原知恵子さん/イタリア語留学/イタリア・ペルージャ
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。
原知恵子さんプロフィール
東京音楽大学音楽学部声楽演奏家コース卒業後、同大学大学院声楽専攻修了。第5回日本演奏家コンクール大学の部 奨励賞、第5回大阪国際コンクール大学の部第3位(1位・2位なし)、第23回江戸川区新人演奏会にオーディション合格し、演奏会出演。江戸川区主催「サロンコンサート」出演、婦人民主クラブ主催「クリスマスコンサート」「ジョイントコンサート」出演、その他様々なコンサートに出演。これまでに、中澤桂・大川隆子・釜洞祐子・吉田恭子・横山修司の各氏に師事。2009年4月よりイタリア・ペルージャにて語学留学中。
-まずは簡単なご経歴を教えてください。
原 東京音楽大学を卒業して、同大学院に進みました。その後アルバイトや派遣の仕事をしながら音楽活動をして、去年の4月にイタリアのペルージャに来ました。
-会社勤めをされていたんですね。
原 フリーターのような感じですけど。コンサートや音楽活動もしていましたので。
-どのようなお仕事をされていたんですか?
原 テレマーケティングなどもしましたし、ここに来る前の2年間は、発展途上国に鉄道や道路を作る建設コンサルタント会社の事務として働いていました。
-面白そうですね。
原 仕事も面白かったですし、とても良くしていただきました。
-声楽は、ずっとイタリアやドイツのものが中心ですか?
原 大学にいた頃は、ドイツ、日本、イタリアの曲などを歌っていました。大学院の修了演奏はドイツ歌曲でした。卒業してからは、イタリアものが多いですね。先生がイタリアの曲を中心に教えてくださる方なので。
-今はイタリアにいらっしゃると言うことですが、演奏活動などはされていますか?
原 全くの留学ですね。しかも、音楽留学ではなく語学留学です。
-そうなんですか!それはまたなぜ?
原 音楽活動だけでは生活していくのは難しいですよね。両親の理解もあって、20代のうちは、音楽を続けさせてもらっているんですけど、早く自立しなくてはと思っていて。なので、大学院を卒業してから、さらに音楽で留学するということは考えていなかったんです。そこで、音楽以外に自分に何ができるかを考えたときに、イタリア語に行き着いたんです。声楽をやる上で、イタリア語を理解することが重要になって来たのもきっかけですね。読んで意味を調べて歌うことは出来るんですけど、イタリア語の独特の響きや、リズムを勉強するほうがいいと思いまして。語学を勉強するのは好きでしたし、イタリア語も興味がありましたので。とにかく、これを仕事に活かせるものにしようと思いペルージャに来ました。
-大学院まで卒業されていると、その先も勉強を続けていくっていうのは難しいですか?
原 オペラ団体に入るっていう方法もあるんですけど、そこも結局、お金を払ってまた専門学校に行くような感じなんですね。そのお金があるなら、思い切って留学してみようかな、と。
-イタリア語を学ばれているということですけど、レッスンは週5日ですか?
原 はい。クラスのレベルによっても授業数は違いますけど基本は週5日です。レベルが6段階あって、私は、最初は上から3番目のクラスから始めたのですけど、こういう下のクラスは、文法中心にやっていくのでそんなに授業はないんです。文法が週に12時間、会話が4時間程度。ワンターム3ヶ月なんですが、一番上のクラスだけが6ヶ月なんです。今、私はそのクラスにいて、あと3ヶ月というところです。上の2つのクラスは、イタリアの文化や歴史という授業が入ってくるので、週に28時間くらいは授業があります。
-文化の授業などは、準備というか、調べものをしたりすることもあるんですよね?
原 はい。音楽は大丈夫なんですけど、歴史や文学などは大変です。ヨーロッパ圏の人は基礎知識がありますが、私はゼロからなので。インターネットを駆使して、いろいろ調べものはしています。
-将来、音楽活動をされる上でも刺激になりそうですね。
原 直接関わってこなくても、美術・音楽・文学は、常に関係していますからね。
-それにしても、中級クラスから始まったのはすごいですね。
原 いえいえ、こちらに来たばかりの時は全然ダメでしたよ。日本で勉強していたといっても話す機会はありませんでしたから。
-日本でも文法などは勉強されていたんですよね。
原 はい、学校でも授業がありましたし、卒業してからもイタリア語の学校に通っていました。
-やはりそういう準備をしておくべきですか?
原 そうですね、ゼロの状態で来てしまうと、まず生活するのが大変なので。旅行会話が出来るくらいには、語学は勉強してからの方がいいと思います。基礎の部分に時間をかけると、せっかくの時間が無駄になると思うので。
-なるほど。今はどういうところに住んでいるんですか。
原 学生アパートというか、共同アパートです。ここに来る前に、インターネットで不動産屋に頼んで決めました。私はイタリアに住む以上、イタリア人と暮らしたかったので、その希望を出しました。それで今の家を紹介してもらったんですけど、イタリア人の女の子3人と住んでいます。
-楽しそうですね!
原 はい。すごくラッキーでした。家もきれいだし、みんなすごくいい子たちなので。
-その方々は学生さんですか?
原 国立ペルージャ大学に通う子たちです。経済・生物などみんな専攻はバラバラなんですけど、ひとり語学系の勉強をしている子がいて、よく助けてもらっています。
-最初から意思の疎通はうまくいきましたか?
原 必要最低限のことは言えたんですけど、それ以外の日常的なおしゃべりになると、最初はなかなか入りにくかったですね。テンポもすごく速いし。でも、だんだんその人のしゃべり方に慣れてきて、向こうも慣れてくれたのもあって、一緒に買い物に行こうとか、誘ってくれるようになってきました。
-話す機会がないと覚えませんもんね。
原 語学留学で、イタリア人の友達を作るのは難しいじゃないですか。なので、家でもずっとイタリア語を話さなければいけない環境に自分を置けたのは、とても良かったと思います。学校で習っているだけじゃ、絶対にここまで来れなかったと思います。
-今の学校はどこの国の人の方が多いんですか?
原 この学校は、イタリアの国立大学が、外国人に向けて語学や文化を教えるために作った学校なので、世界中から学生が集まっています。EU圏の学生は、短期で来ている人が多いですね。あと、大学と中国の間で交換留学をさせるプログラムがあるみたいで、中国人専用のクラスがあります。
-ほかの学生さんと話す時もイタリア語ですか?
原 下のクラスだと、英語だったりします。あと、中国人は固まって中国語でしゃべってますね。日本人も同じです。今のクラスでは、日本人は私一人だけなので、私は必然的にイタリア語だけですね。
-語学留学するからには、その国の言語を話すべきですよね。その点、原さんはイタリア語漬けの生活を自ら選んだということですよね。素晴らしいです。
原 私も日本人が周りにいたら集まってしまうと思うし。やはり、この生活で良かったなって思いますね。
-細かい話ですけど、みんなでご飯を作ったりはしますか?
原 はい。基本は自分のものは自分で作るんですけど、みんな私よりもお料理が上手なので、よく作ってもらっています(笑)。ごくたまに私も日本の料理を作ってあげることがあるんですけど。イタリア人はトマトソース・サラミ・チーズ・ワインなど、なんでも自分の地元のものを一番と思って食べるんです。帰省したり彼女たちの両親が来る度に、食料をごっそり持って来るので、それをご馳走になったりします。
-本場の料理が楽しめるんですね!イタリアだと、やはりパスタですか?
原 パスタは多いですけど、一日に2回はないですよ。昼はパスタで夜は肉料理とかが普通です。
-日本食を作って食べたりしますか?
原 はい、材料を集めるのが難しいですけど。中国人が経営しているところで、おしょうゆやうどんを買ったりします。お好み焼きやカレー、焼うどんなどを作りました。
-やっぱり、日本の味が恋しくなりますよね。
原 恋しくなりますね。日本の食材は、来る時にたくさん持って来ましたし、先日も両親に送ってもらってたりして、けっこう充実してはいるんですけど(笑)。
-生活費は、月にどのくらいかかりますか?
原 家賃なども入れて、だいたい10万円くらいでしょうか。家賃がそんなに高くないので。光熱費はシェアですしね。
-シェアしたほうが安上がりですし、いい経験も出来て良いですよね。
原 こちらでは、ルームシェアが基本です。一人住まいもありますけど、料金が高いので、大抵みんなシェアしています。
-今、ペルージャにお住まいということですが、オペラを観に行ったりはしますか?
原 ここからだとフィレンツェまで電車で約2時間、ローマまでは3時間くらいで行けるんです。なので、そこに行った時は、オペラにも行きますね。泊りがけでヴェローナまで行って、野外オペラを観たりもしました。ペルージャでのオペラ公演は、年に一回しかないんですよ。それは残念なんですけど、オペラ以外のコンサートは頻繁にあります。
-声楽に触れる機会もあるんですね。ちなみに、生のオペラはいかがでしたか?
原 やっぱりすごく素敵でしたね。日本で観るのとは違うし、安い料金で気軽に観にいけるのが魅力ですね。あと、観ている人たちもノリが違うというか、心から楽しんでいて、その雰囲気も味わえるので、すごく楽しいです。
-劇場も大きいんですか?
原 基本的にイタリアの歌劇場は日本のように大きくはないです。馬蹄型の劇場で内装やシャンデリアもすごく素敵な劇場です。
-安く観られるんですか?
原 ペルージャで観た時は、10ユーロでした。普通料金は15ユーロなんですけど、学生料金があるので。
-それはいいですね!たまに歌いたくなったりしないんですか?
原 大学の授業で音楽史の授業があって、そこに教えに来ている先生がペルージャ音大のピアノの先生なんですよ。その先生が、学校のホールを使ってピアノを弾き、私たちに歌わせてくれるんです。そこで、たまたま先生が、私の声を気に入ってくださって。何度かコンサートを企画してくださったりしたんです。あと、学校の校舎が貴族の宮殿を使っているため、この建物の歴史に関する本が出版されたとき、セレモニーがあったんですが、そこで歌わせてもらったりもしました。なので、本当に私はラッキーだったんですが、歌う機会はあるんです。まだ帰国するまでに2回ほどコンサートの予定があります。
-それは素敵な縁ですね!
原 あとは、大学にある合唱団でソプラノが少ないから、ソプラノの声を厚くするために助けてくれないかって言われたりして(笑)。12月には合唱団の演奏旅行に付き添って南イタリアのバーリまで行ったりもしました。
-充実してますね!
原 本当に充実しています。
-今年の3月以降は、日本に帰国されるんですか?
原 3月の末日までテストがあって、バタバタ帰国するのはいやなので、滞在としては4月末までのつもりです。
-イタリアで音楽活動と言うわけではなく、とりあえず帰国なんですね。
原 音楽活動は考えていなくて、きちんとした仕事があれば、イタリアに残りたいと思っています。難しいことですが、今色々な人に話を聴いたりしていて可能性を模索している最中です。何もしないと後悔すると思うので、自分が納得できるところまで挑戦して帰るつもりです。
-イタリアは原さんに合っていましたか?
原 そうですね、生活のリズムや考え方とか、日本とは全然違うので、来たばかりのときは戸惑いましたけど、私の性格にはイタリアの方が合っているかなと思います。電車が遅れても待たされても別にいいやみたいな感じで(笑)。食べ物も好きですしね。
-それでも最初は戸惑ったんですね。
原 はい。イタリア人と一緒に生活していく上でけっこう戸惑いましたよ。最初に言ってたこととことが、いつも間にか変わってたりとか。キチンキチンとはしてないですからね。この前言ってたのと違う!っていちいち気にしてると、ストレスたまりますよ。
-手続きなどをしていても、適当だという話は良く聞きますよね。
原 学校の事務も警察なんかも、大体いいかげんですね。行くたびに言われることが違うし…。慣れるといつものことだって思えますけど。
-環境に自分を溶け込ませていくのは大事ですね。
原 イヤになってしまう人は1ヶ月でイヤになるみたいです。イタリアは好きだけど、生活は出来ないって。
-外国に住む場合は、うまく対応しないとストレスたまりますもんね。
原 そうですね。根底はしっかりとした考えを持って、細かいところは状況に対応出来るようにしていたほうがいいかもしれないですね。自分の中に一本柱がないと、いろんな方向に流されてしまうこともあるので・・・。麻薬とかも簡単に手に入りますから、自分ををしっかり持っていないと、流されてしまうと思います。
-信念は強く持つべきですね。イタリア語はもう問題なく話せるんですか?
原 日常会話は、だいたい大丈夫です。
-英語であれば、日本の学校での積み重ねがありますけど、イタリア語はなかなか基盤がないので、難しそうですけど。
原 響きだとか、イタリア語自体が好きだったというのもあるかもしれないですね。最初は私も英語が話したくて勉強していましたが、発音は英語のほうが難しいんです。ただイタリア語の文法は英語の何倍も大変です。
-自分に合う言語っていうのもあるのかもしれませんね。さて、そもそも原さんが声楽を勉強しようとしたきっかけは何だったんですか?
原 長くなりますが・・・。母親が音大卒だった関係もあり、私もピアノをやったりしていたんですが、興味はなかったんです。高校に入るときまでは、医学部に行こうと思っていましたし 。それが、中学卒業くらいの時に、テレビで宝塚を観て一気に魅了されてしまったんです。そこから、どんどんあの世界に入り込んでしまい、ついには宝塚歌劇団に入りたい!という所まで行ってしまったんです。親には大反対されたんですが、母の声楽の先生に、「やりたいようにやったらいい。でも本当にやりたいなら、明日からレッスンやり始めなさい」って言われたんです。そこで「じゃあ始めます」って宝塚の予備校に通い始めたんです(笑)。今までダンスなんかやったことなかったのに。
-最初は宝塚志望だったんですか!?
原 はい。ところが、その予備校の優秀な先輩たちが、全員試験に落ちちゃったのを見て、あんな優秀な人たちがだめなら、私にはとうてい無理だろうって、妙に納得しちゃったんです。そして、ちょうどそのとき、今度は劇団四季のミュージカルを観る機会があって。劇団四季は、ダンス部隊と歌部隊に分かれているんですよね。そして歌部隊には、音大出身の人も多いんです。ミュージカル自体が大好きだったので「こっちなら出来るかもしれない!それなら音大に行かなければ!」と思い、音大受験の勉強を始めました。
-ミュージカル歌手志望に変わったわけですね。
原 はい、ですから、東京音大に入った当初はクラシックに興味がなかったんです。私はミュージカルをやりたいんだからって。でも、大学3年のときに声楽演奏家コースのオーディションに受かり、本格的にオペラの勉強をしていくうちに、クラシックって面白いんだなって思うようになったんです。そして、実は4年生の時に、四季のオーディションに受かったんですけど、大学院に行くか四季に行くかすごく迷ったんです。そして、「今ここでミュージカルをやったら、クラシックの声にはもう戻れないだろうな」と思いまして。本当にやりたかったら大学院を出てからでも出来るだろうと。
-クラシック一本ではなく、変化して来ているんですね。だから視野が広いんですね。それにしても、宝塚にあこがれる気持ち、分かりますよ。
原 あれで大きく変わりましたね(笑)。
-きっかけって人それぞれですよね。今、ミュージカルに対する気持ちは?
原 コンサートなどで歌う機会があれば歌いたいですけど、ミュージカルはリズム感やセンスも必要なので難しいですよね。私もミュージカルはすごく好きですけど、心からミュージカルに惚れている人じゃないと続かないと思います。大変な世界ですからね。
-今後は、音楽を続けていかれるんですか?
原 はい、そうですね。音楽は音楽で続けていって、あとはどういう仕事をしていくかっていうのが問題ですね。イタリア語だけだと日本では活かすのは難しいので、やはり英語も使えるようにしないと・・・。どの仕事も英語があってこそと言う感じなので。
-次から次へと目標があって素晴らしいですね。
原 実際に活かしていかないといけないから、どうやってこの先につなげていこうかいつも迷っています。
-いろんな可能性を考えられるのは素晴らしいことですよ。
原 音楽だけでやっていくのはすごく大変なので、他に可能性を見つけていかないといけませんから。音楽をやっている多くの方は、おうちも裕福で、いつも親の援助が得られる感じですよね。私もそういう家庭で育ってきたので、甘えることは可能なんですが、私はそれがいつも重荷になっていて。ちゃんと自立するためにはどうしたらいいんだろうと悩んでいます。
-今やっていることは、将来を作ってくれると思いますよ。原さんの今の夢は何ですか?
原 イタリアで仕事をするか、いつもイタリアと関わっていけるような仕事が出来ればいいなと思っています。
-イタリアとの出会いは、大きかったんですね。応援しております。では、海外で勉強したい人にアドバイスをお願いします。
原 まずは思い切りが大切だと思います。行きたいなら思い切って挑戦してみるべきだと思います。あとは、きちんと下準備をしてから来ることも大切。自分でできることはなるべく自分の力でする、というのも大事だと思います。
-今日は本当にありがとうございました!
桂真也さん/オーボエ/クールシュベール夏期国際音楽アカデミー/フランス・クールシュベール
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。
桂真也さんプロフィール
中学校のとき吹奏楽部でオーボエを始める。
和歌山大学教育学部に入学し、オーボエを専攻。大学院では音楽教育を専攻。2009年夏、クールシュベール夏期国際音楽アカデミーを受講。現在、和歌山大学大学院教育学研究科音楽教育専修在籍。
-最初に、桂さんのご経歴を教えてください。
桂 中学生のときに吹奏楽部でオーボエをやっていたことが始まりで、高校では部には入らず、個人的に先生について習っていました。大学は音大に行っても、音楽一筋では食べていけないだろうと思ったことと、それでもオーボエを続けられる学部を、ということで教育学部に進学し、音楽を専攻しています。ここで米山先生という方に師事して今に至っています。
-今回、オーボエを学びに海外へ行くきっかけは何だったのでしょうか?
桂 日頃から大学の先生に、西洋音楽は西洋のものだし、現地の雰囲気の中でやる音楽を、一度生で聴いたほうがいいと言われていたのが一つです。そして、今回担当されていたジャン=ルイ・カペツァリ先生が、米山先生のお知り合いということも、もう一つのきっかけです。カペツァリ先生が日本に来られたときに、米山先生が通訳をされたこともある、というご関係だそうです。
-では、師事されている先生のご紹介で、ということが大きかったのですね。
桂 そうですね。
-桂さんご自身も、もともとジャン=ルイ・カペツァリ先生にご興味があったのでしょうか?
桂 いえ、言われるまでは知らなかったですし、フランスのオーボエ自体、全然知らなかったんです。日本ではドイツ系に触れることが多いですから。ただ、もうひとつのきっかけとして、和歌山市の海外派遣制度っていうのがあって、その存在を知ったことも大きかったです。
-それは助成金が出る制度ですか?
桂 そうです。講習会費用や、現場での滞在費の半額を、市が負担してくれるという制度です。
-素晴らしい制度ですね! 志望された方全員が、受け入れてもらえるものなのですか?
桂 今年は、4人受験して3人が合格しました。音楽だけでなく、美術の方もいましたね。芸術分野に限られているんですけど。
-実際、クールシュベールに行くにあたって、不安はありましたか?
桂 やっぱり、フランス語が全然出来ないっていうのが一番でした。それと、海外に行くこと自体が初めてだったので、不安でした。
-実際にフランスに行ってみて、行く前に思い描いていた印象と、どう違いましたか?
桂 フランス人は、外国の人に対して冷たいとか、プライドが高いって聞いていたんですけど、そんなことはなかったです。空港でも、わからないことがあったとき親切に対応してくれたし、迎えに来てくれた方も、フレンドリーでした。
-英語は通じましたか?
桂 英語は普通に通じましたよ。でも、やっぱり話していると、いつの間にかフランス語になっていくってことも多かったですけど(笑)
-では、思っていたよりみんな親切だったんですね。
桂 はい。でも、最後に泊まったホテルは治安の良くない場所にあって、ちょっと怖い感じの人が多くてドキドキしましたけど。
-そうだったんですか。講習会についてお伺いしますが、全体の人数はどのくらいでしたか?
桂 全体の数は把握していないのですが、オーボエだけで25人でしたから、今年は非常に多かったようです。
-レッスンのペースは、どのような感じでしたか?
桂 先生がジャン=ルイ・カペツァリ先生とジェローム・ギシャール先生の二人だったんですが、前半、カペツァリ先生がいらっしゃらなかったので、ギシャール先生のレッスンが2日に一回くらい。その後は、二人の先生に一日おきに交代で指導してもらったので、毎日レッスンでした。
-二人の先生が、交代で毎日指導してくださるっていうことなんですね。それではけっこうお忙しかったのではないですか?
桂 そうですね。
-室内楽などには参加されましたか?
桂 参加してないです。
-レッスンで、先生方に見てもらった曲数は、どのくらいですか?
桂 3曲です。
- 一曲一曲を、しっかり細かく指導してもらうという感じですか?
桂 そうですね。伴奏も、あちらで用意してくださって。伴奏専門のピアニストの方とも合わせたりしました。
-二人の先生に指導していただけたということですが、お二人の指導法の違いはありましたか?
桂 お二人は非常に仲が良くて、それぞれ教える分野をわけていたようです。ギシャール先生からは、主に、曲の解釈の仕方やリード作りなどを、カペツァリ先生からは基礎的な呼吸法や力の抜き方などを教わりました。
-レッスンの雰囲気はいかがでしたか?
桂 基本的にグループレッスンで、笑いが絶えず、わきあいあいとしてました。僕以外はフランス語だったので、細かいことはわかりませんでしたが。
-どこの国の参加者が多かったのですか?
桂 フランス人ですね。先生の門下生が、そのまま来ているという形で。
-日本人は、桂さんだけでしたか?
桂 いえ、去年、クールシュベールに参加してから留学されている方がいて、二人でした。あと、台湾人が一人で、他は全部フランス人でした。
-基本はグループレッスンなんですね?
桂 そうですね、5人ごとのグループに分けられて、そのメンバーでレッスンを受けていました。
-練習は、皆さんどこの場所で、どのくらい練習していたのですか?
桂 ピアノの人達は、練習室を割り振られていて、決められた時間しか練習できなかったようですが、僕たち器楽チームに関しては、練習場で朝の8時から夜の8時まで、自由に練習ができました。なので、練習時間には困らなかったです。
-練習以外の時間は主に何をされてましたか?
桂 まずは練習でしたけど、それ以外は、リードを作り変えたりしていました。日本のリードが全く使えなかったので。あとは、洗濯とか...(笑) コインランドリーがすごく高かったので、部屋で手洗いしてました。
-街には遊びに行きましたか?
桂 けっこう行きました。でも、現地はスキー場なので、夏は閑散としていて、お店の営業時間が短かったんです。スーパーなんて、お昼前後と夕方少ししか開いてなかったりして。それは、ちょっと苦労しました。
-水とか、必要なものをそろえるのは大変だったんですね。
桂 水はホテルのカフェで買えました。でも、部屋の洗面所のお水も飲める水だったんです。冷たくておいしかったですよ。山があったりしてキレイな場所なので、水もおいしいんですね。
-治安は問題なかったですか?
桂 全然問題ありませんでした。リゾート地なので、バカンスを楽しむ人々ばかりで。
-一般の観光客も滞在しているのですが?
桂 はい、観光されてる方もいらっしゃいましたし、スポーツを楽しまれている方も多かったです。夏場だけでしょうけど、自転車のコースがあったりしました。
-では、のんびりと、リラックスした感じの所だったんですね。
桂 はい。天気もよくてとても過ごしやすい、とても良い所でした。日本みたいに、蚊とかの虫もいないし、静かで快適でしたよ。
-日中は暑かったですか?
桂 全然! とても涼しかったです。朝晩は冷え込んで、息が白くなるくらいでした。毎年、この講習会は、天気が荒れると言われているそうなんですが、今年は全然雨も降らずに、いいお天気が続いてラッキーでした。山の上のほうでは、雪が積もったと聴きましたけど。
-宿泊先のホテルはいかがでしたか
桂 ホテルは、すごく良かったです。パンフレットを見たら、4ツ星で、冬は一泊最低でも500ユーロもするような所だったようで、とてもキレイでした。料理はちょっと残念・・・なものもありましたが(笑)
-主にどういった料理が出ましたか?
桂 基本フレンチばかりで。メインがあってサラダがあって、という感じです。朝晩の食事が出て、昼は自分で買う形でした。
-日本食はないですよね。
桂 お米は何回か出たんですけど、お米じゃなかったです・・・パサパサしてて、「何だこれは!?」みたいな(笑)
-街には、外食できるような場所はありましたか?
桂 はい。カフェや、簡単なご飯が食べられる小さい店がありました。でも、カフェは割高なので、売店でサンドウィッチとかを買って食べてました。
-ホテルのお部屋は、講習中は相部屋ということですが、ルームメイトはどんな方でしたか?
桂 韓国人の方でした。高校のときからリヨンにピアノ留学していて、今もリヨンの大学に通っているそうです。コミュニケーションは英語だったんですけど、同い年だったので、すごく仲良くなりました。普段の生活がだいたい一緒で、フランス語で書かれている掲示物を、英語に訳して教えてくれたり、とても親切でした。彼の友だちの韓国人とも仲良くなりましたね。
-それは良かったですね! 何か、文化の違いで驚いたことはありましたか?
桂 ヨーロッパのほうでは、携帯がすごい発達してるな、と思いました。メールをあまり打たないからか、i-phoneとか、高性能のタッチパネルの携帯が流行ってました。あと、多くのフランスの人が、日本にすごく興味を持っていることに驚きました。「これは日本語で何ていうの?」とか「日本のどこどこに行ってみたい。」とか、よく言われました。
-では、外国の方ともお話しする機会が多かったのですね?
桂 はい、日本人と一緒にいることは、ほとんどなかったです。そのほうが面白いですし、せっかく行ったんだから、外国の人と話したかったし。
-フランスのお友だちともコミュニケーションは英語で?
桂 はい。すごくしゃべりにくそうでしたけど(笑)。お互いカタコトの英語で・・・。
-楽しそうですね。だいたい同年代の方たちでしたか?
桂 そうですね。だいたいは。
-フランスの方や同室の韓国人の方もですが、言葉が通じないなりの、コミュニケーションのコツみたいなものはありますか?
桂 まずは、挨拶をすることですね。むこうの人たちは、全然見知らぬ人でも、すれ違ったら「ボンジュール」とか、挨拶しますよね。日本では、そういうことってあまりないから、最初は意識してたんです。でも慣れてきてからは、自然に出来るようになりました。あと、話しかけられて、うまく答えられなくても、頑張って答えようとしていれば、それを汲んでくれました。だから、全然会話が成り立たなくても、最後は笑いで終わったりするので、積極的に、些細なことでも質問したり答えたりってことが、うまく付き合うコツかなって思いました。
-なるほど。 語学の重要性は、改めて感じましたか?
桂 それはもう(笑) 日本の英語って、「読み・書き」ですよね。でもやっぱり口に出してしゃべって、誰かに話しかけないと、語学って伸びないなって思いました。今回、たった2週間でしたけど、今まで勉強した以上に英語の力が伸びた気がします。
-素晴らしい! フランス語を話す機会はありましたか?
桂 もう、挨拶くらいでした・・・(笑)フランス語は全然ダメで・・・、英語に頼りっぱなしでした(笑)
-出発前はフランス語の準備はしましたか?
桂 挨拶程度は、本を買って勉強したんですけど、それくらいですかね・・・。
-講習会の最終日に行われたコンサートはいかがでしたか?
桂 コンサートは最終日とその前日の2日間、町のホールで、先生に選ばれた生徒が出演するコンサートがありませいた。僕は選ばれなかったんですけど、オーボエは4人選ばれました。
-実際聴いてみていかがでしたか?
桂 やっぱりみんな、本当にうまいなぁーーって思いました。すごく刺激になりましたね。
-滞在中になにか困ったこととか、ピンチの場面等はありましたか?
桂 クールシュベールでは全然なかったんですが・・・。行きの飛行機が遅れて、乗り継ぎの飛行機を次の便に変更する手続きが大変だったのと、フランスに到着して、お迎えの人がいなかったことですかね。あと、帰国するとき、空港まで電車を利用しようとしたのですが、駅のホームが複雑で、どこにその電車のホームがあるか分からなかったことです。
-それは大変でしたね。 行きの飛行機は、台風で遅れたんですよね?
桂 そうです。ちょうど関西に近づいてて、1時間半くらい。なんとか英語で乗り切りましたけど。。
-それは焦りますね。 帰国日の電車も無事に乗れましたか?
桂 はい。電車のホームのほうも、周りにいた方に聞いて教えてもらえたので、何とか無事に辿り着くことができました。
-今後留学される方に、「これは準備したほうがいい」というようなアドバイスはありますか?
桂 そうですね。ある程度は、現地の天気や習慣のことを知っておいたほうがいいと思います。あと、ピアノの人は、練習時間がとにかくないから、曲をしっかり練習しておくこと。木管楽器に関しては、クールシュベールに限ってかもしれませんが、リードが全く使えないので、リードを作るセットは一式もって行ったほうがいいと思います。
-生活面で、「これは持っていくと便利」というグッズはありますか?
桂 洗濯用の、洗濯バサミがたくさんついた小さな物干し。実際、持っていったんですけど便利でしたよ。
-今回、このクールシュベールの講習会に参加されて色々な出来事があったと思いますが、参加して一番良かったこと思うことは何ですか?
桂 そうれはもう、やはり、生でフランスの演奏が聴けたことですね!レッスン中にも、先生が吹いてくれたりすることもあって、それだけで感動してしまって。先生方のミニコンサートでも、演奏が終わるたびに大きな拍手があがるくらい、すばらしい演奏でした。先生方のミニコンサートは4回あったのですが、そのうち1回、クラリネット演奏集団Les Bons Becsが来たんです。日本では、あまり知られてないんですけど、フランスではすごく人気があって。クラリネットを使って、面白いパフォーマンスを見せてくれたんですけど、本当に楽しかったですね。
-日本と海外での音楽の教え方の違いのようなものは感じましたか?
桂 むこうの人は、すごく褒めてくれるんですよね。出来た瞬間、絶妙なタイミングで褒めてくれるので、それが気持ちよかったです。あと、とにかく、「色を考えろ」と言われました。曲の色合いを考えてその音を出さないと、と。いくら曲の解釈ができていても、音色がしっかりしていないと台無しだと言われましたね。
-色を考えて吹く、ですか。
桂 はい。最初は、いまいち分からなかったんです。でも先生の演奏を聴いていたら、一本のオーボエなのに、いろんな音色が聴えるんですよ。「これがフランスのオーボエか!」って感動しました。
-確かにフランスの音楽は色彩的でキラキラしているイメージですよね。
桂 はい。本当に。あと、リードの作り方も全然違うんですよ。その作り方も参考になるな、と。
-今回のご留学で、フランスの音楽を身近に体感して、自分自身、成長したなって思うことはありますか?
桂 曲にあった音作りと言うのでしょうか、そのために、呼吸法を改善したりできました。
-それでは最後になりますが、今回の留学を経て、今後の音楽活動において何か新しい目標は出来ましたか?
桂 今、大学での僕の研究テーマは、「音楽のアウトリーチ」なんです。これは、学校や老人ホームなどの施設に出向いていって、普段、生の音楽を聴けない方に音楽を提供するというものなんですけど、今回の留学経験は、これに生かせると考えています。留学で得たことを表現できるように頑張りたいです。
-また留学してみたい、という思いはありますか?
桂 はい、行く前は全然考えてなかったんですけど、機会があればフランスに留学してみたいなって思いました。パリのコンセルヴァトワールなんて、学費が年間400ユーロくらいって聞いたので。
-ヨーロッパは本当に学費が安いですから。日本の大学と比べたら…驚きますよね。
桂 ですよねー!安くいけるって聞いたので、チャンスがあればぜひ行ってみたいです。
-将来の夢は? 音楽家になりたいとかありますか?
桂 いえ、小学校の教員を目指してます。中学校は教科担当ということで、音楽に接する時間はあるのですが、小学校のほうが子どもと触れ合う時間が多いですから。子どもたちとの距離も縮まると思うので、小学校の教員になりたいな、と。
-そうですか!桂さんならきっと優しい先生になると思います。クールシュベールの経験を生かして、これからも、勉強と音楽を続けて頑張ってください。
桂 はい、ありがとうございます。
-本日は、お忙しいところ、本当にありがとうございました。
北村まりえさん/ピアノ/シュリッツピアノ夏期講習会/ドイツ・シュリッツ
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。
鈴木美緒さんプロフィール
愛知県出身。フェリス女学院大学音楽学部演奏学科卒業。同大学院音楽研究科在籍。第12回ペトロフコンクール奨励賞。アジア国際コンクール2007優秀賞。翌年マレーシアで開催された受賞者記念演奏会に出演。これまでに小栗多佳子、小山明子、堀由起子、黒川浩の各氏に師事。2009年シュリッツピアノ夏期講習会参加。
-まずは、北村さんの簡単なご経歴を教えてください。
北村 フェリス女学院ピアノ科を卒業して、現在、同大学院音楽研究科の1年生です。
-ピアノは何歳から始められたんですか?
北村 3歳からです。親もピアノの先生をやっていまして、その影響で始めました。
-今まで、講習会に参加されたことはありましたか?
北村 いえ、今回が初めてです。
-海外に行かれたご経験はありましたか?
北村 はい。去年、マレーシアに演奏旅行で行きました。講習会ではなく、コンクールの関係で。
-マレーシアはいかがでしたか?
北村 マレーシアの現地のツーリストが企画して、様々な場所に案内してくれました。日本人があまり行かない所が多く、とても面白い体験でした。少し危ない感じもありましたが。
-そうだったんですか。では、今回、講習会に行きたいと思ったきっかけを教えてください。
北村 卒業後の進路として、留学も視野に入れてみたいと考えていまして、それにはとりあえず行って、現地の雰囲気を味わってみないことには、と思ったんです。そこで、今回参加することにしました。
-候補地としては、ドイツとフランスでしたよね?
北村 ええ。でも、先生に勧められたこともあり、ドイツに決定しました。
-講習会の参加者は、どのくらいの人数でしたか?
北村 全部で24名で、日本人8人、スペイン、ドイツ、ブルガリア、韓国、イタリア、ロシア、ポルトガル・・・と、世界各国からのメンバーでした。
-楽しそうですね。講習会のスケジュールは、どんなふうに組まれていましたか?
北村 初日に行ったら、ファイルが置いてあり、月曜日から日曜日までの先生のスケジュールが書かれていました。時間割のように、その日ごとにレッスンが組まれていて、コンサートの開催日も書かれていました。コンサートは全部で7回あり、2日に1回くらいの割合でありました。でも、自分がどのレッスンを取れるか、分かるのは前日でした。
-レッスンは1時間くらいですか?
北村 はい。9時半から18時半までの間に、レッスンが行われました。昼休みをはさんで、①語学コースを取っている人は午後、それ以外の人は午前中という感じで、振り分けられていました。
-ハードスケジュールでしたか?
北村 いえ、けっこうゆっくりしていました。練習もしっかり出来ましたし。レッスンは、1日1時間見てもらうだけですから、①語学コースを取っていない人は、時間がありました。
-練習をしつつ、語学の勉強もしつつ、という感じですか?
北村 そうですね。午前中は語学、午後はピアノ、夜はコンサートとディナーという感じです。
-先生は、それぞれどんな感じでしたか?
北村 ナットケンパー先生は、ドイツ系の曲を丁寧に見てくださいました。リーガー先生は、とても優しくて、細かくペダリングも教えてくださいました。ウタ先生は、女性の先生で、細かく見てくれるので人気がありました。実際、ソリアーノ先生に習いたくて参加した人が半数以上でした。有名な方で、先生の授業は希望を出さないと受けられなかったんです。みんなが希望するので、時間がなくて5分で終わっちゃう人もいました。お年を召した方で、すごく優しかったです。先生も、けっこうペダルを使うように指導される方でした。ウタ先生は、ソリアーノ先生のお弟子さんなんですよ。この二人は、古典でもペダリングを入れる先生で、私はあまり使わないので、新鮮な感じでした。
-いろいろな先生のレッスンを受けられたんですね。レッスンで印象に残っていることは?
北村 リーガー先生のレッスンのときに、スキルチェックがあったんですけど、音の出し方がうるさいと言われました。日本の教室ではちょうどいいんですけど、ドイツでは部屋が広くて音が響きますから、耳を使うのが大事なんだな、と思いました。
-レッスンはドイツ語でしたか?
北村 英語オンリーでした。
-練習室が豊富にあるそうですが。
北村 はい、15室ほどありましたが、取り合いでしたよ。部屋の前に、2時間区切りで予約票が貼ってあって、そこに名前を書き込む形でした。でも、実は私が到着したのは、みんなが到着する1日前だったので、取り放題だったんですよ(笑)。なので、練習室の確保は心配ないはずだったのですが、しょっちゅう他の人たちから、代わってくれと言われました。、日本人は、英語が話せなくて何も言えないから、という感じで名前を覚えられてしまって。私の名前が書いてあると、勝手に入って使っている人もいたりして、それが大変でしたね。
-そのときは、ノーと言ったんですか?
北村 その人がコンサートに出て、自分は出ないというときには、けっこう譲りましたよ。全部で10時間くらいは譲ったと思います。それは別に良かったんですけど、もうちょっと英語が話せたらと思いましたね。
-レッスン以外の時間は何をされていましたか?
北村 必ず毎日1時間はお昼寝をしていました(笑)。あと、夕ご飯後、練習も終わった後は、カフェテリアでウノをしたり、ゲームしたり、お茶したり・・・。みんなで自由に過ごしてましたよ。トランプやウノは、英語が話せなくてもみんなと楽しめますから(笑)。
-街の様子はどんな感じですか?
北村 治安が良いのか悪いのか分からないくらい、人が少なかったです(笑)。でも、とにかくキレイな所でした。練習室から見える森林の風景なんて、3時間くらい眺めていられるんじゃないか、っていうくらいキレイでした。
-雰囲気としては、ドイツの古い街という感じですか?
北村 そうですね。たまに、おじいさんやおばあさんが散歩しているのを見かけるくらいの、静かな街でした。
-どこか遊びに行った所はありますか?
北村 日曜日に、サイトシーイングという企画があって、ウタ先生が車で連れて行ってくださったんです。フルダのお城に連れて行っていただいたんですが、ガイドも英語だったので、何を言っているか分かりませんでした・・・。それよりも、自分たちで歩いて行けるところまで行ってみようといって、お店屋さんを見て回ったのが楽しかったですね。薬局とかも、日本とは違うので面白かったです。
-宿泊先はいかがでしたか?
北村 すごくキレイで、何の問題もありませんでした。タオルも置いてあったりして。
-ルームメイトはどんな方でしたか?
北村 アルメニア人の方でした。とてもいい人で、ピアノもすごく上手な人でした。外人の方って、日本人ほど気を使わない人が多いですよね。それが逆に良かったです。こちらも気を使わなくて済みますし。
-会話は英語でしたか?
北村 はい。彼女はアメリカ人の旦那さんがいるので、英語はもちろん、ドイツ語、ロシア語、アルメニア語・・・なんでも話せる人でした。
-宿泊先と講習会場はどのように移動されたんですか?
北村 真隣だったんです。徒歩30秒くらいでしょうか。レストランと宿泊先が一緒で、その向かいのお城が練習室だったんです。
-お城ですか!?
北村 すごくキレイでしたよ。夢のようでした。
-レッスンをした場所は、どんな所でしたか?
北村 お城の中でした。聴講は可能なのですが、最初はみんな、自分の練習ばかりしていたんです。それを見たウタ先生が、「この講習会では、練習だけではなくて、他の人の演奏を聞く事も大事だ。」と言って、練習室を使用禁止ににしたんですよ(笑)。なので、他の方のレッスンも聴講してましたが、ドイツ語だと分からないのが辛かったですね。
-今回は言葉の壁が大きかったということですね。
北村 そうですね。レッスンのときは、先生が実際に弾いて見本を見せてくださったりするので、おっしゃっていることは分かるんですけど。
-聴講は、いい勉強になりましたか?
北村 はい。上手な人やファイナルに残った人の練習を見ていると、レッスンで先生に言われたことを、どのように本番に持っていくのか、というのを見られてよかったです。自分でどう納得して直していくのか、という部分も客観的に見られるので、「この人はこの先生に見てもらってよかったな。」というのが分かったりして、おもしろかったですよ。
-語学レッスンはいかがでしたか?
北村 1時間半すべて英語ですので、2週間だけでしたが、ずいぶん分かるようになりました。教材も200枚くらいもらいましたし、とても熱心に教えてくださいました。
-語学レッスンを受けられた人は少なかったそうですが。
北村 少なかったですよ。英語レッスンに2人、ドイツ語レッスンに4人だけでした。ほとんどプライベートレッスンという感じでした。でも、最初の数日間はABCからだったんです!それはさすがに分かるよ!って思いましたけど(笑)。
-最終的には何を勉強したんですか?
北村 途中先生が変わったんですけど、ある先生は、音楽の専門用語を教えてくださいました。西洋音楽の古典用語とか。
-海外で学ぶと、理論が分からないという方が多いですものね。
北村 そうですね。専門も英語で勉強できたのは良かったです。しかも少人数レッスンでしたから。
-講習期間中のお食事はいかがでしたか?
北村 バイキングだったんですよ。朝は、ずっと毎日パンとハムという同じメニューでした。お昼は、お肉料理が多くて、スープに、メイン、ポテトにデザートという感じでボリュームたっぷりでしたね。その代わり、夜はソーセージとポテトだけとか、チーズトーストだけとか、とても質素でした。でも、すごくおいしかったですよ。バイキングですから、量も自分で決められるし、好きなものを食べられたので、食事は問題なかったですね。もともと私は、好き嫌いなく何でも食べるタイプですから。でも、中には、全然食べられずにいた方もいらっしゃいましたね。
-外食はしましたか?
北村 最後の日にランチをしました。けっこう高かったですけど、チキンのグリルを食べました。あと、サイトシーイングのときは、ウタ先生が全員に、ケーキとお茶をご馳走してくれたんですよ。ケーキはすごく大きくておいしかったです。
-では、食べ物では、ホームシックにはならなかったんですね。
北村 はい。不安な人は、インスタントの味噌汁とか持って行くといいと思います。お湯も沸かせますし、電子レンジも使えますから。
-海外の人と上手く付き合うコツはありますか?
北村 笑顔を大事に、たくさんコミュニケーションを取ることでしょうか。言葉が分からなくて、内向的になってしまう人もいますけど、自分から話していかないと、何も始まりませんから。
-最初は戸惑いませんでしたか?
北村 ええ、最初はとても。 でも、日本人の方で6年間ロンドンに留学している方がいたので、通訳してもらったり、自分の言いたいことを紙に書いて、添削してもらったりしました。その方が助けてくれたので、本当に心強かったです。ドイツ語が堪能な方もいらっしゃったので、その方にも聞いたりしました。かなり皆さんに助けてもらいましたね
-その方たちとは連絡を取っていますか?
北村 はい。参加した日本人5人で、12月に神戸へ旅行しようという話をしています。とても仲良くなりました。
-そういう出会いも、留学の醍醐味ですね。では、留学中困ったことは何かありましたか?
北村 ガス抜きの水を探すのが大変でした。全部炭酸が入っていまして・・・。ご飯のときにもガス入りの水なので、スーパーに買いに行っていました。あと、レストランの人がドイツ語しか話せないこともあって、それもけっこう困りましたね。そんなときも、ドイツ語を話せる方の助けを借りました。
-講習会に参加して良かったことは何ですか?
北村 やはり、出会いですね。あと、同年代の人たちがとても上手で、刺激になりました。もう一度、頑張ってみようと思いました。
-講習会に行かれるまでは、悩みもあったようでしたが・・・。
北村 はい。でも、行って変わりましたね。海外で勉強するのはいいな、と思いました。
-自分では知らなかった、自分の良い点は見つけられましたか?
北村 課題はたくさん見つかりましたね、それはとても収穫でした。
-留学して成長した部分や、変わった部分はどんなところですか?
北村 演奏するときに、視覚で演奏する、ということを考えるようになりました。たくさんコンサートをしたからかもしれませんが、アピールすることは大事だと思いました。パフォーマンスも勉強になりましたね。
-それはいい経験でしたね。日本とドイツで大きく違う点は何でしょうか?
北村 練習室の大きさです。日本は6畳くらいの場所にグランドピアノが置いてありますが、ドイツでは40畳くらいのところに、アップライトピアノだったんです。天井も高く、すごく響きが良くて、小さめのホールという感じでしたね。グランドピアノを置いてある部屋なんて、まさにホールでした。
-ピアノのコンディションはいかがでしたか?
北村 良かったですよ。調律もしっかりされてましたし。
-それはよかったですね。では、今後留学する人に、何かアドバイスすることはありますか?
北村 もしドイツだったら、絶対的に古典を持って行ったほうがいいということですね。バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーベンなどは、やっていて当たり前という感じです。今回、私は、ロシアやチェコの曲を持っていったんです・・・。それよりは、シューマンやブラームスなど、ドイツ出身の作曲家の曲を持っていくべきだったと思います。それだけは後悔しています。
-皆さんも参考になると思います。他の方は、ドイツ系で固めてきた方が多かったんですか?
北村 はい。それから、みんなレパートリーをたくさん持ってきていました。資料には少なくても4曲と書いてあったんですが、みんなリストに書ききれないくらい持ってきていましたね。4曲というのは、本当に最低4曲だと思っていたほうがいいです。
-留学前に、しっかりやっておいたほうがいいことはありますか?
北村 練習と英語ですね。練習に関しては、いつも以上に練習したほうがいいと思います。というのは、コンサートはお城の中で弾くことになります。それに出るには、選ばれないといけないですからね。お城の中で弾くチャンスというのはなかなかあることではないですから、せっかく行くなら、それに懸けて行ったほうがいいと思います。
-北村さんは、たくさん練習しましたか?
北村 4〜5時間です。多く感じますけど、もっとやっている人は、そんなものではないですからね。あと3時間くらいはできたかな、と思います。
-皆さん頑張ってらっしゃるんですね。
北村 そうですね、かなり刺激になりました。
-お話していて、講習会に行く前とは変わったなと感じますよ。では、今後の目標は?
北村 以前は、海外に行ったはいいが、帰ってきて仕事がなかったらどうしよう、ということが気になっていましたが、行くことに価値があると思うようになりました。やはり、海外に出てみたいですね。
-もし行くならドイツですか?
北村 はい。これから1年本気で頑張り、来年また講習会に行ってみて、行けそうなら行ってみようかなと思っています。まずは英語を勉強しないといけないですね。英語が出来なければ、先生にレッスンお願いすることも出来ませんからね・・・。
-今、英語は勉強しているんですか?
北村 週1回ですけど。やはり、話せないというのは悔しかったですからね。
-次行くときは、通訳なしですね。
北村 そうできるように頑張ります!
-頑張ってください!今日はお忙しいところ、ありがとうございました。
花岡由裕さん/合唱指揮/マネス音楽院/アメリカ・ニューヨーク
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。
長野県出身。幼少からピアノを始める。国際基督教大学卒業。国際基督教大学在学中よりグリークラブ指揮者。ニューヨーク・マネス音楽院合唱指揮科在学中。
(インタビュー2005年10月)
ー 花岡さんの今までの簡単な経歴をご紹介頂けますか?
花岡 高校までは普通に地元の長野の高校を出て東京の国際基督教大学に進学したんです。その国際基督教大学というのが、いろいろな分野を幅広く勉強するところでした。人文科学学科の音楽学専攻でしたが、パフォーマンスクラスが無く楽典や歴史の勉強をしました。それと共に大学のグリークラブの指揮者を2年間勤めたんですね。それがきっかけになって本格的に音楽の指揮を勉強したくなって留学を目指しまし た。留学の準備を1年くらいしてから挑戦したんですけど、英語力が足りなくてその年は駄目になってしまいました。
ー それはご卒業後に?
花岡 卒業後です。その後、1度実家の長野県に戻りまして、知的障害者授産施設の事務員を1年弱勤めました。その時は音楽だけに興味があったわけではなくて、いろんな事をやってみたいと思っていました。障害者施設でずっと働いていくのも選択肢として考えていましたが、やっぱり音楽をもっと勉強して仕事として音楽をやっていきたいという思いが強くありました。それでその年の12月直前に仕事を辞めてアメリカに来たんです。渡米前に色々と調べたんですが、ニューヨークで合唱指揮を専門にやっている学校が音楽大学だと今僕が通っているマネス音楽院にしかなかったんです。それで様子を見るために訪れて雰囲気が良かったので受験の手続きをしに来たのが12月の頭です。それでオーディションが2月の終わりだったんですね。その間に幸運にもマネス音楽院でエクステンションディビジョンという一般公開している授業をとることができました。そこで必要な授業を受けながら英会話学校に行って、英語力の向上をはかりました。その結果オーディションで合格することができました。
ー 今は何年生ですか?
花岡 今は大学院の1年ですね。僕はちょっと変わった受け方をしたんです。最初は大学の3年に編入という形で。というのもちょっと英語力に不安があったものですから。大学院だとより高度な英語力が必要でしょう?特に指揮科だと人前で話さなければいけないので。とりあえず受かることが先決と思い、そういった選択をしました。けれども一度国際基督教大学で学士課程は取っているものですから2年大学に通って卒業する必要は無いと判断し、1年後大学院のほうに編入しました。
ー というとマネスのほうで勉強なさっているのは2年目ということですか?
花岡 そうですね。二年目です。
ー 今お話伺っていてオーディションを受けられたということですけれども、マネス音楽院のオーディションって難しそうだなと思ったんですが、これはどういうことを具体的に行うのですか?
花岡 まずオーディション自体が二日間に分かれています。一日目は基礎的な音楽能力を試されるんです。聴音や譜読み初見能力、ピアノ技術、音楽理論など、基本的なことがどれくらい出来るかを1日目に試験します。
ー セオリーは筆記でやるんですか?
花岡 セオリーは筆記ですね。あと英語のテストも一日目にありましたね。音楽の基礎用語をどれくらい英語で理解できているか等、授業をしていく上で差し支えの無い英語力があるかどうかを試されるんですよ。一日目で問題がなければ二日目の実演オーディションに進むことができます。僕の専攻は合唱指揮ですので、学校の合唱団の指揮を振りました。課題曲が3曲と自由曲が1曲です。20分間の中でその四曲を振って練習させるわけです。どのような指導をするか、音楽をちゃんと理解できているのか、リハーサルで何を達成できたかを三人の審査員によって審査されます。それとは別に担当教授と1対1で面接を行います。彼には色々な質問と要求をされましたね(笑)。「どういうことを考えながら振ったのか」、「この場面で音楽はどうなっているか」とか、分析もさせられました。「実際に声部を歌ってくれ。」と言われたり、「4パートあるうちの3パートをピアノで弾いた上で残りの1パートを歌いなさい。」とか。
ー 難しそうですね。
花岡 そうですね。難しかったですね。 それで会議を何度も開いた後、二日間の総合的な評価によって、合格者が決まるそうです。後日聞いた話ですが。
ー 実際同じ科で何人位いらっしゃるんですか?
花岡 大学と大学院合わせて5人ですね。中には2つ以上の専攻の人もいます。例えば歌と合唱指揮や作曲と合唱指揮などですね。
ー 花岡さんは指揮だけですか?
花岡 そうですね。僕は合唱指揮のみですね。
ー なるほど。こんな難しそうな試験をどういうふうに対策していたのですか?
花岡 先ほどお話しましたが、受験する前にエクステンションプログラムで勉強していたので、担当教授の指揮のレッスンを受けることが出来ていました。それでオーディションの課題曲は既に発表されていたので、その曲をレッスンに持っていくことができました。そして学校にいることで友達が出来てきたというのが大きかったですね。指揮は演奏者達といかにつながるかが重要ですから。他の受験生はまるっきり初めて会った人たちを教えなければいけないわけですからね。僕は彼らよりもリラックスして振ることができたのではないかと思っています。
ー 同じように指揮科に行きたいという人がいた場合は、そういうエクステンションプログラムを必ず受けたほうがいいということですかね?
花岡 必ずしもそうとは言えないとは思いますが、緊張して自分の力が出せないというのはマイナスですからね。人によってはその場に行って、すぐ雰囲気をつくれる人もいると思うんです。けれども事前に先生が音楽のどういうところを重要視するかとか、それで合唱団のレベルもどれくらいかということを分かっていたほうが準備はしやすいですよね。『オーディションの時にどういうことを言おうか』等、要するにプランが立てやすいわけですから。そういうプログラムがあればとってみることはプラスだと思います。
ー それはだいたい2ヶ月前に行かれて受けたという感じだったんですか?
花岡 そうですね。大体2ヵ月半くらい前に行って準備しました。実は大学滞在中に一度日本から受験したこともあったんですが、アメリカと日本ですから書類の手続きや郵送にものすごく時間がかかるんですよね。それでその年一次試験は受かったけれど、二次試験が受けれないといったハプニングがありました。オーディションの課題曲が何かという連絡を受けられず、郵便で送ってくれたんですがそれが着いたのがオーディションの3日前くらいでした。楽譜が手に入っていないくて準備もできていないのにアメリカに行くわけにはいかないじゃないですか。その後も連絡して「何とか受験日を変えて欲しい」と頼みましたが無理でした。それからやっぱり日本で準備して3日前くらいに行ってオーディションというのは日程的に辛いし、土地感も分からないし、英語も慣れないしというので精神的に疲れ果ててしまうと思うんですね。前年の経験もあったし早めに来てその土地に慣れて、英語も多少しゃべる習慣をつけて、心の準備をすませてから受けたかったので早めに来ることに決めました。
ー なるほど。それでばっちり成功したわけですね。
花岡 そうですね。心の準備と音楽の準備のおかげで緊張せずにすみました。
ー 日本でもずっと合唱団の指揮なさっていたり、小さい時からピアノをなさっていたのですか?
花岡 ピアノは小さい時から習っていました。それから歌にも興味があって。中学、高校時代にも合唱をやっていたんですよ。その時は指揮は振っていませんでしたが歌うことが好きでした。大学になって初めて指揮者をやって、はまっちゃいましたね。
ー どの辺が指揮をやっていて楽しいところですか?
花岡 色々な楽しみや喜びがあると思うんです。例えば練習をやっていてみんなと一体になって音楽をしていると思える瞬間があるんですよ。合唱団の全体対指揮者の関係ではなくて、指揮者と歌い手一人一人の関係と、歌い手同士の1対1の関係を感じられるような。それぞれ一人一人が表現しあって音楽がぶつかりあって本当に大きな渦ができる。歌うことを彼らがとても楽しんでいるのが分かる。そうするとどんどん音楽がいい意味で変わっていくのが分かりますね。それから僕自身、指揮を振っていてかなり快感ですね。大学のグリークラブでは春と秋、毎年2回のペースでコンサートを行っていたんですが、秋のコンサートは有料 だったんですよ。たかだか400円か500円位の入場料でしたが、ホールが満員になった時があって。
ー すごいですね
花岡 600人くらいお客さんが入ってくれたことがあったんです。人数が入ってくれたことだけじゃなくて、その時のコンサートでは練習もたくさんしたおかげもあって、音楽を心から楽しめたんです。コンサートまで沢山練習をしていくと、どうしても『ここではこうしなきゃ。』というのが出てくると思うんですけど、そういう限られた音楽を作り出そうとするんじゃなくて、そこにいる観客の皆さんと歌い手たちと一緒に新しい音楽というかをつくりだせた気がしたんです。音楽というのはその場、その場、その時、その時でしか出来ないものなんだと深く感じました。それですべてのステージが終わってアンコールが終わったあとに、観客の皆さんがものすごい拍手をして下さいました。本当は2曲でアンコールをやめるはずだったんですけど、急遽もう一曲やろうということになって、予定を無視してやってしまいました(笑)そういったことを含めてみんなの気持ちが高まって、音楽を中心にホールが一体化した感覚を覚えました。それこそ快感としかいいようのないような。指揮者が主役というわけではないんだけれども、指揮者は歌い手と観客の間にいるじゃないですか。
ー そうですね。
花岡 だからその雰囲気に包まれているのが一番分かる場所だったと思うんですよね。歌い手たちの表情を見るのも楽しかったし。お客さんの顔を指揮が終わって振り向いてみたときに本当に喜んでくれているお客様とか、必死に拍手をしてくれているお客様とかを見て『これ以上の幸せはないな。』と思いました。『ああ、これはやめられないな。この感動を何度もというかもう一度味わいたい。』と思って。
ー 音楽の醍醐味を知ったのですね?
花岡 そうですね。コンサートを通じて、日本ではクラシック音楽というと壁があるというか敷居が高いといわれていて、僕もそう思っていたんですが、本当はとても近くにあるんじゃないかと思いなおすことができました。どんな人にも来てもらって楽しんでいってもらえるよう音楽をもっともっとしていきたいと思ったし、音楽の敷居を下げてもっともっといろんな人に音楽の喜びを知って欲しいなと。特に歌の場合はほとんど誰もが持っているじゃないですか、声って。だからよりたくさんの人に触れて、その喜びを伝えることが出来るかなと思って本格的に勉強しようと思ったわけです。
ー 実際に勉強なさって苦労する点とか、難しいなという事はやっぱりあるものですか?
花岡 そうですね。やっぱりアメリカで勉強しているので最初は言語の問題が難しくて。「音楽には言葉はいらない。」といったこともよく聞きますが、やはり指揮者として練習を進めなきゃいけなかったり、歌い手たちと良い関係性をつくりには言葉は必然なものですからね。そのコミュニケーションがうまくいかなくて歯がゆい思いをした時がありました。それから指揮を振りながら、どうしても指揮が音楽と隔離して数学のようなものになってしまうと感じることがあるんです。要するに機械的になってしまって、どうしても自分の感情と結びつかないというか。拍や各パートの入り、強弱ははっきり振れていて分かりやすくても、音楽的には全然表現出来ていなかったり。いかに自分の腕、顔、全身を使って音楽を表すか。もちろんそれだけじゃいけないんですけれども、それが出なかったら指揮を人間がやっている意味があまり無いじゃないですか。僕がやっている意味というか。ただの拍とりに終始するだけだとむしろ指揮者がいないほうがいいことも出てきますし。指揮者としていかに演奏者達に影響を与えて彼らから音楽を引き出すかというのは、ずっとこれからも試行錯誤していくのだろうなと思います。それから、授業について。普通の授業は英語が分かってくるにつれてだいぶ楽になってきたんですけれども、理論の授業で日本ではあまり勉強されていない対位法が必修なんですね。ルネサンス時代やバロックなどの音楽は主にこの対位法という理論をもとに書かれていたんですけども、この勉強を一から始めたので、周りの生徒に追いつくのが大変でしたね。僕は日本で音大を出ていないので基本的な能力が他の人より劣っていたと思うんです。その能力をまず上げていかなければと思い、最初の1年間は基礎能力の向上と英語力の向上を中心にやって、何とか授業についていけるという形でしね。でもやっぱり毎日続けていると効果は出てくるもので、だんだん最初は追いつこうとしていたものが、いつのまにか他の人よりうまく出来ていたりするんです。そうすると毎日続けることがすでに習慣になっているから、それからは余裕をもって授業にのぞむことができています。事実、プロの音楽家の方たちは毎日10 時間以上練習をしているそうですから、まだまだ僕なんて甘いのかもしれませんが。
ー 練習というのは具体的にはどういうことをなさるんですか?お家で鏡を見ながらとか?
花岡 指揮の練習はですね。まず振る音楽の分析をするんですけれども、その曲が例えば合唱曲だったら歌詞がついているじゃないですか。基本的にその歌詞の読み方と歌詞の意味を調べて理解して、それがどういうふうに音楽と結びついているかを楽譜から読み取る作業をします。作曲家の意図というか、彼らがどういうふうに歌詞を解釈して音楽に表現しているか。それから楽曲分析ですね。どんなハーモニーが使われているか、どういう和声進行になっているか、どの旋律が重要なのか、どこで場面転換が行われるか等々。そういう分析をして、それから各声部を良く知るためにそれぞれの声部を歌ったり、ある声部を歌いながら他のパートをピアノで弾く練習をします。だからまずコーラスの練習に持っていく前にもうすでに音楽を誰よりも知っていなければいけません。練習のときにはすでに頭の中で音楽が鳴っていて、間違っている部分を指摘したり、自分がどういう音楽をつくっていきたいのかを伝えていくわけです。あと担当教授との個人レッスンでは教授がピアノを弾いてくれて、それを指揮しますね。それで先生がアドバイスをくれるわけです。自分では気付けなかった音楽的な解釈を気付かせてくれたりします。僕の担当教授は生徒自身に良く考えさせる人で、よく「何を考えて振るのか」とか、「何を感じるのか」という指摘をうけます。そのおかげで合唱団の前で振る時には自分らしさ、自分の音楽を表現できるようになってきます。
ー 本当に下準備がすごく大事ということですね。合唱団の人と一緒にやる時というのは学校の方ですか?
花岡 毎年オーディションが行われて、学校の歌専攻の生徒たちで合唱団を形成しています。各パート4人程ですから全体で15人くらいですかね。合唱団の規模としては決して 大きくないんですが、各歌い手が1人1人プロになりたいと思ってやっているから、すぐにうまくなりますね。時間があまりないのですが、練習のつけ方しだいで、あっという間に曲ができたりもするので、そこは 指揮者の腕の見せ所といったところですかね。
ー 曲はご自分で選ぶのですか?
花岡 昨年は自分で選べたんですが、今年は教授が決めましたね。いくつか曲をピックアップして、その中で自分がこれを振りたいというのは一応希望はとったのですが、他の生徒とやりたい曲がかぶってしまって、希望通りにはいきませんでしたね。
ー 今はどんな歌を勉強していらっしゃるんですか?
花岡 今は“グリーンスリーヴス”で有名なイギリスの作曲家ヴォーン・ウィリアムスの曲や、ヴォルフという歌曲を沢山作曲したドイツの作曲家、モンテヴェルディというイタリアバロック時代の作曲家などの曲を勉強しています。時代がかたよらないように、言語がかたよらないように教授が選んだようです。
ー なるほど。時代が違うと指揮の仕方も変わってくるものなのですか?
花岡 そうですね。やっぱり音楽が違うし、何を重要視するかも変わってきますよね。時代によって、さまざまな演奏法のきまりもあるのでそれも勉強しなければいけません。
ー いろいろな言葉の曲をなさると、当然語学も勉強しなきゃいけないのでしょうね?
花岡 そうですね。合唱指揮者は当然必要になってきます。言語を知らないと指導できませんからね。ただ意味を知るだけでなくて、その国の言語独自の響きをしることも重要です。言葉と音が一致して曲が成り立っているわけだから、言語の響きを知らないと作曲家の意図が全然つかめなかったりするんですね。自分でしゃべって聞くからこそ深い意味があると思います。
ー 大変ですね。
花岡 そうですね。といっても何十もの言語を勉強するわけではないので。音楽を勉強する上で必須となっているのが、ラテン語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、英語くらいですから。ドイツ語とイタリア語が読むのは比較的楽ですが、フランス語は見ただけでは読めませんからね。必死で勉強しなきゃません(笑)。それでも言語というのは決して暗号ではなくて、音楽や文化と結びついているわけですからそれを知ることが面白いですね。そういう意味ではそれほど負担に感じたりはしませんね。
ー 今ニューヨークにいらっしゃるわけですけども、マネスしか合唱指揮科はないということだったのですけれど、他の国は全く考えなかったんですか?
花岡 そうですね。ドイツとかフランスとかやっぱりヨーロッパが中心じゃないですか、クラッシック音楽は。そこへの留学も考えないことは無かったんですよ。学費はヨーロッパのほうが断然安いですしね。ただなぜアメリカを選んだかと言うと一つは言語の問題ですね。ヨーロッパに行くと英語が通じるとしても当然現地の言葉を勉強しなきゃいけないから、そうなると最初の1年間は言語を勉強することで手いっぱいになって音楽に身が入らないのではないかと思ったことがあります。そうすると留学滞在期間も長くなってしまい、その分負担がかかるのでは、と考えました。最近クラッシック音楽を勉強するのも中心、つまりはいい先生がヨーロッパからアメリカに移ってきている、という噂を聞いていたせいもあります。それからヨーロッパというとどうしても内的、国にもよると思うんですけど、その国の文化の伝統を重要にして古来のものをというようなイメージが強かったんですよ。けれどアメリカ、特にニューヨークはいろんな文化や民族が交わっている所ですし、いろんなものが入ってきているし。音楽で言ってもクラッシックだけではなくて、ジャズにしてもロックにしても沢山のものが集まっている。音楽の勉強をする事というのは、人間を勉強することに等しいというか、音楽は人間が作ったものだし、いろんな人達と触れ合うことで音楽を勉強し解釈していく上でここは自分の感性を磨くというか、人間性を磨くうえでもいい環境だと思ったんです。といってもクラシック音楽が決して軽んじていられているわけでもない。カーネギーホール、ジュリアード音楽院等、世界のトップの音楽ホールや音楽大学がニューヨークにあって、チャンスも十分この国では与えられているんです。学業的な面で言っても、アカデミックな勉学、つまり基本的な音楽を勉強するのはアメリカはしっかりしています。大学の体制がしっかりしている。ヨーロッパだと技術的で音楽的なことは学ぶけれども、基礎的な勉強がアメリカほど体系化されてはいないと思うんです。僕は音楽の基礎的な能力のレベルアップとより多くの知識を得ることが必要だと思ったので、全体的に考えてアメリカがベストかなと思いました。
ー 実際ベストだったということですか?
花岡 他の国に行った事がないので比べようがないですけども、そうですね。新しい音楽もここでは作られているし、数多くの素晴らしい演奏会に行くことも出来るし、いろんな人がいるし。そういった意味で本当に刺激になっていますね、ここにいることは。ニューヨークはみんながI,I,Iと言います。自分が出て行かないとどうにもならないというか。たくさんの人の中で自己主張をしていかないと埋もれてしまいますから。他人を思いやる気持ちも必要だけれども、この中でどう自分をアピールしていくかをよく考えさせられます。そうしないとすぐに他から遅れをとっていってしまう所ですから。自分の考え方や行動が、ここへ来て変わってきたなと感じます。
ー 最初に皆さんにお話を伺うと、最初の3ヶ月とか4ヶ月は苦しんだというふうに伺うんですけど、そういうのを乗り越えて成長したという感じがご自分の中でもありますか? それとも、そんなに最初から苦労してなかったですか?
花岡 最初ニューヨークに来た時に知り合いがほとんどいなかったんです。知り合いにこっちの人を紹介してもらったけれど言語は思うように聞き取れないし通じないし、でも自分で知り合いを作ってかなきゃいけなかったんです。それでも英語に慣れるために、日本語をしゃべらない環境をつくりました。アメリカ人のみの合唱団に参加したり。最初はまあ孤独に感じて寂しく感じることもありましたけれども。やっぱりそういった期間は必要だったと思いますね。それでも自分が好きなことをやっていたから辛さよりも楽しさや希望のほうが大きかった気がしますね。僕は日本にいたときは親にしろ友達にしろ頼りすぎていたきらいがあったから、良い機会にもなりましたね。自分ひとりで動いて生活して誰も頼る人がいない。自分の新しい一面を知れて、充実した毎日を過ごしているなと自覚できましたね。最初の3ヶ月間くらいは特に。
ー 今はすっかりそちらの生活にもなれて楽しくやっているのですね。
花岡 そうですね。コミュニケーションがだいぶ普通に出来るようになってきたので、日本での学生時代のように楽しんでいますね。それにアメリカの学生のほうがストレートに物を言うのでそれが心地よかったりします。建前がなく交流できることが嬉しかったですね。
ー 学校の授業はだいたい週に何回くらい行かれているのですか?
花岡 月曜日から金曜日までの五日間ですね。
ー 日本の学校みたいに朝から晩まで?
花岡 そんなことはなくて、日によっては2時間程で授業が終わる日もありますし、朝九時から五時まで立て続けに授業という日があったり。日本の大学と比べたら少ないかもしれません。人によってもちろん違うんですが僕の友達は1週間に3日間くらいしか来ないという人もいるし。
ー そうすると、宿題が結構あるのですか?
花岡 宿題は結構ありますね。こちらは日本とは比べ物にならないくらい(笑)。毎日の勉強の半分くらいが宿題。ピアノの練習や指揮の準備をもっと練習したいんだけれども、宿題で結構時間がたってしまったりするんですよ。本当毎日毎日宿題におわれているというのが正直なところです。
ー それはまったく譜読みなんかとは別な宿題が出ているのですよね?
花岡 そうですね。理論の宿題や分析など様々ですね。それから譜読みの授業自体もあるんですよ。オーケストラや弦楽四重奏等の楽譜を見てそれをピアノで弾くんですがそれもかなり準備に時間が必要ですね。
ー じゃ結構ピアノにむかっている時間が多い?
花岡 そうですね。多いです。ピアノと楽譜がほとんどですね。
ー それはご自宅ですか?
花岡 学校でやることが多いですね。学校にはピアノがおいてある練習室がかなりの数ありますしね。
ー 一日何時間くらいピアノを弾いているんですか?
花岡 それも日によるんですけど3時間から8時間くらいまで。
ー 8時間!
花岡 それも授業があるとやっぱりそんなに時間が取れないことがあるのですが、休日はお昼に学校に行って学校が閉まる9時半〜10時半までとか。
ー 好きじゃないと出来ないですね。
花岡 そうですね。でも、ずっとやっていると疲れるので、休憩を入れながらやっていますね。まあ基本的には 楽しいからやっているんですよ。
ー 今学校以外にどこか合唱団の指揮をなさったりしているのですか?
花岡 僕の指揮の先生が振っている合唱団があるんですけれども、そこで歌い手として参加していて、たまに練習の時に「振ってみろ」と言われることはあります。彼はNY州の隣のニュージャージー州でも、合唱団を一つ持っているんですが、そこでも振らせてくれるようです。ただし自動的にコンサートで歌わなければいけないんですが。
ー 交換条件が。
花岡 ギブアンドテイクですね。
ー 来年2年生ですよね。その後はどういうふうに考えていらっしゃるのですか?
花岡 そうですね。日本に戻ろうと思っています。日本にはアマチュア合唱団が沢山ありますしね。東京と地元の長野の合唱団のいくつかを振れたらいいなと考えています。僕が日本でお世話になっていた指揮の先生が、「日本には沢山の児童合唱団や大学の合唱団、アマチュア合唱団はあるけれども、その橋渡しがない。小さい時からずっと音楽を勉強していけるような学校をつくりたい。」とおっしゃっていて、それのお手伝いが出来たらいいなと思います。
ー 面白そうですね。
花岡 そうですね。すでに長野県では何人かの知り合いと合唱団を作る話をすすめています。スケジュールやボイストレーナーの依頼等着々と準備はすすんでいます。僕が帰ったらすぐに合唱団が始動できるようになっています。最初は合唱団を振る機会が少ないかもしれませんが、いろんな指揮者の先生や合唱団を訪ねて団員として歌いながら下振りを続けていきたいと思います。その下振りによって認められていけるためにも今頑張らなくてはと思ってます。
ー 遠い将来なんだけれども近い将来みたいにいろいろ決まっていらっしゃいますね。
花岡 そうですね。でも見えない部分の方が多いので不安もありますが。
ー これからニューヨークにいられる間に更にどういうことを勉強していきたいですか?
花岡 出来るだけ多くの音楽にふれたいですね。アメリカは作曲家も沢山いますし、現代の曲がかなり演奏されているんですよ。フランスも多いと聞きますが現代曲が世界で一番演奏されているのはアメリカだと思うので、沢山聴いたり歌ったりしていきたいですね。それをやがては日本にも取り入れていきたいという思いもあります。今の担当教授が現代曲もけっこう振るのでレッスンでも教わっていきたいですね。現代曲以外でも絶えず音楽に触れる機会を作って自分の基礎能力を上げなきゃいけないし、自分のスタイル、得意分野を確立してそれを日本に戻ったときに売りとしていけるくらいにはしたいですね。
ー 毎日学ぶことが多いですよね。
花岡 そうですね。音楽だけでなくてアメリカにいること自体も勉強になっていますよ。
ー 日本で振っているときとアメリカで振っているときとやっぱり感覚として違うものですか?
花岡 そうですね。アメリカの演奏者は個が強い印象をうけますね。だから最初はあまりまとまらないんですよ。ただそのほうが面白い音楽が最終的に出来るのではないかなという感覚がしますね。日本の合唱団は割と最初にパッとまとまるんですけど、そこからがなかなかうまくいかない。演奏者それぞれが表現するまでいってないというか。枠組みを最初に作っちゃう気がするんです。こっちは枠なんてなくて、お互いがぶつかりあいながら音楽を作っていくのが振っていて楽しいですね。苦労もしますけど。
ー どういう点で苦労しますか?
花岡 そうですね。個が強くてぶつかったままというのは困りますね。歩み寄りがない場合。それぞれが自分の声を出そうとするから、音色がまとまらなかったりするんですよね。もちろん一人一人個性がある声でいいんですけれども、それをどう合唱団として、音楽として一つの方向性に持っていくか。やっぱり合唱で歌うのはソロで歌うのとはまったく違いますからね。個を尊重してそれぞれの歌い手を納得させて、それでも全体としてはまとまるようにうまく持っていくテクニックがいるんですよね。
ー すごい大変ですね。
花岡 でもやりがいはありますね。
ー 逆に日本だったら没個性というか一人一人が出てこないわけじゃないですか。それをどうするかというのがあるのですか? 例えば、もっと小さくまとまらずに自由にやりなさい見たいな。
花岡 そういうことは直接的でなくても言っていかなければと思いますね。日本では合唱団という大きな団体にいるとどうしても自分の存在が埋もれてしまう風に考えがちなので。僕が日本の大学時代、指揮者の時によくやっていたのは、アンサンブルですね。各パート二人くらいの少人数で歌わせていたりしたんです。そうすると自分がどう歌いたい、表現したいという事もはっきりしてきます。そのあと合唱に戻ると全体がかわってくるんですね。合唱団が50人いたとして、合唱というのは50分の1の感覚じゃいけないと思うんですよね。むしろ1×50で1の可能性がいっぱいあって、いろんな表現があって、答えが100にも 200にもなるようなそういうものを作っていかなきゃいけないと思います。
ー 何か面白そうなんだけど大変そうっていうのが伺っていて思うんですけど。でもやりがいはありそうですね。
花岡 そうですね。それをやりとげてコンサートで指揮を振り終わった時とか、本当に興奮でもう心臓の鼓動が聞こえるんですよね。快感ですよ。
ー 凄い。楽しそう。
花岡 はい。やりますか(笑)
ー あがり症なんでちょっと難しいと思います。
花岡 それの克服にもなりますよ(笑)
ー 今後留学を考えている方に花岡さんの方からアドバイスや気をつけたほうがいいと思うことがあればお願いできますか?
花岡 そうですね。まず言いたいのは「やりたいなら、とりあえずやってみろ。」ということですね。物事って何でも実際にやってみないと本当にどうなるかは分からないですから。やらないで後悔するより、やって後悔したほうがずっと良いと僕は思います。僕もアメリカに来て、自分が何が足りないかが分かりました。それはまず動いた、アメリカに来たから見えてきた部分なんですよ。悩んでやらないで失敗しないよりやって失敗したほうが自分の糧になります。失敗したとしてもそれが次の成功につながります。僕も受験を失敗していますが、だからこそ学べたものが非常に大きかったです。最初は曖昧な道でも進んでみて、後でその道を進むためには何をどういうふうにやる必要があるか、その解決法を考察して作っていけばいい訳ですから。大きな目標、やりたいことに向かって恐がらずまずトライしていって欲しいということかな。英語にしてもやっぱり日本で勉強するのと、アメリカで勉強するのでは全然違いますからね。日々の生活の中で使わないと英語はなかなか身につかないですからね。日本のテストで高い点が取れても、こっちでは通用しないことばかりです。なぜなら日本の英語は日常では死んでいる英語だからです。最初が辛いとくじけてしまいそうになったりするかもしれないけれども,そういう時こそ、後になってあの時があったからと思えるはずです。死ぬほど勉強するとか死ぬほど辛いという時間こそ大切な時間だったと。だからもし本当に希望してやりたいと思うんだったら、ちょっとの事じゃ諦めないで欲しいですね。
ー なるほど。熱いですね(笑)
花岡 あと物事(手続き等)は何でも早め早めにやったほうがいいです。とってつけたようですが。
ー 今日は熱いお話をたくさんしていただいて、どうもありがとうございました。
東かおるさん/ジャズボーカル/ニューヨーク市立大学シティカレッジ/アメリカ・ニューヨーク
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。
今回はアメリカニューヨークにあるニューヨーク市立大学シティカレッジ校にてジャズボーカルをお勉強中の東かおるさん(本名:川東郁さん)にお話を伺いました。大阪でも定期的にライブ活動を行う彼女がニューヨークで得たものとは?
− ご自身の簡単なプロフィールをご紹介いただけますか?
えっと、日本では理論とかは自己流で、短大のときからプロについてレッスンを受け始めました。そこの先生に本気でやりたいなら、一刻でも早くニューヨークに行くようにといわれて、それで留学をしようと思ったんですが、資金の面もあり、6年間日本のジャズバーで、ウェイトレス兼シンガーとして働いて、貯金しました。現場で生演奏できる環境で、ボイストレーナーにもついていました。あとはクラシックの基礎知識もつけようと、そういった学校でも習いましたね。
− 短大に行かれるまでは、音楽のご経験はなかったのですか?
3歳から10年間ピアノはやっていました。高校のときに歌手になりたいと思って、タレントの養成所で基礎の勉強をしました。音楽をいろいろ聴くようになって、ジャズにたどり着いた感じです。
− 歌手になりたい、というきっかけはありますか?
何か自分の気持ちを伝えたいというのがあって、あまり自分はしゃべるほうではないので、演奏とか歌を歌って、表現したいというのがありました。あとは、父が英語の教師で、英語のリズムに昔からなじんでいて、洋楽を聴くようになって、というのが大きいと思います。
− ジャズに関わってからは何年ぐらいですか?
19からレッスンを受け始めているので、8年になります。
− 現在はシティカレッジの何年生ですか?
学部の2年生にあたります。あと2年ありますけど、資金面が大変ですね(笑)とにかく近い将来の目標というのは、卒業するってことです。その後は1年間Practical Training Visaが出るので、ニューヨークにいながら、どこを活動の拠点とするか考えて生きたいと思います。
− ライブ活動を結構なさっていますよね?
毎年1回は日本でライブをしています。卒業後も年1、2回は日本でもやりたいし、ニューヨークか日本、どちらを拠点にするかというのはまだ考えていないですね。
− 学費についてですが、どのように準備しましたか?
6年間働いて貯めて、4年分の学費と1年分の生活費程度は準備できました。生活費に関しては苦しいですよ。アパートをシェアしたり、親にも工面してもらったりしながらやっています。
− 学校生活についてですが、やはりアメリカの大学はかなり宿題が多いですか?
そうですね、かなり多いです。編入なので、22単位は短大から移行できたのですが、あと100単位近くはこっちで取らないといけないですね。音楽学部の宿題は多いし、練習をしないといけないのがほとんどなので、学校が終わってから練習したり、学校の練習室でみんなでやったりしています。ボーカルのクラスは 1,2個で、後は理論中心なので、ピアノを触りつつ、頭で練習という感じです。
− 一般教養に関してはいかがですか?
専門外のことをやるので本当に大変です。今サマークラスで数学を取っているのですが、日本とやり方も違うし、テストとかちんぷんかんぷんで。大学レベルの数学で、分析みたいなこともしないといけないし、英語がずらずらと黒板に書いてあるので、国語みたい?な感じですね。語学力がもっとあれば、と思います。
− TOEFLはどのようにお勉強なさいましたか?
1 年半費やして勉強しました。ほんと思い出したくないぐらい悲惨な1年半でしたね。ライブの仕事もしつつ、学校にも通ったんですが、点数は入学基準ぎりぎりぐらいでしたね。そのときはとにかく基準値に達していればいいや、と思っていたんですが、あの時やっておけばいま苦労しなかったのに、って思います。
− 語学で苦労なさることありますか?
やっぱりさっきの数学とかでも一瞬のうちに言ってることを理解して、受け答えする、というのが難しい。音楽の面でも表面的にしか意味が理解できていないと、表現に厚みが出ませんし。大量に宿題があると、飛ばし読みして、大切なところだけ追っていくんですけど、短い文の中でも内容がぎっしりだと、どう深く問われているのかがわからなくなっちゃうんですよ。消化した上で、一呼吸おいてから答えを出すことならできるんですけど、キャッチボールのようには出てこないという感じです。1年経ってやっと慣れてきたところですね。私は語学学校とか一切行かなかったので。
− アメリカ入りして、すぐに大学の授業だったんですか?
そうなんです。だからクラスメイトとランチを食べに行っても話すスピードについていけず、答えようとしたらもう次の話題になっちゃっている、って言うような感じで、「かおるはなんて静かな子なんだ」って思われてましたね。
− 着いてすぐに学校だと、宿泊先探すのとか大変だったんではないですか?
宿泊先は、その前に観光ビザで3ヶ月滞在している間に見つけました。インターネットで見つけて、抑えておいたんです。インターネットとか、口コミとか、新聞なんかで物件自体はわりと見つかると思うんですが、ルームメイトの問題だとか、考えても見なかったようなことが起こるんで、なかなか気に入ったところを見つけるのは大変だと思います。
− もうすでに2、3回お引越しなさってるんでしたっけ?
そうですね。周りを見ていてもそのぐらいはしていますよね。それだけのエネルギーは蓄えておいたほうが良いと思います。(笑)
− いろいろと大変ですよね。ところで、学校ですが、どのように選ばれたんですか?
18 歳のときに歌の先生にニューヨークへ行った方がいい、と言われたときには、大学に行くつもりはなかったんです。最初は語学学校に行ければいいかなと思っていたんですが、シンガーの人に行くなら語学よりも、今からTOEFLの勉強だけやって、大学行った方がいい、ってアドバイスを受けて、その人もシティカレッジ卒業していたので。あと親友がちょうどシティカレッジに入って、「すごいいいよ」って聞いて、ここに決めたって感じですね。自分一人ではとてもじゃないけど、検索とかしてもCity Collgeにはたどり着けなかっただろうなと思います。
− 学校には満足してらっしゃいますか?
そうですね、もうちょっとボーカル系のクラスを作って欲しいと思いますけど、理論をやらないことには先に進めないので、楽器向けのカリキュラムもシンガーには難しいんですが、やっています。理論がシンガーにとってどれだけ必要なのか?って言われるとどうだろう?とも思うんですが、ジャズをやる上では、とてもいい学校だと思います。
− 先生はどのように見つけてらっしゃいますか?
ジャズのワークショップがあったり、公開レッスンに行ったりしています。個人レッスンも交渉したり、知り合いからの紹介や、お誘いで行きますかね。ほとんどが口コミなんですが、ホームページにもレッスンのお知らせがあったり、大学に来ている先生のプライベートレッスンを受けたりという感じですね。後は、別の学校のプライベートレッスンで、クラシックの声楽を勉強しています。
− クラシックとジャズ、どうして両方なさっているのですか?
まずボーカリストとしては、基本は発声になるんですね。ジャズとクラシックは別って言いますけど、ジャズであろうと、クラシックだろうと、ポップスだろうと、隔たりなく発声というのが基本なんです。どんな音楽も基本はクラシックからなので、クラシックをやっていると、音のクオリティといういのを求められるので、ちゃんと音が出ないと格好がつかない。まずクラシックの曲で発声をやって、声が出てきたらジャズを消化しながらやるというのが日々ですね。一日でも練習してないと忘れちゃっているので、毎日しないとなかなか声をキープしていくのが大変なんですよ。
− 授業はどのような感じで進められますか?
ボーカルは、アンサンブルとコーラスのクラスがあるんですが、みんなで歌う形ですね。ジャズシンガーというクラスはソロです。課題曲があって、練習しつつという形です。
− 先生はどのように教えてくれますか?
シティカレッジでも個人でクラシックボーカルをやっているのですが、その先生は、発声と発音について研究なさっている方で、主に歌よりも、発音を治してもらってます。日本人はまず発音を注意されるんですね。私も完璧に近くした上で歌いたいので、それには注意しています。シンガー向けの発音のクラスがあって、音声学をやるのですが、1つ1つの単語を研究していくので、とても役に立ちました。
− やはり日本人だと「r」や「th」の発音とか言われるんですか?
そればっかりじゃなく、数限りなく注意されますね。私なんかは逆に子供のころからやっていたので、「r」がまき気味で、too muchと注意されました。けどアメリカ人でも歌った後に、この発音が〜とか注意されているし、ヨーロッパ人でもそう。標準が何なのか、ちょっとわからないんですけど、とにかく発音は大変ですね。
− クラスの人数は何人程度ですか?
シンガーのクラスは定員があって、8、9名ですね。他のクラスは20人ぐらいかな。定員のあるクラスは登録をした後にオーディションがあるので、ドキドキものです
− お勉強している上で、日本と違う点ってなにかありますか?
日本で音大に行ったことがないのでわからないんですが、個人レッスンを受けていて思ったのが、日本だと、イタリア語、フランス語の歌はとにかく丁寧に‘発音する’と言うのに重点が置かれますが、アメリカの場合は、英語はもちろん、他の言語の曲でも意味をすごく問われます。一つ一つの意味をわかった上で歌いなさい、って。それは違うなと思いますね。英語の歌でも、より深く、なぜこの単語、この表現がここで出ているのか、わかって歌っているのか?と聞かれます。分からないというと、その場で教えてくれたり、勉強してきなさいといわれたり、まちまちですが、そう考えてみると日本のジャズシンガーというのがどこまで理解して歌っているのかな〜と思いますね。日本にもジャズの研究の本だとかスラングの本はありますけど、実際にこっちに来てみないとわからないことがたくさんあって、日本ではわからない、勉強できない部分がありますよね。それは日々の生活習慣だったり、習しだったりするわけですけど。生活してみて、肌で感じられるというのは大きいですね。
− そこまで理解を深められると、歌も以前とは違った感じになるのではないですか?
そうですね。日本に帰ってきたときに感じますね。ライブをやるとお客さんの反応も変わっていますし、アメリカでの勉強がこういうところで役立っているんだ、と実感できます。
− ニューヨークでもいろいろライブとかなさっていますよね?
今は話があるとお受けしている程度ですね。今年からはもうちょっと余裕が出てくるだろうから、やってみたいとは思っているんですけど。
− ニューヨークのクワイヤにも参加なさっているとか?
学校の先生が指揮をしているので、それのお誘いを受けて毎週1回やっています。
− 学校でのお友達はどんな方が多いですか?
留学生同士が多いですかね。アメリカ人の友達ももちろん多いのですが、シティカレッジはイスラエル人と日本人が多いのかな?助け合いの精神がみんなあってとてもいい雰囲気です。いろいろな国の人同士なので、価値観が違って、変なところで怒らせちゃうと収集が着かなくて大変ですよね。ラテン系はハッピーなときはいいけど、トラブルがあると大変なので、怒らせないようにするとか(笑)。日本人以外は結構時間にルーズだったりするので、そういう点では日本人同士が一番信用できます。
− 1日のスケジュールはどんな感じですか?
学校がばっちりある日は9時から夜の7時までとかですね。平均して、3,4コマ入っているので、だいたい毎日6時間弱ぐらいですね。
− 治安についてハーレムということでしたが、気をつけていることなどありますか?
ハーレムと言えども昼間は全く安全です。でも夜は、公園など人の少ないところまた慣れない場所には絶対に行かないことです。現に友人も襲われました。が、必要以上に怖がらず、でも隙は見せない、ということに気を付けています。
− 生活面や、お勉強の面で苦労したことって特にありますか?
毎日が苦労の連続です。。。いろいろあるんですけど、最近はアパートのガスが止まってしまって、大家にいっても管理人にいっても相手にされなくて、いまだにどうにもなっていないんですよね。泣き寝入りをする羽目になるかも。あとはハーレムに住んでいるんですが、新鮮な野菜が食べれない、とか?大阪出身なので、納豆とは縁遠い生活をしていたんですが、こっちに着てからは食べれるようになっちゃいました。食文化はいろんな国の人が着ているから見ていても面白いですよね。電話とか光熱費とか申し込みをしていても手続がうまくいかなかったりとか、勝手にプランを変更されていたりだとか、いろいろ苦労はあります。ほんと、いかに戦って、信念を曲げないかというのが日々の課題ですね。言われちゃうとそうかな〜って納得しちゃうんですけど、おかしい、と思ったことに関しては、貫き通していかないとダメだと実感しています。1年が過ぎるまではあまり文句とか言わないようにしていたんですが、最近は積極的に何でも言うようにしています。面白いことに、アメリカは自分が発言することによって、新しい道が見えてきたりするので、言った者勝ちというのがありますね。何でも口に出していわないと損です。一番悪いのは、ウダウダ考えて、抑えてしまうことですね。一番損しちゃうので。大学は人数が多いので、事務処理にすごい手間がかかるんですね。ミスとか結構あるので、そんなときは声を大にして、一つ一つ言っていかないといけないですね。
− 自分が留学して成長したと感じる瞬間ってありますか?
小さい問題にあたふたしなくなったというのがありますね。価値観の違うところに住んでいるので、一人一人の考えも違うし、ある程度聞き流しして、対応したりだとか、自分をしかり持っていないと、って言うのがあります。アメリカに来たことによって、自分が日本人だということを強く意識したし、日本人の良さを発見したというのもあります。ただ、良さは持ちつつ、アグレッシブになるところもないと、大変なので、日本人の規則正しいところとか、はんなりしたところ、周り家の気遣いも持っていこうと思うようになりました。
− 留学してよかった点は?
英語の歌やジャズが常に身近にあるというのがとてもいいです。例えば歌詞でMy love とかdarling というのが合って、日本にいるときは使わないじゃないですか。でもアメリカでは友人同士で言い合ったりとか、彼氏彼女の間で使ったりだとか、そういうのを聞くと歌詞の一つ一つの理解度が詳しくなりますよね。こういうときに使うんだとか、分かると常に英語の生活に溶け込んで言ってると思いますね。
あとはニューヨークは世界中から一流といわれるものや人が集まっているので、一流を安く見れたりというのがすごくいいです。友人の友人が有名な人だったりとか、刺激があって、それでまた頑張ろうと思えます。いろんな意味で自分が強くなってるかな〜と思います。道を切り開いていく大変さとかあるけれど、ふと振り返ってみると、一人で頑張ってきたんだ、と達成感、充実感がありますよね。日々の生活はいっぱいいっぱいなんだけど、これだけやったんだなと振り返ったときに達成感とか、良かった、っていう、日本では味わうことができなかった感触があります。勉強も量が半端じゃなくあって、泣きそうになりながらですけど、終わったときの達成感があるし、みんな学生同士助け合ってやっていこうっていう姿勢があってそれも楽しいし頑張ろうっていう気になります。音楽論で分からないことがあったら、わかる人がリーダーシップをとってみんなで課題に取り組んだりだとか、学校生活の醍醐味を感じますね。社会人だと個人個人のことになってくると思うんですけど、学生はもちろん個人は個人なんだけど、助け合いというのがとても良いと思います。とにかく達成感の一言に尽きますよね。
− これから留学を考えている方に一言どうぞ。
学校側との書類上でのトラブル、ビザ関係でのトラブル等、なかなか事が思うように進まず、ストレスを感じることは多々あります。そういう時の為に、時間と心の余裕も持つことです。それから、明確な目標を持つつことです。これさえあれば、どんなに大変な時でも道は見えてくるだろうと私は信じています。
− 今日はありがとうございました。後2年間でまたどれだけ東さんが活躍なさるのかが本当に楽しみです。頑張ってください!
東かおるさんのHPでは、現在の彼女の様子がわかります。是非チェックを!
http://www.kaorumusic.com
小野麻衣子さん/ジャズドラム/ニュースクール大学/アメリカ・ニューヨーク
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。
今回はニューヨークのニュースクール大学、Jazz & Contemporary Music科にてジャズドラムのお勉強中の小野麻衣子さんにお話を伺いました。小野さんは日本でもライブ活動を行うなど、日本でも活躍中の彼女のニューヨーク生活は一体どんなものでしょう?
ー 改めて、まず簡単なご自身の紹介と、現在の学歴を教えてください。
出身は大分県大分市で、一人っ子です。熊本の大学を出た後、実家のジャズ喫茶を手伝いながら音楽活動をしていました。現在マンハッタンにあるニュースクール大学Jazz & Contemporary Music科にて勉強中です。
ー 今は、ニューヨークは何年目になりますか?
2004年1月に渡米したので、1年半になります。
ー 日本では何をなさっていましたか?
日本では実家のジャズ喫茶を手伝いながら音楽活動を行っていました。
ー 留学する前までの音楽の経験は何歳からなさっていましたか?
大学のビッグバンドに入部し、ドラムを始めました。父がドラマーであるため、小さい時から遊びでたたいていましたが本格的に始めたのは大学に入ってからです。
ー 留学したきっかけというのはなにかありますか?
友達のギターリストが渡米したのをきっかけに、私もニューヨークで勉強したいと思うようになりました。
ー どうして音楽を選んだのですか?お家の影響ですか?
そうですね。ジャズ好きの父の影響で小学生の時からジャズを聴くようになりました。いろんなライブハウスへ連れてってくれたのも父です。とても感謝してます。
ー 学校はどうやって選びましたか?
ニュースクール大学はジャズを勉強する場所としてとても有名な学校なので前々から興味を持っていました。旅行でニューヨークに初めて来た時に友達になったドラマーがニュースクール大学に入ろうとしていたところでしたので、彼からいろいろと話を聞いてますます入学したいと思うようになり、それがきっかけでニュースクール大学入学の準備を始めました。
ー 学校はどのような試験・出願書類が必要でしたか?オーディションはありましたか?
2003年の9月から3ヶ月間ニューヨークに滞在し、その間にオーディションを受けました。願書手続きもすべてニューヨークにて行いました。父から銀行の残高証明書をファックスで送ってもらい、大学の成績証明書も日本から送ってもらいました。あとは自己アピールのエッセイを制作して学校に提出しました。
ー エッセイの書き方のコツはありますか?
エッセイの書き方のコツは、とにかく自分の良い所をアピールすることです。日本人の性格からして、恥ずかしいと思いがちですがそれは間違いです。自分の良い所を自分で理解する事が大事ですし、それをアピールしていかなければ意味がありません。「謙遜」という文字はアメリカには無いのではないでしょうか。
ー TOEFL対策はどのようにしましたか?日本での英語勉強法は?
特に勉強していません。少しだけ語学学校に通ってただけです。
TOFELは受けていません。入学前に一ヶ月間ニュースクール大学の英語科で勉強することによってTOFELは免除されました。
ー 留学するまでにどのくらい前から準備しましたか?
本格的に準備しはじめたのは4ヶ月前です。
ー 出発前に不安に思っていたことは何かありますか?
英語が喋れるかどうか不安でした。
ー 実際は留学当時の語学はいかがでしたか?
留学してすぐは全くと言っていい程、喋れませんでした。
ー ニューヨークを選んだ理由というのはありますか?
やはり、素晴らしいジャズミュージシャンが生活して活躍している街だからです。
ー 学費はどのように捻出しましたか?学費の支払い方は?
父にサポートしてもらってます。
ー ニュースクール大学はどんな雰囲気ですか?ニュースクール大学ならではの特徴ってありますか?
そんなに人数は多くないので、生徒も先生もみんな家族みたいに仲が良いです。とても雰囲気が良いと思います。
ー 人種はどんな人たちが多いですか?
アメリカ人65%、イスラエル人15%、韓国人8%、日本人7%、ヨーロッパ人5%くらいでしょうか。
ー 日本人はどのくらいいますか?
15人くらいいます。
ー ジャズドラムをやっている人はどのくらいいますか?女性はめずらいしいですよね?なぜドラムをえらばれました?
ドラマーは学校に現在30人くらいいます。女性は私の他にもう一人です。ドラムは父の影響だと思います。
ー 日本と留学先では何が大きく違うと感じましたか?
他人が何をしていても気にしないところが好きです。日本だと、流行ったら誰もがそれを身につけ、携帯する。こちらにはそういった慣習がないように思われます。自分が好きなものを身につけ、好きなものを食べて、好きなものを聴いているような気がします。楽でいいですね。みんなが肩肘はらずに自分をアピールしながら生きているような気がします。
ー 専門用語はどのように勉強しましたか?
音楽の専門用語は学校で学びました。
ー 学校の授業はどのような感じですか?
音楽の理論やジャズの歴史、アンサンブル、ドラムのテクニック的なものの勉強などいろいろです。
ー 学校の音楽の実技レッスンはどんなことをしますか?
アンサンブルの授業で先生が持って来た譜面を見ながら演奏したり、生徒が持って来たオリジナルの曲を演奏したりしてます。演奏のあとに先生がコメントをしていくといった感じです。
ー 先生はどうやって見つけるのですか?
一応先生のリストがありますが、ニューヨークに住んでいるミュージシャンなら誰でも選べます.学校側からミュージシャンにコンタクトを取ってくれるのでとても安心です。
ー 先生の教え方はどんな感じですか?どのように教えてくれますか?
先生によっていろいろですが、私のプライベートレッスンの先生は私の質問に丁寧に答えてくれます。また、レッスンの後に教えてくれたことをすべてノートに書きうつしてくれるので安心です。
ー 練習はどのようにしていますか?
学校の練習室で練習してます。教則本をみながらの基礎練習が主です。たまに友達のサックスプレイヤーやベースプレイヤーを呼んで、練習室でセッションしてます。おウチでも昼間であれば練習できますので、たまにやってます。
ー 学外でのセッション、コンサートなどは行われますか?
毎日のようにあちらこちらでセッションをやっています。
ー 音楽のレッスンで苦労することはなんですか?
はじめは英語が理解できず大変でした。
ー 1日の大体のスケジュールはどんな感じですか?
朝から夜遅くまで学校に居ます。授業の合間に練習をするといった感じです。
ー 音楽業界へのツテってできますか?
私は日本のミュージシャンの知り合いがたくさんいますのでツテはあるほうだと思います。
ー 学習態度に関しては、日本とどう違いますか?例えばどのような点が?
お菓子をたべながら授業を受けても、寝転がって授業をうけても誰も何もきにしないのが面白いとおもいました。先生もコーヒー飲みながら教えてます。でも決して不真面目というわけではありません。みんな積極的に質問し、先生が間違っていると思ったら積極的に指摘してます。はじめはびっくりしましたが、そうでなければいけないのだろうなと思いました。
ー 授業以外はどのように過ごされていますか?
ライブを聴きに行ったり、映画を見に行ったり美術館に行ったりしてます。最近はお料理にもはまってて、料理本をみながらクッキングしてます。テキサス料理を勉強中。
ー 日本人以外の人たちと交流はありますか?付き合うコツなどはありますか?
アメリカ人や韓国人のお友達はたくさん居ます。とにかく自分の英語の下手なのを忘れて、話す努力をすることだと思います。
ー 宿泊はどのようにしていますか?
2ベッドルームの一部屋を借りてます。
ー 1週間の生活費はどのくらいですか?
$100くらいでしょうか。
ー 1日の平均勉強時間は?
3〜5時間ぐらいですね。
ー 現在の語学レベルは?
普通の会話なら困らず喋ってます。映画などの理解は、いまだに難しいです。
ー 留学先で苦労したことは?
勉強面ではとにかく英語です。生活面では困ったことはありません。
ー 留学して自分が変わったというところはありますか?
特に変わっていないと思います。
ー 実際のところ、治安はどうですか?
場所にも寄りますが、良い方なのではないでしょうか?
ー これから留学する人にアドバイスしておきたいことは?
日本のように学校側の管理がきちんとしていません。書類を送るといって忘れていたり、送った書類をなくされたり等々。信用してばかりいると手遅れになる事が度々起こります。早めの行動を!!!
ー 留学してよかったと思える瞬間は?
素晴らしいミュージシャンに、素晴らしい友達に出会えた事。
ー 今後はどのような進路を考えていますか?
学校卒業後もニューヨークを起点に音楽活動ができたら幸せです。
ー 今後も夢が実現するように頑張って下さい。今日はありがとうございました。