないですか。枠が狭くてレベルが高いし、金管楽器の場合非常に難しいですからね。アメリカにいたら就職する確率がものすごく低いので仕事をしにドイツに来たんです。
— そういう意味ではドイツの方が就職しやすいんですか?
吉田 そう思います。やはりこれほどプロのオーケストラが密集している国はヨーロッパの中にもありません。ですから受け皿が広い分、入れる確率も高いのではないかと思います。フランス、イギリスなどのヨーロッパ諸国に比べますとドイツでは外国人の枠が一番広いです。ドイツのオーケストラとしては外国人が入団する場合、ドイツ人の音楽家をとらなかった理由が必要らしいのです。役所に提出するのに会社ではどうしてこの外国人を採用したのかを言わないといけないそうです。ドイツ人の応募者の中で、自分たちの求めるレベルに達している者がいなかったという断り書きが必要なんですね。ですからドイツ人を最初に招待し、それで誰もいなければ外国人というように枠が広がっていくんですね。
— 分かりました。
吉田 例えば、うちのオケでもバイオリン、チェロなどで過去何ヶ月かにオーディションをやりましたけどドイツ人でまともに弾ける人は少ない。うまいな、と思うとやっぱり外国人だったりします。
— そういうものなんですか。
吉田 教育システム自体を見直していかなきゃいけないと思います。特に弦楽器だとある程度早くから始めないと難しいですよね。
— そうですね。
吉田 ドイツみたいに個人主義だと自分がやりたきゃやれ、みたいなところがあるので子供の時から叩き上げるという事はあまりしないと思うんですよね。でもそれをしないとやはり、特に弦楽器の人なんか育たない。ほんとにレベルアップを考えているならもっと早くから始めて行かないといけないですね。
— なるほど。
吉田 鉄は熱いうちに打たないと硬くなってしまいますから。
— ドイツはそういう状況なんですね。
吉田 もちろん僕一人の意見ですけど、ある程度的を得てると思います。僕も今年でドイツに21年目で、20年以上ここに住んで、自分の目で見て肌で感じてきたことやオーディションを見て思うんですけどドイツ人のレベルはちょっと….。ものすごくうまい方はいらっしゃるんですけれども平均して見るとやっぱり外国勢に押されているんじゃないかと思います。
— 意外ですね。
吉田 日本の相撲でも同じことだと思います。外国勢の方がかなり頑張ってらっしゃいますよね。外国人がドイツに残ろうと思った場合は、学生のままでいるか、就職して仕事を取る以外にここに居残る道がない訳です。そうするとやはり火事場のくそ力じゃないですけど、力を出すと思うんですよね。
— 分かりました。吉田さんにとってクラシック音楽とはどういうものですか?
吉田 クラシック音楽は人間が今まで創造してきた芸術の中でも一番頂上にあると思います。でもジャズもよく聴きますし、ジャズもすごいなって思いますよね。
— ジャズは演奏もするんですか?
吉田 ジャズはまだやってないですね。そのうちやりたいなと思うんですけど、ジャズのアプローチの仕方はクラシックとは全く違いますので。
— オーボエって、ジャズにそんなにないですよね。あるんですか?
吉田 ないですね。有名なのだとアメリカに「オレゴン」というバンドがあるんですけど、そこの人がサクスフォンと一緒にオーボエを吹きます。
— オーボエのジャズは聴いたことないのでいまいちイメージしにくいですね。
吉田 オーボエは音域もそんなに広くないし、ジャズの楽器としてはちょっとフレキシビリティに欠けているのかもしれないですね。やれない事はないと思いますけど。そのうち挑戦してみたいなと思います。オーケストラは長い間やっていますので室内楽なり、ジャズなり即興なんか出来たら本当に楽しいだろうなと思います。
— 今後はオーケストラより独自の活動も行うのですね。
吉田 オーケストラにいれば、音色なり自分のテクニックなりこれからもどんどんどんどん改善を進めて行くと思うんです。ただそれと平行して室内楽で求められるような音楽なり技術を磨いていくというのは、ここ5年10年の自分の目標ですね。
— 吉田さんはプロの演奏家としてドイツでご活躍されていますけれども、活躍できなくて日本に帰ってくる日本人もたくさんいると思うのです。実際に活躍できた条件や理由はあるとお考えですか?
吉田 もちろん運もものすごくあると思うんです。ただ運を掴むためには本人の努力なしでは不可能です。学校を選ぶ時に申し上げましたが目的意識、つまり自分が何をどういう風にしてどういう事をしたい、という事をはっきりと描いた時点で、これを現実化させるためには何をどういう風にしたらいいか、それに付随する細かい事をどこまでやれるかというのが、成功につながっていくと思うのです。
— なるほど。
吉田 例えばオーケストラに入団したい場合、ある程度履歴、経歴が関係してきます。本当にオーケストラに入ろうと思った場合、この先生に付いた方がオーケストラに入れる、招待状なりもらえる確率が上がるとなった場合、倍率の高い音楽大学に入らないといけないという事で、その倍率の高い音大に入るためにはどうしたらいいか、どんどん遡っていくと今の時点で何ができるかというのが明確に見えてくる。漠然とうまくなろうというのはものすごく難しいと思うんです。実際に具体的に何をしたらいいんだろうとなって来た場合に自分の質というのがはっきり見えてくる。
— そういう事を考えないで大学に入った人が多いんですか?
吉田 僕なんかほとんど何も考えないで来ちゃったんですが(笑)。こちらに来てだんだんやってくうちに見えてきたところがありますよね。就職しなければという事で一足飛びに入れるオーケストラを考えましたし。ベルリンフィルなりバイエルン放送響なりすごくレベルの高いオーケストラにポンと入れる人はそれ程いないと思うんですよね。
— そうですよね。
吉田 僕みたいにごく普通の才能しか持っていない人間は下からどんどん積み重ねていく以外にないと思うんです。どこまで地道な努力を続けられるかということで人生が変わってくると思います。やはり積み木と一緒で、下のほうが地盤になります。建物と一緒だと思うんですけど、基盤がちゃんとしてないと、いくら高く上げようとしても崩れてしまう。やはり基本的なテクニックなりをしっかりとやるというのは急がば回れですね。無駄に思うような努力、例えばロングトーンなんかは、すごく単純で退屈な練習だと思うんですけども、逆に言うと1つの音をまっすぐ伸ばす、これ一番難しい事だと思うんですよね。正直言ってプロの中でもこれができる人ってあんまりいないんじゃないかと思いますね。
— そうなんですね。
吉田 厳密な意味でですよ。ものすごく厳密に1つの音を例えば10秒なり伸ばしたとして、それが本当にまっすぐ音を出すというのは多分あんまりできないと思うんです。よっぽどうまい人じゃないと。特に管楽器の場合は、息の流れがものすごく音のでこぼこに影響しますから音をまっすぐ出すのは難しいです。ここ何年かで僕も気がついたんですけど、これほど難しい事はないなと思いました。そこを飛ばして指が早く回るとか、技巧ができるとかあんまり意味がないんじゃないかと思います。
— 技巧的なところばかり目がいって基本がなくなっているんですね。
吉田 僕も学生だった時はそういう傾向ありましたから。周りにテクニック的にものすごく華のある人を見ちゃうと、やっぱり指が早く動くのはすごいな、と。テクニックを持っているという事はもちろん大きな利点になると思いますが、実際にオーケストラで要求される事は、テクニックよりも如何にしていい音を出すか、短いフレーズの中でどれだけの事を凝縮して表現できるかという点におかれますね。そうしますとやはり、音色の大切さがものすごく重要になってくると思います。
— 今後プロを目指す方は、そこの部分をきっちり仕上げて行った方がいいわけですね。
吉田 そうですね。皆さん焦る気持ちや早くうまくなりたいと思う気持ちも良く分かりますが、天才と言われている人以外は基本的な技術をなるべく時間をかけてマスターしていく事が逆に近道なんじゃないかと思います。
— 海外で実際に勉強したいと考えている読者にアドバイスがあれば、今の条件も含めてお願いしてよろしいですか。
吉田 何度も言いますがやはり自分が何をしたいかを明確に自分の中で描くべきなんじゃないかと思います。それを持たずにはその先に進めないような気がします。ただ単にアメリカに行きたいとか、イタリア、フランスで勉強したいなど、そういう事もモチベーションとしては悪くはないと思うんですが、留学後の事を考えるとやはりそれなりのリスクもある程度ありますので、その先の身の振り方をある程度考えて行動した方がいいと思います。最近は音大の外国人の占める割合が高くなってきたという事で、例えば外国人の入れる年齢制限が引かれたり外国人枠も出てきています。入学時にドイツ語の試験がある学校も増えてきています。だんだん入り口が狭くなって来ていますから、それこそきっちり考えて行動された方がいいと思います。
— ありがとうございました。